第3話 かんどうする
ある日、グレティの家では、地下遺跡の研究の一環として、イシュチェルに話を聞いていた。
「イシュチェルちゃん、これ何だかわかるかなー?」 「わかんなぃ。」
「じゃあ、これは?」 「わかぁんなぃ…」
「これは?」 「わかぁんなぁいー。」
興味を引きそうなものを織り交ぜて、何とか集中を繋げてきたが、それも限界が訪れた。こうなると、もう何をどうしても機嫌は直らない。見かねたセレーネは、イシュチェルを外に連れ出した。
「中々、思い通りには、行きませんね。」 ロナは、ため息混じりに漏らした。
「そうでもないさ、分かったこともある。
あの子は、同じ質問は極端に嫌うね。硬軟織り交ぜてみたが、似たものや、答えが同じになるものを見抜く。極めて高い洞察力があるよ。
あとまあ、あの年頃は皆そうだが、単調な反復も嫌いだ。しかしこれは、覚えの悪い一般人には必要なのであって、あの子には必要ないだろう。
それに、実は最後に少し意地悪をしてみたのだが…、あの反応は存外、こちらの意地悪を見抜いていたのかもしれない。私は、嫌われてしまったかな……。」
そう言いながらも、イシュチェルの才能にグレティはほくそ笑む。ロナはそんな師匠の姿に、尊敬の念を強くする。
「だがまあ、遺跡についてはサッパリだねぇ。」
そう言ってお手上げのポーズをとる師匠の姿は、ロナの尊敬を振り払った。
その一部始終を見ていたノクスは、イシュチェルに感けて忘れていた遺跡の出来事を思い出した。
「──遺跡といえば、光って消えた壁って、どういう原理だったんだろう。」
それは些細なことではあったが、喉の奥に引っかかっていた。
それを聞いたグレティは、自身の見解を話す。
「魔法の力でも、無から有を生み出したり、その逆も、することはできないよ。だとすると、それは魔法を超えた超常の力ということになるが……。」
「もっとシンプルに考えるなら、消えたのではなく、姿を変えた。あるいは、最初から有るように見せかけていた。」
「と、考える方が、まだ我々の手に届くかな。」
未知の超常に対して、グレティは自分が食べやすいように、切り分けてみせる。そうした上で、最後に付け足した。
「なんにせよ、近いうちにその地下遺跡に直接行ってみる必要があるね。」
ただ、その原因を作り、実際にそれを目の前で見たノクスを、納得させるには及ばなかった。
そしてその違和感は、もう一つの引っかかりを思い出させた。
「……。あとそれと…、人が月に行くなんて、出来たりするんですか?」
「アンタさあ、まだそんなこと言ってんの?」 その一言は、隣で聞いていたトリウィアを呆れさせた。
「いや……、君はいつも中々面白いことを言うね。」
しかし、ノクスの一言は、グレティにこれまで見たことのない笑顔を引き出した。
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「はい、では皆さんお待たせしました。
今週の『教えて! グレティ先生』は、”人はなぜ月に行けないの?” です。」
突然始まったおかしなテンションに、一同はただただ唖然とした。
”──ある日、たかし君はお母さんから、お使いを頼まれました
お母さんはたかし君に、今日はすき焼きだから、月に行って葱を買ってくるように、言いました
たかし君は、聞き間違いがあってはいけないと思って、もう一度聴き直しました
お母さんはたかし君に、もう一度、月に行って葱を買ってくるように、はっきりと言いました
たかし君は、考えました
どうやったら、あのお月様までいけるの?
たかし君は、すき焼きが大好きだったので、必死になって考えました
そして、風の魔法で空を飛んでみることを、思いつきました
たかし君は、とても頑張って、この世の誰よりも、あのサラマンダーよりもずっと速く、空を飛べるようになりました
しかし、たかし君は、その高みに到達して、限界を悟りました
風の魔法では、空気のない空を超えて行くことが、できなかったのです
問題は、それだけではありませんでした
空気のない空は、呼吸ができないだけでなく、太陽光が直接ふりそそぎ、肌を焼きます
それに耐えられる、強靭な肉体が必要でした
たかし君は、考えました
どうやったら、あのお空を超えていけるの?
たかし君は、すき焼きが大好きだったので、必死になって考えました
そして、すき焼きが食べられないことへの、激しい怒りが、たかし君を、勇者として覚醒させました
勇者たかしは、その力を解放し、月を目指して、再び、飛び立ちました
しかし、どれ程頑張っても、この星から離れて、月に近づくことはできませんでした
勇者たかしは、その高みに到達して、力の限界を悟りました
勇者たかしは、今度は、一生懸命勉強しました
たくさんの本を読み、たくさんの人から話を聞きました
そして、月まで行くのに必要なエネルギーを求める方程式を導き出し、それを計算した結果
勇者千人分の力が必要、だとわかりました
勇者たかしは、すき焼きが大好きだったのに、ついに、諦めてしまいました
家のお鍋では、千人分のすき焼きを、作ることができなかったのです
お使いができずに、たかし君は、泣きながら、お家に帰っていきました
しかし、お母さんは、たかし君の頑張りを知っていました
なんと、お母さんは、葱のないすき焼きを作って、たかし君を待っていました
その葱のないすき焼きは、今まで食べたどんなすき焼きより、おいしかったのでした──”
「──めでたし、めでたし……
と言うことだが、何か質問はあるかね?」
その話を、いつの間にか戻って来ていたイシュチェルが、最前列で目を潤ませて聞いていた。
「たかじぃ~。がんばっだねぇ~。」
純粋なイシュチェルは、たかしに感情移入しすぎて、その涙腺は崩壊した。
「つぐるぅ~。おおきいなべ、つくるぅ~。」
「よしよし、今日はすき焼きにしよう。」
そんなイシュチェルを、グレティは優しく撫でる。
分かりやすくはありながら、人を喰ったようなその話を聞いて、言い出しっぺのノクスは呆れながら言う。
「まあ…、無理だってことは、よーく分かりました。」
しかし、グレティはその言葉に意外な反応を示した。
「ん? そうかな?
時間に条件を付けずに、勇者千人を集めればよいのなら、ノクス君が、最低999回お励みになれば可能だよ?
そのぐらいは余裕でこなせる肉体を、君が持っていることは確認済みだが?」
それを聞いたセレーネは、イシュチェルの耳を塞ぐと、そそくさと部屋の外に連れ出した。
「だがしかし、歴史上の英雄と称えられるような人物でも、流石にその数は聞いたことがない。それだけで、勇者ノクスの名は、歴史に永遠と語り継がれるものになるだろうね。いや実に、誇らしい。
あ、ちなみに、君が望むのであれば、私はいつでも協力するぞ。」
その話を聞いて、ロナは俯いて頬を赤くする。
ノクスの隣にいたトリウィアは、ノクスの足を思い切り踏みつけると、そのまま外に出て行った。
それは、勇者に夢を諦めさせるのに、十分な痛みと現実だった。
━━━─────━━━
しばらくして、セレーネが一人だけで家に戻ってきた。それを見て、グレティは問いただす。
「おや? イシュチェルはどうしたのかな?」
『あの子だったら、あのエルフにーー』 そう言うや否や、ヒュッと短い風切り音が言葉を遮る。
それは、グレティが投げナイフを飛ばした音だった。
「色々と、ツッコミどころが多々あるが、一つ一つを拾っていても仕方ない。
だが一つ、是非、言ってみたかったセリフがある。」
「貴様、一体何者だ?」
ナイフを寸前で躱したセレーネだったものは、鋭い眼光を放ち、徐々に姿を変貌させる。それは魔族の禍々しいオーラを放ちながら、人の姿を留めた、魔人というべき姿へと変わった。その異形の魔族を前に、三人は身構える。
「──何というか、見た目と声色を真似ることが出来るなら、もう少し使いようがあるだろうに……。
多対一の状況に自ら突っ込んでくるとは、少々お頭が足りないのかな?」
そうグレティがダメ出しすると、意外にも魔人は口を開いた。
『どうやって見破った?』
その敵からの言葉を受けて、グレティは嬉しそうに目を見開いた。
「これも是非、言ってみたかったのだよ。」
「おまえのようなババァがいるか! 魔王の手下だな。」
そうグレティが煽り散らかした次の瞬間、魔人はグレティに襲いかかった。
次の瞬間には、疾風のような速さで魔人の腕がグレティの目前に迫っていた。
ノクスたちも決して油断していたわけではないが、雑多な物であふれかえる部屋の状況も相まって、反応が一瞬遅れる。ノクスたちからは、グレティが魔人の攻撃をまともに受けたように見えた。
「師匠っ!!」 ロナの悲鳴に似た叫びが響く。と、同時に──
”──闢!” 勇者の一閃が煌めいた。
しかし、魔人は勇者のその最速の斬撃を、素早く飛び退いて躱してみせた。遅れて発生した剣圧が、周囲のものを巻き上げる。
その隙に、ロナがグレティに駆け寄るが、しかしそこに、師匠の姿はどこにもなかった。
“Hasta Volans!”(飛翔槍!)
次の瞬間、巻き上がった物の中から、グレティの声が響く。同時に、凝縮した魔力で模られた槍が、魔人を襲った。
そしてその魔力槍が敵に到達する前に、続けざまに声が響く。
"Vincula Ferrea!"(鉄鎖!)
同じく魔力で模られた鎖が、今度は放射状に周囲へと広がる。そして、魔力槍の軌道を囲うように、退路を未然に封じた。
しかし、魔人は怯むことなく、グレティの魔法を真似るように、魔力を拳に纏わせる。その手を魔力の籠手で覆い、迫り来る魔力槍を、力任せに叩き落とした。
打ち落とされた槍は、ガラスが砕けるようにかき消える。また、決め手を欠いた鎖も同じく、霧散する。
その後に続くように、巻き上げられた部屋の諸々も、地面に落ちて砕け散った。
「──やれやれ、請求書を送ってやるから、名を名乗れ、狼藉者。
こんな搦め手を使ってくるから、てっきり雑魚かと思ったら、中々しっかり強いじゃないか……。」
そう愚痴をこぼすと、グレティは敵を見据えたまま、言葉を掛ける。
「ロナ! 本気でやりなよ、全部燃やしてしまって構わないから。」
「ノクス! 君はイシュチェルの所に向かい給え。」
その指示を受けるや否や、ノクスは迷わず再び斬撃を放つ。
”──闢”
その斬撃を敵が避けた一瞬の隙を突いて、ノクスは身を翻し、外へと駆け出した。しかし、魔人は身を翻し、背後を見せたノクスに襲いかかる。
”Spinae Crescite!”(茨の鎧!)
しかし、グレティの魔法は、ノクスの背後に魔力棘の壁を作り上げ、魔人の動きを遮った。
”烈火よ唸れ、敵を貫け、灼熱の刃と成れ──獄葬・焔刃!!”
そして、その魔人の動きの留まりを狙って、ロナの魔法が放たれた──
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一方、セレーネたちは、グレティの家から離れた河辺で、二匹の魔人に襲われていた。
イシュチェルを庇いながらの戦いは、二人から取れる戦術の幅を奪っていた。対峙する敵を前に、この危機からの脱出を、残された手立てで二人は試みていた。
”光の大地よ、その温もりで我が身を囲み、悪しき者を遠ざけよ。”
セレーネはイシュチェルを守るため、魔族を退ける結界を作り出す。その中で、イシュチェルは目を伏せて、子犬のようにしがみついていた。
トリウィアは、その結界から敵に攻撃を繰り出していた。
魔人たちの放つオーラと、幾度かの攻防のやり取りは、敵の強さを計るのに十分だった。
”Raidho Eiwaz Kenaz Dagaz!”(風を統べる刃嵐よ、踊れ!)
トリウィアの放つ魔法矢は、掠めただけで切り裂く旋風を起こし、魔人を襲う。
”ψΔxǪ∫©w¥dϞg≡≡ψ”
瞬時に、片方の魔人が言葉とも分からない意味不明な呪文を唱える。
すると、すぐそばを流れる川が猛り出し、トリウィアが放った魔法矢に向けて、狙いを定めた鉄砲魚のように水が噴射された。その水撃は、正確に弓矢を捕らえ、まとわりつき威力を殺した。
”ψΣΔ❹✕♄woΔβgw∫ψ”
その魔人が続けざまに唱える呪文によって川の流れは一層猛る。それは、収まることなく地鳴りを引き起こし、ついには、先ほどの魔法とは比べ物にならない激流を生み出した。
その激流はセレーネたち三人を、いや、仲間諸共押し流さんと迫り来る。トリウィアはその寸前で跳躍し、近くの樹上になんとか逃れた。セレーネも防壁の展開を試みるが、即座に張った防壁など役に立たず、イシュチェルを抱えたまま、成す術なく流されてしまった。
トリウィアは、セレーネの救助に向かおうとする。しかし、その背後から、魔人の影が忍び寄った──
━━━─────━━━
セレーネは、イシュチェルを抱き抱え、激流からの脱出を試みる。
”天に流るる白き羽よ、我が身を抱きて軽やかに、揺らぐことなき翼の守りを”
たとえ、水中で口を塞がれようと、祈りの心は呪文を紡ぐ。その魔法は、激流の中から二人を浮かび上がらせた。
しかし、セレーネたちと共に流された魔人は、激流の中にあってもその流れを利用して加速し迫る。
そして、二人が逃れるよりも速く、魔人の爪が届かんとするその刹那──
”──蛟”
激流を逆巻く斬撃が、魔人の爪を二つに割った。
斬撃はそのまま、水中の魔人に生き物のようにくねり襲いかかった。相反する激流の流れに挟まれた魔人は身動きを失い、その斬撃の餌食となった。
何とか逃れたセレーネにノクスが駆け寄る。セレーネはすぐさま、己の身よりイシュチェルを心配し、必死に呼びかけた。
「イシュチェル! イシュチェル!」
何度も名前を呼ぶセレーネの声に反応して、かすかなうめき声が耳に届いた。
「…………ぅ…ぃ……。」
その音を聞いた瞬間、ノクスとセレーネの胸に、ひとまずの安堵が広がる。だがそれも束の間、イシュチェルに回復魔法をかけようと、セレーネは手を伸ばした。
「イシュチェル。今すぐ手当を──」
しかし、その手を力強く、ノクスが止めた。
それを不思議に思ったセレーネの目は、決意に満ちたノクスの目を捉える。
その瞳は、全てを飲み込んで今の状況が許す、ノクスが最善と考えた決意を映していた。
「セレーネ、頼む。」
その一言で、ノクスの考えを理解したセレーネは、ノクスの手を強く握り返した。そして、もう一度開くと、その手をノクスへ向けた。
”黄金の火焰よ、この身を包み、全ての闇を焼き尽くせ”
その魔法の祝福はノクスの体を覆い、黄金の光を放つ。不死の炎が乗り移ったかのように、ノクスに力がみなぎる。
「ありがとう。行ってくる──」
”──天鳥”
ノクスのその言葉が消えぬうちに、彼の姿は無音の雷鳴のごとく、瞬く間に視界から消えた。セレーネはイシュチェルを抱きしめて、その姿を見送った。
━━━─────━━━
トリウィアは、敵の手数の多さに苦戦していた。
魔人の連続する魔法攻撃に対して、相殺させる魔法矢を打ち返すだけで精一杯だった。一発一発には威力はない。しかし、セレーネを助けたい一心で、こちらが勝負を急ぐことを見越した相手の戦術を、打開する策が見出せないでいた。
”ψβxg©Δxodψ”
魔人が唱えた新たな魔法は、白鳥の羽のような細かな薄刃氷を無数に降らせ、さらにトリウィアの行く手を阻む。その戦術は、もはやトリウィアを仕留めることよりも、行動を妨害することを目的にしていた。そのうざったらしい攻撃は、トリウィアの神経を逆撫でするのに十分だった。
トリウィアは、多少の傷を覚悟して、氷吹雪の弾幕の中を突破する決断をした。
しかし、その冷静さを欠いた選択は、魔人の狙い通りのものだった。
”ψÐǪ∑ΔÐwoc∮Ǫ≡≡ψ”
次に魔人が放った魔法は、トリウィアを取り囲む無数の薄刃氷を、次々と結びつけて大きな氷塊へと変化させるものだった。
トリウィアは氷吹雪の直中にいて、その外側での変化に気づくことができない。その変化は急速に広がり、彼女の脱出を許す間もなく、ついには巨大な氷山の牢獄に、トリウィアを閉じ込めた。
──そのとき、金色の尾を引いて、空を、小鳥のような羽ばたきを持った閃光か駆け抜けた。
それは美しくもありながら、魔人にとっては、身の毛のよだつ凶兆だった。魔人はそれを感じ取った瞬間、戦うことを放棄して、自身が作り上げた氷山の影に、脱兎のごとく逃げ隠れる。
だが、それは遅かった。
”──天一閃”
この世の理を分かつ、天鳥と化した勇者の一太刀は、一切の容赦なく、巨大な氷山を魔人とトリウィアごと断ち切った。
━━━─────━━━
”──獄葬・焔刃!!”
ロナが放った炎の刃は、魔人の隙を確かに捕えていた。
しかし、魔人は柔軟性と言うには有り得ないほどの軟体性で、その場から動かずに透かしてみせた。その身を通り過ぎた炎刃は、グレティの家に火を放つ。黒煙を吐きながら、炎は無慈悲に燃え広がる。その火付けした放火魔へ、魔人は次なる標的を定めた。
“Hasta Volans!”(飛翔槍!)
グレティのその魔法は、魔人とロナの間に割って入るように打ち出された。こっちを見ろ、と言わんばかりのその攻撃に、魔人は初めて魔法で応える。
”ψ©Ǫgψ©Ǫ¥Þ∮Ǫs✕∮wgψψ”
その魔法によって、炎は竜へと変化した。竜はグレティの魔力槍を飲み込むと、その魔力を吸収し、そのまま爆熱として吐き出した。
その圧倒的な超火力によって、周囲はあらゆるものが灰燼に帰す。
そう、ロナもグレティも、その魔法を放った魔人でさえも──
"Vincula Ferrea!"(鉄鎖!)
その声はどこからともなく響いた。師匠も、それを感じ取るロナの体ですら、灰となったはずなのに、師匠の声の方向に反射的にロナは振り向いた。その直後、突如体を突き上げる衝撃に、ロナの体は跳ね上がる。
まさに、その振り向きと、体の跳ねを縫うように、魔人の爪は空を切った。
鎖で繋がれたロナの体は、グレティのところに引き戻される。ロナの無事を確認しながら、グレティは魔人を相手に会話を試す。
「─…なるほど、よくわかったよ。君は、回りくどいラブコメが、お好みらしい。
私も嫌いではないよ。いや、むしろ、同志と言うべきかな。
──よろしい。ならば私も、付き合ってやろうか?」
相手の返事を待つことなく、グレティは静かに呪文を唱えた。
”Rota Volubilis”(回転歯車)
グレティの周辺に、魔力で模られた大小さまざまな歯車が、自転しながら出現する。その一つの回っていない歯車にロナを乗せると、火の手が回りつつある自宅から弾き飛ばした。当然のように、そちらを狙う魔人に対して、残りの歯車が一斉に襲いかかった。
歯車は回転しながら、不規則な軌道を描き、あらゆる方向から魔人に向かう。しかし、魔人はそれでも、槍のときを再現し魔力を拳に纏わせ、全方位から回転しながら襲い来る歯車を、次々と叩き落とす。落とされた歯車は、辺りに散らばり、動きを止めた。
グレティの周囲に残された回転する歯車の減少に比例して、魔人はグレティとの距離を徐々に詰める。
“Hasta Volans”(飛翔槍) "Vincula Ferrea"(鉄鎖)
手持ちがなくなったグレティは、新たに魔法を唱えるが、魔人はすでに見たその攻撃を完全に見切り、打ち落とすまでもなく、難なく体を透かした。
『もう終わり?』 魔人はグレティの前に立ち、余裕を見せてそう尋ねた。
「ああ、もう終わりだよ。」 グレティはそう言って、首を差し出すように、その場に膝をついた。
その姿を見て、魔人は腕を振りかぶる。その姿を見て、グレティは手元に鎖を巻き戻す。
巻き戻された鎖の先は歯車と繋がり、歯車を正しい位置へと配置する。瞬く間に組み上げられた歯車は、全てが連動するように噛み合わさる。完成した姿は、細工師の作った精密な機械時計のような完璧な調和を成していた。
魔人は背後の異様な気配に気付き、グレティから眼を逸らす。その一瞬の隙すら、この機構に組み込まれていたかのように、グレティは最後の仕上げに、鎖に繋がったほんの小さな歯車を引き抜いた。
その瞬間、魔力で模られた全機構が動き出す。鎖から与えられた回転力が歯車を伝わり、伝わり、最終的に行きつく先は、高速回転する魔力槍。そしてそれは、丁度グレティの前方に立つ、魔人の胸を狙って放たれた。
魔人はそれでも、魔力を拳に纏わせ、高速回転する魔力槍を叩き落とそうと試みる。しかし、凄まじい回転力に弾き飛ばされ、槍は魔人の胸を激しく穿った──
燃え上がる自宅に魔人を残し、グレティは戦いの決着に言葉を残す。
「騙すのは上手くても、騙されるのは下手くそなんだから♥」