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9.はじめての反抗

 アレク様は手出ししないという宣言以来、おかしな距離感を改めてくれた。今では当初の放課後の魔法練習以外、特に近づいても来ない。不自然な態度を取られているわけではないので、私としては何ら困ることはなかった。

 また何故か、最近ジルニアがちょっかいをかけに来なくなっていた。正直不気味ではあるが良いことだ。おかげでここ最近は珍しく安眠できている。

 このまま、今の平和な日々が続いてほしいと思っていた。が、そう上手くいくばかりではなく…アレク様関連の嫌がらせは残念ながら続いていた。正確には悪化していた。


「はあ、毎日毎日、飽きないなぁ」


 今日は机の中に真っ黒なインクがぶちまけられている。一昨日はノートの数ページが塗りつぶされていて、一昨日は教科書が数冊真っ黒に染められていた。そして今日はとうとう机の中すべてがお陀仏である。だんだんとグレードアップさせるのやめろ。

 私は一人きりの教室でため息をついた。ぶかぶかの指輪を撫でて、意識を集中させる。そのまま黒く塗りつぶされた机に手を翳すと、インクだけがじわりと浮き出して手の中に集まってきた。すぐに用意していた空き瓶に、黒い塊―インクである―をぶち込む。

 元通りになった机や綺麗になった教材を眺めても、必要に迫られて覚えた液体を操る魔法の扱いが上手くなったという事実を思っても、気分は晴れない。


「これで3日連続…これは流石に無視できないかなー」

「だから言ったじゃないですか」


 教室の入り口に寄りかかって、いつの間にいたのかアレク様がこちらを見ていた。


「このままだとどんどん酷くなりますよ」

「そうですね。犯人には明日にでも文句を言おうかと思います」

「それくらいで大人しくなる相手だと良いですけどね。アライト伯爵令嬢は、一筋縄ではいかないと思いますよ」


 スフレ・アライト伯爵令嬢。私に嫌がらせをしている張本人である。


「まずは話してみますよ。ダメなら家の名前を使って脅すまでです」

「…あなたが望むのであれば、すぐに俺がどうにかしますが」

「気持ちだけもらっておきます。自力でどうにかできますから、心配しないでください」


 ひとまずこの瓶を捨てに行こう。その後で練習にさせてほしい旨をアレク様に伝えて、彼の脇を通り過ぎて教室を出る。


「………果たしてその脅しが、効くと良いですけどね」


 彼が私の背中にそう呟いていたことなど、気付きもせずに。




 翌日、意外にもアライト伯爵令嬢の方から手紙で呼び出された。曰く、放課後に話がしたいのでラリマー池―学園の敷地内にあるそこそこ大きな池で、主に水に関連する魔法の授業に使われる場所だ―に来てほしい、とのことだった。ラリマー池は普段から学園関係者であれば誰でも自由に立ち入りできるのだが、学園の中でも奥まった場所にあるのであまり人気はないはずだ。それこそ、いつもジルニアが私をいたぶる時に呼び出す裏庭に雰囲気は近い。


「(罠かなって、確かに思いながら来たんだけど…)」


 流石に家のことを考えて、アライト嬢もそこまで過激な手を使ってくることはないだろう。そう思って、彼女に話したいことがあった私は素直に誘いに乗ったのだけど。


「―――何故お姉さまがいらっしゃるんですか?」


 ラリマー池に着いた途端、私は失敗したことを悟った。件のアライト嬢の後ろに、ジルニアの姿があったのである。


「彼女があんたと直接話したがっていたから、それなら私が立ち会ってあげるって言ったのよ。ほら、姉としては気になるじゃない?」


 絶対に他意があるような邪悪な笑顔で言われても。

 ジルニアに「彼女」と指さされたアライト嬢は、青い顔のままびくりと肩を震わせた。


「(仲間、っていうわけではなさそう。明らかにアライト嬢はジルニアに怯えてる)」


 この反応からして、アライト嬢はジルニアに脅されているのではないだろうか。ただそう思ったところで今の私にできることはない。ジルニアがいるのでは、アライト嬢に文句だけ伝えて立ち去ることもできなくなってしまった。

 はっきり言って、今の状況は最悪だ。


「…それでお話とは何でしょうか、アライト嬢」

「く、クリゾベリル様から、離れていただきたいのです…!」


 震える声ながら、はっきりとそう言う彼女に心の中で拍手した。この異様な雰囲気の場でそう言えるって、ある意味根性座ってると思うわ。

 だからってこっちが手心を加える義理はないんだけどね。


「以前、同じことをお話したと思いますが」

「それは、そうなのですが…」

「あら怖いわね。スフレは優しいからはっきり言えないみたい。代わりに私が伝えてあげるわ」


 言い淀むアライト嬢を押しのけて、ジルニアが目の前に来た。その優しいご令嬢、あんたの押しのける力が強すぎて後ろでこけてますよ。


「あんたからクリゾベリルの坊やに言いなさい。『私にもう近づくな』って」

「何故でしょうか?」


 瞬間、と頬が叩かれた。突然のことに理解が追い付かなくて、ようやくそのことに気付いたのは左頬が痛み出してからだ。

 暴力に訴えた張本人であるジルニアを驚いて振り仰げば、その顔が苛立ちに歪んでいた。アライト嬢がぽかんと口を開けているのが視界の隅に入り込んでいる。


「誰が質問を許したの? あんたはただ頷けば良いのよ」

「…アレク様とは家同士の関係もあります。私から一方的に疎遠にすることは難しいです。せめて理由を教えていただけませんか」


 以前一方的に協力関係を断って関係値をゼロにしようとしたことからは目を逸らす。あれは前世の話とか出てくるから無効だ無効。

 左頬がじんじんと痛むせいで、無表情を保つのに必死だ。ていうかいきなりすぎて魔法を使う暇もなかったんだが。いや、ジルニアが直接的な暴力に訴えるだなんてとんでもなく珍しいので、事前に「今から殴るわ」とでも宣言されなければそもそも反応できたかすら怪しい。

 理由は分からないが、ジルニアは今よほど余裕がない状態のようだ。


「坊やとあんたが仲が良いって噂を聞きつけたお父様が、私に言ってきたのよ。今後はあんたにあまり構うな、って」

「!」

「そのせいで家でも学園でもあんたに近づかないようにさせられるし…わざわざスフレを使ってこんな回りくどいことせざるを得なくなったんだから。あんな坊やのせいで私の行動が制限されるだなんて冗談じゃないわ。だからあんたからその噂を否定しろって言っているの」


 ディアリアになってから初めて親に感謝したかもしれない。お父様グッジョブ。めっちゃくちゃ悔しそうな顔のジルニアが見られただけでも価値のある命令です。同時に今すげぇ面倒くさいことになっているけど。


「(私の本音としては『ざまぁ』って言って立ち去りたいところだけど、それは妄想だけしておくとして…アレク様とは人目があるところでは距離ができている状態だし、ここは頷いておいた方が面倒はないかな)」


 ここでジルニアに反発したところで、アライト嬢のように人を使って嫌がらせしてくるだけだろう。いっそ直接手が出せないことにストレスを溜めたジルニアがいつか爆発して、その鬱憤を一度にすべてぶつけてくる方がまずい。まず間違いなく一撃死する。そうなるくらいなら、まだ日々小さい苦痛を味わった方がマシだ。今はアレク様からいただいた家宝のおかげでその苦痛もだいぶ軽減されているし。


「分かりました。お話してみます」

「え…」


 私が頷くと、何故かアライト嬢が驚いていた。いや、そもそはあなたが言い出したことだろうが。


「良い子ね。それでこそ私の妹だわ」


 嬉しそうに頬まで染めて、笑ったジルニアが私の左頬を労わるように撫でた。その手つきがやけに優しくて、逆に気持ち悪い。


「―――じゃあ、スフレにもう用はないわね」


 突然ジルニアの纏う空気が変わった。

 ぞっとするほどの冷たい声。目の前の、同じ血が流れているはずの女の言葉を理解するのと同時に、湖が揺れた。


「は…?」


 思わずそう零したのは、私かアライト嬢か、どちらだっただろう。

 湖の中央付近に、巨大な水球が出来上がった。それがだんだんと形を崩していって――いくつもの小さい水球に分裂すると、そのうちのひとつが弾丸のようにアライト嬢へと突っ込んでいった。


「危ない!」

「きゃあっ!?」


 アライト嬢は悲鳴を上げて間一髪横に転がって避けた。しかし直前まで彼女が立っていた地面が大きく抉れている。あんなものが直撃したら間違いなく命はない。そんな威力だ。

 思わず彼女に駆け寄ろうとした私の肩を、ジルニアが掴む。


「あんたはここにいなさい。巻き込むわよ。いくら私でも、こんなつまらない形で妹を殺したくないわ」

「ど、どうして彼女を…」

「坊やとあんたを引き裂いたのが私だなんて、お父様に知られたら面倒じゃない。可愛い妹は告げ口をしないことを知っているけど、スフレは分からないでしょう? 不安の芽は事前に潰しておくべきじゃない」

「アライト嬢に何かあれば、父君であるアライト伯爵が黙っていないと思います」

「大丈夫よ。スフレ・アライトは誤って湖に落ちて溺死するの。不幸な事故が原因という形で処理されるわ」

「…あの威力の水を当てたのでは、どう見ても溺死には見えないと思いますが」

「あぁ、確かにそうね。じゃあ気絶するような威力に抑えるわ。その後に湖に落とせば完璧だものね」


 さすが私の妹だわ、と頭を撫でられる。気持ち悪さに手を払いのけたい気持ちを必死に抑える。

 ダメだ、これは何を言っても止められない。ここまでジルニアは歪んで…いや、狂っているのか。


「(でも数年後には何の躊躇いもなく妹の命を奪うのだから、不思議ではないのかもしれない)」


 殺人を犯すことが早いか遅いかだけの違いだ。


「そ、そんな…お、お許しください、ジルニア様…!」


 可愛そうなくらい青褪めたアライト嬢が、震えながら這い蹲っていた。そんな彼女に狙いを定めたひとつの水球が、ゆらりと漂っている。

 ディアリア・アルマースは、いつでも姉の言いなりだった。何も考えず、何も望まず、ただ受け入れるだけ。ゲームで彼女を見ることはなかったけど、もし『彼女』が今と同じ場面に出くわしたら、ただ黙していたのだろうか。


「(…黙っていただろうな。ディアリアは、世界すべてに興味がなかった)」


 彼女の心と同化したからそう断言できる。かつてのディアリア・アルマースは、アライト嬢を見捨てただろう。お姉さまに逆らうことは良くないことだから、と。

 でも、今は。


「じゃあねスフレ」

「い、嫌あぁっ!」


 水の弾丸が飛んだ。

 私はジルニアの手を振り払い、すぐ横にある湖に手を付ける。超圧縮した水の塊を、でたらめに弾丸へと飛ばした。ばしゃん、と相殺された水が周囲にはじけ飛ぶ。


「(―――今の私は、ディアリア・アルマースだけじゃないからなぁ)」


 前世を思い出した私――今のディアリアは、アライト嬢を見殺しにすることはどうしてもできなかった。たとえそのせいで、悪役令嬢ジルニアの反感を買おうとも。




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