ナポリタン 3
これにてナポリタンはおしまい。
扉を叩く音がしてカズヤは仕込みの手を止める。こんな時間に誰だろうと思い扉を開ければそこにはエレインがいた。俯いたまま一言も発さない彼は最初に出会った時と同じ空気をまとっている。このままではさすがにまずい。カズヤはエレインの手を引いて中に招く。いつもの席に案内してもエレインは入口で突っ立っているままだ。
(こりゃ両親と何かあったな)
動く気配のないエレインの肩を優しく叩き、カズヤは無理やり席に座らせる。トランクケースは床に置き、カズヤは隣の席に座った。
「両親と何かあったか?」
両親という言葉にぴくりと反応する。エレインは静かに顔を上げ、カズヤを見つめた。
「……今日」
「うん」
「お父様たちと話をしようとしたんです」
ぽつぽつと話すエレインをカズヤは耳を傾ける。
「言いたいことは伝えられたと思うんです。でも……」
「でも?」
「お母様に「かわいくない」って言われて」
「うわぁ……」
本人の前でよく言えたものだ。カズヤは思わず顔を顰める。そんなことを言われて傷つかない子どもなどいるわけないだろうに。
「……お父さんはなんて?」
「ダメでした」
「ダメ……とは?」
恐る恐る父親のことを聞けばよろしくない答えが返ってくる。エレインは小さく息を吐くと顔を上げカズヤを見つめた。その瞳に浮かぶのは虚無で、こちらの対応を一つでも間違えたら壊れてしまうような危うさを持っていた。
「お父様も僕が我慢すればいいって考えだったみたいです」
「……」
「酷い両親ですよね。家族団欒のために僕を犠牲にするなんて」
彼の声に生気はない。声を掛けたくても上手い言葉が見つからず黙り込んでしまうが、エレインは構わず話し続ける。
「わかってたんです。僕のこと愛してないんだろうなって。それが今ハッキリしただけで」
「エレイン」
「お父様もお母様も僕のことはじめから見てないんだって思うとやっぱりって思えたんですよね」
「エレイン!」
「……ねえ、お兄さん」
──僕、疲れちゃった。
涙を流す気力もないのだろう。こちらを見上げるエレインの瞳にカズヤは映っていない。カズヤは激怒した。こんな幼い子の心をこんなになるまで追い詰めた両親や環境に。子どもとは愛される存在ではないのか。どうしてこんな優しい子が酷い目に遭わないといけないのか。カズヤはエレインを抱きしめる。こうでもしないと怒りで叫びそうだ。
「エレイン、よく頑張ったな」
返事はない。カズヤはエレインに言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ちゃんと両親に言いたいことを言えたのは凄いことだ。イリーナも言ってただろう? 君の両親と君は考え方が違う。価値観が違うんだ」
「……」
「悲しかったよな。怒りたいよな。少し話を聞いた俺も怒りたいくらいだ」
エレインはぼうっとしてた顔でされるがままになっている。カズヤはエレインの顔を真っ直ぐ見つめると、肩に手を置く。これだけは絶対に伝えたい。仮に今届かなかったとしても。
「エレイン。今は心の整理が追いつかないかもしれない。だけど俺は君に生きていて欲しいと願ってるよ」
「……でも、疲れちゃった」
本心なのだろう。声を震わせながら小さく呟いたその言葉はカズヤの耳に届いた。カズヤはいつものようにエレインの頭を撫でる。
「疲れたならここで休んでいけばいい。そういえば夜ご飯は食べたか?」
ぐぅ、と小さくお腹が鳴る。カズヤはもう一度エレインの頭を撫でると少し待ってろと言い厨房に引っ込んだ。残されたエレインは撫でられた頭に手をやる。父とは違う撫で方だったが安心感があった。彼はいつもこちらの髪が少し崩れるくらいの強さで撫でてくる。
そういえば彼はエレインが意見などを言うたびに偉いと褒めていた気がする。この喫茶店で過ごした日々を思い出し、彼は唇をきゅっと引き締めた。僕を受け入れてくれる場所はちゃんとあるじゃないか。じゃないとこんな時間にここに足を運ぼうとはしない。
エレインはきっと救われたかったのだ。自身の境遇を変えてくれるきっかけをどこかで探していたのだ。理想は両親に愛されることだったかもしれない。それが叶わぬことだと分かった時に浮かんだのはカズヤの顔だった。彼ならちゃんと自身を受け入れてくれる。彼の真っ直ぐな言葉や優しい温もりは、エレインの冷たくなった心を溶かすには充分だった。カズヤの傍にいたい。エレインは椅子から降り厨房に向かう。中を覗けばカズヤは料理に夢中にこちらに気づいていないようだ。一歩、一歩足を動かし彼に近づく。声をかければいいのに呼ぶのが怖い。拒絶されたらどうしよう。エレインは恐る恐る近づく。足音に気づいたカズヤがこちらに振り向いた。
「どうした?」
「あの……」
沈黙が走る。言葉が出てこず視線をさまよわせていると彼はコンロの火を消しその場に屈んだ。何をするのか首を傾げていると彼は両腕を広げた。
「ん」
エレインはカズヤに飛びついた。勢いが強すぎたのか、二人はそのまま倒れ込んでしまう。カズヤの頭が床にぶつかり、痛みが走るが今は気にしている場合ではない。
「頑張ったな」
「……うん」
「もう少しでご飯できるから待っててくれ」
「……うん。あのね、お兄さん」
「なんだ?」
エレインは顔を上げカズヤの顔を見る。カズヤの瞳は慈愛に満ちていた。僕の居場所はここにある。エレインがそう確信した瞬間だった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
そう言って笑う彼がとても眩しく見えた。
「今日のご飯はナポリタンです」
「ナポリタン?」
「なんか食べたくなってさ」
「お兄さんの国の料理なの?」
「ああ」
エレインは目の前に置かれたナポリタンを観察する。赤いソースみたいなものが絡んだパスタのようだ。赤いのはトマトだろうか? ミートソースとは違うそれはエレインにとって変わったものに見えた。
「いただきます」
カズヤは食前の挨拶をしフォークを動かす。エレインも彼に倣い同じようにしてパスタを巻き付かせ、口に運ぶ。途端、トマトの風味が一気に口の中に広がる。ピーマンの苦味や玉ねぎの甘さが噛めば噛むほどパスタに馴染んでいく。少し酸味が強いのはトマトがメインだからだろうか。パスタはよく食べるがこれは初めてだ。エレインは一度飲み飲んだあと、今度はソーセージと一緒に食べる。強かったトマトの酸味が脂っこいソーセージと中和し食べやすくなっている。ミートソースとは違う味わいにエレインは感動した。
「美味しい」
「おかわりもあるから好きに食べていいぞ〜」
「いいの?」
「ああ。作りすぎたからな」
エレインは皿に残ったナポリタンを食べ終えるとおかわりをしにいく。カズヤは彼の背中を見送りながらナポリタンを食べる。しばらくしてかなりの量を持ってきたエレインにカズヤは目を開いた。
「多いな!?」
「へへ、僕食べ盛りだから」
「え……本当にその量食べられるの?」
「いつも少ないくらいだよ」
「成長期こわぁ……」
思わず出た言葉にエレインは笑う。そしてそのままナポリタンを食べはじめた。飲み物がないとさすがに厳しいかも、自身の分を食べ終えたカズヤは片付けを兼ねて厨房に引っ込んだ。エレインは黙々とナポリタンを食べている。
「ほい、お水。喉に詰まらせるなよ」
「んん」
エレインは頷くとカズヤからグラスを受け取り水を一気に飲む。口の中がすっきりし、エレインはぷはぁと声を出した。
「ねぇ、お兄さん」
「んー?」
「明日からもここに来ていい?」
カズヤはきょとんとした顔でエレインを見たあと微笑んだ。
「もちろん。……ところで」
カズヤは床に置きっぱなしのトランクケースに目を向ける。
「……ずっと聞きたかったんだけど、それは?」
「これ? 画材」
「結構な量だな」
「どうしても家にいたくないから全部持ってきちゃった」
あ、そうだとエレインは言うとフォークを置く。トランクケースを開け、スケッチブックを取り出すとカズヤに差し出した。
「これは?」
「今まで描いてた絵。スケッチブック埋まったから見せようと思って」
そう言うとエレインはまたナポリタンを食べる。カズヤはスケッチブックを開くと感嘆の声を上げた。そこには今までカズヤが振舞った料理たちが描かれていた。ラフだけ何度か見たことはあったが、ここまで精巧な絵を見るのは初めてだった。中には笑うイリーナや料理をしている自身の姿もある。いつの間に描いたのかと苦笑しながらページを捲れば、最後のページに描かれた絵にカズヤは魅入られる。
それは一言で言うなら抽象画だった。黒だけで描かれたそれは濃淡が曖昧だと言うのに描き手の勢いが伝わってくる。荒々しさと繊細さが入り交じった線の中に佇む黒はそこに存在するだけで見るものの目を惹き付けた。カズヤが黙って見ていることに気づいたエレインはあっと声を上げる。
「それここに来る前に描いたんだ。ちょっと荒くてあまり好きじゃないけど」
「好きじゃない? これが?」
「? うん」
「……俺はこの絵、好きだな」
「え?」
「エレインの勢いっていうのかな? そういうのが伝わるから」
「……ならお兄さんにあげるよ」
「え!? いいの?」
「ナポリタンのお礼ね」
エレインはそう言うと慎重に最後のページを切り取り差し出す。カズヤはそれを受け取りじっと見つめた。絵のことは分からないが、いい絵だと思う。カズヤが絵を見つめていると照れた様子でエレインは言う。
「そんなに見られると恥ずかしいかも」
「あ、ごめん。俺芸術には疎いけど、この絵はすごくいいなって思ったんだよね」
「そっか」
素っ気なく答えるエレインの耳は赤い。カズヤは絵をカウンターに置き、エレインの背中を軽く叩いた。
「うわっ」
「ありがとうな、素敵な絵をくれて」
「こちらこそ、その、いつも僕の話聞いてくれてありがとう」
「どういたしまして」
「ナポリタン、ごちそうさまでした。美味しかった」
「お腹いっぱいになったか?」
「うん」
お皿を片付けようとカズヤは手を伸ばす。その時扉を叩く音がして動きを止めた。二人で顔を見合せていると勢いがどんどん増していく。カズヤはエレインにカウンターの後ろに隠れるように言うと、扉に手をかける。エレインが隠れたのを確認した後、扉を開ける。そこにはエレインに似た雰囲気を持つ一人の男がそこにいた。彼は頭を下げたあと、店内を見渡し言う。
「夜分遅くに申し訳ありません。こちらにエレインは来ておりませんか?」
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