第1話 おきる
「この星は、こんなにも綺麗だったんだ。」
勇者は、夜空に浮かぶ月を見上げてそう呟いた。
「えっ?! えーっと……。……、はい。」
その呟きを横で聞いていた魔法使いは、突然の事に驚き、顔を赤らめ、最後には囁くようにそう答えた。
「やっぱり、そう思う? …、俺ってさ、今までこんな世界の当たり前の事にすら、気付かなかったんだな。
修行や戦いに必死で、夜にこうやってゆっくり月を眺めるなんて、した覚えがないや…。」
そうしみじみと話す勇者の横で、魔法使いの顔はますます赤く火照る。そんな魔法使いの更に横から、この状況を見かねた僧侶が、慰めるように魔法使いの頭を撫でた。
そして次の瞬間、勇者の後頭部に突然、鈍い打撃音と衝撃が走った──<ドゴンッ!>
「─…ッってぇ!」 頭を押さえて勇者は振り向く。
そこには、憤怒の形相のエルフの射手が、滅多に使わない拳を握りしめて立っていた。
「アンタさぁ…。一体何考えてんのよ……。」 エルフは拳を振るわせて勇者を問いただす。
「そうですわよ…。この、ノンデリ勇者。」 僧侶も冷たく言い放つ。
「はぁ?! 一体何のことだよ?」 理不尽な痛みと罵倒に勇者は混乱する。
「本当に、あなたという人は…。折角、お二人が良い雰囲気になるようにセッティングして、影から見守っておりましたのに……。
最後に中々気の利いた、古典的な愛の言葉を囁いたと思ったら、この有様です。
これからは、ノンデリ唐変木とでも名乗りなさい。」
僧侶から放たれるもはや勇者ですらなくなった侮蔑の言葉の中には、勇者が知らないところで進行していた計画が含まれていながらも、混乱した勇者には理解できなかった。
「…………。」
黙っている勇者の姿を見て、エルフは再び握った拳を振り上げる。
「謝れって言ってんでしょうがっーー!!」 エルフは再び襲いかかってきた。
”言っていないっ!!”
何が何だか分からないまま、そう心の中で唱えながら、勇者は持ち前の身体能力でエルフから逃げ出した。
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このエクリプシオン大陸では、有史以来、人と魔族の戦いが絶えることなく続いてきた。大陸を二分する果てなき争いは、すなわち魔王と勇者の歴史でもあった。
人間たちは強大な魔王に抗うため、叡智を結集し、技術を磨き、勇者へと継承してきた。しかし、太古より君臨する魔王の力は絶大で、これまで数え切れぬほどの勇者たちが敗れ去っていった。それでも、人間たちは決して諦めることなく、勇者の系譜を脈々と受け継ぎながら、その力を研ぎ澄ませていった──
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”烈火よ猛ろ、天を焦がせ、灼熱の雨と成れ──天葬陣・紅蓮!!”
その魔法使いの呪文は、魔族の砦の上空を紅く染め上げる。直後、灼熱の光が轟音と共に弾け、無数の火球が星屑のように降り注いだ。
おびただしい数の火球は、魔族の張った防壁魔法を次々と突き破り、やがて砦の内部を地獄の業火で包み込んだ。燃え盛る熱塊は逃げ道を塞ぎ、強固な城壁がかえって魔族たちの退路を断つ。絶望に満ちた悲鳴がこだまする中、砦は灼熱の坩堝と化していった。
──しかし、生き残った有翼の魔族たちは反撃に転ずる。魔法の発生源である城外の魔法使いを捉えると、疾風の槍となって一直線に襲いかかった。
そこを、エルフの射手は狙い定める。十分に引き絞られた弓には、エルフ独自の魔法が込められる。
”Ansuz Raidho Thurisaz Jera Tiwaz!”(風すら追いつけぬ神速の矢と成れ!)
放たれたその魔法矢は、文字通り風を切り裂き、稲妻のように駆け巡る。
有翼の魔族たちはその閃きに気づく間もなく、正確無比に次々と落とされていった。地に倒れ伏した魔族の耳に、ようやく雷鳴が鳴り響く。それは、彼らに遅れて届けられた、恐怖と絶望の死の報せだった。
しかしそれでも、魔族は執念深く、傷を負ったその体で地を這い襲いかかるものがいた。彼らは決死の覚悟をもって、魔法使いとエルフに最後の一撃を突き立てようと迫り来る。
だが、その攻撃は、事前に構築された防護魔法によって弾かれた挙句、重ねて用意されていた束縛魔法によって、魔族は完全に動きを封じられた。
身動きが取れない魔族に、その魔法を仕掛けた僧侶がゆっくりと近づく。唯一動かせる眼に殺意の炎を宿す魔族を前にしても、僧侶は一切動ずることなく、まるで観察でもするように見定めると、ふいと興味を失ったようにそっぽを向いて離れた。
魔族の眼が僧侶の背中を追う。そしてその背中の先では、魔法使いが杖を構える。
”業火よ叫べ、大地を揺らせ、地獄の炎を呼び覚ませ──天葬陣・煉獄!!”
呪文が響き、杖の宝玉が輝く。その輝きが、魔族の瞳に映る最後の光となった──
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敵の注意が魔法使いたちへと向けられる中、勇者はただ一人、混乱に包まれた城門の前に立っていた。指揮系統を失った城内は混沌とし、誰一人として目前に迫る脅威に気づかない。
奇妙な沈黙が支配するその瞬間、勇者はゆっくりと剣を抜き、最上段に構える。
”──天一閃”
閃光のような斬撃が空と地を裂いた。この世の理を分かち、天と地を繋ぐ勇者の一太刀が振り下ろされると、轟音とともに城門が粉砕され、無数の破片が爆風のように飛び散った。そのあとの城内には、崩れ落ちる瓦礫の音と、巻き込まれた魔族たちの悲鳴だけが残された。
心地よい沈黙が支配する崩れた城門を、勇者は悠然と歩み越える。しかし、その静寂は呆気なく終わる。
突如、砦の玉座の間から、静寂を引き裂く咆哮が響き渡った。その声の主は、怒りに任せて自らの玉座を粉砕し、獣じみた凶暴さで城内を破壊しながら姿を現した。瓦礫も亡骸も関係なく踏み砕く重い音が、その魔族の巨大さを物語る。
体格も魔力も、他の魔族をはるかに凌駕する上級魔族。その深紅の瞳が勇者を前にした瞬間、再び地を震わすような咆哮が砦全体に轟いた。
──それは、二人の決闘開始を告げる合図となった。
上級魔族は、その憤怒を魔力へと昇華させ、全身に禍々しいオーラを纏う。空気が振動し、周囲の炎は一層猛る。魔族はそのまま全身をぶつけるように、渾身の一撃を振り下ろした。それに対し、勇者はただ静かに剣を縦に構え、迎え撃つ。
”──磐楯”
魔族の一撃は、大地を抉るほどの熱と破壊力を帯びて放たれた。
刹那、魔族の拳が炸裂し、轟音と共に爆風が荒れ狂う。巻き上がる瓦礫と砂塵が視界を覆い、煤けた煙が二人を包み込んだ。しかし、煙が晴れると、そこには微動だにしない勇者の姿があった。剣を構えたまま、一歩も退くことなく、勇者は反撃に移る。
”──闢”
攻撃を受け止められた魔族は、今一度攻撃を繰り出すため、腕を再び振り上げる。そして、ようやく気づく──自分の拳が消えていることに。勇者が放った斬撃は、防ぐどころか捉えることすら叶わず、ただ痛みのみが遅れて与えられた。
その激痛と恐怖は、上級魔族の誇りと戦意を霧散させるのに十分だった。
敗北を悟った上級魔族は、残された拳を地面に叩きつけ、爆風を生み出す。すると、その勢いを利用し、煙に紛れて逃走を図った。蝙蝠のような巨翼を大きく広げ、戦場を離脱しようと敵のいない虚空へと飛翔する。全てを投げ出し、一切振り返ることもなく逃亡する魔族の姿は、瞬く間に小虫ほどの大きさへと変わっていく。
しかし、勇者は慌てるそぶりも見せず、見晴らしの良い砦の塔に駆け上がると、剣を構えた。
”──八咫”
剣から眩い光撃が放たれる。その光の収束は、まるで巨大化した光の剣だった。そしてその一閃は、逃げる魔族を光の速度で刺し貫いた。
誰にも聞こえぬ虚空の空に、決闘の終了を告げる、魔族の断末魔が響き渡った──
戦いが終わり、勇者の周りに皆が集まってくる。それを待ちわびながら、勇者はなんとなく夜空を見上げた。
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この戦いで、勇者たちは大陸の中心地に位置する魔族の砦を攻め落とした。それは単なる一拠点の制圧で終わる話では無かった。長きにわたり魔族に虐げられてきた人間たちにとって、この勝利は従属の歴史を塗り替える反逆の狼煙となるだろう。
人々はこれからの反転攻勢を信じ、今宵の勝利に酔いしれた。
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「ずびまぜんでじだ。」
他の兵士たちが宴に浮かれている中、勇者は天幕の中で正座させられていた。上級魔族ですら傷付けられなかった勇者の顔面は、片方が手形に赤く腫れあがり、もう片方のまぶたは見るも無残に垂れ下がっていた。
「いいですよ、そんな…。顔を上げてください、ノクス。」
無体な扱いを受ける勇者を気遣い、魔法使いは優しく声を掛けた。しかし横から、エルフが口を挟む。
「いいのよ、ロナ。このバカはこのぐらいの扱いを受けないとわからないんだから。ねぇ、セレーネ。」
未だ怒りが収まらない様子のエルフは、僧侶に同意を求める。
「そうですわね、トリウィア。」
そう言いながらも、僧侶はゆっくりと勇者に近づき、その傷ついた顔に手を当てる。すると瞬く間に、勇者の顔は元の状態に回復した。
「残念ながら、回復魔法は人を賢くすることはできません。ですけれど…、もう二度と、こんなことはしませんわよね?」
そう言って笑顔で語りかける僧侶の瞳に、勇者は深淵を垣間見た。
「──はい。分かりました……。」
勇者はかつてない恐怖に駆られ、震えながらかすれた声でそう応えた。
勇者ノクスが許された丁度そのとき、天幕の外から呼びかける兵士の声が響いた。
「勇者殿、よろしいでしょうか!」
丁度一番近くにいた僧侶セレーネが、その呼びかけに応える。
「どうされました?」
セレーネは天幕を押し上げ、外の兵士を中へ招き入れた。
兵士は、天幕の中で勇者が三人に囲まれ、正座している姿を目にして一瞬言葉を失う。まるで裁かれる罪人のような姿に、兵士の表情がわずかに引きつった。しかし、職務を思い出し、声を整えて報告する。
「─…。勇者一行をお連れするよう、上官からの命令を受けて参りました。私の後に付いてきていただけますか?」
それを聞いたエルフのトリウィアは、何かを察したように長い耳を下げ、即座に言葉を返す。
「あー…、あのバカ勇者には褒章とかいらないから。そういうのは遠慮しとくわ。」
未だ許していないトリウィアの辛辣な言葉が、ノクスに突き刺さる。その様子を横目で見ながらも、忠実な兵士は淡々と職務を遂行する。
「いえ、そうではなく…。この砦の地下に奇妙な遺跡を発見しまして、一度皆さんに見て頂きたいのです。」
兵士の思いがけない返答に、セレーネとトリウィアは眉をひそめた。
「遺跡…?」 そう問い直すセレーネ。
「それは、ぜひ拝見したいです。」
しかし、魔法使いのロナだけは、好奇心に目を輝かせて兵士の言葉に応えた。
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勇者一行は、兵士に案内され地下遺跡へと向かった。
この砦を守護していた上級魔族が自ら打ち壊した玉座の下には、地下へと続く大穴が開いていた。その大穴には、すでに兵士が下りて行った証として、所々に松明が灯されているのが確認できた。
ロナは魔法を唱えると浮かび上がり、迷うことなく大穴の中を飛んで行く。その後に続いて、他の三人も大穴を下りて行った。薄明かりの中を進むと、すぐに人影を見つけた。それは、遺跡の入り口で待機する数名の兵士と、上官だった。
「これは、これは、勇者殿。ご足労をおかけいたします。遺跡はこの先にあります。
ですが、これまで見たことのないものばかりで……。」
「生憎と我々の部隊にはこういったものの専門家がおらず、どう対応したらいいか迷っていたのです。危険なものでなければよいのですが……。」
上官は勇者たちに状況を簡素に説明した。それは何も分かっていないに等しい情報だったが、それを受けてセレーネは優しく受け応えた。
「そうですか、わかりましたわ。ここは私どもに任せて、皆様はどうぞ地上にお戻りください。
何かあった時、ここでは逃げられませんので。」
上官は、その言葉は暗に、自分たちがここに留まれば足手まといにしかならない、と言われていると察し、速やかに部下を引き連れてこの場を後にした。
そのやり取りをしている間に、ロナは一足早く遺跡に入っていた。
砦の地下に広がるその遺跡は、まるで時の狭間に取り残されたような、異質な空間だった。
天井も壁も、見たことのない金属とも石ともつかぬ材質でできており、ほのかに発光する無数の紋様が神秘的に煌めく。いつ、誰が作ったのかも定かでない遺跡の空気は、その年月の静寂を熟成するかのように澄みきっている。外界から隔絶された無音の世界は、時を超えて現れた超常的な空間だった。
この空間の異様さは、勇者たちでさえ緊張するほどだった。得体の知れない未知への恐怖が背筋を伝う。しかし、奇妙なことに、この場には漠然とした安堵感も漂っていた。まるでこの遺跡自体が意志を持ち、侵入者を心待ちにしていたかのようだった。
そんな中、ロナだけは遺跡の調査に没頭していた。全体を見渡した後、彼女の視線は、中央に据えられた石板へと向けられる。石板に刻まれているのは、この世界のどの言語にも属さない奇妙な記号の羅列だった。
「ロナ。この文字、読めるの?」 トリウィアが声を潜めて尋ねる。
「いいえ、全く。ですが、とりあえず写しは取っておこうと…。」
そう言って、ロナは紙に記号を書き写す作業を始める。それを邪魔しないように、トリウィアはそっと距離を取った。
そうしてしばらくすると、最初はこの空間に圧倒されていた皆が徐々に慣れ始める。よくよく見渡すと、中央の石板を囲むように三方の壁には巨大壁画が描かれているのに気付いた。
正面の壁画には、空に浮かぶ巨大な円環を崇める人々。
右の壁画には、その円環へと向かい、宙を舞う人々。
左の壁画には、ついに円環の中心へと至った人の姿。
それぞれの絵には、遥かなる過去からのメッセージが封じ込められているようだった。だが、時を超えて語りかけるこの三つの物語が何を意味しているのか、その謎を埋めるにはまだ知識も時間も足りなさすぎた。
「これは、太陽信仰を意味しているのでしょうか?」 正面の壁画の前で、セレーネがぽつりと呟く。
「いいえ、違うと思います。」 そう即座に応えたのは、ロナだった。
彼女は作業をしながら言葉を続ける。
「円環が描かれている空には、小さな星が描かれていますから、これは夜を意味しています。つまり、この円環は月ではないでしょうか。
それに、太陽信仰における太陽の壁画は、日光を強調して描く傾向があるのですが、これにはそういった光線が見られません。
あと補足すると、これは年代や場所によって一概には言えないことなのですが、人などが描かれていた場合、その影の描かれ方をみれば、それが昼なのか夜なのか判別できます。」
ロナの口から呪文の詠唱のように紡がれる説明に、セレーネとトリウィアは感嘆の息を吐く。
同じく聞いていたノクスは、左の壁画の前で、どこか釈然としない物足りなさを覚えていた。
「でも、それなら、これってさ…。人があの月に飛んで行ったってことだよな?」
「「え?」」 それを聞いて、二人は同時に驚いた。
「たとえ勇者の力でも、人がそんな高さまで飛ぶなんて、不可能だと思いますわ。」
「エルフの私だって、そんな馬鹿げた話、聞いたこともない。」
二人に否定されるノクスに、ロナも申し訳なさそうに話す。
「─…。常識的に考えれば、これは神話を表現しているのだと思います。私も、月のお姫様の御伽噺を、子供の頃によく聞かされましたから……。」
誰も味方してくれないノクスは、少し意地になって声を張り上げた。
「いや、でもさ! この絵に──」 そう言って、つい壁画に手を触れる。その瞬間──
「あっ! ダメですよ! 不用意に触っては──!」
ロナの鋭い声が響いた。しかし、警告が届くより早く、遺跡のそこかしこに刻まれた紋様がまばゆい光を放ち始めた。それは瞬く間に強さを増し、辺りを灼くような輝きが満ちる。目を開けていられないほどの光量に、勇者たちは思わず顔を覆った。咄嗟にその身を守る仲間たちを庇うように、勇者は剣に手を置き、神経を研ぎ澄ます。何が起こるかわからぬまま、あらゆることに対応するように、目以外に神経を集中させた。
皆が警戒する中、やがて光は徐々に弱まり、最後にはまるで呑み込まれるように消えた。そして、最後にはこれまで揺らめいていたほのかな灯さえも消え、一切の光が消えた暗黒の世界が訪れた。すると、慌てることなくロナが魔法を唱え、光の球を作り出す。その光がふわりと漂いながら周囲を明るく照らし出した。
急激な明暗に目が慣れてから、あらためて辺りを見渡すと、何も変わっていないように思えた。しかし、唯一つ、勇者が触れた左の壁面だけが、まるで初めから存在しなかったかのように、綺麗さっぱり消え失せていた。
「──嘘、だろ……。」
ノクスは声を漏らし、目の前の光景を疑った。視界を奪われていたにしろ、何の音も気配もなく、警戒していた目前から物質が消えたことは、勇者を驚かせた。
ロナの魔法が、消え去った壁の奥を照らす。すると、その奥には、綺麗に装飾された石棺が鎮座していた。
「もう触ったらダメだからね。」 石棺を前に、トリウィアはノクスに釘を刺す。
「わかってるよ…。」 ノクスは少し不貞腐れた返事を返した。
「ロナ、何か分かりますか?」 セレーネは慎重に調べているロナに囁くように問いかけた。
「……。んー…、石板の文字が解読できれば、何か分かるのかもしれませんけど、今はサッパリですね。」
ロナは首を横に振って応えた。そして、冗談めかして意外なことを口にした。
「いっそのこと、開けてしまいましょうか?
こんなお膳立てをしているのですから、”開けてください”と言われている気がしないでもないです。」
その言葉に、三人は顔を見合わせる。
「どうする? 開けちゃう?」
「鬼が出るか蛇が出るか……。それもよろしいかも知れませんわね。」
存外乗り気な二人に対し、ノクスは逆に躊躇していた。それは、鬼や蛇以上のものが出て来たとき、三人を守らなければいけない勇者の使命感から来ていた。そんなノクスの心配を余所に、三人の目は勇者に向けられる。
「─…。わかったよ……。」 ノクスは何かを諦めたようにそう呟いた。
三人に見守られる中、ノクスは石棺の蓋に手を掛ける。先ほどと違い、いきなり眩い閃光などは出なかったが、それでも警戒を解かず、ゆっくりと蓋を持ち上げた。
そうして露になった石棺の中には、ある意味で、鬼や蛇以上のものが入っていた。石棺の中には、その大きさには似つかわしくない、とても小さなものが保存されていた。
それは、いたいけな一人の幼女だった。
石棺をのぞき込んだ勇者たちは、時が止まったように言葉を失った。そしてゆっくりと、時は動き出す。
「……。生きているのかしら?」
「生きてはいますわ。呼吸はしていますもの。それより、どうしましょう?」
「どうって…、どうしたらいいと思う?」
「でも、このままにしておくわけには……。」
「あらあら、よく見ると可愛らしいお顔をしていらっしゃいますのね。」
「ちょっと! 今そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。」
「あぁもう、お二人ともこんな場所で喧嘩は止めてください。」
「─…。うるぅさぁい……。」
五月蠅い囀りに紛れた初心な柔らかい声に、一同の時間は再び停止する。
「もぅ~…。なぁんなのぉ~。」
そう言って目を開けた幼女と、ノクスの視線が交差した。言葉を失うノクスに対し、幼女は屈託のない笑顔を見せる。
「こんにちは。わたしは、イシュチェル! よろしくね。」
「僕はノクス。よろしく。」 あまりにも唐突で冗談のような存在に、ノクスは釣られて笑顔で返した。
ノクスがイシュチェルをあやしている傍らで、正体不明の幼女の扱いは、中々結論がでなかった。
「彼女が何者であれ、起こしてしまったのは私たちですし、この場に置き去りにするという訳にはいかないでしょう。
ただ、そのあと身柄をどうするか…。」
「そうですわね。まさか私たちと行動を共にする訳にもいかないでしょうし……。」
「ねぇ、イシュチェル? あなた、名前以外に分かることはある? お父さん、お母さんとか?」
トリウィアはノクスには向けたことがないような優しい声で問いかけた。
「わかぁんなぃ。」
その回答に、一同は鼻で小さくため息をついた。三人は再び結論の出ない話し合いを続ける。しばらくすると、それを待っていたイシュチェルの方に限界が訪れた。
「ねぇ、おなかすいた……。」 イシュチェルはノクスに甘えるようにねだる。
「そうだね。じゃあ、とりあえず地上に戻って何か食べようか。」
三人が話し合いをしているものの数分の間に、気づけばノクスはすっかり籠絡されていた。
そして、何の問題も解決もしないまま、なし崩し的に一同は地上へ戻ることになった。