アイスクリーム 3
カズヤは鍋からアイスを取り出す。少し溶けかけていたが、これくらいは許容範囲だろう。アイスをスプーンひとさじ掬って食べるとミルクの甘味がほんのり口の中に残った。ミルクか、味を確認したカズヤは新しいスプーンを取り出しアイスをガラスの器に盛る。飾り付け用に事前に切っておいたいちごと、作り置きしていたクッキーを周りに置いて飾り付けた。最後に小さいミントの葉を添えて完成。
出来上がったアイスを見て小さく息を吐く。冷やす概念がないため仕方ないが、思った以上に溶け出すのが早い。二つでこの速さなら、注文の数によっては完全に溶けてしまいそうだ。このままでトッピングなどに使うのは難しいかもしれない。ここら辺はブランに相談だな、と少し仕事のことを考えカズヤは厨房を後にした。
レントはこの状況にどうしたらいいのか悩んでいた。泣いている彼女に声を掛けようとして、やめた。今の自分には声を掛ける資格もない。
気丈に振舞っている彼女が泣く姿を見たのは初めてだったからだ。いつも楽しそうに夢を語る彼女の瞳は輝いていて、見ていて正直腹ただしかったのに、今はその光もない。当たり前だ。彼女をそうさせたのは他でもない自分なのだから。
こちらの気も知らないで理想を語る彼女が眩しくて、何もない自分が惨めに思えた。もし自分が誰かに夢を語れと言われたら、一言も言えないだろう。だって自分は夢など持ってはいけないのだから。
──うらやましいの?
先ほどの言葉が頭から離れない。あの子の言う通り、イリーナのことがうらやましかったのかもしれない。自分と同じだと思っていたのに、彼女は遥か先を見据えて行動している。それが結果的にだめだったとしても、彼女は諦めることなく道を探すのだろう。イリーナは、強い人だ。
「……は、」
乾いた笑いが出る。そうだ、うらやましかったのだ。うらやむばかりに周りを見ず彼女を傷つけた。傷つけることで得た自尊心など、なんの意味もない。ハリボテでできた自分はなんて醜い人間なのだろう。レントは唇を噛み、泣くのを堪える。泣きたいのはイリーナの方なのに、加害者の自分が泣くなど烏滸がましい。
レントは自身のこぶしに視線を落としたまま、黙っていた。
自分が男であれたらどれだけ良かっただろう。男であれたら教師になるのを父は認めてくれたかもしれない。男であれたら誰かに夢をバカにされることはなかっただろう。
自分が男であれば──
何度自身の性を恨んだか。だが恨んだところで残るのは虚しさだけ。イリーナだってどうしたらいいかわからない。今の自分が歩いている道の正解など、見つかってないからだ。やみくもに勉強をしても意味がないことはイリーナ自身が一番分かっている。だが答えは見つからない。立ち止まりたい時もあった。心が折れかけた時もあった。教師を目指さず、女としての幸せを手にしていたらまた変わった人生を歩んでいたかもしれないと逃避したことなど両手では収まらない。
そんな時だ、カズヤたちと出会ったのは。オムライスを差し出し、彼の話を聞いて教師になりたいと強く思えた。道がないのなら開けばいい。不安は残るが一つ、希望の光が見えた気がしたのだ。
諦めたくない。その一心で今までの理不尽にも耐えてこれたと思っている。
今でも思う。あの時、ここに連れて来られなかったらきっと、心が折れていたかもしれない。
だからだろうか、ここに足を運んでいたのは彼に話を聞いてもらいたいからだ。マスターは夢を否定しない、むしろ寄り添ってくれるだろう。
「おまたせ」
二人の前に見たこともない何かが置かれた。ガラスの器に盛られたそれは、雪のように白い。周りに置かれたいちごやクッキーが、その白さを際立たせている。なんだろう、二人は見たこともないそれに視線が釘付けになる。
「見たこともないだろう? アイスクリームっていうんだ。溶けるから早く食べな」
「あの、マスター……」
「言いたいことがあるのは分かる。それはこれを食べてからな」
カズヤの勢いに押され、困惑しながらも二人は口に運ぶ。甘いミルクの味が柔らかく溶け、二人は驚く。何より冷たいのだ。泣いていたイリーナもびっくりして二人が食べる冷たいものと言えば野菜くらいで、こういったのははじめてなためどういった反応すればいいかわからない。黙々とアイスを食べる二人が幼く見えて、カズヤは微笑ましくなった。
キン、と小さく金属音がして、二人は顔を上げる。同時に上げたのでカズヤは思わず噴き出す。イリーナは顔を真っ赤にしてカズヤに抗議の声を上げた。
「マスター!」
「ははっ、悪い悪い。でも美味しかっただろ?」
「美味しかったけど! けど!」
「なら良かった。……それで、落ち着いたか?」
質問に頷くイリーナを見て安堵する。
「落ち着いたみたいで良かった」
「……うん、ありがとう。マスター」
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
「マスターこのお菓子はなに?」
「アイスクリーム」
「アイス?」
「お菓子の一つ。冷たいだろ?」
「うん、とてもね」
「美味しかった、です」
「だろー。上手くいけばメニューで出そうと思って」
「絶対出してほしい!」
「はは、上手くいけばな」
「……なんで、これを出したんですか」
「んー……」
カズヤは二人を見ながらレントの質問に答える。
「たまたまもらったからっていうのもあるけど。二人はこれが元々王族や貴族の人しか食べられないものってのは知ってたか?」
「そうなの? でもこれだけ美味しいと確かにそうかも」
「でも」
「でも?」
「これが国全体に行き渡って、俺たちしょみんでも気軽に食べることができたらどう思う?」
「それは嬉しいけど……ねぇ、マスター。何が言いたいの?」
カズヤは二人を交互に見て言う。
「変わっていってるんだよ」
「変わって?」
カズヤの言葉の意味を理解しようとしているのだろう。二人は目を瞬かせながらカズヤを見ている。カズヤは二人の頭に手を乗せ思いっきり撫でる。
「うわっ」
「ちょ、」
「少しずつだけど色々変わってきてるんだ。アイスクリームが庶民に広がるように、いつかきっと、誰もがやりたいことを仕事にできる日が来るよ」
「……!」
「もしそれがかなり先になったとして、夢が叶わないことがあるかもしれない。でも、イリーナの頑張りを見てる人はちゃんといる」
「……うん」
「だからそう悲観的にならなくていい。俺はちゃんとイリーナの努力を知ってるからさ。なんなら俺の先生になって欲しいくらいだよ」
フッと笑う声がした。
「なにそれ、私はもうマスターの“教師”でしょ」
「! ははっ、確かに」
カズヤは手を離す。去っていく温もりが名残惜しいが、この温もりは忘れることはないだろう。イリーナは顔を上げカズヤの目を捉える。先ほどまで見せていた憂いの色は消え、強く鋭い──まるで全てを焼き尽くしてしまいそうな強い光がこちらを見ている。
「……ありがとう、マスター」
ああ、彼女は強い人だ。カズヤは思った。イリーナの努力を知っているからこそ報われて欲しい。強い彼女だからこそ、性別という壁で全てを諦めることだけはして欲しくなかった。
だが今の彼女ならもう大丈夫だろう。
「……いいなぁ」
眩しいものを見るようにレントは目を細める。その小さな声を二人は聞き逃さなかった。
「夢を持ってはいけない俺からしたらイリーナが眩しいよ」
意味深なことを言う彼に二人は首を傾げる。こちらが質問をするよりも先に、レントは許しを乞うように言葉を紡いだ。
「俺、うらやましかったんだ。イリーナのことが」
「うらやましい?」
「夢に向かってまっすぐで、諦めることをしない姿が眩しく見えて。俺はイリーナみたいにやりたいことがないから」
「レント……」
「イリーナの言う通り、八つ当たりしてた。はは、情けないっすよね俺」
「……」
口を閉ざしたレントをイリーナはじっと見つめている。カズヤに視線を向ければ、彼はグラスを片付けるためか厨房に入って行くのが見えた。まさかの行為に一瞬イリーナは眉をしかめたが、仕方ないと言わんばかりに深呼吸をすると、俯いている彼の顔をつかんで無理やり上げさせた。突然のことでレントは驚いたが、目に入った彼女に宿る強い光を見て、口を閉ざした。イリーナは手を離し、彼を目つきで捕らえる。彼女の強い光にレントは惹き込まれていく。
「今まであんたが私にしたこと、許さないから」
「……おう。別に俺も許してもらおうとも思ってねぇよ。だから謝罪もしない」
「あら意外。あんたのことだから「許してくださいイリーナ様〜」って言うかと思った」
「言うわけねえだろ! 俺の事なんだと思ってるわけ?」
「え、ネチネチ男?」
「よーし表に出ろ」
「そういう時に有利な方向に持ってくのがまさにって感じ〜」
思わずでた軽快なやり取りにくすりと笑ってしまう。こうして互いに軽口を言うことなんてしたことがない。
「……さっきも言ったけど、私は私の道を行くよ。どれだけ苦しくても、私は絶対教師になるよ」
そう話すイリーナに迷いはない。
「……そっか」
「私、今度試験を受けるんだ」
「……」
「私はえらいからちゃんと問い合わせもして、受験資格があることを確認した上で受ける旨も伝えてる」
「はっ、なんつーか……用意周到だな」
「当たり前でしょ。万全の状態で挑みたいのよ私は」
いきいきと話すイリーナの姿にレントはまた目を細める。いつか自分もこうなれるだろうか。分からない未来に思いを馳せる。そしてその気持ちをごまかすように、レントは意地悪な顔をした。
「なら試験まで勉強しないとだなぁ。頑張れよ〜」
「そうよ。勉強しないとなの。だから今度は邪魔しないでね」
「それは俺の気分次第って言うかぁ」
「そこはしないって言うべきよバカ」
「はぁ!? バカって言う方がバカなんだよバカ」
「そういうあんたもバカバカ言ってんじゃん! 人の事言えませんけど!」
「うっせーな! 」
店内で喧嘩をする二人を、カズヤは壁越しに覗く。喧嘩するほど仲がいいとはこういうことを指すのだろう。うんうんと満足げに頷き、厨房に引きこもった。決して甘酸っぱい空気──と呼ぶべきか大変悩ましいが──に耐えられなかったからというわけではない。
「……まあ、その、なんだ」
「なによ」
「……受かれよ、試験」
恥ずかしそうに顔を逸らしたレントにイリーナは目を開く。なんだ、かわいいとこあるじゃん。彼なりの応援に少しくすぐったく感じたイリーナは満面の笑みで答えた。
「もちろん!」
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