2.協力者
あの後、さすがに頭痛が酷かったので医務室に立ち寄って回復魔法をかけてもらった。先生から何かあったのかと聞かれたが適当に誤魔化しておいた。先生に訴えかけたところで事態は改善しないし、ジルニアからの報復が待っているだけだ。いっそ何も言わない方が吉なのである。
ただ単に固くなるだけではダメかもしれない。魔法も受け付けないような防御力も必要だな。そう回復魔法をかけてもらって、すっかり良くなった体調で考えた。
「(いっそ回復魔法に振るのもありかな? 攻撃されたところですぐさま治す感じで…)」
いや、ジルニアが一撃で死ぬような攻撃を仕掛けてくる可能性がある。そうなると回復するどころの話ではないので、その案は却下した。やはり最初に考えた通り防御力に全振りする方がまだ生存率が上がる気がする。
ぐるぐると思考を巡らせながら教室の扉を開けた。
今はちょうど休み時間だから、談笑しているクラスメイトたちがいる。誰もこちらを気にする素振りはない。当然だ。ディアリアは誰とも交友がないのだから。
「(貴族同士のやり取りって面倒そうだし、これはこれでありかも)」
こちとら人生2週目なのだ。友達がいないくらい何だというのか。ていうか生き残るのに必死でそれどころではない。
窓際の一番後ろ。そこが私の席だ。
「また会いましたね。ダイヤモンドレディ」
席に着いた瞬間だった。降ってきた声に全身が音を立てて固まる。
ギリギリと油の指していないロボットのようにぎこちない動きで顔を上げれば。
「うげっ、出た」
「出たとは失礼ですね」
いけない、つい本音が。
そこにはにこやかにこちらを見つめる、『顔が良いだけのクソ野郎』。
「な、何故ここに…?」
「自分のクラスにいることがそんなに不思議でしょうか?」
まさかのクラスメイト。
「治療を受けられたんですね。お元気になられたようで良かったです」
「おかげさまで」
これっぽっちも、なにひとつお世話になっていないけど、とりあえず社交辞令を返しておく。
早く立ち去ってくれないかな。色々聞かれたらまずいこと聞かれちゃったし、私の中でこの少年の印象最悪なので関わりたくないんだけど。
「授業を始める。席に着くように」
お互いに愛想笑いを浮かべながら見つめ合う―腹を探りあう―こと数秒、先生が扉から入ってきた。今の私には天の使いに見える。
少年は「ではまた後で」と言い残し、三つ隣の席に座った。
「(この授業が終わったら今日はもう終わりだし、さっさと撒いて図書館に行こう)」
私には一分一秒、無駄にしている時間なんてないのだ。
―――そう強く心に決めていたのに。
「それで、ダイヤモンドレディ」
「…その呼び方やめてもらえますか」
目の前には件の少年。
授業が終わった後、クラスメイトたちの隙間を縫って逃げようとしたのだけど。教室の扉を潜る前に、彼に前を塞がれたのだ。周りの目がある以上、あまり悪目立ちするのは得策ではないと、振り切って逃げることもできなかった。
結果的に、私は今、少年に連れられて裏庭に逆戻りしていた。やはり周囲には誰もいない。
「ではどのようにお呼びすれば?」
「ディアリアで良いです」
アルマースだと一応高等部と中等部で別れているとはいえ、ジルニアもいてややこしいし。
「ではディアリア嬢。いくつか質問したいことがあるのですが」
「…名乗りもしない礼儀知らずに、答える義理はありません」
そう冷たい声で返せば、少年は瞳を真ん丸に見開いた。くそ、顔が良いせいで可愛いな。
いくら家どころか学園でも空気のような存在とはいえ、ディアリア・アルマースはれっきとしたアルマース公爵家の娘である。身分的に、舐められる謂れはない。
「失礼いたしました。俺はアレクサンドリート・クリゾベリルと申します」
綺麗な所作で名乗る少年。その無駄のない完璧な作法に、思わず見惚れてしまった。
「(ん? クリゾベリル?)」
聞き覚えがあるぞ。ディアリアの記憶の方で。
えっと、確か…
「クリゾベリル公爵家の…!?」
「はい。より詳しくお伝えするなら、今は俺が当主を務めているクリゾベリル公爵家です」
「当主!?」
素っ頓狂な声しか出なかった。収まったはずの頭痛がまたしてくる。
いや、でも確かに聞いたことがある。5大公爵家のひとつ、クリゾベリルは先代公爵夫妻が8年前に事故で亡くなり、まだ幼い息子が後を継いだとかなんとか。
「(それがこの子ってことか)」
クラスメイトということは、今彼は私と同じ15歳ということ。計算すると7歳で両親と死別し、当主に据えられたということになる。
苦労しているんだな。そう思ったら、彼への印象が少し上向いた。
そして同時にやばいと思う。同じ家格で、かたや当主、かたや家に大事にされていない娘。どちらが格上かだなんて、考えるまでもない。
「無礼な物言いをしてしまって申し訳ありません、クリゾベリル様」
「ここではただのクラスメイトですから。顔を上げてください、ディアリア嬢」
言われた通りに下げていた頭を上げれば、赤い瞳と目が合う。顔は笑っているのに、目が笑っていない。そんな表現がぴったりな表情だ。
「それで、魔王とは何のことでしょうか?」
ですよね。やっぱりその質問ですよね。
やべぇ。どう誤魔化そう。下手なことを言ったら…
「(いや、いっそ本当のことを言っちゃった方が良いんじゃないの?)」
かつてこの世界を滅ぼしかけた魔王。その話は今や完全に廃れて、事実として知っている人はいない。せいぜいおとぎ話の中に出てくるくらいで、信じている人もやはりいないだろう。ゲームでも復活した魔王を見て、色んな人が「まさか本当にいたなんて…」って反応していたし。
ここで本当のことを話してしまえば、クリゾベリル様には頭のおかしい女と思われて終わりだろう。以降関わりを持とうとも思われず、そのままさようならだ。クリゾベリルとアルマースはあまり仲良くないし、わざわざ私の両親に「おたくの娘さん頭おかしいですよ」と知らせる心配もないだろう。正直、家で空気よりも大事にされていない私としては知られて困ることはないけど。両親にはせいぜい目立つなと吐き捨てられるくらいだ。
彼が絡んでこなければ私は自分のことに集中できるし。うん、話す一択だな。
「実は私、前世の記憶を思い出したんです」
「…はい?」
美少年から出てくるには低い声が返ってきた。私はそのまま続ける。
「私は前世、この世界によく似た物語を読んだことがありまして」
さすがにこの世界にないゲームというものの説明は面倒だったので、物語とざっくり括った。そこからはひたすら事実を並べた。クリスタルのことも、ジルニアのことも、ディアリアの役割のことも。洗いざらい話したとも。
「―――魔王について私が知っているのは、そういう理由からです」
そう締めくくってクリゾベリル様を見れば、彼は無表情だった。いっそびっくりするくらい無の顔である。
これはドン引き通り越して理解が追い付かない、という顔だろうか。いやまあ、期待通りです。
「私が話せることはこれで全てです。もうよろしいでしょうか?」
最後に渾身の笑顔を浮かべてフィニッシュ。
これはもうイカれた女以外の何者でもないでしょう。この後彼が引き攣った顔で頷いてくれたら完璧なのだけど。
そう思っていた私の目に、何故か彼の瞳が輝くのが見えた。いっそ笑みを浮かべる美少年が見えるのは幻か?
「まさかそんな、常識外れなことがこの世にあるだなんて…」
「ん?」
「ディアリア嬢、よろしければもっと詳しく教えていただけませんか?」
「く、クリゾベリル様…?」
「そんな固い呼び方ではなく、どうぞアレクとお呼びください」
「あ、あれぇ?」
その後、クリゾベリル様もといアレク様―そう呼ぶようにと譲ってくれなかった―に質問攻めに遭い…最終的には。
「それではあなたの目的に、俺が協力しましょう」
と、何故か協力者に立候補されることとなった。