ハンバーグ 1
レントは悩んでいた。ヴィクトリアに言われ、オーディションを受けるかどうかを。正直、受けたい気持ちはある。イリーナが踏み出したように、自身もこれを機に挑戦をしてみたいと思ったから。しかし、やはりと言うべきか、浮かぶのは両親の顔である。仮にオーディションを受けて合格してしまったら? レントは両親になんと伝えればいいか分からない。
それにナルマーンで舞台化するということはその分費用が嵩張るだろう。資金面でもどうしたらいいのか分からずレントは悩みに悩んで、何かいいアトバイスがないかとカズヤの元に足を運んだ。彼は自分も専門外だからと一言枕詞を添えたあと、自身のことを話した。
「実は俺、両親に相談なく喫茶店開くこと決めて」
「えっ」
「両親に話したのが全部終わってからなんだよな。いやー、あの時は大喧嘩したよな」
「……マスターでも喧嘩することあるんだ」
「そりゃあるさ、俺だって完璧な人間じゃないんだから」
懐かしそうに話す彼に、レントは信じられないと言いたげな視線を送る。カズヤも若気の至りってやつだよと言いながら水の入ったグラスを置く。
「ただ」
「ただ?」
「大喧嘩はしたけど、両親は何も言わなかったな」
「なんで?」
「うーん、なんでだろうなぁ」
水を飲みながら、カズヤからの返答を待つ。渇いた口内が潤い、レントの中にある焦燥感がゆっくりと聞いていく気がした。カズヤはしばらく考え込んだあと、ぽん、と手を叩いた。
「思い出した。あの時確か父に言われたんだよ。「それがお前のやりたいことなら何も言わない。だが相談くらいはして欲しかった」って」
「……そもそもさ、マスターはどうして相談しなかったわけ?」
「あー、それはうちの両親……主に父と仲が悪かったからかな」
「よく喧嘩してたの?」
「喧嘩と言うよりは……なんていうか、父は真面目すぎるんだ」
ぽつりぽつりと思い出していきながらカズヤは話す。
「なんて言うか、決まったレールに従うのが正しい! みたいな人でさ。俺は父の作ったレールに乗りたくなかったんだ」
「……」
思わぬ共通点にレントは何も言えない。いったい何が自身と彼を分けたのだろう。黙りこみ、彼に続きを話すよう促す。カズヤは左上に視線を動かし、あーとか、んーと、と言葉にならない言葉を空に浮かべ話を続けた。
「ちょうどその時幼馴染と疎遠になっちゃって……ま、これは俺のせいだからこれ以上は言わないけど。その時に恩師に会って変われたというか……」
「マスターにもそういう人いたんだ」
「まあな、あの人のおかげで喫茶店を開きたいって思えたし」
「その人も喫茶店のマスターなの?」
「ああ、恩師のおかげで料理にハマったからな」
恩師のことを思い出しているのか、声色が明るくなるカズヤの姿をレントは羨ましそうに見ていた。
「……いいなぁ」
「なにが?」
「そうやってやりたいことができるって、羨ましいよ」
「そうか?」
「そうだよ」
レントは水を煽り、グラスをカウンターに置く。父親の言葉が浮かび、顔を顰める。自分も彼のようにやりたいことをやれるだろうか。悪いことばかり考えられてしまい、心のモヤは晴れそうにない。
「だったらやってしまえばいい」
「マスター……俺の話聞いてた?」
「聞いてるよ。その上で言ってる」
「えぇ……?」
訝しげにこちらを見つめるレントを無視しつつ、カズヤは言った。
「こういうのは先手を打つのが大事なんだ。オーディションを受けるだけでも見える世界は変わるよ。実際、オーディションに行ったとして受かるとは限らないんだからさ」
「でも……」
「やりたいんだろ?」
「……」
否定の言葉がすぐに出ないあたり、答えは決まっているようなものだ。カズヤは思う。レントはきっと、背中を押して貰いたいのだと。もう一押しかな、カズヤはレントの様子を窺いつつ、言葉を選ぶ。
「普通人に見られる可能性がある場所でそんな事しないって」
「それは、そうだけど……」
「周りが見えないくらい好きなことがあるなら、後悔ないようにやればいい。やらぬ後悔よりやる後悔だよ」
「なにそれ」
「俺の国の言葉」
「ふぅん?」
水が注がれていくのをレントは黙って見つめる。やらぬ後悔よりやる後悔。カズヤの言う通り、オーディションに受かるどうか分からないのに、ここでうじうじしても意味がないなとは思う。自分は多分、今後のことが怖くて何かしらを理由に動かないつもりでいたのかもしれない。
そんなの、なんか逃げてるみたいで嫌だ。レントはモヤの先にある自分の気持ちが見えた気がした。やっぱりやりたいことをやりたい。足を踏み入れるのは怖いが動いてしまえば後は勢いのまま行けるかもしれない。
不安がないわけではないが、挑戦するのは悪いことじゃない、はず。少しだけ、前を向けた気がしてレントは安堵の息を吐く。途端、お腹が小さく鳴った。カズヤは小さく笑うと何か作るよといい。厨房に引きこもった。
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