レモンスカッシュ
「ごきげんよう。あなたが芝居好きな子?」
「あ、えっと……」
「ヴィクトリアさんこんにちは。この時間に来るのは珍しいですね」
「ええ、ちょうど時間が空いてたから足を運びに来たの」
隣良いかしら? と聞かれレントは戸惑いつつ頷き、荷物をどけた。ヴィクトリアは席に着き、カズヤに飲み物を注文すると、隣にいるレントが手にしている本を見てあら、と嬉しそうに言う。
「そのお話、好きなの?」
「は、はい。なんていうか、ウィルに共感すること多くて……」
「意外ね、あなたと同年代の子はリュカとアランに共感することが多いのに」
「そうですかね? 二人に対して思うのは共感というよりは、憧れなんですよね」
レントの一言に彼女は目を細める。こちらを見定めている気がして黙り込んでいると、彼女は続きを促した。下手なことを言えない気がして戸惑っていると、彼女の目の前にグラスが置かれた。
「おまたせしました。レモンスカッシュです」
「ありがとうマスター。この子たちにも同じものをいいかしら?」
「えっ」
「僕も?」
様子を窺っていたエレインが不安げに聞く。ヴィクトリアは気にしないでと言葉を返す。
「あなたたちの時間をいただいているもの。これくらいはさせてちょうだい?」
「こういう時は甘えておいた方がいいぞ」
「なら、いただきます」
カズヤは追加注文を受け、厨房にこもった。残されて緊張しているレントに視線を向け、ヴィクトリアは続きを促す。もしかしてこれが本命なのでは? と思いつつレントは口を開く。彼女はなにがなんでも話がしたいらしい。
「えっと、これはあくまで俺が思っていることなんですけど……」
「ええ」
「ウィルって、他二人と比べて自分の実力が分かってるじゃないですか。リュカとアランは実力が分かってないから、その、なんていうか、思春期特有の『全能感』って言うんですかね。そういったのを感じるんですよ。実力が分かっているからこそ、ウィルは二人みたいにガンガンいけないって言うか……」
「……それで?」
「だから英雄になるって予言された時、ウィルだけ描写されてないのは怖かったからなのかなって」
「怖かった?」
「『俺にできるはずない』『どうして自分が』とか。そういうのがあったから、『自分にそんなたいそうなことができない』思ってたのかなって、だから喜んでる二人に混ざれなかった……あああ、なんか頭こんがらがるな……」
頭をかくレントをヴィクトリアは黙って見つめている。張り詰めた空気がその場に漂い、どうしたらいいか分からず、エレインはカズヤがいるであろう厨房に縋るように視線を向ける。彼が返ってくる気配はない。こういう時、いつもエレインはどうしたらいいか分からなかった。
「……一つ、いいかしら?」
「……はい」
「あなたがウィルを演じるとしたら、どうしたい?」
息が詰まる。質問の意図は分かっている。だがなんて答えればいいかレントには分からなかった。ただでさえウィルのことを話している今でさえ言葉が上手くまとまらないのに、彼女の前でなんて答えるのが正解なのか。
「おまたせしました」
コト、とグラスを置く音がして顔を向ける。先ほどまでの会話を彼は聞いていただろうか。できることなら助けてほしい。視線で訴え掛けるが、彼はただ首を傾げるだけだった。伝わるわけないよなぁと思いつつ、こちらを見つめるヴィクトリアに視線を戻せば、彼女はにこにこと返事を待っている。レントはまだまとまってないんですけど、と一言置いてから彼女の質問に答えた。
「俺がウィルを演じるなら、二人のことを眩しい存在だって思いつつ、彼らにも悩みはあるんだって考えますかね」
「……」
「自分の実力が分からないからこそ、やってみようって挑戦ができるじゃないですか。俺の友人にもいるんすよ。絶対に夢を諦めない奴。正直、はじめは呑気に見えて嫉妬してましたよ。でも……」
諦めなかった人のことを思い出す。自身で切り開いていく彼女はまさに主人公だろう。だが彼女も性差をはじめ様々なことに悩んでいた。リュカやアランもそうだ。ウィルが思っている以上に二人にだって悩みがある。中盤までウィルは二人の悩みに気づかづ、ただ二人の後を追うだけだった。だが彼は二人の悩みを理解して初めて、二人も自身と同じ存在なのだと気づき、同じ目線に立てたのだとレントは思う。
しかし実際はどうだろうか。レントはイリーナを羨むばかりで行動に移せていない。そんな自分に嫌気がさしつつ言葉をまとめた。
「でも……そいつに悩みがあるってわかってから、同じ人間なんだって思えて安心したんすよね。そいつがそうなら、俺も悩んでいいんだって」
ヴィクトリアはなにも答えない。変なこと言ったかと不安になっていると彼女は小さく拍手をした。呆気に取られていると、彼女はクスクスと笑っている。
「ごめんなさいね。少しからかってしまったわ」
「いえ……」
「あなたの見解は分かった。あなたの演技をいつか私に見せてちょうだい」
言葉の意味が分からず目を瞬かせる。彼女はノートを取り出し、なにか書いた後、レントに差し出した。
「私、その舞台演出をするの」
「えっ」
「今度オーディションを開くの。あなたに来てほしいわ」
──その時に会えるのを楽しみにしているわ。
空になったグラスと代金を置いてヴィクトリアは去っていく。レントは彼女の言葉を思い出し、目を開き様子を窺っていた二人を見る。エレインは予想外だったのか、驚いた顔をしてレントを見つめ返している。
「スカウトってこと……?」
「た、たぶん……?」
恐る恐る聞いてくるエレインにレントも疑問で返す。こんな、こんな夢みたいなことがあるのだろうか。
「とりあえず、いったん落ち着くためにそれ飲みな」
「……っす」
カズヤに促されレモンスカッシュを飲む。酸味と炭酸が弾けるが、味を深く味わうほどの余裕が今のレントにはなかった。