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8.溝

 アレク様のおかしな距離感は一向に改善される兆しがなく、こちらが諦めるのにそう時間はかからなかった。どうせ言いくるめられるので抵抗するのが面倒になったのだ。気付けば一か月経過し、今ではすっかりアレク様との仲について聞いてくる相手はいなくなった。

 対する私も、もはや差し出されるお菓子を楽しみにすらしている始末。慣れって怖い。でも彼が用意してくれるお菓子が本人の申告通り最高級品ばかりでとんでもなく美味しいのだから仕方ない。どうせあの餌付け行為を言ってもやめてくれないのだから、受け入れてしまう方が楽だ。

 ―――なんて、少し前まではお気楽に考えていたのだけど。人気者の傍に突然居座るようになった地味な女に、恋焦がれる年頃のご令嬢の怒りが向けられるのはある意味当然だった。



「(またか)」


 鞄の底に詰め込まれている紙屑を見て、私は小さくため息をついた。これで5日連続だが、だんだんと量が増えているのは気のせいだろうか。どちらにしても地味な嫌がらせだなー、と必要な教材だけ取り出して鞄を閉じた。紙屑は後で捨てよう。

 一応私も貴族の立ち位置的には高いし、以前突っかかってきた少女たちを正面から撃退したこともあってか、表立って何かしてくる人は今のところいなかった。ただこうして正体がバレないよう、地味な嫌がらせが続いている。幸い教科書を隠されたりだとか、実害はないので放っておいているが。


「(私に嫌がらせしたところで、好きな人が振り向いてくれるわけでもないのに)」


 めんどくさい、ともう一度ため息をついて鞄を机の脇にかけようとした時、横から伸びてきた手に鞄を攫われた。顔を上げれば、嫌がらせの主の好きな人――アレク様が、不満そうな表情でそこにいた。


「返してくださいますか」


 手を差し出すが、彼は私を無視して鞄を開く。おいこら、持ち主の話聞け。


「ちょっと」

「…やっぱり。次に何かあったら、俺に言ってくださいと伝えておいたでしょう」


 昨日、彼と魔法の練習をしていた際、うっかり鞄に詰め込まれた紙屑を見られてしまったのである。どう考えても不自然なそれに、彼が違和感を持つのは当然だった。友達―彼から見ると私のことだ―との距離感がおかしい上、下手に権力を持っているアレク様に知られるのは面倒事の予感しかしなかったので黙っていたのだが、流石に話さざるを得なくなり。

 結果として、大いに不愉快そうに顔をゆがめた彼は、「次に何かあったら俺に言ってください。二度とあなたにちょっかいをかけられないようにしますから」と恐ろしいことを口にしていたのである。


「別にこのくらいなら困ってませんってば」

「今はそうでも、放置していたら相手は付け上がりますよ」


 彼は無遠慮に鞄の中に手を差し入れたかと思うと紙屑を上に投げた。まるで紙吹雪のように教室の宙に散らばる。しかし次の瞬間、青い炎がすべてを包んで燃やし尽くしていった。彼の右中指に嵌っている指輪の中央で、緑色の宝石がきらりと輝いている。

 最初は教室全体がどよめいたが、一瞬で感嘆の声に変わった。宙を舞う青い炎が室内を照らす光景が、いっそ幻想的な美しい瞬間にできあがっていたからだろう。一瞬炎に怯んだけど、鮮やかな青が教室の天井を駆ける様子に、私ですら見惚れてしまった。ついでにアレク様の魔法によって生み出された炎が、人には害がないよう配慮されていた―実際熱すらも全く感じなかった―こともあるかもしれない。

 ご丁寧に鞄の底に残っていたはずの紙もすべて姿を消していた。当然、中の教材たちは無事である。


「(何もこんなことしなくても…)」


 まさか彼がここまでするとは。差し出される鞄を受け取り、驚いてアレク様を見上げる。ただ目を瞬かせていると、彼が一点を見つめているのに気が付いた。その瞳がやけに冷たい。

 視線の先を追ってみると、青い顔をしながら俯いている少女がいる。他の子たちは上を見ながら感心した顔をしたり、友人同士で顔を見合わせながら興奮した様子で頬を赤らめているというのに、正反対な顔色の彼女は明らかに浮いていた。茶色い髪を三つ編みでひとつに纏めているその子に、何となく見覚えがある。


「(あの子、確か以前私に喧嘩を売ってきた子じゃなかったっけ)」


 まだアレク様を胡散臭い男の子だと信頼できていなかった当初。普段地味で大人しい私を侮っていたのかのだろう、取り囲んで馬鹿にしてきた4人の女の子のうち、リーダー格だった子だ。

 反応を見る限り、おそらく彼女が私への嫌がらせの犯人だろう。公爵家の娘というアドバンテージを使って正面から鼻っ柱を叩き折ってやったというのに、まだ懲りてなかったのか。


「彼女か」


 ぼそ、と低い声が目の前から聞こえた。その声色がぞっとするほど冷たくて、慌てて視線を戻すと無表情のアレク様が三つ編みの子の方へと一歩踏み出していた。

 待て、その人殺しそうな雰囲気でどこに行く気だ。


「ちょ、ちょっとあっちでお話ししましょう!」


 大慌てで彼の腕にしがみつき、私はアレク様を無理やり引っ張って教室を飛び出した。

 次の授業? 今それどころじゃねぇから!




 ここまで来れば誰もいないな、と人気のない廊下の隅で私は足を止めた。

 同時にしっかりと拘束していたアレク様の腕から離れると、彼は困ったように眉を下げた。


「急にどうしたんですか?」

「それはこちらの台詞です。無理やり連れてこなければ、あなたあの女の子に何するつもりだったんですか?」

「それも昨日言ったじゃないですか。二度とあなたにちょっかいをかける気力がなくなるようにしますって」

「純粋に物騒! じゃなくて、この件について手出しは不要です」

「でも以前あなたが言ったんじゃありませんか。困っていたら手を差し伸べるべきだと」


 言った。確かに言ったけど、相手の人生を潰すまでは求めていない。今の彼は間違いなくそこまでやる。


「気持ちはありがたいのですが、私はそこまで困っていないので大丈夫です」

「分かりませんね。どうしてそこまで自分に害を成す相手を庇うんですか?」

「いやー、だってまだ子どもですし…」


 面と向かって言われると困る。ただ自分のせいで相手が苦しむことになったら後味悪いじゃないか。しかも子どもが。

 私の答えを、アレク様はお気に召さなかったらしい。理解できないというように眉を寄せている。


「子どもといっても、今のあなたと同い年ですよ」

「前世の記憶がある私からしたらだいぶ年下の、いたいけな子どもなんです」

「そもそも彼女は伯爵令嬢ですよ。立場が分かっていない人間は、年齢関係なく淘汰されるべきです。俺に任せてくれれば、この学園から追い出すことも可能ですよ」

「だから、そこまでは必要ないですって」

「しかし…」

「しかしじゃありません。とにかくこの件にアレク様は関係ないですから、大人しくしててください。自力でどうにかします」


 彼が原因で嫌がらせが始まっているので、正確には無関係ではないけど。今の彼は本当に相手を完膚なきまでに叩きのめしそうな、危うげな雰囲気がある。ただ恋をしているだけの子どもをそこまで追い詰めるのはさすがに不憫だ。ジルニアや両親なら話は別だけど。


「………分かりました」


 やけに低い声だった。ゆっくりと顔を上げたアレク様は、冷たい表情をしていた。しかしどこか、悲しそうにも見えるのは気のせいだろうか。


「そこまで言うのであれば、俺は手出ししません」

「…分かっていただけたのなら何よりです」

「ええ、関係がないのに、出しゃばるわけにはいきませんからね」


 じろりと見下ろしてくる瞳を真っ直ぐに見つめ返す。初対面の時のような、冷たさを宿した赤いそれ。

 遠くで授業の始まりを告げる鐘が聞こえた。




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