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4-7(爪痕)

 太陽が上がったばかりだと思えた一日は、あっという間に終わった。

 港は荒廃していた。目に余るものが多々転がり、明るい日の下に惨憺(さんたん)たる光景をくり広げている。もう暖かい。放置しておけば血が臭い、肉が腐る。二度と使えない港になってしまう。

 いや今ですら使えないかも知れないが。

 戦いを知らなかった船は岬の灯台から入港禁止の報を受けて、憤慨したり慌てたりと忙しい。出航予定もままならないし、何より町民の避難生活も解除できない。一晩で荒れた日常は、そう簡単には戻らない。

 ソラムレア反乱軍と“キエーラ・カネン”の皆が最初におこなったのは、水葬だった。

 ヤフリナ国の者なら味方も敵にも墓がある。敵だからといって簡単に処分はしない。“キエーラ・カネン”の有志が作ったテント村に死体と負傷者は収容された。有志らの遺体だけ、そこからトゥエインの教会に移動となる。

 だがソラムレア国民の遺体は、そうは行かない。ヤフリナに埋葬できないし、連れて帰ることもできない。船に乗せられた同国人の遺体は沖へ運ばれ、髪や服などのわずかな遺品を残して海に沈んでいった。

 港の片付けもある。血を洗い流してガレキを撤去し、港に息を吹き込める。

 俺たちは侵略者じゃない。

 そんな思いがあるから、無償で動ける。

 クリフも一緒になって、血の染みついた石畳をモップで磨いた。水面に浮かぶガレキの掃除もある。油はほぼ燃えつきたようだが、燃えかすなどが汚らしく海にへばりついている。復興作業は一朝一石では終わらない。

 クリフがこうした作業に参加したのは初めてではない。ソラムレア王都で起きた内乱の時も手伝った。あの時と違って、今回は早く回復したので早々から参加している。それに、あの時よりも親身な気持ちで接している自分がいる。

 関わった時間の量だけ、心を砕いた数の分だけ、悲しみも深くなる。気にかかる。忘れられない。

 ラウリー。

 起きあがったクリフに、突如現れた黒い魔法使いは言ったものだった。

「オルセイを追う。ダナを封じねばならない」

 そう話す、黒マントに身を包んだ男の名を、クリフは知っていた。思い出させられたのだ。クリフの記憶は男と話している間に、メキメキと頭蓋骨を押しつぶされるような鈍痛をともなって、よみがえった。

 エノア。ラウリーを利用してダナを滅しようとした、翠の魔道士だ。

 思い出したら、怒りもよみがえってきた。

 この男はクリフに、ラウリーの役割を一つも話さなかったのだ。ラウリーは一人で、オルセイを救う代わりに自分が死ぬかも知れない恐怖と戦っていたのだ。

 海戦の後クリフは“ピニッツ”に戻り、療養を取った。船室には自力で戻ったものの、とっくに体力の限界は超えていたのだ。気力だけで──何としても勝たなければならなかった気合いだけで動いていた。

 眠ったのは半日ほどだったようで、開けた窓から見える太陽は天高かった。半日も寝てしまったのかと思う反面、半日で起きることができたのかとも思った。ベッドの側で椅子に腰かけている黒い男を見て、ぼんやりと、この男が魔力で俺を回復させたらしいと悟った。悟ったら、余計に怒りが湧いてきた。

 ベッドから起きあがったクリフは頭をぶつけないように身を低くして、するりと立ちあがり、エノアの胸ぐらを掴んだ。

「またラウリーを利用するのかよ」

 2人を見る者は船室に誰もいない。皆、事後処理に奔走していたし、エノアが魔法でそう施したからだ。

 皆の記憶に自分を残すことなく去るつもりなのである。

「利用ではない。ラウリーは自分の役割を分かっていた」

 エノアはそう言いながらクリフの手を払い、よいしょと2段ベッドの上段に登りだした。ベッドに座った魔道士を見あげると、フードの中にある翠の瞳がもろにクリフを見すえていた。

「だからラウリーもお前にそのことを言わなかったんじゃないか?」

 珍しく、ため息が混じったような口調だった。いや段々と珍しくなくなってきている。エノアはクリフを相手にすると、若干だが態度が変わる。

 そんなことに気付くはずもなく、単純男がエノアの不遜な言い草に噛みついた。

「言えなかったの間違いだろうが。それしか方法がないなんて言われたら、今から私は死にますなんて宣言できるかよ」

「ならばラウリーを止めてオルセイを滅すか?」

 意地の悪い質問だ。本当に二者択一しかないというのだろうか。クリフは唇を噛んでエノアを睨みあげた。

 するとクリフの沈黙に含まれた気持ちを察したのだろうエノアが、

「時間さえあれば……」

 と呟いた。

「え?」

「いや」

「何だよっ」

 クリフはベッドの枠に貼りついた。エノアが一瞬だけフードの下で顔をしかめたが、クリフには見えなかった。

「別の方法が……誰も死なずに済むなら、そうしろ魔道士」

「途方もない時間だ。すぐに見つかれば良いが、でなければ半年か一年か。10年探そうと駄目かも知れない、そんな長い間ダナ神に居座られたら世界が滅びる」

「世界が」

 呟いてからクリフは、スケールの大きさが想像できずに呆けてしまった。呆けながら徐々に、オルセイが人々を蹂躙し滅ぼして行く図を思い浮かべてみた。ダナ神の力でもって群衆を操って、世界を殺していくオルセイ。

 実際に彼は、そのような姿をした。赤いマントを着けて人々を操り、ネロウェン軍に向かってきた。

 だが今朝のオルセイを当てはめようとしても“世界”というのが大きすぎて、ピンと来ない。

「滅ぼしたいんだろうか」

「それがダナの欲望だ」

「俺はオルセイと話がしたい」

 真っすぐ見すえて、クリフは言い切った。

「今のあいつからはラウリーを連れ戻したいが、かと言って殺したくない。あいつはオルセイだったんだ、前とは違った。話したいんだ」

 クリフの真剣な言葉を聞きながら、エノアは何かを言いかけて息をもらしたが、結局、口をつぐんだ。エノアはごろりと横になると腕を枕にして、フードを深くかぶってしまった。

「何だよ急に。追うんじゃないのかよ」

「今は無理だ。夜が更けてから術を整え、明日、飛ぶ」

 要するに魔力切れらしい。夜までの睡眠で力が戻るのだろうか? 以前の時は、回復だけで数日を要した。

 憮然としながらも心配に思うクリフに、エノアが上段から手を伸ばし、剣を差し出した。

「お前が持っていろ」

 柄尻に赤い石がはめこまれている剣。クリフはそれを握っただけで、全身に力がみなぎるような気がした。心身共に疲れきっていたはずなのに、もう一戦できそうなほど気持ちが高揚してくる。

 無性に、オルセイに。

 ダナに会いたくなる。

「教えてくれよ」

 クリフは剣を腰に下げながら、影になって奥が見えないエノアのフードを睨んだ。

「俺は10年かけても、死なない方法を探したい。確かじゃない“滅びる”なんて言葉に踊らされるのは、まっぴらだ。オルセイを説得して、その“何か”を探す。でなきゃ俺はお前に協力しない」

「お前が動かずともラウリーは同じことをするだろう」

「気絶させて連れ帰る」

「乱暴だな」

 マントの影で、エノアが苦笑したように聞こえた。エノアは上体を少し浮かせて肘を突き、クリフを眺めた。わずかに見えるエノアの顎が、抜けるように白かった。力尽きようとしている。だが、まだ退くつもりはない。

 エノアは上段から「その剣」とクリフの腰を指さした。

「神の石は人間が作った造形物にはめこまれている。クーナ神は鏡、ニユはランプだ。他は知らないが」

「マラナはブローチだった。多分」

「あったのか」

「オルセイが持っていったよ」

 エノアはさして驚かず、そうかと呟いたようだった。

「だが、ダナには媒体がない。石のみが世を浮遊しており、ゆえに人の欲がダナを引きよせて争いの元になる。死の神たるダナの媒体は人間そのものだ」

「オルセイが媒体に?」

 クリフは収めた剣に手をかけた。柄尻で輝く赤い石。確かに言われてみればオルセイは、はっきりとダナ神になっていたにもかかわらず、どこにも紫の石を持っていなかったし、それらしき物もなかった。額輪(サークレット)もつけていなかった。あれが媒体だったわけではなかったのだ。

「ダナを内に秘めても生きていられる、力に負けぬ者が媒体たり得る。ラウリーには、なり得る可能性がある。が……」

「ふざけるなよ、そんなの頷けるか」

「……とお前が言う以上、他の術を模索せねばなるまい」

 クリフは沸騰寸前なので余裕がなく気付いていなかったが、エノアの口調はどこか軽かった。

「神話において、ダナとイアナは親友だった。表裏一体の関係だ。今のお前たちによく似ている。お前たちと神が惹きあったのも、何かの巡り合わせかも知れない」

「迷惑だ」

 エノアは無視して続けた。

「7神が創世された頃には、ダナにも媒体があったらしい。それがすぐに壊れて消滅したのは、ダナとイアナの関係を現していると言える。媒体は盾。当時のイアナ神剣も、盾を持てるよう片腕の剣だった」

 今は両手持ちだ。

 強い魔力を秘めた石は壊れることがないが、その石をはめこむ媒体は人の手が作りだしたものであり、時代と共に壊れ、また作り出されていく。石は時代に沿って作り替えられ、保管されたり、うち捨てられたりなどしながら、今の世に流れてきたのだ。

 ダナの石に媒体がないのは、ダナの意志が媒体を欲しなかったから。安定することを望まなかったから。

 両の手を剣から放さずに血を流し続ける、戦い続けるイアナ。

 寄り添うことのない2人、か。とクリフは思いあたった。ダナと戦っていた時に自分に流れこんできたイアナの意志が、脳裏によみがえる。戦うことしか、怒りしかなかった。

「イアナ神剣と対になれる盾を見つけることができるかどうかってことか」

「剣も、盾と対にならなければならない」

「……できるのか?」

 クリフは新しい媒体なるものを手に入れるのに、どれほどの苦労を要するのか分からない。だが剣を手にして体にみなぎった力や、ダナたるオルセイに感じた恐怖の大きさは生半可じゃなかった。これだけの、あの『力』を安定させて封じる媒体がそこらの武器屋で手に入る道具で良いわけがないというのは、いくらクリフでも想像ができる。

 10年、という数字に重みが増した。

「それこそ神罰が下ろうな。だが、」

「?」

 エノアは腕枕をし直して、足を組んだ。

「あやつの降臨がすでに神罰とも言える」

 ダナとて神だ。それにたてついているのだから、今さら恐れることはない。初めてエノアと通じあった気がして、クリフの口元に笑みが洩れた。だが笑みは、すぐへの字に変わった。

「だからこそ、できることはしなければならない」

 ラウリーにダナを“移動”させることは譲らない、と言いたいらしい。

 切迫した気持ちは分かるが、かと言って賛同はできない。クリフは剣の柄を握る左手に、ぐっと力を入れた。

「ラウリーは連れ帰る」

「ダナから逃れられるならな」

 そんなエノアの呟きが終わるか終わらないかのうちに、黒いフードから小さく、規則正しい息の音が漏れはじめた。クリフは最後の言葉を心中で反芻させながら船室を後にして、カーティンたちの仕事に参加したのだった。

 汗と海水と血を石畳の上で混ぜながら、クリフは懸命に考えた。

 逃げきれたら、当面ラウリーは死ななくて済む。いや上手く行けばダナをラウリーの中に封じて死なずにいられるかも知れないとも、あいつは言う。けれど保証はない。

 かと言って逃げても、すぐに追われるか、こちらから出向くか──いずれにせよ必ず立ちむかわなければならない。

 それより何より、今まだラウリーが無事なのかどうかも気にかかる。兄妹なのだ。無事だと信じているが……。

「上の空だな」

 声をかけられ、クリフははっとした。

「すまん、そんなつもりじゃ、」

「構わないさ。今朝の今で、そんなに回復している方がおかしい」

 クリフは、自分こそ倒れそうな顔をして笑っているカーティンに苦笑した。あれだけの戦いをくり広げた直後に動いている自分も自分だが、皆も皆だ。

 働いていなければやりきれない、働かなければならない気持ちが体を突き動かすのだろう。

 だがテネッサ・ホフム率いる正規軍がまた攻めてこないとも限らないし、こちらの出航準備がある。夕方、日が落ちる前には早々に作業が切りあげられた。カーティンはそのためにクリフに声をかけたのだった。

「終わるぞ、クリフ」

 だがクリフはまだ、取り憑かれたように一枚の石をガシガシと磨いた。

「ああ。あと、こいつだけ」

 それこそモップの柄が折れそうな強い力を、石畳にぶつけている。心配したカーティンは、クリフの肩を叩いた。

「根を詰めるな。クリフォードは何も背負わなくて良いんだ」

 言われた言葉の不思議さに、クリフは手を止めてカーティンを見あげた。体を起こし、モップの柄に腕を絡ませてカーティンを見つめる。折しも“背負う”という言葉は、かつてマシャがクリフに言ったものだった。

「お前たちの戦争だ、俺は何も背負ってないよ。染みが落ちなくて苛立っただけさ」

 クリフは苦笑して、モップに目を落とした。血の色は薄くなったものの、まだ痕跡が分かる。鉄の臭いもする。向こう3年は落ちなさそうな、戦いの跡。

 あの丘にも残っているだろう。

 伏し目がちになったクリフの肩を、カーティンがもう一度しっかりと掴んだ。

「背負ってるよ、お前は充分。俺には、そう見える」

 嬉しい反面、戸惑った。自覚してない自分の気持ちを代弁されても「そうだ」とは思えなかったからだ。むしろマシャに言われたことが心に残っていたので、無理にでも背負いたかった……という方が近いのではという気がする。

 同じ気分を少しでも味わえないかと思っただけだ。

 クリフがそう言ってカーティンの言葉を否定すると、カーティンはなぜか泣きそうな顔をして肩を持つ手に力を込めた。

「ごめん俺、悪いこと言ったか? ど、どうしたんだよ」

 クリフがおろおろすると、彼は顔を見られないようにか、クリフにしがみついた。片腕だけのカーティンの抱擁は逃げようと思えば逃げられるものだったが、だからこそクリフは逃げられなかった。

「お前、良いやつだな」

 作業を終えた他の者が茶化してくる。照れたクリフは「放せよー」と情けない声を出した。

「お楽しみのところ悪いんだけど」

 背後からの声にクリフがぎょっとして、カーティンも顔を上げた。可愛らしい、少女の声。ロマラールの言葉だ。

 マシャだった。

「あんたたち2人、反乱軍のリーダーからお呼びがかかってるよ。うちの頭はかかわらないけど、クリフにお願いがあるみたい」

「俺に?」

 クリフは誰が見てもそれと分かるほど、露骨に嫌な顔をした。頼まれごとを(いと)うタイプではなかったのだが、この旅に出てからというもの、誰かに何かを頼まれるたびに最悪の“最”を更新していると言っても過言ではないのだ、身構えるのも無理はない。

 だが、カーティンがいる前でそんなことは言えない。

 クリフは磨ききれなかった残念と行きたくない気持ちがあいまって、一度だけ、石畳をきゅっと磨いた。

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