神器が暴走する夜
※世界観の補足や設定まとめはnoteにあります(プロフィールから)
「……静かすぎる」
アクシオンは、思わず呟いていた。
封印の間に満ちるルミナは、ほとんど音を立てない。
定期調律の日。
いつもなら精霊の気配が折り重なり、空気が微かにざわめく。
だが今夜は違う。光が痩せ、流れが細い。
一歩外へ出れば、救いを求める声が否応なく耳に入ってくる。
配給所のざわめき。焦げた土の匂い。泣き声。
それらが壁の向こうで、途切れない。
――ここだけが、世界から切り離されたみたいだった。
床に刻まれた歯車陣(封印紋)を見下ろし、アクシオンは呼吸を整える。
失敗できない。今日は、ただの調律ではない。
「出力、合わせるよ」
オルディナの声が近い。
熱を帯びたルミナが、足元から立ち上がる。
「安定域は維持……でも、反応が薄い」
ロゴスが淡々と告げた。
冷たい判断。迷いはない。
アクシオンは二人の間に立ち、ルミナの流れを繋ぐ。
編む。渡す。――それが、彼女の役割だった。
その瞬間だった。
――引っかかる。
音ではない。ルミナの流れが、どこかで歪む。
「……女王」
思わず声が落ちる。
すぐ隣で、見守る気配が揺れた。
白金の髪を持つ女王の声が、静かに返る。
「……大丈夫よ。続けて」
穏やかな声だった。けれど、その奥に疲労が沈んでいる。
次の瞬間、歯車陣の中央で、光がわずかに歪む。
――来る。
アクシオンがそう確信した時、
空間の奥で、薄く硬質な音が響いた。
パキィン。
「……歪みが来る。誰かが、干渉してる……!」
天井の光が、瞬く間に闇へと反転する。
裂け目から“何か”が滲み出した。
腕の形。触手のように、貪る影。
歯車陣が逆回転を始め、中心へ引かれるようにルミナが偏った。
「女王……その背後……!」
神器の核のあたりで、影が膨張する。
女王の足元からではない。――背後の“空間”そのものが、女王を起点に裂けていく。
アクシオンが叫び切る前に、封印の間が軋み、砕けた。
女王の唇が、小さく動く。
「……この世界を……救いたかっただけなのに……」
黒い影は、空間そのものを歪めながら蠢き出し、精霊たちを次々と絡め取っていった。
声にならない悲鳴が、光の粒となって散る。
アクシオンは歯を食いしばり、周囲を見渡す。
――これは暴走ではない。何かが、意志を持っている。
「精霊を、傷つけるなんて……!」
オルディナの身体に熱が走る。拳の周りで火花が跳ねた。
ロゴスは冷静に、しかし息を速めて術式を組み直す。
「抑え込む。崩れる前に、道を作る」
アクシオンは頷く。
三姉妹は、言葉を交わすより早く動いた。
彼女たちの光は、質が違う。
戦うための熱。解くための冷。繋ぐための静。
三つが重なったとき、世界の輪郭が一瞬だけ、正しく戻る。
それでも、影は止まらなかった。
裂け目から次々と溢れ出し、結界を削り、床の紋を汚していく。
歯車陣がきしみ、神器の核が、不自然なほどの飢えを帯びて輝き始めた。
「無限に湧いてる……これ、終わらせる“芯”がある!」
オルディナが叫ぶ。
ロゴスが短く指示する。
「一点に集束。ここで折る」
アクシオンは息を呑む。
――危険だ。だが、迷っている時間はない。
三姉妹は互いの光を重ね合わせ、円環を描いた。
精霊たちの力も寄せ集まり、一つの矢の形に結晶していく。
「行くよ」
アクシオンが言う。声は震えていない。
三人の手が同時に上がり――
融合した光が、影の中心へと放たれた。
一瞬、闇が焼け落ちる。
浄化された空間に、静寂が戻った……はずだった。
だが次の瞬間。
その光は神器へ吸い込まれた。
終息ではない。――“摂取”だった。
神器の中心核が、祝福ではない輝きを帯びる。
それは渇望。飢え。
「……な、に……?」
三姉妹の胸元が熱くなる。
精霊たちの声が、引き剥がされていく。
オルディナの背後で、紅の精霊が悲鳴を上げる間もなく、光に引き裂かれた。
ロゴスの周囲で、白い精霊が砕けるように消えた。
アクシオンの隣で、アメジスの気配がほどけていく。
「アメジス……!」
竜は言葉を発さなかった。
ただ、その瞳だけが――前を向け、と言っているように見えた。
三姉妹の力が、抜け落ちる。
骨の奥から光が抜かれる感覚。世界の音が遠のき、指先の温度が消えていく。
女王アマリリスは、虚ろな瞳で三人を見下ろした。
その声は、感謝にも、諦めにも聞こえる。
「……ありがとう。これで、準備は整ったのよ」
まるで最初から、この結末を知っていたかのように。
影はなおも貪り、空間は裂け、光は飲まれた。
三姉妹の膝が、床に落ちる。
「……ここで終わり?」
オルディナの声が掠れる。
「否。まだ……見届ける」
ロゴスは震える指で術式板を握り直す。だが、もう力が続かない。
アクシオンの視界が揺れた。
――ふと、三人で語り合った未来が浮かぶ。
「いつか、世界を編み直そう」と。
痛みを抱えたままでも、立てる形を探そう、と。
その瞬間だった。
「まだ終わってなどいない」
確かな声が降る。
裂け目の向こうから現れたのは、三柱の精霊。
彼らは、最後の光を燃やしていた。
「だめ……! そんなことをしたら……」
アクシオンが叫ぶ。
だが精霊は、首を横に振る。
「これは犠牲ではない。再起動だ」
「お前たちが、灯りを灯し直すための――空白を作る」
胸の奥の喪失が、微かに温度を取り戻す。
穴の底で、何かが“約束”として残ろうとしていた。
円環が描かれ、三つの光が重なる。
時空が、薄く裂ける。
「行け」
精霊の声が、最後の風になる。
「折れた場所から、もう一度立て。――お前たちは、できる」
光がほどけ、記憶が結晶となって三姉妹の内側へ沈んだ。
次の瞬間、三姉妹の身体は光に包まれ、時空の狭間へと吸い込まれていく。
深く、深く――七ヶ月の眠りへ。
封印の間に残されたのは、静まり返った宮殿と、神器を見つめる女王の冷たい瞳だけだった。
……だが。
神器の最奥、誰の手も届かぬ記憶の縁で、小さく一つ、光が瞬いた。
それは三姉妹が残した“問い”の余熱。
消えかけた世界に、もう一度立ち上がるための――かすかな合図だった。
――つづく
続きは第1章へ。
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