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勇者様は月を目指す  作者: 世葉
第2章 作戦変更
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第8話 えんじる

━【01:08:31】─

『──ねえ、どうしてすぐに来てくれなかったの?』

 イシュチェルは、ノクスに抱き着いて拗ねる。

「ごめんよ、イシュチェル…。ここまで、色々大変だったんだ…。でも、無事でよかった……。」

 そんなイシュチェルを、ノクスは優しく撫でた。

━【01:08:39】─

『ノクスなんてきらい!』

 しかし、イシュチェルはその手を振り払い、そっぽを向いた。

 その反応は、ノクスを驚かせた。しかし、余程寂しい思いをしたのだろうと、笑みを浮かべながら再び手を伸ばす。


─パチンッ!─


 しかし、イシュチェルはノクスのその手をはたいた。

━【01:08:49】─

『魔人のお姉さんたちの方が、お話も面白かったし、綺麗だったし、ごはんも美味しかったし、あと、猫もかわいかった!』

 その小さな体を震わせて本気で怒る姿は、ノクスを悲しく、そして、困惑させた。

「ちょっと、待ってくれよ…。どうしちゃったんだよ、イシュチェル……。」


━【01:09:16】─

 その会話は、廃坑に張り巡らされた古びた伝声管を通じて、ロナたちのいる広間にほんの微かに響く。その音を、耳が効くイラルギだけが正確に聞き取っていた。

『イシュチェル様…。素晴らしい演技ニャ。』 そのイラルギの言葉に、アタエギナも微笑む。

 

 二人の不敵な微笑みは、ロナとセレーネの警戒を強め、迂闊な攻撃を躊躇わせる。それは、ただ時間が稼げればよいイラルギたちに、とても有利に働いた。

 ロナたちは知らないが、イラルギたちにとって、眼前の二人と戦うことに意味はなかった。簡単に始末できる相手なら、迷わず手を下したろうが、そうでないことを彼女らは良く分かっていた。ならば焦らずとも、闇落ち(オト)した勇者に始末させればよいのだ。

 それほどまでに、イラルギたちはこの作戦と、イシュチェルに信頼を寄せていた。


━【01:09:16】─

 同じ時、拘束されたトリウィアは、トリウィアと対峙していた。

 目の前の自分と瓜二つの正体を、トリウィアは仲間から聞いていた敵の情報から、分かっていた。分からなかったのは、なぜ今自分を殺さないのか、だった。


 暗闇になった時、イラルギに警戒をしたほんの一瞬に背後から襲われて、偽物が入れ替わった。それが起きたことに、仲間の誰も気づかなかった。他の誰でもなく、最初からトリウィアを狙ってたのでなければ、ありえない鮮やかな手口だった。

 そして、さらに驚くことに、目の前のトリウィアは、自分の拘束を解いた。武器を奪うこともなく行われた、その意味不明な行動に、トリウィアは戸惑いながら、自然と声が出た。

「─…何のつもり?」

 その問いを受け、トリウィアは真の姿を現した。

『──貴方と、決着をつけたいの。』

 そのキュンティアの言葉には、行動とは裏腹に、明確で強烈な殺意が込められていた。


━【01:10:09】─

『──だから、ノクスもこっちにおいでよ。』

「何言ってるんだよ! そんなこと…、できるわけないだろ。」

 その言動に困惑し、混乱するノクスに、イシュチェルは寄り添う。助けに来たはずのノクスに、イシュチェルはそっと手を差し伸べる。もはや、二人の立場は完全に入れ替わっていた。


『─…ノクスはかわいそう。

勇者なのに、毎日皆から虐められて…、辱められて…、蔑まれて…。誰もその凄さを認めようとしない。』

『でも私は違う。

私なら、分かってあげられる、褒めてあげる、優しくしてあげる─…。

きっと魔人のお姉さんたちも、そうしてくれるよ?』

『だから、こっちに来て。一緒に、追放ざまあしよ?』

 イシュチェルがこんなことを言うはずがない。そう信じる心と、心の急所を突くその言葉に、ノクスの心は千々に乱れる。

「違うんだよ、イシュチェル…。違うんだ。それは…、まだイシュチェルには分からないんだよ……。

そうじゃないんだ…。そういうのじゃないんだよ……。」

 ノクスは、必死にそれを否定することしかできなかった。

━【01:11:09】─

……──”こんな追放ざまあ(アドリブ)までかますニャんて…、イシュチェル様は恐ろしい子ニャのニャ。

吾輩のバチバチに最適化したチャートが、大幅に更新されそうニャのニャ……”──……


━【01:12:21】─

 敵と対峙するトリウィアは、キュンティアの言動すべてを理解してはいなかったが、殺意を向けられる魔族を前に、戦わないという選択などあるはずもなかった。戸惑いはありながらも、倒さねばならぬ敵を前に、躊躇いはなかった。


 それに対し、キュンティアには、あるはずのものがなかった。自分に生まれた全ての迷いを断ち切るため、その根源である胸の錘を解いていた。この戦いを前にして、キュンティアは、サキュバスのプライドを捨てた。


 ──そして、お互いの覚悟は必然として激突した──


”Kaunan Hagalaz Sowilo Uruz!”(焦熱と轟雷よ、大地を引き裂き、天をも穿て!)

”ψβǪǪψϞЯodϞgǪ©ΔǪ≡≡ψ”


 二人の呪文が重なる。トリウィアの魔法は、焔雷轟く炎と雷の弓矢を五月雨のごとく放つ。

 一方、キュンティアは、軽やかな身のこなしで、その全ての矢をことごとく躱し切る。しかし、放たれた斜交の矢雨が、躱されたその先で交差した瞬間、爆裂を引き起こした。

 連続する爆雷音と共に、火雷の嵐がキュンティアを包む。いかに速く軽くとも、逃げ場のない包囲攻撃には、成す術がない。

 炎々と起爆する無限の雷轟が、キュンティアを仕留めた──はずだった。

 そう、確かにキュンティアがそこにいた、のならば……。

 キュンティアの唱えた魔法によって、その身、さらには身に降りかかる爆裂さえも、陽炎に揺らぐ影へと消える。と、同時に無いはずの影が揺らぎ、キュンティアの姿に変わった。

 五月雨る弓矢を晦まし、潜り、騙しのけ、そして、そのままトリウィアとの距離を詰めた。


”Sowilo Ansuz Kenaz Hagalaz!”(雷神駆けよ、風を別て!)

 迫り来るキュンティアに対し、トリウィアは一本の鏑矢を放った。その矢の狙いは敵の身体を捉えず、音をも凌ぐ速さで風を裂き、真っすぐに虚空を貫く。

 矢が放たれた瞬間、空気が悲鳴を上げる。鏑矢の軌道から全方位へと異様な衝撃波が広がった。空間そのものを震わせる不響和音からは、姿を晒そうが、隠れようが関係なく、逃げ場などどこにもなかった。


 自身へのダメージをもいとわないトリウィアの捨て身の攻撃からは、キュンティアが誤魔化すことなど不可能だった。

 そう、確かに本来のキュンティアだった、のならば……。

 本来の姿であれば、この攻撃は受けに回るしかなかったかもしれない。しかし、全てを捨てた今日のキュンティアは軽い。その速さは、風も音も超え、そしてついには、トリウィアを捕えた。


『──なにか、言い残すことはある?』 動きを封じ、首筋に爪を立て、トリウィアに問う。

「…………」 しかし、敵に託す言葉など、ありはしなかった。


”ψ©Ǫgψ©Ǫ¥Þ∮Ǫs✕∮wgψψ”

 そのトリウィアの無言の返答に、キュンティアは必要のない呪文を返す。


 それは、ほんのささやかな、人並みの(しあわせ)だった──


──エルフの森の木々を、朝露がそっと撫でる

それと同時に目覚めたエルフたちは、古木に宿る精霊に挨拶し、また一つの朝を迎え入れる

淡く、柔らかい時の流れに生きる彼らは、森そのものが見る夢の中に生きている


枝の隙間から差し込む光が、エルフたちの銀糸の衣を照らし、揺らぐ風が、耳の翡翠の飾りを微かに揺らす

彼らの言葉は、これまでの森の呼吸と今の季節を繋ぎ、そしてこれからの未来を紡ぐ

彼らの詩は、葉擦れの音に弾み、風の調べに調和し、幾星霜を重ねて流れる


そしてまた、森とともに眠り、森とともに目覚める

そして、森とともに年を重ね、森とともに老いてゆく


その夢の中で、トリウィアの胸は豊かに満たされていた──


『せめて、夢の中で──』 キュンティアは、喉元に突き付けた爪に力を込める。

「──Nauthiz(まがいもの)……」

 しかし、トリウィアの頬を伝うひと筋の涙と、その魂の声が、キュンティアの手に躊躇いを与えた。


”Thurisaz”

 次の瞬間、トリウィアは目を開くと同時に呪文を唱えた。

 トリウィア自身の体を雷が貫く。当然、密着していたキュンティアも巻き込まれ、雷撃に弛緩する。その身を焦がしながらも、無理矢理生じさせた隙を突いて、トリウィアはこの状況を脱出した。


「ハァー…、ハァー…、ハァー……」 自身に打った魔法で、息は荒くまみれる。

「─…ふざけるな…。こんなもの…、こんなものっ……。」 目からは涙が垂れる。

「ふざけるなァッ!!!」 そして、トリウィアは憤怒する。


「私は…、こんな偽物(ニセモノ)いらないっ! 私が欲しいのは、偽物(ホンモノ)だけっ!!」


 そのトリウィアの雄叫びは、まったく意味の分からないものだった。

 ただ独りだけ、理解者(マヴ)のキュンティアだけは、その意味が通じた。


 キュンティアはこの戦いの勝利の為、仲間の為、自分の為にサキュバスのプライドを捨てた。

 だが、捨てたはずのプライドが、今ここに来て、復讐を遂げに押し寄せる。

 それは、キュンティアの無防備な胸に、深く、深く、深く突き刺さる。


 ──満身創痍で魔力も尽きたトリウィアの、たった一矢は、キュンティアをついに捉えた──

━【01:14:10】─


 イシュチェルの名演は続く。その演技はもはや、子供にできるものではなかった。

『──もういいの…。いいのよ、ノクス…。貴方の気持ちは、良く分かりました……。』

『致し方ありません。之より先は、貴方と私は、もはや敵です。』


「だから! なんでそうなるんだよっ!! そんなのって…、ないだろっ!」

 イシュチェルの演技は、ノクスの正義感と罪悪感を、ものの見事に翻弄する。信じていたものが崩れ去り、ノクスは正常な判断力を失っていた。

━【01:15:15】─

……──”あとほんのもう一息ニャ”──……


『その未来を拒むのでしたら──、私の手を取りなさい。』

 イシュチェルは、打ちひしがれるノクスに、そのとても小さな手を差し伸べる。

「────────………………

 その手は、正に救いだった。今のノクスが悶える苦しみから解放する救済だった。

 それと引き換えに失う多くのものを、その手はノクスに忘れさせた──

━【01:17:32】─

……──”堕落(オチ)たニャ”──……

 

─パチンッ!─


 しかし、ノクスはイシュチェルのその手をはたいた。

━【01:18:18】─

……──”?! ニャん…だと……”──……


「─…それじゃあイシュチェルが…、君が幸せになれないよ……。」

 それは、すべてを引き換えにしてもなお守りたい、ノクスの胸の底にひとつだけ残った、本心だった。

「それに…、俺は、勇者だから……」 しかし、続く言葉は、彼のつまらない虚勢だった。

「なにがあっ─…」 しかし、振り絞ったその言葉は、途中で止まる。


 顔を上げたノクスの目に映ったのは、はたいた手とは反対の手に握られた、『─大 成 功─』と書かれた木製看板だった。


「──てってれ~。 大 成 功~! えへへへ……。」


 いつもの子供らしい声に戻ったイシュチェルの笑顔は、それまでの全てを帳消しにするとびきりのものだった。

「──て、……も─…」

 ノクスは言い掛けの言葉が止まると、それと同時に思考も止まった。

━【01:18:33】─

……──”馬鹿ニャ! 馬鹿ニャ! 馬鹿ニャッ!!

そこまで、そんニャことまで、吾輩は教えニャかったのニャ!!

それをしてしまったら、全部ぶち壊しニャのニャ!!”

”どうするニャ? どうするニャ?! すぐにイシュチェル様のところに向かわなければっ!”──……


 イラルギたち魔人の状況は反転した。これまでの余裕は借金となり、目の前のロナたちを一刻も早く倒し、イシュチェルのもとへ向かわなければならなくなった。ロナたちをイシュチェルに近づけまいと仕組んだ隔離作戦が、皮肉にも自らの首を絞める。今となっては、キュンティアの別行動すら悔やまれた。


 ──しばらくして、思考が戻ってきたノクスは驚くほど冷静だった。自分が何をされたのか、はっきり理解していたし、次に何をしなければならないのか、すぐに考え付いた。

 それは、閉じ込められた待機所からの脱出。固く閉ざされた鉄扉を開くことだった。

「イシュチェル。ちょっと離れてて……。」

 危なくないようにイシュチェルを遠ざけると、ノクスは迷うことなく剣を振るった。


”──天一閃(てんいっせん)!!!”

 その攻撃は、鉄扉に向けるには余りに不釣り合いの、ノクスのやり場のない怒りを全て込めた全身全霊の一閃だった。


 この世の理を分かつ勇者のその一撃は凄まじく、鉄扉どころかこの廃坑すらも真っ二つに両断した。未曾有の災害ともいうべきその剣閃は、それだけでは止まらず、さらに坑道のすぐそばを走る地下水脈へと食い込み、硬い岩盤を貫いて大量の水を噴き上げた。

 水脈は堰を切ったように暴れ、濁流となって坑道に雪崩れ込む。轟音と共に激流が坑道を埋め尽くし、各所にいた仲間と魔人たち一切合切を、割られた廃坑の外へと押し流した。


 ロナたちもイラルギたちも、突如として巻き起こった異常事態に即座に反応し、戦闘の手を止め、互いに廃坑からの脱出を優先する。

 ノクスはイシュチェルを抱き上げ、廃坑から脱出した。鬱憤の解放と等価交換したはずの結果への後悔は、勇者にあるまじき不正取引を揉み消して、”もうどうだっていいや”という感情の赴くまま、ノクスとイシュチェルを終始笑顔にさせた。


 廃坑を脱出したノクスは、やがてロナたちと合流した。しかし、トリウィアの姿はなく、一行は辺りを探し回ると、ようやく、少し離れた岩陰で気を失ったトリウィアを見つけた。

 怪我を負いながらも、静かに寝ていた彼女の状態は、まるで誰かが助けたかのようだった──


 一方、イラルギたちも廃坑から無事脱出していた。彼らは、はぐれたキュンティアを心配したが、彼女の方からすぐに姿を現した。しかし、その時のキュンティアの顔は、作戦に失敗した彼女らの誰よりも、暗く沈んでいた。

「──私は…、負けた─…」

 目を合わせた時、そう呟いたキュンティアのずぶ濡れの肩を、アタエギナは何も言わずに濡れたまま抱きしめた。

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