3.胡散臭い人
「ディアリア嬢はどこまで魔法が使えるのですか?」
「…授業で習っている範囲であれば」
前世を思い出した上、その事実を信じられた挙句に協力者ができるという珍事件からの珍事件が重なった翌日。放課後の空き教室で、私はアレク様と向かい合っていた。彼の協力するという言葉は本気だったらしい。授業が終わってすぐに声をかけられ、この教室に連れてこられた。
「つまりまだ基礎を固めているところですか」
「そうですね。家では誰も教えてくれませんし」
公爵令嬢として最低限の礼儀を教えてくれる家庭教師はいたが、魔法については残念ながら学校でしか習ったことがない。ジルニアには専属の魔法の先生が付けられているけど。
「それならどうしてディアリア嬢は、自分に魔法の才能があると思ったんですか?」
「授業で扱う魔法はほぼ完璧ですし、他の子と比べても威力や習得スピードが早いと、客観的に見て思いました」
これは今まで生きてきたディアリア・アルマースの記憶を思い返しての結論だった。言ってしまえば前世の私が、ディアリアという存在をそう捉えたという話である。まあもうディアリア=『私』なので、とんでもない自画自賛かもしれない。
「ではいくつか使える魔法を見せてもらえますか?」
「はい」
その後もいくつか質問されたり、実演したり。
意外にもアレク様は真面目な様子で。これは本当に協力をしてくれるつもりのようだ。そして彼の魔法は非常に強力で、説明も分かりやすかった。特に私が最も必要としている、物の性質を変化させる類の魔法の実力は天才と呼ぶに相応しい。彼曰く、「回復魔法以外であればそこそこ自信ありますよ」とのことだ。
「確かに筋は悪くないですが、ジルニア嬢に対抗するにはまだまだですね」
「始めて1日でどうにかなるとは思っていません。クリスタルの物語が始まるのは来年の高等部からで、魔王復活は1年生の終わり…あと2年でダイヤモンドみたいな防御力をものにしてみせますとも」
じゃないと死一択だし。
「無責任なことを言いますが、逃げるという選択は取らないのですか? そちらの方がよほど確実では?」
「そうですね、確実に逃げられるならそうしたいとは思います。私は前世で一般人…ここで言うと平民だったので、貴族令嬢としての地位には何のこだわりもありませんし」
「では何故?」
「両親は世間体を気にする人たちですから。もし私が逃げ出せば、『アルマース家の次女が家出したらしい』という噂は否が応でも流れるでしょう。そうなれば私なんて普段いてもいなくても気にしないくせに、両親は公爵家の力を総動員して連れ戻しにくると思います」
そうなればなす術なく連れ戻された私は屋敷に監禁されて、デッドエンドまっしぐらだ。流石に国の中でも有数の権力を持つ家から逃げきるのは現実的ではない。
もしかしたら魔王復活の時期が近くなったら逃げ出すのも手だろうか。いや、いつジルニアが魔王の存在を知って、その生贄としてディアリアに白羽の矢を立てたのか、私には分からない。ゲームでそこまでの説明はなかったからだ。もし彼女が魔王のことを知っている状態で逃走計画を実行しても、邪魔されて上手くいかない可能性が高い。
「なので私は殺されないような術を身に着ける方向に努力します」
「そうですか。ディアリア嬢に逃亡の意思がないのであれば、俺はあなたの意見を尊重しますよ」
「はあ、ありがとうございます」
協力してもらっている身で申し訳ないのだが、なーんか胡散臭いんだよなぁ、この男の子。顔だけはムカつくくらい綺麗なんだけどね。
翌日。普段通りに午前の授業を受けて、昼休みの時間になった。
荷物を片付けていた私の手元に影がかかって、疑問に思いながら顔を上げる。
「あの、ディアリア様」
女の子が4人。私の机を囲むように立っていた。おそらくクラスメイトだろう。
「何でしょうか?」
「お聞きしたいことがあるのですが、少しお時間よろしいでしょうか?」
丁寧な口調ではあるが、その目に敵意が覗いている。どことなく表情も固く見えた。
うっわぁ、これは面倒事の予感。
「(断っても良いけど…ここで逃げるだけだと、結局後で巻き込まれるかな)」
彼女たちの用事が何なのか全く見当がつかないが、私は内心でため息をつきながら「構いませんよ」と腰を上げた。
「クリゾベリル様に近づかないでください」
「急に親しくなるだなんて不自然じゃありませんか」
「いつも教室の隅でひとり過ごされていたのに…一体どんな手を使ったのですか?」
全く話したことのない女子4人に声をかけられた時点で、予想はついていたが。口々にきゃんきゃんと吠える相手に、私は内心うんざりしていた。外に連れ出され、校舎の影で私は4人組に取り囲まれている。
これが世間一般ではいじめに分類されるような現場だと理解はしているが、こちらは目の前の少女たちよりも一回り以上年上なのである。そうでなくても元来図太い性格をしているので、怖がるような繊細さは持ち合わせていなかった。
早く終わらないかなぁ、という感想しか出てこない。
「…クリゾベリル様って、人気者なんですね」
思わず正直な感想がぽつりと零れてしまった。
少女たちは「そんなことも知らないのですか」と嘲笑を浮かべた。はい、知りませんが。
「あの若さで公爵家当主を立派に務められている手腕」
「魔法の実力も素晴らしいのです」
「何よりあの美しさ」
「家柄も実力も、外見も完璧ですわ」
呼吸のあった称賛だ。あまりの流暢さに拍手したくなる気持ちを抑え、「そうなのですか」とだけ呟くに務めた。
「…何か誤解しているようですが、私はクリゾベリル様とはクラスメイトとして仲良くさせていただいているだけです」
「嘘よ! あの人は誰も傍に置きたがらないもの」
「しかも女性だなんて…あたくしも相手にされたことがないのに!」
なるほど早い話が嫉妬か。
理由は様々だろうが、彼女らはアレク様の見た目やら実力やらに恋焦がれているのだろう。それ自体は微笑ましいと思う。甘酸っぱい青春の一ページじゃないか。ただ私を巻き込むな。惚れた腫れたはそっちで勝手にやっててくれ。
アレク様とは協力関係なんです、なんて言えないし、クラスメイトだとしか説明できない。どうしたら納得してくれるかなと頭を悩ませていると。
「あのお方は孤高な方なんです。地味なあなたなんかでは釣り合いません」
ふん、と鼻で笑った、リーダー格と思われる令嬢。茶色い髪を三つ編みでひとつに纏めている。
「(…言ったな)」
子ども相手とはいえ、さすがに看過できない。私は鋭い瞳で彼女を睨み返した。一瞬、彼女が怯んだのが分かる。
「もう一度言ってくださる?」
「え…」
「あなたが今貶した相手が、ディアリア・アルマースだということを理解した上での言葉なのでしょう? もう一度、同じことを言ってくださるかしら」
令嬢たちの目が泳いだ。
今の私はアルマース公爵家の娘だ。いくら家での立場がなく、教室では空気に等しいとはいえ、アルマースの血が流れていることには変わりない。そして公爵という家柄の相手を貶せるだけの貴族が、この国にどれだけいるだろうか。ちなみに昨日アレク様に同じような態度を取って失敗したことからは目を逸らしておく。
目の前の彼女たちの家格は分からないが、この反応からして私よりも下の家門であることは間違いない。普段地味だからと侮っていたのでしょうが、私の方が立場は上なのだと分からせてやろう。
「あ、あの、その…」
「どうなさったの? 難しいようなら私が繰り返してさしあげましょうか? ああ、でもせっかくならあなたのご家族の前で話しましょうか。せっかくなら私もお父様に声をかけておきますわ。その方が早いでしょうし」
今度こそ相手の顔が青ざめる。
「い、いえ、あたくし、そんなつもりでは…」
「言い訳は聞きたくありません。それよりもまず、するべきことがあるのでは?」
「っ、も、申し訳ありませんでした!」
リーダー格の子が膝を折って、頭を下げた。地べたに頭を擦り付けんばかりだ。その様子を見て、他の3人も次々続く。
「今回だけは見逃してさしあげます。でも次はありません」
「あ、ありがとうございました…!」
涙目の彼女たちはさっと身を翻して逃げていった。バタバタと足早に去って行く背中を、ため息をつきながら見送る。あ、一人こけた。
「めんどくさ…」
「いやぁ見事ですね、ディアリア嬢」
上から降ってきた声。
聞き覚えのあるそれに、ただでさえ落ちていた気分がさらに落ち込んだ。声に引かれてあげた目線の先には、2階の窓から顔を覗かせているアレク様。
「………いつからそこに」
「あなたが彼女たちに連れていかれる所からですね」
「最初からかよ」
つい舌打ちしてしまった。いけないいけない、今世の私は一応ご令嬢だったわ。
私の態度に気分を害した様子もなく、むしろ楽しそうに彼は2階からひょいと飛び降りてきた。見事な着地。身体能力も高いらしい。
「盗み見とは趣味が悪いですね」
「人聞きが悪いですね。あなたに何かあったら助けに入るつもりだったんですよ」
「その何かって、どのレベルですか?」
そう言えば、彼は首を傾げた。
「たとえば、昨日のジルニアから攻撃されていたのは『何か』に入ります?」
「命に危険がないのは分かっていましたから、入りませんね」
「それってつまり、あの子たちが何をしても助けに入るつもりはなかったという意味と同義ですね。ジルニア以上の攻撃力を持った人間が、この学園にいるとは思えませんから」
彼は不思議そうな顔で「何故そんなことを?」と相変わらず首を斜めにしている。否定しないということは私の言った通りなのだろう。私に何があろうと、彼はただ見ているだけで助けるつもりはなかった、ということだ。
やっぱり胡散臭い。
「クリゾベリル様」
「その言い方はやめてくださいと昨日―――」
「あなたとの協力関係は今日で解消しましょう。1日だけでしたがお世話になりました」