第5話 まねる
グレティの家から遠く離れた山野。その放棄されたあばら家に、魔人たちの影があった。
一人の魔人は、イシュチェルと、ノクスに切られ瀕死となった魔人を担ぎ、グレティと戦った魔人は、荒い息を吐き、胸を押さえながら、やっとの思いで、ここまで辿り着いた。
魔人は、イシュチェルと、死にかけの魔人を床に降ろし寝かせた。その魔人に片方の魔人が必死に声をかける。
『アタエギナ! アタエギナ!! 死ぬなっ! 死ぬんじゃないよっ!』
どれだけ名前を呼んでも、返事はない。胴を割かれ、今にも死にそうな魔人を心底心配して、自分の怪我すら忘れ、魔人は取り乱していた。
『イラルギ! どうにかなんないのっ!』
もう一人の魔人に、懇願するかのように助けを求めた。
『……。ゴメンね…、キュンティア。ここまで重症だと、吾輩にはどうすることも出来ないニャ……。
アタエギナだったら、ニャンとかできたかもしれニャいけど……。』
自身も傷だらけでありながら、爪の欠けた拳を握り締め、悔し気にそう話す。その耳と尻尾は、悲し気に垂れていた。
『そんな……。』
キュンティアと呼ばれた魔人の目は、絶望に潤む。
『『…………』』 二人の魔人は、悲しみの静寂に包まれていた。しかし──
『ニャッッ!!』
突然、イラルギと呼ばれた魔人がその静寂を破る奇声を上げた。それは、イラルギの垂れた尻尾を、イシュチェルがおもいきり握ったせいだった。
『やめて下さいニャ~、イシュチェル様~。』
イラルギは力なく、小さなイシュチェルよりもさらに低く頭を下げ、懇願する。
「ねこちゃん、かわいぃ。」
イシュチェルはそんなイラルギの頭を撫でた。イラルギは本能に逆らえず、目を閉じ顎を上げる。しかし、その至福の時間を妨げる声が響く。
『ああっ! ダメよっ!! アタエギナ! アタエギナっ!!』
その声は、血の気が引き、熱が冷め、命の灯が今にも消えんとするアタエギナを、必死に引き戻そうとするキュンティアの叫びだった。
そんな二人をイラルギとイシュチェルは、ただ立ち尽くして見守る。
「かわぃそう……」
イシュチェルは、そんな場面に遭遇しても怖がる様子もなく、アタエギナに近づくと、その小さな手を添えた。
「いたいの、いたいの、とんでけぇー。」
そんなイシュチェルのいたいけな姿は、もうそんな方法でしか、アタエギナを救えないのだと二人に悟らせる。その現実は、イラルギとキュンティアに覚悟を決めさせる。長年連れ添った仲間を静かに送るため、二人は口と目を閉じた。
しかし、その瞬間──アタエギナの体を柔らかな光が包み込む。
その光のヴェールは、羽のようにゆっくりとアタエギナに沈み、体の中に緩やかに染み込んでいく。光が体の中に消え去ると、割られた体は、嘘のように繋がっていた。それに随って、肌にも艶と熱が戻ってくる。
すると、突然──
『水辺じゃなかったらガチ詰んでた、水辺じゃなかったらガチ詰んでた、水辺じゃなかったらガチ詰んでたっ!』
『ハー……、ハー……、ハー……』
ガバッ! っとアタエギナは起き上がり、早口言葉のように連続三回高速で唱えると、激しく息を切らした。
『『…………』』 余りのことに、二人の時間は止まる。
そして次の瞬間、キュンティアはアタエギナに思い切り飛びついて喜んだ。
二人がイチャつく傍らで、イラルギはイシュチェルに、再び低く頭を下げる。
『イシュチェル様。この度は誠にありがとうございましたニャ。
しかし、そのようニャお力は、どちらでお身につけにニャられましたか?』
イラルギは畏まり、そしてイシュチェルに尋ねた。
「んとね、セレーネがおしえてくれたょ。こうやるの。」 そう言って、イラルギの頭に手を乗せる。
「いたいの、いたいの、とんでけぇー。」
すると、イラルギの体も光に包まれ、みるみるうちに傷が癒えていく。自身の体が元通りとなって、イラルギは改めてイシュチェルに平伏した。
アタエギナは、その癒しの魔法を目撃し、自分がどうして助かったのかを理解した。
そして、抱き着くキュンティアを離すと、共に、イシュチェルの前に跪座し、頭を垂れた。
『イシュチェル様。この身をお救いいただき、感謝の言の葉もございませぬ。
賜りし命にかけ、重ねて永遠の忠誠をお誓い申し上げまする。』
『私も、このご恩は生涯忘れません。命に代えましても、お仕えいたします。』
その二人の忠誠を、イシュチェルはイラルギの腹を撫でながら聞いていた。
「ねこちゃん、かわいぃ。」
腹を撫でられたイラルギがもう我慢できず、仰向けになり股を大きく開かんとしたその刹那─
『イシュチェル様! 無礼を承知で申し上げます。何卒、魔王様の御許にお戻りくださいませ。』
アタエギナは顔を上げ、まさにその言葉に命を賭すほどの必死な形相で、声を上げた。
その言葉に、イシュチェルの手が止まる。
「うん。いいょ。」
その素直な返事に、アタエギナは安堵の表情を浮かべ、胸をなでおろした。しかし──
「ノクスたちみんなでいこうょ。」
その次の言葉に、アタエギナの表情は凍り付いた。
その背後で、姿勢を戻したイラルギが小声でキュンティアに問いかける。
”ノクスって誰ニャ?”
”あの勇者の事よ。”
”吾輩を刻んだアイツのことニャか”
背後での会話が、アタエギナの直感を確信へと変えさせる。あの、天鳥の恐怖の記憶がまざまざと蘇る。アタエギナの体は小刻みに震え、鼓動は不規則に高まり、冷や汗が止めどなく流れる。
『あの勇者ガチヤバイ、ガチヤバイ、ガチヤバイ、ガチヤバイ、ガチヤバイ、ガチヤバイ─…』
それは三回では留まらず、その息が続くまで延々と吐き出された。
それを見かねたキュンティアが、助け舟を出す。
『イシュチェル様。今日のところはどうか、私たち三人とお出かけして頂けないでしょうか?』
しかし、その言葉は逆効果だった。
ふとしたきっかけで、ノクスのことが頭に浮かんでしまったイシュチェルには、ノクスがここにいないということが、もう我慢ならない。
「ノクスどこぉ~。ねぇ、どこぉ~。ノクスと一緒じゃないと、いーやーだー。」
それは、ただの幼子の駄々に過ぎなかったが、三人に途轍もなく重い十字架を背負わせた。
『─…分かりましたニャ。ノクスを連れてまいりますニョで、今しばらくお待ちくださいニャ。』
イシュチェルを傷つけないことを最優先とする使命の為、イラルギは最も険しい茨の道を選択した。
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イラルギの尻尾でイシュチェルをあやしながら、三人は作戦会議を始めていた。
『どーすんのよ? あの勇者、真実エグすぎ、本気無理なんですケド?』
未だ動揺するアタエギナからは、先ほどの着飾った言葉がはだけ、地の言葉が剥き出しになる。
『そんなこと言ったって…。
イラルギ、アンタなんか策があって言ったんじゃないの?』
『実は何も考えてないニャ。』 イラルギは申し訳なさそうに耳を垂らす。
『ハァッ?! そんなんウチら本気詰んでんじゃん?』
アタエギナは、そう言って頭を抱えた。
『……、こうニャったら、騙して連れて行こうかニャ。』
イラルギは、自分の撒いた種に責任を感じ、思い付きの案を出すが、キュンティアがすぐに反論した。
『それはダメよ。魔王様のところで嘘がバレでもしたら、私たちどうなると思ってるの?』
『それは嫌ニャ。魔王様に怒られるのは怖いニャ……』
三人は、それを想像して一様に俯いた。
しばらくの沈黙の後、アタエギナはふと妙案を思いつき、焦点の定まらぬ笑顔で切り出す。
『そだ、アンタ、サキュバスっしょ? なら、勇者の一人や二人ぐらい余裕く魅了せるんじゃないの?』
キュンティアに対して向けられたそれは、恐怖からの逃避によって生まれた、実現性のない案だった。
『はぁ?! 勇者がそんな致命的な状態変化に、耐性つけて無い訳ないじゃない。
それに、あの取り巻きの三人が、それを黙って見てると思う?』
アタエギナは、それでも、それ以外に逃げ道を見出せず、恐怖に駆られ小刻みに震えながら必死に固執する。
『じゃ、なんなのよ、アンタの、この、乳は…。 何の、ために、ついてんのよ…』
そう言って、キュンティアの下乳の下から、手にスナップを利かせて何度も上に跳ね上げる。
『なんで…、こんなものを…、魔力で…、作ってんのよ?
何この、サイズと…、形と…、ハリと…、弾力と…、感触と…、サイズと…、艶と…、弾力は…』
『何で、ここまで、魔法で、再現る、必要が、あるのよ…。全くの、魔力の、ムダ使い、じゃない……』
跳ね上げ続けるアタエギナの手を、キュンティアはサキュバスのプライドにかけて、決して自分からは止めはしない。その代わり、言葉に呪詛に近い殺意を込めて、アタエギナに喰らわせる。
『オゥ…、ヤメロや。オゥ。オメー、サイズと弾力二回言ってんぞ、オゥ。』
『それになぁ……、魔力乳、無駄遣いじゃねーんだわ、オゥ。
コレのお陰でなぁ、敵の攻撃を上手く避けれたしなぁ、オゥ。
胸を回転魔力槍で突かれてもなぁ…、オゥ、生き残れたんじゃぃ……』
言葉を進めるごとに、キュンティアの殺意は、自分でも抑えられないほどに増していく。しかし、アタエギナの手は止まらない。いやむしろ、その速度は徐々に増していった。
『オゥ…、ヤメロや。オゥ。神経は無くてもなぁ…、オゥ、風が顔に当たるんじゃぃ……』
それでも、アタエギナの手は止まらず、加速していく。
『オゥ、それならなぁ…、オマエのあの呪文、アレなんじゃぃ、オゥ。
妙な記号で作りやがって、オゥ、無茶苦茶言いにくいんじゃ、ボケが!』
その言葉に、アタエギナの手は突然ピタリと止まった。それどころか、時間が停止したように、すべての動きが凍りついた。
次の瞬間──アタエギナからは悪魔的なオーラが溢れ出す。殺意の流れが逆流を始める。
『オッ、オッ、オッ…。オマエ…、オマエそれ…、言っちゃう? 言っちゃう?』
『オマエ…、あの呪文…、人が寝る間も惜しんで、どんだけ時間かけて作ってると思ってんだよ……』
人間技では不可能なほどの小刻みなビブラートで奏でられるその言葉は、不安や、狂気、絶望といった、陰湿で嫉妬深い響きを孕み、相手の耳を食む。
『アレはなぁ…、元の意味を符号化してだなぁ…、鍵知ってりゃ、呪文から復元るようになってんだよ……。
それをなぁ…、オマエ…、どんだけ考えて、考えて、やってやってると思ってんだよ……』
もうそれは、いつ爆発してもおかしくない時限爆弾だった。
『アンタさぁ、それこそ、何の意味があんのよ。そんなことする必要、全く、無いじゃない。』
タイマー表示は隠されてはいるものの、しかしその言葉は、確実にカウントダウンを進ませる。
『恰好吉てるやろがぃ…。大悪魔っぽいやろがぃ…。承認欲求必要やろがぃ…。
誰かがその符号化法則解き明かして答えに辿り着いたら、幸福やろがぃ…、自慢やろがぃ…』
二人はゼロ距離でメンチを切り合い、そのボルテージは最高潮に達する。最早、そのデーモン・コアの接触を、誰にも止めることはできない。
と、思われたその時──
『アタエギナの呪文はカッコイイニャし、キュンティアのお胸も素敵ニャよ。』
イラルギが、コアが完全に接触する直前で、マイナスドライバーを差し込んだ。
『オゥ、神感謝な、イラちゃんよ。』 『ルギルギ、愛してる。ちゅ。』
二人は一瞬、イラルギに対して笑顔を向ける。しかしまた、すぐさまゼロ距離で睨み合う。
ただ、それによって確実にカウントダウンは巻き戻った。
『困ったニャ……。話が全く進まないニャ。』
この不毛なやり取りの間、イラルギの尻尾を追い続けていたイシュチェルは、いつの間にか、尻尾を枕に寝入っていた。その首に結ばれた聖刻は、一つの方角を指して、緩やかに浮遊していた。