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5-3(距離)

「騒がしいようだな」

 音のない声である。

 その部屋には沢山の家具が揃えてあった。

 先ほどの何もない石部屋と違い、土で固められた壁は優しい白色に塗られていて、中央にもグールの毛皮が敷いてある。ベッドにタンス、クローゼット、鏡。机にソファと本棚まで揃っている。なのに違和感が漂っているのは、そのように人間らしい室内なのに生活臭がまったくないことだった。手入れは完璧だった。埃一つない。だが、まったく使われていない部屋だった。

 使う必要のない者しか、そこにはいなかったから。

 本棚から一冊の本を、手に取る。皮紙の頑丈な表紙を持つ紙の本は、古いものじゃない。草を溶いて作る“紙”はソラムレア国の技術だ。老婆ラハウがあちらにいる時に、手に入れたものである。他にも、すべてを皮紙で作った本や木片に字を彫ったらしきものもあって、本棚は相当不揃いだった。

 丸テーブルに本が投げだされたので、室内の風景が少しだけ人間味を帯びた。

 彼が話しかけた相手は側にいない。この白い部屋を出て廊下を歩いた、部屋3つ離れた石室に相手は座ったままでいる。けれど彼の声は相手に届いており、相手からの“声”も彼には届く。

 ラハウの“声”は思念だ。

「さすがに勘づかないわけがない。あたしが育てた魔法師たちだしね」

「魔法の普及か。その真意まで伝道できたか?」

 皮肉げにオルセイは顔を歪めた。見た目にはオルセイも一人立ちつくしたきり、無言でいるだけである。彼にとっては“念話”ごとき、力を使っているうちに入らない。もう一冊、別の本を手にとって椅子にゆったりと腰かけながら、オルセイはラハウの呼びかけに耳を傾けた。

「蹴散らすか、我らが退くかね?」

 おそらくは面倒を起こしたくない気持ちだろうが、どことなく元身内だから戦いたくないと思っていそうに聞こえた。ので、オルセイは提案してみた。

「退く理由などない。本当に入れるなら、礼を持って迎えてやろう」

 オルセイの言い方に動じることなく、ラハウは肯定の意を送ってきただけだった。

 どのような迎え方をしたものか。オルセイは頭上にある地下入り口に一人だけ、強くイアナ神の力を有している者を感じたので、その者がここへ来ることを想像してくつくつと笑った。どことなく、クリフに似た波動だった。ラハウから、この国の王子だと聞いている。どう扱ってやろうかと思案するのが楽しかった。

 本当に楽しいのは、クリフ本人が来ることだろうが。

 来るだろうか?

 北西の方角でいくつかの魔力が動いたのは、知っている。それが自分を追う者なら、ほどなく、やって来るだろう。その者がクリフの持つイアナの力を欲したなら、クリフも一緒に来るかも知れない。

 クリフがイアナ神の剣を手にした時のことを、知っている者ならば。

 翠の魔道士。

 オルセイは、ダナが降臨してから目覚めた時に出会った魔道士を、忘れていない。暴風の中、翠の髪を乱してオルセイのことを「ダナ」と呼んだ男。そして次に出会った時には、ラウリーと共にダナを浄化しようとした。ダナの意志をラウリーの中に封じ、オルセイを元に戻そうとしたのだ。

 このように大きな力を。

 ラウリーも自分と同じように暴走しかねない。

 ダナを御すことなどできない。

 そうしたら、あの魔道士はラウリーを滅したのだろうか。

 オルセイは戸口にふり返った。立ちあがり、手にしていた本をテーブルに置く。2冊が無造作に重なった。

 開けられている扉に手をかけて、紫髪の娘が立っていた。彼女の後ろには、彼女と同い年ぐらいかと思える娘が侍女の格好をして立っている。その者にオルセイが「下がれ」と言うと、娘は丁寧に礼をして身を退いた。生きた者の目だった。

「どうだった?」

 オルセイがラウリーに訊いた。

 風呂のことだ。

 髪と体を洗ったラウリーは着替えさせられて長衣(ローブ)になっていた。だが白ではない。ほんのり生成り色をしている。下に着ているシャツは茶色だ。

 ラウリーは眉をひそめて、うつむいた。本当なら着ていたかった服を脱がされたのである、不満がないわけがない。クリフに借りた上着は、先ほどの侍女が持っていってしまった。多分、捨てられただろう。

 皮肉なものだ、とラウリーは思う。

 兄のことを思って着ていたローブはクリフに引き裂かれ、クリフのものだった上着は兄に奪われた。

 偶然だろうが、何かを象徴しているような気がしてならない。

 侍女は入浴中のラウリーに、言ったものだった。少しなまっているがロマラール語だった。人種も同じようである。

「いつまでも暗い顔してないで下さい。快適な暮らしをお約束しますから」

 いや、そういう問題じゃないのよ……と言おうと思ったが、止めた。言い争いをしても不毛そうな気がしたからだ。

 娘はちゃんとラハウのこともオルセイの名すら知っていて、オルセイのことを「様」付けで呼んだ。聞きなれた名が別人に感じられて、ぞわりとラウリーの背筋が凍ったものだった。あの2人に疑問はないのかと聞いたら、彼女は笑顔で答えてくれた。

「お2人はより良い世界を模索しておられる、尊い方です。滅ぼそうと思ってらっしゃるんじゃないもの。改革って、多少の犠牲はやむを得ないものでしょう?」

 真顔だった。

 彼女の笑みは生き生きとしていた。

「本当にお綺麗な髪。羨ましいです」

 羨ましがられたのは初めてだ。ラウリーには彼女の金髪の方が、よほど羨ましい。編んだ髪をくるりと巻いて一つにまとめていて可愛らしい。

 ラウリーが名を訊くと、彼女は嬉しそうに答えてくれた。

「ミヌディラ・マイエスです。どうぞ、名の方でお気軽にお呼び下さい。嬉しい、オルセイ様の妹君にお仕えする栄誉だけでなく、名前まで聞いてもらえるなんて」

 ミヌディラは年頃の娘らしく饒舌(じょうぜつ)で、キャラキャラとした口調で話す。

「地下には慣れたんですけど、ここ、年の近い人が少ないんです。私たち侍女が数名で、あとは兵士や下男の男性ばかり。しかも皆、口数が少なくて……ラウリー様、私で良かったらいつでもお相手させて頂きますので、何でもお申し付け下さいね」

 ラウリーが口を挟めないほどの速さでさえずった後、息をついてニッコリと笑ったのだった。話し相手に飢えていたらしい。あなたが私を必要としてるんでしょうに……とラウリーは思ったが、口に出すのは止めた。せっかく好意的にしてくれている、そして、おそらくは何も分かっていない娘をわざわざ敵に回すこともないだろう。

 そう思ってからラウリーは、ふと動きを止める。

 それとも、何も分かっていないのは私の方なんだろうか?

「近づかないで」

 白い部屋の戸口に立ったまま、ラウリーは硬い声でオルセイの足を止めた。

「入れ。当面、お前の部屋になる」

 ラウリーは部屋を見ても驚かなかった。日の差さないこんな場所で豪華な湯浴みができたことで、ここの異常さには慣れた。オルセイとラハウのためだけの閉ざされた空間。従順な者たち。

 オルセイが丸テーブルから一歩退き、中まで入ってくるようにラウリーをうながした。ラウリーは狩人を警戒する野生動物のような目でオルセイを見ながら、少しずつ室内に足を踏みいれた。オルセイが椅子を引いてラウリーに微笑んだが、彼女は側に立ちつくしたまま座らない。

「怖いか?」

 オルセイが問う。

「怖いわ」

 さほど怖れていなさそうな、挑むような目でラウリーは兄を見る。

「私は今の兄さんを信じられない。誰も殺さないでって言ったって……約束、してくれる?」

「無理だな」

 オルセイは苦笑する。

「私のことも殺す? 兄さんに牙をむいたら、どうするの?」

「困った質問だ」

 そう言いながらもオルセイの声音は、ラウリーが自分に刃向かうと思っていなさそうに呑気だった。もしくは、刃向かわれても構わないと思っているのかも知れないが。

「離れて」

 ラウリーは身を縮こまらせた。オルセイは椅子に手をかけたままの位置から一歩も動いていない。なのに近づいてくるような威圧感を感じる。先ほど「怖い」と口に出したのは、本心だ。

「どのくらい?」

 と、オルセイが訊いてきた。

 本当に離れてくれるのだろうか。

 試しにラウリーは言ってみた。

「……1イーク」

 オルセイは穏やかな顔をして、少し大股に一歩、退いた。ラウリーとの間に、その数に相当する距離が生まれた。オルセイがそのままラウリーを見つめているので、再度ラウリーは言った。

「2イーク」

 相当する距離として、2歩、オルセイが退く。ぴたりと足を止めて、ラウリーを見つめる。ラウリーは、離れていくのに近づかれているような錯覚を憶えた。息苦しくて、胸を押さえた。

「3イーク」

 髪から足先にまで、奇妙な震えが走った。

 背筋に力が入る。表情が崩れる。

 息ができない。

「4イーク」

 オルセイの歩調はゆっくりだが、躊躇はない。あくまで穏やかな表情をしている兄の顔が自分を突き刺すようで、痛かった。

 痛い。いや、違う。

“切ない”。

「5イーク……」

 小さな声も聞きいれて、オルセイはなおも下がった。もう部屋の隅だ。

 ラウリーは両手に顔をうずめた。

「なぜ泣く?」

 ラウリーは無言で首を振った。さらにオルセイが尋ねる。

「これだけで良いのか?」

 分からない。分からなくなった。離れる足音が胸をしめつける。だが側に近づくことは、できない。

「どこまで離れても大丈夫なの? 私は、兄さんの側にいなきゃならないんでしょう?」

「『力』の距離は実際の距離じゃない。近くに寄りそっても心が離れていては意味がない」

 ラウリーは目尻をぬぐった。

 魔の力と、心の力。その関係は分からないでもない。体力や知力、精神力などを高めることで魔力も育つのだ。だが逆にラハウのように五感のすべて、力のすべてを失って魔力だけを最高峰まで高める者もいる。それもありだと思える、この矛盾の答えは──魔力が、心によるものだからだ。

「私の心は兄さんの側になんて、」

「ない?」

 ラウリーは詰まった。

 否定できない。

 オルセイは5イークの距離を保ったままラウリーを見つめていたが、やがて戸口に向けて歩きだした。

「夕刻だ。魔法で回復したとはいえ、空腹だろう」

 という言葉を聞いたとたん、ラウリーの胃が自己主張した。

 現実離れした事態を味わっているのに、かといって体まで現実離れしてくれるわけではないらしい。“治癒”をかけられたし風呂でくつろいだが、ラウリーの体には確実に疲労が溜まっていた。

 ラウリーはすとんと椅子に座った。丸テーブルの本が、目に入った。一冊は解読どころか、どこの国の文字かすら分からなかったが、それの上に乗っている本はクラーヴァ語だった。字の形がロマラールと似ているので少しだけ憶えたものだ。

 神話を書いた本のようで、表紙に『創世記』と記されてあった。

 中身はさほど読めなかったが、ラウリーはロマラールにいた頃、この手の本を何冊も読んだものだった。惹かれてページを追っているうちに、静かに扉の閉まる音が聞こえた。オルセイが退室したのだ。ラウリーの肩から力が抜けた。

 改めて本をめくってみる。

 久しぶりの感触だった。

 家を出てからはクラーヴァ城で。それからずっと後になって、ネロウェン国のアナカダから、ロマラール語で書かれた魔法書を受けとったのが最後である。その本は“ピニッツ”の航海中よく読んだが、ヤフリナ国に着いてからはそれどころではなくなった。

 家にいた頃は毎晩のように、何かを読んだものだった。

 魔法の関係だけではない。国の歴史や文化も面白かったし、星のことを書いたものはお気に入りだったので、読み過ぎてすり切れてしまったものだった。

 本を読んでいる時が一番好きな時間だったかも知れない。狩りの緊迫した時間、疲れて眠る一瞬の闇、自分を生かす儀式にも思える食事の時間。本から広がる世界は、そうしたしがらみを忘れさせてくれた。

 むろん逆に、しがらみを認識させてくれる本もあった。血塗られた戦いの物語や医学の本にも、目を通したことがある。お金をためて王都の図書館で本を閲覧するのは、贅沢な楽しみだった。入館料と一冊の閲覧費は庶民にとって高額だった。

 という、こうしたことを踏まえて兄がわざわざ用意してくれた部屋だ……とまでは、思わない。

 だが部屋の一角に座する本棚が魅力的に見えたことは確かだった。近づいてよくよく眺めるとクラーヴァ語の本が多い。

 クラーヴァ国にも紙の技術が届いている。木版で刷られたらしい文字を汚さないように、ラウリーは丁寧にページをめくった。ところどころページが折ってあったり、文章に棒線が引っぱってある。熱心な勉強家が持ち主のようだ。

 ロマラール語の本を見つけると、彼女は立ったまま読み始めてしまった。数や図式が多く書いてあって、ちんぷんかんぷんだったが、読んでいるうちに法則が分かってきた。図式を数で表記しようとしている本らしい、というていどだったが。

 すぐ側にあるベッドに、腰をおろす。

 そのうち寝転がって、うつ伏せになって読んだ。紙とペンが欲しかったが、書き写しても理解できなさそうなほど難解である。顔をしかめながら、このようなことを考えた人物がいることに驚愕し、尊敬した。

 人って凄い、と思う。

 凄いよ?

 兄さん。

 心中で呟きながら、ラウリーは半ば意地になって本を読んだ。

 体勢を変え、寝返りをうち……ラウリーは眠りこけた。

 食事のトレイを持って入ったミヌディラは呆れ顔で、トレイをテーブルに置いた。毛布をラウリーにそっとかぶせる。彼女はほんの少しラウリーを睨んだが、ラウリーが寝返りを打ったので、慌てて身を退いた。覗きこむ。目は覚ましていない。

 ミヌディラは複雑な表情を浮かべながら、小さなローソク一本だけをテーブルに残してランプを消し、静かに退室した。

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