4-2(混乱)
ナザリが用意した黒い油は、ラウリーに持たせた一壺だけではなかった。
彼は戦いを指揮しながら、船艦に油壺を投げこんでいった。ソラムレア反乱軍の船からも、投石機で打ちこませた。
反乱軍には悪魔の弾と言える切り札が、数個ある。着弾すると爆発するもので、初の披露は首都で反乱を起こした時だった。あれを船に積んでは来ていたものの、前回の時は乗りこまれて接近戦になり、投石機を封じられたのだ。
今回は距離をたもって、慎重に近づいた。油を撒かれた船に爆弾が投げこまれれば、結果は目に見えている。
平和に見えていた港は、一夜にして地獄と化した。
微塵に吹き飛ぶ者や、炎に巻かれて黒炭になる者もいた。互いの残った船が入り江で押し問答をしているので、船に乗れないソラムレア兵たちは、地上戦を余儀なくされた。
数と統率能力は、正規軍が勝っている。奇襲の報を受けたテネッサからの援軍も届いたため、“ピニッツ”と反乱軍、“キエーラ・カネン”の有志は徐々に押されていた。
悪魔の弾もすべて使い切ったが、なのに正規軍の船全部は沈まなかった。逃れた船が3隻、港の入り口を守って、反乱軍の船4隻を沖に踏み止めてしまった。港に援軍が届かない。ナザリたちの不利が大きくなってくる。
「女たちは?」
「駄目です、見当たりませんっ」
ナザリの呼びかけに、ソラムレア反乱軍の者が答えた。
港にはあちこちに死体やガレキが転がり、敵味方も生死も区別できない。煌々と燃える船が良い明かりになっていた。正規軍の連中には、さぞ不愉快な光だろう。
その光の中に、海から這いでてきた者たちが次々に現れる。撃沈した船から逃れて、海に飛びこんだ者たちだ。攻め入った反乱軍の者も海に投げだされているので、ここでも敵味方が入り乱れている。泳いでいる間も弓矢で狙われるが、港の桟橋や階段をよじ登って港に這い上がると、もっと狙われる。そんな者たちをかばっての攻防も激しいので、どちらの陣営にとっても、心臓に悪い戦だ。
港はいつしか2分されていた。最初に作ったバリケードに荷物やガレキを積みあげて、ナザリらは大きな砦をこしらえた。それを盾にして潜み、戦闘を続けている。
ナザリたちの砦が海に近く、正規軍側は港の端で倉庫と民家を盾にしている。今はまだ港が燃え上がっていて双方の船が戻れないでいるが、火事が退いてさらに不利なのは反乱軍だろう。正規軍の一隻が入り江をくい止めている間に陸地の反乱軍が殲滅される。
とはいえ正規軍も船を失い、傷付いている。どちらも一度退いて体勢を立て直した方が良い空気になっていた。
だが、まだ退けない。
ソラムレアの王女ユノライニを手に入れていない。
「あそこだ! キフセがいるぞ」
桟橋で誰かが叫んだ。全員が海を見た。
主力艦が燃えている。一番早く襲われたが、一番大きな船だったので、他の艦より長く海にとどまったのだ。主力艦はもっとも明るい光を放ちながら、ゆっくりと海に沈んでいった。港はそれほど深くない。海底に落ちた船尾が崩れるに従って沈んでいるのだろう。縦になった舳先が巨大なロウソクのように、高々と炎を噴き上げた。
濃い影を水面に落とす荷物やガレキに混じって、もがいている人影が見えた。その近くに浮かぶガレキの上に、ドレスを着た少女がいたのだ。うつ伏せに倒れている少女は気絶しているのか、ピクリとも動かない。
「王女!?」
別の言葉に反応して、ナザリが港の縁に駆けよった。満ち潮になった波が時折、石畳を飲み込む。彼はその水たまりに足を踏み入れて目を凝らし、声を張りあげた。
「舟を出せ!」
すぐにマシャが動いた。それを守る男らも一緒に走り、燃え落ちていない桟橋へ向かう。反乱軍が確保していた小舟が2艘、漕ぎ出された。気付いたソラムレア正規軍も別の桟橋から舟を出して追ってきたので、競争になった。
「キフセーっ」
マシャが叫ぶ。叫んだ先にいるキフセは泳いでいるにもかかわらず、ソラムレア兵と戦っている最中だった。彼から少し離れた水面に、少女を乗せたガレキが浮いている。少女へ近づこうとする彼を、兵が阻んでいるのだ。
水しぶきと火事の音、戦の喧噪と叫声が入り混じって、何か何だか分からない。視界も、水面は黒く澱んだ油と火を噴くガレキらで危険きわまりなく、煙も激しくて見えにくい。港も海上も大混乱である。
「くっ」
キフセは水中から自分の足を引っぱるソラムレア兵の腕を蹴飛ばし、水面でもがいた。蹴られた兵士が、空気を求めて顔を出す。その間にキフセは手近にあった木切れに掴まって、男から逃れようとした。太股に傷を負ったらしく、速く泳げないのだ。骨が折れているのかも知れない。けれど木切れは腕の重みだけであっけなく沈み、何の役にも立たなかった。
「待てっ」
男が執拗に追ってくる。当然だろう。目前には王女がいる。
水を吸った服が異様に重いし、先の逃走劇で疲れきっているもあるので、体に力が入らない。男に掴まる以前に溺れ死にそうだ。
男の手が伸びてきた。
「!」
だがキフセの体に、男の手は触れなかった。
急に男が、沈む何かに引っかかったのか、海に引きずり込まれて消えたのだ。
「え?」
呟いた一瞬後、キフセの目前に恐ろしい形相をした兵士が現れた。
「うわあぁっ!?」
それは断末魔の顔だった。兵士の頭上から手が生えて、その頭を押さえ込み、海の中に沈めてしまった。手の主はクリフだった。右手に短剣が握られている。
「クリフ」
の、はずだ。髪が全部前に落ちている上、頭からの血が顔を濡らしていて判別しにくい。
「他の奴、ルイサは」
クリフの声だった。
「分からん。だが、王女はそこに。ラウリーは?」
「でかい板があったから乗せてきた。あそこ」
示された方角には確かに、紫髪の娘が横たわっていた。王女と同じく気絶しているらしい。それより何よりキフセは、クリフがあの爆風と荒波の中でラウリーを放さなかった事実に感嘆した。自分は、自分のことだけで精一杯だったというのに。
クリフはラウリーに上着を与えたため、袖なしのシャツ一枚になっている。それがかえって良かったのだろう、彼の泳ぎは力強かった。キフセも何とか服を脱ぎ捨てた。
クリフは周りを一瞥すると、右手を海に沈めた。短剣を腰ひもに挟んだのだろう。
「山育ちのお前が泳ぎも得意なんて知らなかったな」
助かった礼の代わりに、キフセは軽口を叩いた。
「川や湖さ。塩辛いのは好かん」
クリフはそう言って少し笑うと、彼を置き去りにして泳ぎだした。
「クリフ?」
「ラウリーが沈む船に近づいてるっ。あんたは王女様を」
言い終わるかどうかのうちにクリフは、水中へ潜ってしまった。キフセは戸惑ったが、すぐ我に返って王女の元へと泳ぎはじめた。王女の息を確かめる。生きている。
「キフセ!」
マシャの声が聞こえた。見ると、小舟の先頭に立つマシャがいた。
その後ろから別の舟が追っているのも見えた。もう一艘の小舟がマシャの盾になって応戦している。
「ここだっ」
キフセは声を張りあげ、手を振った。その途端に体勢を崩して、王女の眠るガレキにしがみついた。ガレキが大きく揺れた。足に力が入らない。限界らしい。
キフセの沈みかけた手を、マシャが掴んだ。
それと同時にマシャの後ろに立つ“ピニッツ”が弓で、追っ手を全滅し終えた。
ずいぶんとお粗末な結果になってしまったが、ここに無事、王女奪還計画は成功となったわけである。あとは撤退なのだが……。
「ルイサは!?」
マシャに詰め寄られて、キフセは首を振った。どこにも見当たらない。だが正規軍から、別の舟が追ってきている。とどまってはいられない。
マシャは沖を見た。だがルイサの姿は見つけられなかった。捜索は後だ。王女を守らなければならない。
「お前たち、あっちの奴らを助けてやって!」
マシャがもう一艘の舟に向かって、クリフを指して指揮した。マシャの舟は王女を乗せている。反転せざるを得ない。
だが帰路にいた者は引き上げるべきだ。皆、誰か泳いでいないか気を配りながら、浮かぶ死体を注意深く見て進んだ。
「あ!」
「何?」
木箱の影に浮かぶ者が見えて、マシャらの小舟は急いで近づいた。
「……!」
全員が目を胸を詰まらせ、目を伏せた。仲間が仰向けに浮いていた。服を焦がして顔を火ぶくれさせているシュンギだったのだ。
舟には、まだ乗せられる。皆が回収作業に勤しんでいた時、可愛らしい声が上がった。
「ここは?」
マシャの声でないのは皆が分かる。ロマラール語でもない。
キフセが王女の目覚めに苦笑してしまった。どうして、こう間の悪い時に起きるんだか……と思ったものの、無視はできない。引き揚げるシュンギを隠すように体をずらして、キフセは王女ユノライニに向いた。
だが、その動作がかえって彼女に好奇心を湧かせたらしい。ユノライニはキフセの向こうに首を伸ばした。キフセは心を鎮めてから、
「ここは仲間の舟です。助かったんです。……一緒にいた者は一人、亡くなりましたが」
とソラムレア語で言った。ユノライニはシュンギを見て、口に手を当てた。が、それは吐き気をもよおしたからでなく、何かを考え込んでいる動作らしかった。目をさまよわせている。
船底での度胸といい戦乱や血に恐れない神経といい、王女はかなり、こうした光景に慣れているのだ……。キフセは不思議な感慨を持ちながら、ユノライニを見た。
「私、覚えているわ。この者、火のついた木材から私をかばって、海に放り出してくれたのよ」
船底に穴が開いた時のことだ。穴から波が押しよせてきたので、外に出るどころではなかった。しかも王女とラウリーは一番水の勢いが強い場所に立っていたのだ。押しやられて火災現場に叩きつけられたらしい。
寸前でシュンギがかばい、室内を満たした海の中から穴の外へ、王女を押し出したというのだ。
「シュンギの方はその時に、もろに火を被ったってわけか」
キフセはうなった。
引き揚げられたシュンギの顔は、彼と判別がつかないほど膨れあがっていたが、なぜか、どこか安らかに見えた。
ユノライニが小さく呟いた。
「お前やっぱり馬鹿だわ」
マシャが聞き咎め、一瞬、鬼のような形相を見せた。だが争っている暇はない。皆、一斉に舟を漕いで、全速力で港に戻った。小舟から降りて桟橋に上がり、すぐ、キフセは沖を見た。
「クリフっ!」
悲鳴を上げてしまった。無事を確認したくて振り向いたのに、無事ではない光景が広がっていたのだ。
彼を助けに行った小舟が正規軍の舟と衝突して、沈められていた。相打ちになっている。しぶきを上げ、波間で戦う彼らが徐々に水中に埋もれていく……。
キフセの声に振り返ったマシャは、再び小舟に乗ろうとした。
「駄目だマシャ、あんたまで死ぬ!」
“ピニッツ”の男がそれを止める。
「まだ生きてる! 見殺しにするのか!?」
「今は王女を守るのが先だろう、お前まで死んだら誰が戦闘を指揮するんだ!」
別の声が上がった。指揮なんて、そんなもん誰だっているよとわめくマシャを、一人が担ぎ上げて走った。
「下ろせよっ。クリフが! ラウリー!」
マシャの叫び声を無視して、皆は王女を守って砦に疾走した。
港はまた暗くなっていた。
火のついた船があらかた沈み、闇と共に静けさも戻っていた。まだ水面で燃えるガレキはあったし油も発火していたが、港全体を照らすほど大きなものではない。2手に分かれたそれぞれの兵は自分の陣地に撤退し、互いに様子をうかがう状態になった。
敵方は今頃、奪われた王女をどう取り戻そうかと思っていることだろう。
だが反乱軍側にとって予想外の展開が起きた。王女収容はすんなりと行かない。王女が暴れて抵抗して、手が付けられなくなったのだ。
「王女、急に何を」
「放して! 放しなさいっ」
正規軍に向かって走ろうとする少女から、手が放せない。大の男らに取り押さえられた少女は、マシャ以上の悲鳴を上げてわめいた。
やはり子供である。あまたの惨状を目にして興奮している……と皆が感じた。が。
「違う!」
ユノライニは皆が自分を見る同情らしき目に反抗した。
「私は戦争を止めさせるために帰りたいのよ! お前たちが退けば、アムナ・ハーツも戦闘態勢を解くわ。この無意味な殺しあいを今すぐ止めなさい!」
「無意味だって、手前っ」
下ろされて自由になったマシャは、ユノライニに掴みかかった。
「それで元のもくあみか? 意味なく人を殺す集団に見えるのか、あたしたちが」
襟元を掴んだマシャは自分の目前にユノライニを引きよせて凄んだ。ギリと唇を噛んだマシャの口から、血が一筋流れた。
ルイサとラウリーが踊り子の格好でソラムレア兵をたぶらかし船に潜入した、その時からずっと今まで神経を張りつめていたのだ。色々な意味で切れる寸前だった。だがユノライニはそのことに気付かない。
「和解するのよ、あなたたちにひどいことしないように、私がアムナに忠言するわ。皇帝は亡くなったんだもの。お前たちさえ海軍正規軍を受け入れてくれれば、こんな争いをしなくてもソラムレア国は平和になるのよ」
「……王女様」
苦々しく呟いたのは、ソラムレア兵だった。彼はきっと溢れだしたら止まらない言葉の量を抱えていただろうが、そのまま我慢して黙り込んだ。今それを漏らしても仕方がないと思ったのだろう。
だが止まらなかった者がいた。
パアン! と張っていたものが切れた、弾けた音が鳴り響いた。
皆が硬直して青ざめた。
マシャが手を振りきっていた。ユノライニの頬が赤い。ユノライニは初めての経験に、呆気に取られた。だが頬が痛んだのですぐ我に返って目をつり上げ、すかさずマシャに張り手を返した。
2度、威勢の良い音が響いた後で、慌てて皆が2人の少女を抑えにかかった。少女らは次の手を出そうとしていて、とっくみあいになる寸前だった。
「だから貴族なんか大嫌いなんだよ!」
暴れて首を振ったマシャの横顔に、涙が散った。
「正規軍を擁護するのはいいよ! 奴らにも言い分があるさ、あたしたちが攻めなきゃ今もこの町は平和だったろうよ。でも嘘は許さない。いつお前らが反乱軍に許しを請うたよ。あっちの大将は自分が皇帝になりたくて、反乱軍を潰す気でいるんだよっ。知らないなら知っとけ! 嘘だったら、知ってて言ってるんだったら、何のつもりで、そんな……」
最後は涙声になってしまい途切れたが、マシャは息継ぎすると再び叫んだ。
「平気な顔して言うんじゃないよ小娘が!」
自分も小娘なのだが、そんなことは天高い棚の上である。
誰かがため息をつきながら、マシャを王女から引き離した。ユノライニは立て板に水の勢いで発せられたマシャの悲鳴にたじろぎ、唇を噛んだまま言い返せないでいた。
俯いたユノライニの右肩に、後ろから誰かが手を置いた。少女はビクリと体を震わせたが、手の温もりと柔らかさがじんわりとユノライニの冷えた体に染み込んだ。
「まず着替えましょう。奥へ。びしょ濡れです」
振り向くと、片腕しかないソラムレア兵が自分に微笑んでいた。頬がこけているが、体調が悪いわけではないらしい。でなければ地上戦に参加していないだろう。けれど片腕というところが、どうしても目に入る。
そんな者も反乱軍にいて戦うほど……。
「平気じゃないわ」
ユノライニは肩の熱に心を寄せたが、それを振りはらった。ガレキを登って砦を乗りこえ、港の真ん中に飛びだした。きちんと押さえていなかったカーティンは青くなった。皆が慌ててユノライニを追う。
自分はまだ、何もしていないのだ。
なのに自分のために死体の山ができているのだ。
──王族の自覚を持つ幼い少女が走る理由としては、充分すぎる悲痛だったのだ。
だが、その足を止める声が、砦とは別に海の方から響いた。
「行くな」
その者は石畳に手を突き、海から這いあがったところだった。小脇には紫髪の女性を抱えている。傷だらけになりながらも彼は、泳いで港に辿り着いたのだ。
生還したクリフだった。




