4-8(観念)
ソラムレア国反乱軍の船に乗るのは、これが2度目である。
トゥエインに率いられて乗りこんだ時に会見をした船と、今回も同じだった。違うのは戦いの爪痕が船のあちこちに残っていることだろうか。正規軍の船が強行突破で突っこんできたのを、回避しきれなかったのである。
最初の会見でも会った反乱軍のリーダー、シーガ・ギンフミエは船をしげしげと眺めるクリフを甲板から見おろし、
「早く来い」
と気さくに声をかけた。
がっしりした顔の中で目が優しげに微笑んでいる男が、立っていた。
「さっさと話を終わらせて、一緒にメシを食おう。姫君もお待ちかねなんでな、ご立腹なさる前に引きあわせたい」
いやぁ、あの王女なら少しも我慢できないで、今すでに腹を直立させて激怒してそうだが……と、周りにいた者たちが同時に思ったかどうかは置いておいて。
シーガのロマラール語はたどたどしく分かりにくいものだったが、嫌味のない、爽やかなものだった。
人の上に立てる男だ。この者にならついて行きたいと皆に思わせる男だった。だが、その場に100人いたとして、100人全員がついて行くかどうかは疑問である。疑問が浮かんでしまうにとどまるカリスマ性は、かえって哀れを誘う。
シーガはそんなことに気付かないフリをして、明るく振る舞う。
港にも桟橋にも、まだソラムレア兵は沢山残っていて、それぞれ休憩していたり町に出る準備をしていたりとくつろいでいた。
だがクリフが甲板にのぼりかけた時、
「出てけ!」
シーガやクリフ、カーティンらに向けて突然、石が投げつけられた。他にも色々飛んできた。船の破片や生ゴミなども混じっていた。クリフたちをゴミ扱いしたいのだろう。
投げているのは、10代半ばとおぼしき少年たち数人だった。港に積まれた荷物に隠れるようにして、隙をうかがいながら攻撃してくる。皆、マシャのようにキラキラした目を持っていた。その目は強い怒りを宿している。
「俺たちの町を荒らしやがって!」
「どっか、よそでやれよ手前ぇらっ」
「港を使ってんじゃねぇよ!」
口々に罵倒を飛ばしてくる。クリフは言葉が分からないのもあって面食らったが、シーガやカーティン、他の皆は彼らに言い訳することなく、投げられた泥を拭いもせずに黙々と船に乗りこんでいる。クリフが足をかけた船にも、ソラムレア兵が近づいてきた。彼は、髪に腐った卵の殻をつけたまま微笑んだ。
「乗れよ」
「あの子たちは……」
「良いんだ」
言いよどんだクリフに、カーティンが言った。カーティンが少年らにふり向くと、さすがに彼らも若干、動きを止めた。片腕の男は目立つ。だが、
「そんな目で俺たちを睨んだって、怖くないぞ!」
首謀者らしき少年がムキになって叫んだ。
「怖くないぞってさ」
ヤフリナ語を理解する別の兵士がカーティンに訳して聞かせ、苦笑した。カーティンも苦笑したが、彼は「それは良いな」と言った。
「恐れず立ちむかって強くなって、平和な町になれば良い」
クリフにはカーティンたちの会話が半分ぐらいしか分からなかったが、それでも“平和”という一言が理解できて、痛々しく感じた。港を荒らした自分たちが上げる言葉など一カケラもない、と皆が思っているのだ。
やがて大人たちが来て、クリフらにペコペコ謝りながら、少年たちを連れていった。避難テントから来た子たちなのかどうかは分からなかったが、何も言わずに耐えている大人たちの代わりに俺たちが抗議してやるという気持ちだったのかも知れない。クリフはそう推測した。自分にもそんな年があった。
少年らを抑えにきた大人の何人かが、反乱軍のヤフリナ語が分かる男と話を始めている。クリフは少しだけそちらに耳を傾けたが、しょせん何を言っているのか分からない。甲板を見てシーガに苦笑してから、その側に近づいたのだった。
「歓迎されたいなんてのは甘えだからな」
と、談話のために入った船室で、シーガは切りだした。
「誰も巻きこまずに済む戦争にできなかった責ぐらいは負わにゃあ」
自嘲気味なシーガの言葉を、カーティンがクリフに伝えた。本当はもっと言葉を持っていそうな、けれど、それを言ってしまってはただの泣き言になるから黙っている──そんな風に見えるシーガを見ながらクリフは何となく、このリーダーだから、こういう団体になったんだろうなと納得した。
慣れないロマラール語と、もっと慣れないソラムレア語をやり取りするのでは余計に会話がとどこおるので、シーガとクリフの間にはカーティンが座っている。その奥に、ユノライニ王女も並んで座していた。暖められているらしい何かを飲んでいる。落ちついた顔だ。
4人だけ?
不可思議に思うクリフに、カーティンがシーガから発せられた意見を要約して伝えた。
「まずはお前の意志を聞いてからだから、個人的に話がしたかったんだってさ、リーダーが」
少しはロマラール語の分かるシーガは、カーティンの説明が終わると同時にニッと笑った。それを見たユノライニが、側で何かぶつぶつと言った。
「何だ?」
クリフの問いに、カーティンは肩を竦めた。
「知りたいか?」
逆に聞きかえされると、聞かない方が良いらしいと想像がつく。
「いや、良い」
「何が良いのよ」
急にユノライニがロマラール国の言葉で言った。姫君の格好にはほど遠い服装になったが、中身はあいかわらずだ。ユノライニは庶民が着るワンピースに身を包んでいた。庶民と言っても、かなり良い服である。体も髪も洗ったらしく、綺麗な肌をしている。すべてユノライニ奪還のために用意されたものだ。
反乱軍のこの状況下でそれだけのものが自分のために揃えられたというのが、どんなに苦労のあることなのか、この少女は分かっているのだろうか……とクリフは他人事ながら思った。けれど他人事だから、自分がどうこう言うことはない。シーガたちが望んで揃えたのだろうから。
そんなクリフの気も知らず、王女様は言いきった。
「お前、私と一緒に来なさい。話しあいに行きます」
「はあ?」
クリフは素っ頓狂な声を上げて、シーガとカーティンに睨まれた。
ソラムレア国の民にとっては最後の王族ユノライニは大事なお姫様かも知れないが、その恩恵を知らないクリフにとっては、ただの小娘でしかない。しかも生意気度がマシャより上と来たものだ。
時々はっとするほど大人びた顔つきをしたり、毅然とした態度を見せたりするので、その都度に少し見なおしたりもするのだが。
「話しあいってのは『一緒に来い』ってことか。して、そのわけは?」
クリフは王女を指さしながら、シーガを見て言った。王女に口を挟まれかけたが、
「わけなんて、」
「要るよ」
少し凄んで黙らせた。元々沸点が低いと自覚している自分なので気を付けているつもりなのだが、どうもユノライニに対しては口調が荒くなるようだ。クリフは、相手はお姫様だ、まだ13歳だと呪文のように心中でくり返し、用意された果実水に口を浸けて、気を落ちつけた。
「要るんです。何も知らないままついて行っても、役に立たないどころか足を引っぱる」
「ああ、それは分かるわ」
会って間もない少女にまで分かると言われてクリフはムッとしたが、彼女が理解したのは別の事柄を例に考えたからのようだ。彼女は若干、目を伏せた。
「アムナは自分のやっていたことを、私に報告しなかったものね。情報が偏っていたわ」
それはソラムレア語で呟かれた。カーティンが躊躇しながらもクリフに聞かせた。
自分が無知だったこと、それによって足を引っぱったことをユノライニなりに悔いているのだ。少女が伏せたまぶたの裏には、亡くなっていった者たちの姿があるのだろうか。クリフの脳裏にも、シュンギたち仲間の姿が浮かんだ。
「でも、お前たちが全面的に正しいなんて、私は思わないわよ。だから話しあいに行くのです」
「信じて頂くためにも、話しあいに賛成します」
シーガがユノライニに向けて敬礼した。クリフには“話しあい”という言葉だけが、かろうじて分かっただけだった。が、要点は掴めた。
つまりテネッサ・ホフムかアムナ・ハーツとでも接触を試みて、和解の会談をしようってことか?
クリフなりの結論にたどり着いたが、それで当たりだったらしい。そこにカーティンがつけ加えた。
「皇帝を討った、イアナの英雄。第三者として会談を見守ってくれという意味もあるそうだ。実際に“皇帝を殺した男”を目の当たりにしていれば、アムナ・ハーツだって下手なことはできないだろうって寸法さ」
「ぞっとしないあだ名だな、それは」
クリフは心底、苦笑した。事実なので否定はできないが。
「俺なんかが一緒にいたって、大した力にならんと思うが」
「抑制力を馬鹿にしちゃいけない。そこに誰が立っているかだけで、人は言葉を選ぶんだ」
分からないでもない。コマーラ家の両親と話す時とラウリーに話す時では同じことを言うのにも、言葉遣いを変える。ただ自分にそれほどの抑制力とやらが備わっているとは思えなかったが。
それに自分は今、カーティンたちに協力できる事態じゃなくなっている。以前ならラウリーだけ“ピニッツ”に連れかえってもらって、俺はソラムレア反乱軍と一緒に……などと即決したかも知れない。
ラウリー救出と、ソラムレアの平定。
どちらも「クリフでなければ」と言ってくれる。しかもラウリーに関しては救出できるのか、今まだ無事なのかすら分からない状態だ。
「それにクリフに頼みたいのは、それだけじゃないんだ。ユノライニ王女の望みがあってな」
「望み?」
「私の従者を命じます」
“ユノライニ”と“望み”の言葉を耳にして、少女が進みでた。中途半端な理解力も厄介だ。いきなり従者と言われて、クリフは先ほど以上に驚いた。
「はあ?!」
「こらこら」
足を踏みだしそうなクリフを、カーティンが抑えた。こういう会話の時には誰かがクリフの抑え役になるものらしい。肩を掴まれて、クリフは咳払いした。
「俺はソラムレアの民じゃないし、ソラムレアに住む気もない。そもそも俺はよく知らないが、王族に仕えるってのは、そんな簡単で良いのか?」
クリフのセリフをより良く変えて、カーティンが王女に言った。
「ソラムレアの民じゃない自分が王女様にお仕えするなど恐れ多く、もってのほかだと申しております」
「……カーティン、今ずいぶん訳が違った気がするが」
「気のせいだ」
「もちろん全面的に身の回りを世話しろというわけじゃない」
と、シーガがソラムレア語で間に入ったので、カーティンはすかさず耳をそばだてた。
「だが俺たちの間でも、王女の護衛に適任だともっぱらの評判なんだ。王女としてはお前に怒鳴りつけられたのがお気に召したらしい」
クリフは理由を聞いてげっそりとなった。当然、好かれようと思って怒鳴ったわけじゃない。
「どうして、そんなのが気に入られるんだ……王族は不明だ」
「今のは訳さないよ」
カーティンが同情するように苦笑した。だがカーティンはユノライニの気持ちも分かるよなと思いつつ、それはクリフに言わなかった。クリフに父王の面影を重ねたのだろうと言われても、彼は戸惑うだけだろうから。
「頼む」
シーガがロマラール語で、クリフに頭を下げた。
「今は王女の心一つで国が動く状態だ。従者になるならんはクリフの都合があるだろう。その答は後回しで良い。テネッサ側と交渉するために、今は頷いておいてくれないか」
クリフはうろたえた。
シーガの言葉を、カーティンは正確に訳した。その熱意をも正確に伝わってきた、と思えた。2人ともが同じ、真剣な目でクリフに助けを求めていた。ユノライニすらも。彼女は反乱軍より先に、クリフを信じたのだ。
「シーガは私を象徴だと言った。……カーティン、訳して」
ユノライニはカーティンに微笑んだ。寂しげな目をした王女が、本当にまだ13歳の少女なのだと思いだす顔だった。クリフもユノライニから目をそらせなくなった。ユノライニは王女の顔で、クリフを見つめかえした。
「けれど先の戦いで私は思った。この反乱軍が政治に介入して人を動かして行きたいなら、象徴となるのは私よりお前だ、イアナの英雄。民衆の守護神だ。その上に私が立てば、力で切りひらく時代を終えた新しい国として、元の平和を取りもどせるだろう……と、王女はおっしゃる。クリフォード。どうだ?」
カーティンが最後に言った「どうだ?」は、いっそ従者になれと言いたいものなのだろう。ユノライニの言葉を伝えるのも嫌ではないらしい空気を感じる。『ソラムレア国のために』と反乱軍の者たちが皆、思っているような気がする。ひいては、自分たちのために、だろう。
言うべきかどうか迷ったが、断る以上は理由を聞かれるだろうから、言わないわけに行かない。
クリフはラウリーの名前を出した。
「連れがさらわれたんだ。助けに行かなきゃならない」
「それは」
絶句したのはカーティンだった。紫髪の娘が消えた経緯は、マシャから聞いている。どこへ連れ去られたのかも分からない女性を追って立つのでは、会談の件は後回しになるだろう。
「こちらの会談が終わってから探しに行くのでは遅いか? 早急に手はずを整えるが……」
冷静に考えれば無茶な妥協案だったが、カーティンは真面目だった。だが承諾はできない。明朝よりも早く会談を開くことは不可能だ。
それをクリフが言う前に、シーガが硬い顔で呟いた。
「クリフ。今うんと言わなければ、このまま拘束もできるんだぞ」
カーティンも固まった。が、通訳の仕事はこなした。それを聞いたクリフは苦笑した。彼らが実行すると思えなかった。
「本気だ。彼女のことは心配だろうが、我々の未来がかかっている。そうですかとは退けないんだ」
気持ちは分かる。ここまで来て、クリフたった一人のために会談が失敗に終わるような顛末にはしたくないだろう。
加えてユノライニが、カーティンらが発言を控えていた言葉を吐いて、強制の後押しをした。ユノライニも国のために必死なのである。その言葉がどれほど相手に打撃を与えるかを想像できないほどに。
「生きてるの?」
クリフはユノライニを凝視した。
「どこに行ったかも分からない者を探して、見つかったと思ったら死んでいましたなんてことになるでしょうよ。お前も殺されるわ、あの男の魔力はもの凄く大きかった。怖かったわ。自分が助かっただけマシと思って、彼女のことは諦めるべきよ。勝ち目はないわ」
声が震えていたが、ユノライニはひるまずに言ってのけた。クリフはカーティンの通訳を待ったが、カーティンは、王女のセリフを言えなかった。
「何て?」
クリフが即す。ユノライニが“死”という言葉を使ったのは分かったので、彼女の発言が「ラウリーは死んでいるだろう」とか「行けば死ぬだろう」という風なものだったのではと推察できる。クリフの憶測を裏付けるように、カーティンが一言だけ呟いた。
「勝ち目はない、と」
「そうだなぁ」
推察が当たり、ラウリーの死を肯定されて、自分でもそう思っていたクリフは返って落ちついた。「やっぱり口に出すもんじゃないな、そういう言葉は」と一人ごちる。
「?」
「カーティン。ユノライニ王女様に『俺はやっぱり行けません』って言ってくれないか。人を冒涜する発言も好かんが、最初から勝負を投げてる辺りも気に入らん」
「おい」
クリフは席を立った。
「捕らえてくれても構わない。シーガたちにも言い分があるしな。ただ、あいつは俺がどこにいても連れに来そうな気がするから、拘束しても無駄かも知れんが」
意味を量りかねた3人は3様に立ちあがったが、誰もクリフを押さえつけたりはしなかった。そのような強要をしても上手くことが運ばないことを、皆、知っているのだ。
「大丈夫だよ、このお姫様なら国も安泰だろ。きっと上手く行く」
自分は手伝えないという、きっぱりとした意思表示だった。背中を向けたクリフに、ユノライニは傷ついた目をした。
「あの人が好きなのね」
クリフは転びそうになり、扉にかけていた手に体重をかけて堪えた。まさかユノライニに言われるとは思わなかった。物事を理解してない子供のセリフだ。
あの男が実はダナ神で、世界を滅ぼそうとしていて、そんな彼の思惑を止めるためにも、ラウリーを取り戻さなければならないのだと言っても、信じてもらえないに違いない。
確かにソラムレア国の行く末も大事だし、ヤフリナ国だって、ここが踏んばりどころだろう。ソラムレア軍を国から追いだしてテネッサ・ホフムを糾弾し平民の地位を上げなければ、明日のメシだって食えない。けれど、それもこれも『世界』があるからできることだ。この世そのものがなくなってしまったら、すべてが無に帰す……。
……などと考えた挙げ句にクリフは、言い訳の矛盾に気づいて可笑しくなってしまった。
オルセイに相対しても逃げるつもりだったじゃないか、俺は。
「惚れた女、か」
カーティンまでが呟いたので、クリフはふり返って苦笑した。3人をまっすぐ見渡す。
「ああ。惚れた女だ」
「そりゃ止められないな」
シーガが口の端で笑った。