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勇者様は月を目指す  作者: 世葉
第2章 作戦変更
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第9話 およぐ

「どうして、こんなことになったんだろ……。」

 そう見知らぬ天井を見上げて呟く勇者は、月も見えない獄中にいた。


●○●○●


「…─よって、乙の行いは、魔導災害責任法三十二条一項の違反。及び、魔法の行使に関する特別措置法における五十一条『魔力暴走』に該当すると判断し、その身柄を拘束するものとする。」


 廃坑での戦いの後、イシュチェルを取り戻し、宿に戻った勇者たちを待っていたのは、現地の司法官たちだった。彼らは、困惑するロナたちに法執行に至る経緯と理由を丁寧に説明し、無抵抗な勇者を拘束した。

 ノクスは、その行いに全く言い訳が出来ないほど、完全に心当たりがあった。それでも、一方的な司法官たちに、何か言い返してもよかったのだが、司法のプロを相手に迂闊なことを言えば、さらに罪状が増えそうな気がした。


「ノクスの行いには、間違いもあったのかもしれませんが、魔人との戦いで起こったことです。それを考慮はして頂けませんか?」

 そのノクスを代弁するようなロナの懇願に対し、現場責任の司法官は目を閉じ、しばらくの沈黙の後、口を開いた。


「……。我々も、勇者殿にこの様な措置を講ずるのは本意ではありません。ですが──」

「本来であれば、これほどの規模で行われた大犯罪は、極刑をもって償うべきものなのです…。

しかし、その法規を勇者殿に当てはめるほど、我々はそこまで浅はかでもありません。」

「幸いなことに、廃坑の大崩壊による余波も、洪水の影響も、町に被害が及ぶことはありませんでした。しかし、被害者が出なかったからといって、我々としても目を瞑るわけにはいかないのです。」

「今回の勇者殿への措置は、我々の譲歩──と御受取下さい。」

 司法官の理路整然とした説明は、ロナでさえ反論の余地を残さないものだった。


「ノクス…。必ず、面会に行くから……。」

 彼女たちは、そう言ってノクスを元気づけるのが精一杯だった。


「…─さてと、どうしよっか? あのバカ勇者、助けに行く?」

 ノクスが連れていかれて間もなく、トリウィアが今後について切り出した。

「困りましたわね…。こうなれば、私のお父様に頼んで、手を回して頂きましょうか。」

 セレーネもトリウィアも、ノクスの処分に対して、納得はできないでいた。しかし、勇者の立場をもってしても、社会秩序に逆らうというのは容易なことではない。トリウィアの力づくな問題解決に対し、セレーネの提案は、その秩序の内側からの介入を示唆している。それは、彼女にとっても最後の手段だった。


「……。あの担当する司法官は、お話が分かる方のようでしたし、こちらから面子を潰す様な事は差し控えた方が良いと思います。」

 しかし、ロナは司法権を歪めかねない行為を否定する。それは、ノクスの置かれた立場と同時に、彼ら司法官の立場をもまた配慮した発言だった。


「ま、成り行き次第ってことよね。断頭台(ギロチン)送りにする気は無いみたいだし……。

でも、流石に今回はちょっと可哀そうだから、あとで差し入れでも持っていきましょ。」

 ノクスがここにいないことも手伝って、トリウィアは、勇者に対して珍しい優しさを覗かせる。

「そうですわね……。礼節を弁えぬ無作法でした、忘れてください。」

 二人の話を聞き、セレーネは自嘲気味な笑みを浮かべ、提案を取り下げた。


「ノクス戻ってこれないの?」

 三人の話を聞いていたイシュチェルは、セレーネの膝の上で、心配そうな顔を浮かべていた。


●○●○●


 それからしばらくすると、四人が泊まる宿に、先ほどの司法官とはまた身なりが違う御仁がやって来た。兎のような丸い目が印象的な彼は四人を前に、とても礼儀正しく一礼すると、名刺を差し出し身分を明かした。

「ロングアイランド・ウォーターパーク協会会長。の、ピーター様。が、私たちに一体何の御用でしょう?」

 その名刺を受け取ったセレーネは、相手の肩書と自分たちの繋がりに、全く心当たりがなく困惑した。


「まず、事前のご連絡もなくお会いして頂き、誠に感謝いたします。

この度の事件を耳にし、居ても立ってもいられず、王都より脱兎の勢いで早馬をかけてまいりましたため、突然の訪問となりましたこと、何卒ご容赦ください。」

 ピーターは再び一礼すると、その丸い目をこちらに向けながら、本題を切り出した。


「こちらをご覧ください。

ここ一帯が、勇者様が破壊したあの魔石の廃坑跡なのですが、水脈を傷つけたことで、今もなお大量の水を放出し続け、その範囲は拡大を続けています。」

 持ち込んだ地図を広げ説明するピーターの声には、どこか複雑な感情の響きがあった。

「現状これは、地域住民の安全を脅かす存在と化してしまっているのですが、私共は、これを有効活用する構想を持っております。」

「有効活用?」

 ロナが小さく首をかしげながら、思わず口にする。それに対するピーターの返答は、自信に満ちたものだった。

「はい。この廃坑跡を丸ごと改修し、豊富な地下水脈を活かした、一大水浴施設の建設計画です。」

 それを聞いた三人は、一様に息を呑んだ。突飛で、夢のような構想に、三人の視線が交差する。


「──そのお話を、何故私たちにするのですか?」

 セレーネが代表するように、飲み込めない話を慎重に尋ねる。その声には警戒心が滲んでいた。

「まず、当事者であった方々にご報告を、と思いまして……。

そして、差し出がましいようで大変恐縮なのですが、実は一つ、お願いがございます。」

 ピーターは再び頭を下げ、少しだけ息を整えてから続けた。

「実は、その改修工事にあたって、皆さんの魔法のお力と、勇者様のお力をぜひ拝借したく、このお話を持って参りました。」

 ピーターの手のひらに汗が滲む。しかしその目は、真っすぐ前を見据えていた。


「……。それは本当に、差し出がましいにも程がありますわね……。」

 セレーネは呆れ気味に口を滑らせる。勇者である使命と、肝心の勇者が今抱えている問題を考えれば、それは当然の反応だった。

「──それは、良い案かも知れません。」

 しかし、ロナは対照的に、ピーターの話に活路を見出したかのようだった。


●○●○●


「114-514番。面会だ。入れ。」

 刑務官から番号で呼ばれた勇者が、面会室で待つロナたちの前に姿を現した。あれから一日しか経っていなかったが、ノクスの顔つきからは、少しやつれた印象を受けた。


「ノクスぅ~。」 イシュチェルはノクスに遠慮なく飛び付く。

 その無邪気な笑顔は、ノクスに差した影を消し飛ばすほど明るく照らした。


 ──この世界には、勇者の力を持つ者を閉じ込めることができる牢獄など、そもそもありはしない。

 勇者を縛っているのは牢獄ではなく、この世界の秩序そのものである。ノクスは、それを守ることで得られる恩恵と、それを破ることで周囲にもたらされる迫害を、よく知っていた。

 だからこそ、彼はそこに不満がありながらも、自ら選びここに留まっている。

 彼にとっては、一般の罪人と同じ牢に収監されていても、その意味も、重みも、まるで違う。したがって、彼には監視下という条件こそ課されていたが、面会に関しては他の囚人とは比較にならない自由が与えられていた。


「ノクス、聞いてください。ここからすぐに出られるかもしれませんよ!」

 そう喜び勇んで報告するロナの笑顔は、イシュチェル以上に輝いていた。


 ロナたちは面会の前に、司法官と事前の話し合いを行っていた。

 先日のピーターの計画について、本人も交えて説明し、この水浴施設の建設が町にいかに貢献するかを丁寧に示した。その上で、この事業に勇者が率先して協力することを、社会奉仕活動として捉え、刑の減軽を求める交渉を行った。

 司法官としても、この提案を拒否する理由はなく、さらに立案者であるピーターの情熱も後押しとなり、交渉はロナたちの望んだとおりの結果に落ち着いた。


 そこからは、兎が上り坂を跳ねるようにとんとん拍子で話は進んだ。

「実は私はこの町の出身なのですよ。私が生まれる以前は、この町は魔石採掘でにぎわった町だったそうです。

ですが、それも一時的なもので、資源の枯渇と共に町も衰退していきました。

その後、要所を繋ぐ宿場町として、再び人が集まるようになりましたが、かつてほどの繁栄には至っておりません。」

「この度、故郷にこのような目玉施設を建設することができ、誠に感無量でございます。」

 ピーターの情熱は本物で、十分な資材と、選りすぐりの職人たちをすぐさま連れてきた。肩書に見合った手際の良さと、仕事っぷりを遺憾なく発揮し、建設工事は速やかに進んでいった──


 勇者が切り裂き、崩落した廃坑の形は、奇跡的にも構想していた水浴施設の構造と合致していた。大規模な改修の必要はなく、瓦礫の撤去に加え、ごく一部の補修と内装や外観の整備だけで済んだ。

 そんな中、ノクスは自らの後始末のため、積極的に工事に協力した。そこに仲間たちや職人たちの力も合わさり、わずか数日で施設は見事に完成を迎えた。


●○●○●


『…─ッッッがああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああああああああっっっ!!!』

 一方、魔人たちの住処にて、作戦に失敗したアタエギナは荒れに荒れていた。


『……がっ、……クソがああああああぁぁぁっっっ!!!』

 アタエギナの怒りの源泉は、もちろん作戦に失敗した仲間に対してではない。そして、イシュチェル様を奪われたことに対してでもなかった。

 彼女の怒りの根源にあるのは、唯一つ、キュンティアを打ち負かした敵に対する、激しい復讐心だった。その叫びは、あたかも敗北を味わったキュンティア本人の心の叫びであるかのように、周囲の空気を震わせた。


 その姿を、キュンティアは黙って見つめていた。怒り狂うアタエギナの剥き出しの感情を、客観的に捉えることで、彼女は己の敗北を真正面から受け止めることができたのだった。悔しさも、惨めさも、屈辱も、すべてアタエギナが代弁してくれた。そのおかげで、キュンティアは自らの感情を深く、深く、全て飲み込むことが出来た。

 そうして彼女は、地に墜ちたサキュバスとしてのプライドを、アタエギナの咆哮と共に、再び取り戻す──


『あいつら全員ぶっ殺す!!!』 キュンティアは、アタエギナに同調するようにブチギレた。

『思い出した……。 あの時、あの家で私をババァ呼ばわりしたあのババァッ!! あいつも絶対ぶっ殺す!!!』

 蘇ったプライドが闘争本能を呼び覚まし、二度の敗北への復讐を明確に決意させる。それはまさに、キュンティアが魔族本来の姿を取り戻した瞬間だった。


 そんな二人の姿を前にして、イラルギは冷静だった。だが、二人の感情の爆発をなだめることもしなかった。作戦が失敗し、最も屈辱と責任を感じているのは彼女だった。

”……。この負けは、吾輩の責任ニャ…、イシュチェル様を、吾輩は甘く見ていたニャ……。

吾輩の予想を遥かに超えて、イシュチェル様は、途方もない早さで成長されておられるニャ。”

 今回の敗因は明白だった。しかし、今の自分たちでは、そこから勝機を見出すには、あまりにも足りないものが多すぎた。

”今のままニャら、たとえもう一度勇者たちからイシュチェル様を取り戻せたとしても、また同じことを繰り返すだけニャ。”

”イシュチェル様のことも、あいつらのことも、吾輩たちは、もっとよく知らニャければニャらニャいニャ。”

 その言葉は、イラルギたちが背負った使命の困難さを物語っていた。同時に、どれほど過酷であろうと、どんな手段を使ってでも成し遂げるという、イラルギの揺るぎない覚悟をも滲ませていた。


 アタエギナとキュンティアは、その感情の高ぶりを抑えきれずに、イシュチェルの再奪取に動き出す。

『──待つニャ。』 しかし、そんな二人をイラルギは止めた。


『イシュチェル様を今、取り返しても意味がないニャ。

吾輩たちの使命は、イシュチェル様にご満足いただける形で、魔王様のもとへお連れすることニャ。』

『今、イシュチェル様だけを取り返したところで、ご満足はいただけニャいニャ。』

 感情的になっている二人を前に、イラルギは冷静に道理を説く。


『─…んなら、どーすんだよ、イラちゃんよ。』

『そうよ、ルギルギ。そこまで言っておいて、また案はない、なんて言ったら許さないんだから──』

 復讐心に駆られ逸る二人は、イラルギの制止に苛立ちをぶつけ反発する。


『まず吾輩たちは、イシュチェル様がどうすれば満足されるのか、を知る必要があるニャ。

でも、今の吾輩たちには、それを知るための情報が決定的に足りていないニャ。

だから、今はひとまず、情報収集に徹するべきニャのニャ。』

 イラルギは、二人の感情を理解しつつも、あえて別の道を指し示す。


 それを聞いた瞬間、アタエギナはイラルギに詰め寄る。

『なんでそんなダリィことやらなきゃなんねーんだよ!

取り巻きの三匹をブッ殺して、勇者殴り倒し(シメ)て、イシュチェル様の前に拉致ってくれば、それで終了(ケリ)じゃねぇか!』

 イラルギの遠回しな戦略は、アタエギナの高ぶる感情を激しく逆撫でした。


 そのアタエギナの怒りをぶつけられてもなお、イラルギは冷静に応える。

『それができるなら、苦労はニャいニャ。それができないから、作戦を考えるニャ。』

 そして、迫るアタエギナを真っすぐ見つめ、イラルギは冷たく、言い放った。


『──それとも、また、死にたいのかニャ?』


『────!!!』 その一言は、アタエギナの地雷を容赦なく踏み抜いた。


 だが──その炸裂に覆いかぶさるように、キュンティアがアタエギナの肩に背後から両手を回した。

 その無言の抱擁は、憤怒よりも強い感情で包みこむ。わずかの沈黙ののち、アタエギナは唇をかみしめ、そっとキュンティアの腕に手を添えた。


 イラルギは二人を前に、話を進める。

『──勇者は今、あいつらの世界のおかしな法とやらに縛られて、動けないニャ。

これは、千載一遇のチャンスに間違いニャいニャ。』

 魔石の廃坑での戦いの後、イラルギは勇者とその周囲の動向を探っていた。言葉では、アタエギナの感情的な行動を否定しても、その執念深さの根源は同じものだった。

『厄介な勇者がいない間に、イシュチェル様のありとあらゆることを調べ上げ、ついでに取り巻きの三人を丸裸にひんむいてやるニャ……。』

 イラルギからは、アタエギナの憤怒よりもおぞましい、獣の欲望が蠢いていた。


●○●○●


「みんな遊んでおいでよ。水着を用意して、さ。」

 廃坑跡を利用した水浴施設は無事完成し、勇者一行は主催のピーターからオープニングセレモニーに招かれていた。しかし、ノクスは司法手続きが間に合わず、まだ自由の身とはなっていなかった。

 そんな自分に気兼ねせず、息抜きを兼ねて楽しんでくるように、面会に来たみんなの背中を押した。


「何言ってんのよ。べつに、アンタのお勤めが終わってからでいいでしょ?」

「そうですわよ。べつに、セレモニーに出たいからしたことではないのですわ。」

 普段は勇者に悪戯心から意地悪をしている二人も、真面目に刑に服している勇者に対して茶化す気になれず、素直な優しさをみせる。勇者も毒気が抜かれた生活の中にいて、二人の素直な優しさはとても身に染みた。


 そこに、イシュチェルが割って入る。

「じゃば、じゃば、じゃば〜〜っ!」

 イシュチェルは両腕をバタつかせ、謎の泳ぎのモーションでノクスの周りをぐるぐると回りだす。水はどこにもないのに、そのコミカルな全力の動きに周囲の空気が一瞬ゆるむ。

「ノクスも〜、水着買って、一緒に泳ぎ行こうょ〜!」

 くるくると数周したところで、その勢いのままノクスに飛びつく。キラキラの目でノクスを見つめるが、この状況は見えていない。というより、たぶん最初から見ていない。


「ごめんよ…。まだちょっと、ここにいないといけないんだ……。」

 ノクスは笑顔を歪ませて、イシュチェルをそっと引きはがしながら、謝った。

「えぇ〜…。でも、みーんなもう水着買ってたょ!?」


 その唐突な暴露は、ノクスに笑顔を保ちさせつつ、さらに歪に歪ませる。そして、その視線はゆっくりと二人へ向けられた。

「あ、あれは、あれですわよ。ほら…、最近、水難が多くて…、その、備え…、ですわ!」

「そ、そうそう! 敵の魔人に水の魔法使ってくる奴がいるから! その対策! 全く完全に対策のためよ!」

 そのノクスの視線から逃れながら行われた二人の懸命な弁解は、真実を雄弁に語っていた。


 そこに、申し訳なさそうな顔で、ロナがそっと二人の前に出てきた。

「あの……、ノクスの水着も、ちゃんと用意しましたよ。

師匠の家と一緒に、あの転写画も焼けてしまいましたが、正確なサイズを覚えていたので、形にぴったり合うように、…その、フィット感を重視しました。

あとは、好みが合うといいですけど……」

 ロナが言い終えたあとに、一瞬、場にふわっと妙な沈黙が立ちこめる。その不思議な空気に、ロナは、こくんと小さく首を傾げた。


 そして今度は、ノクスがロナの視線から逃れ、無言のまま肩をすくめて空を仰いだ。

 トリウィアの肩がビクッと跳ねる。セレーネの口元がブルブル震えはじめる。

 ロナが自分が言った言葉の意味を理解したのは、二人が笑いを爆発させる直前のことだった──


 笑い声に包まれながら、ノクスが見上げるその日の太陽は、嫌味なほど眩しかった。


●○●○●


 それからまもなく、水浴施設のオープニングセレモニーが催された。広く一般客を招いたその式典において、水浴施設はまさしく荘厳なる『水浴の聖域(アクア・ルミナス)』と呼ぶにふさわしい姿をあらわにし、訪れた多くの人々を魅了した。


 かつての坑夫たちの汗が染み込んだ岩肌は、滝のように流れる清流を受け止め、崩れかけの坑道の壁面は、新たな役割と装飾に生まれ変わり、坑夫たちのこだまする声は、子供たちの笑い声へと姿を変えていた。

 鉱山の高低差を生かして造られた三層構造の水浴場は、湧泉と幾重にもめぐる回廊が棚田のように重なり合う。最上段から湧き出る清水は、小さな滝を連ねて下層へと流れ落ち、やがて岩盤をくり抜いた天然の水底へと注がれていく。底には魔石が所々に輝き、溶け込んだ微細な成分が水を浄化し、肉体と魔力の両方を穏やかに癒す力があった。

 それはまるで、文明の遺構が現世で再起動を果たしたような、壮麗な奇跡の風景だった。


 そしてその光景に、四人の美女が花を添える。それぞれのスタイルに合わせた水着姿は、セレモニーに立ち会った者たちだけでなく、多くの客人たちを虜にした。


 セレーネが選んだ水着は、白と黒のチェックがアクセントになったボリュームのあるビキニだった。

 控えめにあしらわれたフリルが、露出の大胆さとは対照的に清楚な印象を添えている。その姿は、高潔で気品に満ちた彼女の雰囲気に、ほんのわずかに漂う甘さを絶妙に溶け込ませていた。風が吹くたびに、肩にかけた薄手の布がふわりと舞い上がる。


 一方、トリウィアの水着は、やわらかなパステルカラーに彩られたワンピースタイプ。胸元の小さなリボンと、スカートのように揺れる裾がどこか少女趣味を感じさせるデザインだった。普段は抑えている彼女本来の無邪気さが、そこでは自然とにじみ出ていた。


 ロナは、普段帽子に隠している髪を後ろで束ね、濃紺のワンピースタイプを身につけていた。装飾を排したシンプルなデザインは、自然と体にぴたりと馴染み、どこかスポーティな印象を与える。その姿は、彼女の合理的できっちりとした性格をそのまま映し出していた。


 そして最後に控えしイシュチェルが着ていたのは、パステルピンクのワンピース型の水着。胸元には小さなクマのアップリケ、三段に重ねられたひらひらのフリル、さらに星やハートの模様がちりばめられている。まるでおもちゃ箱からそのまま出てきたかのような、無邪気な可愛らしさがそこにあった。


「──本当に…、ノクスが来れないのは残念ですわね……。」

 セレーネは、透き通るような水面を見つめながら、静かに呟いた。陽の光を受けてキラキラと揺れる波紋が、彼女の足元の魔石に反射して幻想的な模様を描いている。

「そうね…。丁度いい休養になったもの……。」

 隣で座っていたトリウィアが、すこしだけ肩をすくめるようにして応える。

 二人は、最下層の最も浅いところで腰かけて、足を水に浸しながら波の感触と温度の余韻を楽しんでいた。


 そのすぐそばで、ロナがイシュチェルの泳ぎを手伝っていた。

「そうそう、イシュチェルちゃん。じょうず、じょうず。」

 水の上で手を広げるイシュチェルの身体を、手でしっかりと支えながら、ロナは呼吸と動きのタイミングを優しく教えている。

「ぷはー、ぷはーっ…」

 リズムよく顔を上げて息継ぎするイシュチェルの表情は、少し緊張しているものの、どこか楽しげだった。


 水の跳ねる音が重なるたびに、自然と小さな微笑みがこぼれる。

 ゆったりとした時の流れの中、彼女たちの頭上には雲ひとつない青空がどこまでも広がっていた。

 過酷な日常をしばし忘れ、誰もがほんの少しだけ子どもに戻ったような、そんな穏やかな午後だった。


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