第4話 ねる
グレティは家から出るとすぐに、気を失ったままのロナに駆け寄った。状態を確認し、活を入れると、ロナはすぐに意識を取り戻した。グレティはひとまず安堵したが、イシュチェルの安否を心配し、意識を取り戻したばかりのロナを残し、他の仲間の元へ向かおうとした。
しかし、その直前に、グレティの家に天鳥の力を使ったノクスが飛び込んできた。その姿はグレティとロナをとても驚かせたが、反対に、ノクスは二人を見て安堵した。そして、その安堵から、勇者はそのままその場に倒れ込んだ──
セレーネが施した黄金の祝福は、勇者の力を引き上げるものではない。むしろ、勇者の力を無理やり根こそぎ吐き出させるものだ。元々は、対魔王に備えて最後の切り札として用意した秘術だが、あまりの消耗の激しさに、封印した禁呪だった。
ほんの僅かの使用で魔力を使い果たし、それ以上の代価は、容赦なく命を使って支払わされる。扱い方を間違えれば、勇者を殺しかねないものだった。
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ノクスが両断した氷山から、次々と氷塊が崩れ落ちる。そして崩れた氷山の中から、トリウィアが無事な姿で現れた。
氷山の中にいても、トリウィアにはノクスの一閃が確かに見えていた。そして、それを受けた彼女本人ですら、その瞬間、自分が斬られたと信じた。否、確かにトリウィアは斬られた。しかし、この世の理を分かつ勇者の一太刀は、氷山と魔人のみを両断した。その不可思議な体験は、トリウィアを困惑させたが、それを考える暇を惜しみ、セレーネのところへと足を向けた。
セレーネは、イシュチェルへ回復魔法を施していた。
イシュチェルは、ショックで混乱していたが、水を飲むこともなく、呼吸も安定していた。セレーネの手から伝わる心地のよい癒しの波動に、ウトウトとすらし始めていた。
周辺での危機が去り、セレーネは仲間の状況が気にかかる。何より、ノクスに天鳥を解放したことが本当によかったのか、自責の念にかられていた。
そして、ほんの僅かに、イシュチェルから意識を逸らしたことが、油断となった。
ノクスの蛟で斬られた魔人は、体中を切り刻まれながらも、執念深くその身を水中に潜めていた。そして、敵がイシュチェルから気を離すほんの僅かな隙を、虎視眈々と狙っていた。
魔人は獲物を狙う猫のように、残された力を溜め、来るべきその瞬間に爆発させた。
奇しくも、それを水中で行ったことは、魔人に味方した。水中爆発によって波と飛沫が巻き起こる。その打つ音に、セレーネが顔を向けイシュチェルから目を離した瞬間に、魔人の体は二人の間を駆け抜けた。
セレーネが意識を戻した、その次の瞬間にはもう、イシュチェルは手の届かない遥か彼方へ奪われていた。
理解の追いつかない混乱の中、セレーネは反射的に後を追うが、どう足掻いても届かない。
トリウィアが、そんなセレーネの姿を発見した時にはもう、魔人の影も形もなく、どうすることも出来なかった。ただ、激しく泣くセレーネを、胸の中で優しく抱いた──
セレーネのその安堵と憂慮の葛藤は、戦場では抱いてはいけない感情だった。もし敵の殺意が、セレーネに向けられていたのであれば、それで彼女は終いになっていた事だろう。ただそれは、敵に殺意が無かったからこそ、許した隙でもあった。
それは、戦場にイシュチェルを連れて行く難しさと、残酷さを証明していた。
それから、全てが手遅れとなったあと、グレティが二人を迎えに来た。
時を同じくして、仕留めたはずの二匹の魔人の亡骸も、跡形もなく消えていた──
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「──なるほど、最初から足止めが目的だったか……。
やはり、実戦から離れると、どうにも感が鈍くなる。」
焼け落ちた家の前で、満身創痍の顔を並べる中、グレティは痕跡や状況を確認しながら呟いた。そのグレティの声は皆には届かない。一様に俯いて、未だ気絶したままのノクスを囲んでいた。
「ハイハイ。みんな顔上げて、こちらに注目~」
グレティは手を二度パンパンと叩いて、三人の顔を上げさせる。それぞれの顔を確認した後、笑顔を向けて話を進めた。
「それじゃあまず、今の状況と、敵の狙いを確認しよう。」
「そうは言っても、この家を見れば一目瞭然で、我々はものの見事に、してやられた訳だが……。
まあ、それさておき、まずは皆の無事を喜ぼうじゃないか。」
そのグレティの言葉を受けても、三人の表情は明るくなることはなかった。
「……。でも…、イシュチェルが……」 セレーネが消え去りそうな声で囁く。
その言葉を受けても、グレティは表情を変えることなく話を進める。
「敵の狙いが、イシュチェルの命だったなら、この場で殺されて、終わっていたよ。
そうならなかったのは、幸運なことに、私の考察が正しかった証左だね。」
「あの魔人たちが、命を懸けてこの戦いを仕掛けてきた、ということは──イシュチェルの命は魔人たちにとって、それ以上に重いということなのさ。」
それを聞いて、セレーネの視線はグレティの顔を捉える。
「彼らの使命は、おそらく、『イシュチェルを魔王の元へ無傷で送り届けること』だったのだろう。それならば、命を懸けた戦いも、イシュチェルが生かされたことも説明がつく。一番自然な推測じゃないか?」
「でも…、もうイシュチェルを取り戻すことは……」 ロナはノクスの顔を見つめて、呟く。
その言葉を受けても、グレティは表情を変えることなく話を進める。
「あの魔人たちはね、中々に仲間思いな連中だよ。」
「それぞれの役割を明確に分担し、その役割に命を賭して徹するなど、仲間を信じていなければできないことだ。」
グレティは敵の戦いぶりを振り返り、少しだけ口元が緩む。
「そしてこの戦いで、魔人の中には、相当な深手を負った者もいるはずだ。仲間思いの彼らは、決して仲間を見捨てたりはしないだろう。」
「つまり──受けた傷を癒すため、どこかに隠れ潜むはずだ。
ならば、我々はそれを利用してやればいい。」
グレティの最後に放った言葉は、三人の目を覚まさせる。
「でも、そこがどこかなんて、わからないんじゃ?」
グレティは、そのトリウィアの質問を待っていたかのような微笑みで応えた。
「これも是非、言ってみたかったセリフだ。」
「こんなこともあろうかと、準備していたものがある。」
”Lapis Insignis”(聖刻)
グレティの手に、魔力で模られた真球が浮かぶ。それは、飾り気は一切ないが、魔力とはまた別種の神秘的な光を微かに放つものだった。
「この聖刻に、魔族は破壊はおろか、触れることすらできない。そして聖刻は、聖刻同士と引かれ合う。」
「同じものをイシュチェルの体にも付けておいたよ。」
そう言って、再び呪文を唱える。
"Vincula Ferrea"(鉄鎖)
聖刻は鎖に繋がれると、フワフワと一定の方向へ浮遊し鎖を弱く引っ張る。そしてグレティは、その鎖の先をロナの杖先にくっ付けた。
その指し示す方角を、三人は一心に見つめる。
「はい! では最後に、私から君たちに質問だ。我々は次に何をすべきかな?」
その質問に、セレーネは力強く立ち上がって答えた。
「あいつらがこちらにしてきた事を、今度はこちらが倍にして返せばよろしいのですわ。」
その発言に、トリウィアは弾むように跳ね起きて、付け足す。
「倍で済むわけがないじゃない。ねぇ、ロナ。」
ロナは、静かに立ち上がると、震える声で応えた。
「当たり前じゃないですか。泣いたって許してあげません。」
その三人の姿と、眠るノクスの顔を見て、グレティは最後に言葉を託す。
「ノクスが起きたら、伝えておくれ。
『あの子の帰りを、私がすき焼きを作って待っている』とね。」
「私は、家がこうなってしまったし、ついでに、古い馴染みのところに寄っていくよ。
近いうち、中央砦の地下遺跡で落ち合うとしよう。」
「ああ、もちろん。葱は抜いておくからね。」
そう言い残し、グレティは別れの言葉もなく、皆の前から消えるように去って行った。
グレティがそうしたのは、弟子たちへの信頼と、弟子たちがまだ未熟であることへの期待の表れだった。
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……──闇の中にいた
その闇は広大で、どこまでも、どこまでも、続いていた
その闇の中を漂っていると、遠くに光が見えた
その光に近づこうと、闇を漂う
だけれど、どこまで行っても、どれだけ手を伸ばしても、光には届かなかった
だから、光は諦めることにした
闇を漂うことにした
そうしたら、今度は別の光が遠くに見えた
その光は、あんなに遠くにあったのに、瞬く間に自分を飲み込んだ──……
ノクスが夢から醒めると、準備を終えた仲間たちがその目覚めを待っていた。
「はい。ノクス。」 そう言って、勇者の荷物を投げてよこす。続いて─
「ほら、すぐに立つ! 女性を待たせ過ぎですわ。」 そして─
「ごめんね、イシュチェルちゃん。ちょっと待っててね。」
そう言って、三人はノクスを待たずに歩きだした。
取り残された勇者ノクスは、その三人の背中を見て立ち上がる。
そして、大きく息を吸い込み、あらん限りの大声を張り上げた。
その声は、どこまでも、どこまでも、響きわたる。
勇者は、その声を追い抜かすように、先頭を切って歩き出した──
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勇者様は月を目指す 第1章 奪還計画 完
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うるさいのよアンタ、まったくもう、それでどっちに行けばいいんだっけ?、あ、あっちですよ……