カルボナーラ 1
二次試験当日。会場に着いたレントは深呼吸して自身の心を落ち着かせた。今日に至るまでやれることはやってきたつもりだ。不安がないわけではない。でもやらないことには変わりはないのだ。一歩踏み出したその時、ノマと目が合った。
「あ、君もここにいるってことは一次受かったの?」
「お、おう……、あんたも?」
「そ、僕も。お互い頑張ろうね」
ウインクして去っていく彼の姿をレントは黙って見つめる。
「ま、いるとは思ってたけどさ」
レントは自身にしか聞こえない声量で言うと、彼の後を追う。中に入り受付を済ませれば、ヴィクトリアがこちらに向かっているのを目にする。レントは彼女の元に行き、挨拶をした。
「おはようございますヴィクトリアさん。本日はよろしくお願いします」
彼女は少し驚いた顔をしてレントを見つめ、微笑んだ。
「ええ、よろしく」
一言だけ告げて去っていく彼女を見送り、レントは渡された台本に目を通す。今回は全員の前で読み合わせをするようだ。台本に書かれたセリフは少ない。少ないからこそどう表現するか問われる難しい課題だ。レントはセリフを読み込み、何度も暗唱する。焦った言い方、困った言い方、楽しそうな言い方……言葉とは不思議なものだ。声色一つで同じ言葉でも意味合いが変わってしまう。でもそれが楽しい。レントは近くの椅子に腰かけ、練習を続けた。
時間が経つのはあっという間で、気が付けば自分たちの番になっていた名を呼ばれたレントは椅子から立ち上がり、ヴィクトリアの前に立つ。周りの視線が気になるが無視してセリフを読めば、小さな笑い声が聞こえてくる。チクリとした痛みが胸元に走るが、構わず読み続けなんとか終わらせ元居た席に戻り小さく息を吐き落ち着かせた。他の人の演技をじっと見つめ、観察をする。少しでも盗めるものがあれば盗んでいきたい。
ヴィクトリアは一瞬だけレントに視線を向けるが、彼は気づかない。彼女は視線を逸らし、紙に鉛筆を走らせ裏返した。
「皆様、本日はお疲れ様でした。結果は一週間後に送りますので届くまでお待ちください。最後にヴィクトリアさんから話があります」
彼女は椅子から立ち上がり、目の前の応募者たちを見つめる。彼らは黙って彼女を見つめ返し、会場が緊迫感見包まれた。
「まずは一言、お疲れさまでした」
ヴィクトリアが言う。
「今回、皆さんはがんばったと思います。結果がどうであれ、あなたたちがしてきたことが光る徳があるでしょう」
レントは一言一句を逃さぬよう、必死に耳を傾ける。彼女と目が合った気がした。ヴィクトリアは柔く微笑むと話を続けた。
「この仕事一本で生きていくために必要なことはなんだと思いますか? 演技力、洞察力、役作り……きっとあなたたちはありきたりな答えを出すことでしょう」
ですが、と彼女は一言付け加えた。
「それが悪いことだとは思いません。あなたたちが何を思いここに来たか、演技を見ればわかりますから。でも覚えていて、役者というのは人間性が出るものよ」
人間性、その言葉にレントは目を瞬かせた。役を演じることが役者だと思っていた自身にとって彼女の言葉は目から鱗だ。どういうことか気になり、少し前のめりになる。
「みんなは俳優って言葉をご存じ?」
俳優、聞いたことはある。大まかな意味は役者と変わらなかったはずだ。いったい何のいみがあるのだろう。彼女の真意がわからず周りがひそひそと話をする中、レントはただただ黙って話を聞くことに集中する。
「昨今は役者と俳優を違うものと言う人がいるけれど、私はそうは思わないわ。役者も俳優も同じ。『俳優とは人に憂い、人に非ず』……これは私の恩師がよく話していたことよ。誰よりも優しく、誰よりも悲しみ、そして誰よりも美しい。それが俳優であり、役者だと私は思っているの。役を演じている時のこそ、役者自身の生き方が現れるものよ」
そう言われ思わずレントの背筋が伸びる。何人か同じ行動をした人がいたのだろう。彼女はクスクスと笑う。
「だから今日、あなたたちの演技が見れて私は幸せでした。今回落ちてしまっても、諦めず挑戦していただけたらと思います」
優雅に一礼をし、彼女は去っていく。扉が閉まる音が部屋に響くが、その場から動こうとするものはいなかった。誰もが何かしら彼女の言葉に思うことがあるのだろう。
「……これにてオーディションは終了です。皆様お気をつけてお帰りください」
係の人に促されるようにして、レントたちは会場を後にする。彼女の言葉を思い出しながら、レントは帰路に着いた。
「……このまま話さないのも良くないよな」
両親に黙ったままオーディションを受けていることに罪悪感を抱いていることは確かだ。レントはそろそろ話さないとまずいか、なんて思いながら家の扉を開けた。
「ただいま」
「お帰り、遅かったね」
「ああー、まあ、ね……」
言葉を詰まらせながら話すレントに母親は首を傾げる。荷物を片付けてきなと声を掛け、奥に引っ込もうとした。
「……あの、さ」
「ん?」
レントの呼びかけに母親は立ち止まり振り替える。
「今日の夜、話したいことがあるから時間くれない?」
「なによ急に改まって」
「いいから」
「分かった分かった。今日の営業が終わったらね」
軽く受けながす母親の背中を見送りながらレントは小さくため息を吐いた。
「親父、なんて言うかな……」
レントは不安げに言うと、荷物を収めに部屋に戻った。
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