ナポリタン 2
投稿遅れて申し訳ありません
エレインは目の前にいる母親の言っている言葉がよく分からなかった。母親はこちらを見ているようで見ていない。こんなに目が合わないことがあるのかとエレインは恐怖した。戸惑いを顕にするエレインに母親はため息を吐く。
「だってあなた、ずっと部屋に引きこもってばかりで私達と話をしようともしないじゃない。ひたすら絵を描いているだけ、その状態でどうしろと?」
「違う! 僕は!」
「なのに自分の目を見てくれないとか、絵を見てくれないとか、一体何を言ってるのかしらね。あなたがそういう態度を取っているから私達もどうしたらいいか分からないの。それなのに甘えたことばかり言うなんて……やはりかわいくない。素直なクランや勤勉なレオナルドの方がよっぽどかわいげがあるわ」
「ケイト」
「だってそうじゃない。あなたも思ってたでしょ? 家族の団欒に入ろうともしない子に向ける愛情なんてないわ」
「ケイト! いい加減にしないか!」
父親が声を荒げ母親を窘める。彼女は大きくため息を吐いて部屋を出た。一連の流れを呆然と見ていたエレインはハッとして父親を見るが、彼は困った顔をしてこちらを見ていた。
「エレイン、このあと時間はあるか?」
「時間……ですか?」
「ああ、少し話したいことがある。……と言っても、お前に話すのも申し訳ないとは思っているが」
十中八九母親のことだろうとエレインは察した。父親の様子を見る限りあまり言いたくないのだろう。だが聞かないと前に進めない気がする。
「大丈夫です」
「すまないな」
父親は部屋にいた執事達を下がらせたあと、エレインの隣に座った。こんなに間近で父親の顔を見た事があっただろうか。まじまじと見つめていると頭を撫でられる。
「こうやって向かい合うのは初めてだな」
「うん」
「……驚いているか?」
父親の問いに頷けばまた頭を撫でられる。カズヤの力強い撫で方とは違う、優しい撫で方だった。されるがままになっていると父親は扉の方に顔を向けた。
「……ケイトは初めからああなってしまったわけではないんだ」
懺悔をするかのように父親は言う。
「お前が産まれた時、ケイトはおじい様とおばあ様からなぜ女の子を産まないのかと責められていてね。一人目が男の子なら二人目は女の子を産むべきだと。私が間に入っても両親はケイトを責めるのをやめなかった」
当時のことを思い出しているのだろう。その事を話す父親の声は暗い。
「ケイトを守るために両親とは縁を切ったのだが、彼女はお前を見ると当時のことを思い出してしまうらしい。最初の頃は君を抱くことも拒否するくらいには」
「……そうだとしても、僕に冷たくするのは違うのではありませんか?」
「分かっているさ。だが分かっていてもできないこともある」
「……」
「エレイン、お前が納得いかないことはわかっている。だがケイトは自分を守ろうと必死だったんだ。あの時心が折れていたら彼女はきっと自殺していたかもしれない」
「……だから僕に寂しい思いをしろと?」
「なぜそうなる。誰もそうしろとは言っていないだろう」
「だったらなぜその話をする必要性があったのですか? 確かに当時のお母様は辛かったかもしれません。でも! だからといって僕を蔑ろにするのは違う! お母様はおじい様たちと同じことを僕にしてるじゃありませんか! そしてそれを僕に強いるお父様も同じだ!」
父親はエレインの言葉に目を開く。父親を睨みつけながらエレインは諦観していた。僕のことは痛めつけてもいい人形とでも思っているのだろうか。だとしたらひどい両親だと思う。それと同時にエレインの中で踏ん切りがついた。母親を守るために子どもを犠牲にするのなら、こちらが無理して顔色を窺う必要もない。
──今までびくびくしていた自分がバカみたいだ。
エレインは小さく息を吐くと父親──正直父と呼ぶのも腹ただしい──を無視し立ち上がると扉に向かう。
「待ちなさい。話はまだ──」
「結構です」
冷たい声色が部屋に響く。彼から発せられた初めての拒絶の言葉に父親は動きを止める。なんと声を掛ければいいのか父親は分からない。すぐそこの距離なのに、息子の背中が遠ざかっている気がして父親は伸ばしかけた手で空を切った。視線をさまよわせていると振り向いたエレインと目が合う。瞳に浮かぶ拒絶の色に父親は選択を間違えたのだと悟った。
(お父様たちと関わるのをこちらからやめてやる)
エレインはそう決意した。関わるとしても親としての責務を果たしてもらうくらいでいい。それ以上のことをこちらから踏み込むつもりはない。要望すら抱かない。
──独り立ちできるようにしよう。
エレインは父親に振り向き、静かに言い放つ。
「あなた達と関わるのは必要最低限にします。僕は僕なりに好きにやりますので」
「エレイン!」
叫ぶ父親を無視し扉を閉め拒絶する。エレインは部屋に戻り鍵を閉めると画材を広げた。床に広がる鉛筆、絵筆、そして絵の具たち。エレインはスケッチブックを開き、近くにある木炭を手に取り動かす。
何となくわかっていた。両親が自分を愛していないことを。背けていた現実が目の前にやってきただけのことだ。そう頭で理解していても心は到底受け入れられない。気が狂えるなら狂いたかった。叫びたかった。だがここで叫んだところできっと誰も自分を見ようとしないだろう。エレインはこの感情を自分なりに昇華したかった。
ぽたり、ぽたりと大粒の涙が紙に落ちていく。前が見えづらくて線が歪む。形を捉えることができなくてもエレインは必死に手を動かした。だって自分にできることが皮肉にも母親に言われた「絵を描くこと」だけなのだから。
扉を叩く音が聞こえた気がした。誰かが叫んでいるような気がした。だがエレインは構わず手を動かし続ける。落胆、悲しみ、怒り、諦観……様々な感情を乗せた黒で真っ白な紙を染めていく。
──どれほどの時間が経っただろうか。木炭塗れの顔を上げると、柔い銀光が窓際を照らしている。あまりにも静かだった。乱雑に置かれている画材の騒がしさと周りの静けさが自身の心情を示しているように見え、エレインはしばらく動けずにいた。ハッとして時計を見れば外出するには遅い時間で思わずため息を吐く。散らばっている画材を拾い外で絵を描く時にだけ使うトランクケースに全てを入れる。
今からすることは世間一般的に見れば悪いことだと分かっている。両親はともかくカズヤにも迷惑をかけることも。だがエレインはどうしてもカズヤと話がしたかった。彼の優しさに触れたかった。こんな時間に行っても許されるかは分からない。もしかしたら帰れと言われるかもしれない。不安になりながらエレインは鍵を開け、ドアノブに手を掛ける。今頃みんなはきっと“家族団欒”を過ごしていることだろう。
エレインは扉を開けるとトランクケースを片手にそのまま飛び出した。
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