7.おかしな距離感
「いやもうこの指輪の効果絶大でした。昨日帰ったらジルニアに同じ火魔法食らったんですけど、全然熱くなかったです。元々その火って見た目と熱しか再現されていなかったですから、目を閉じていたら何もないのと同じですし。そのまま俯いて無言でいたら、私が苦しんでいると勘違いして、ジルニアも勝手に帰っていきました。おかげでよく眠れましたよ」
「お役に立てたようなら何よりです」
昨日の夜、昼間にアレク様の妨害により私をいじめ足りなかったらしいジルニアは、わざわざ火魔法で私を炙りに部屋まで来た。結果は冒頭で述べた通り。ジルニアが外傷を付けないよう加減したこともあってか、指輪にかけてあるという魔除けが完全に彼女の魔法を無効化してくれたのである。クリゾベリル家の家宝様様だ。
「ありがとうございました。ところでアレク様」
「何でしょうか?」
「これはいったい、どういうつもりですか?」
今は昼休みで、ここは学園の食堂だ。その席の一角で、食事を済ませた私は、彼に「デザートをうちのシェフに作らせたんですよ」と言って取り出してきたチョコレートを食べさせられそうになっていた。目の前に、彼の手で摘ままれた丸いチョコレートが差し出されている。早い話、彼から「あーん」をされているのだ。
いつもは昼食も別々に取っていたのだが、何故か今日は彼から声をかけられ。特に断る理由もないからと受け入れて共に食堂へと訪れた。途端、周囲から注目された。主にアレク様が。おそらく彼は普段、食堂に足を運ばないのだろう。ただでさえ学園の有名人―なお、そのことを私が知ったのは最近だ―である彼が、珍しい場所に来たのであれば注目されて当然だ。少し考えれば分かることだったのに、完全に油断していた私はそこまで思い当たらなかったのだ。
ちなみに私はいつもここで昼食を取っているが、特に周りの目を引いたことはない。今日だけはアレク様の影響でめちゃくちゃ見られているけど。正直彼の誘いに乗ったことをその時点でものすごく後悔した。
慣れない彼に注文の方法やらを教えて席に着き、周りからの視線を受け流しながらそれぞれが頼んだ食事を終えるまでは普通だった。事件は食事を終えて、私が使い終わったフォークをトレイに置いてからだ。
徐に彼がチョコレートを取り出して、摘まんだそれを私の目の前に差し出してきたのと同時に、食堂は異様な空気に包まれたのである。
チョコレートから矛先を逸らすために昨日の件を話しても、アレク様はにっこり笑顔で全くブレずに指先をこちらに向けている。一応補足すると、私はものすごく小声で話していたので、少し遠巻きに見られている私たちの会話が他の人たちに聞かれる心配はない。ジルニアの悪口とか、他人に聞かれた末に本人の耳に入ったら、冗談抜きで私の命が危ないのだから抜かりはないとも。
「大した理由はありませんよ。ただ俺とディアリア嬢の仲が良いことを大々的に主張しておこうと思いまして」
「何のために?」
「クリゾベリル当主の俺と親しい間柄だと分かれば、ジルニア嬢もあなたに手出しがしにくいでしょう?」
「ジルニアがそんなことを気にするとは思えませんが」
「彼女はそうでも、アルマース当主は気にすると思いますよ。彼女も親の言葉には従うしかないでしょうし」
「それは、まあ確かに…?」
あのジルニアも、今は親の言うことには従っている。実際、私に外傷を付けるなという言いつけを守っているのだし。いや親ならそもそも人に、もっと言うと同じ血を引いている妹に攻撃しないよう窘めろや、という話なんだけど。
「ですからどうぞ。口を開けてください」
ずい、とチョコレートがさらに近づけられて、思わず身を引いた。ついでに何人かの女子の悲鳴が聞こえた。アレク様に憧れるいたいけな少女たちのものだろう。
いくら仲良しアピールとはいえ、これはやりすぎだ。
「自分で食べられます…」
「そう言わずに。最高級の材料を使っていますからきっと美味しいですよ」
「いや、せめて自分で…」
「昨日、俺のおかげで助かったんですよね?」
「うぐっ」
「感謝しているというのであれば、賢いディアリア嬢はどうすれば良いか分かりますよね?」
こ、こいつ性格悪いぞ…! とっくに知ってたけど!
目の前のにっこにこの笑顔を睨みつけても、楽しそうなそれは全く歪まなかった。思いきり歪ませた私の口元に、チョコレートが当てられる。
周囲の視線がちくちくと突き刺さるのを感じる。特に女子のもの。余計な恨みは買いたくないんだけどなぁ…
「(いやでもこれ、絶対譲らないって顔してるよね…)」
私は心の中で大きなため息をついて、やがて諦めたように小さく口を開けた。くすり、と笑ったアレク様がその隙間にチョコレートを差し入れる。先ほどよりも大きな悲鳴が聞こえてきた。
「お味はどうですか?」
「美味しいです…」
ぶっちゃけ状況が最悪すぎて味が分からないです。そんな正直な感想はチョコレートと共に飲み込み、精神年齢大人な私は社交辞令を返した。ついでに渇いた笑いも添えてやる。
自分の頬が熱いことからは必死に目を逸らし続けた。
「それは良かったです。ではもうひとつどうぞ」
また目の前に差し出された茶色いそれに、私は「勘弁してくれ!」と叫びだしたい衝動を必死に抑え込んだ。
食堂でのチョコ事件の後、一人になる度に「クリゾベリル様とどのような関係なのです!?」と色々な少女から声をかけられて、私は心底疲れ果てていた。元々用意していた台詞を返してもみんな納得してくれないのだ。そりゃあ食堂のあれは、友達の距離感ではないからさもありなん。
なお悪いことに、質問攻めにあった私が困り果てていると必ずどこからか現れたアレク様が「仲良くさせてもらっていますよ」と宣いながら私の肩を抱いてくるので、少女たちは涙ながらに走り去っていくのである。話をこじれさせるのやめろや。
「どういうつもりですか!?」
放課後、いつもの空き教室に着くなり、待っていたアレク様に思わず声を荒げた私は悪くないと思う。彼はそんな私の反応を予想していたのだろう、「何がですか」と首を傾げるだけ。その顔が心底楽しそうなものだからイラッとした。
「食堂でのことも、私が女の子たちから絡まれていた時も! 何であんなことするんですか!?」
「言ったじゃないですか。俺とディアリア嬢の仲が良いことを主張すると」
「やりすぎです! どれもこれも、友達の距離感ではないでしょう!」
「そうなんですか? 実は俺、今までまともに交友関係を築いた人がいなかったもので…あれくらい当たり前だと思っていました」
「ぐっ」
そんなことを言われると責めにくい。
「で、では次からは気を付けてください。ボディタッチは極力なしで」
「そんなに否定されるということは、ディアリア嬢には迷惑でしたか…すみません、俺もちゃんとした友人と呼べる存在が初めてで、はしゃいでしまったみたいです」
しょぼん、と悲しそうに俯く少年に、私の中に罪悪感が生まれる。くっ、我ながらこの顔に弱い…!
確かにアレク様は今まで同年代の子と関わり自体がほとんどなかったはずだ。それも友達だなんて、本人の申告通り作る暇もなかったのだろう。
「いえ、私も強く言いすぎました。その、決して迷惑というわけでは…」
「ありがとうございます。それならあの距離感で問題ないですね」
「ん?」
「明日はクッキーを用意してきますね」
「いや、そういう話ではなく…」
「あ、それとも何か食べたいものがありますか?」
「いえ、だから…」
「何かリクエストがあれば言ってくださいね。俺たちは友人ですから」
結局そのまま魔法の練習が始まってしまい、最後まで彼のおかしな距離感を訂正する隙は与えられなかった。
「あれ私嵌められたのでは?」と気付いたのは、翌日の教室で、クッキーを口元に差し出されてほとんど無理やり食べさせられた時である。