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3-8(奇襲)

 当日というのは、奇襲の日である。

 ナザリの計画は無事に受理されて、実行に至る。

 だが穏便にことが運んだわけではなかった。ソラムレア反乱軍、“キエーラ・カネン”両団体は「奇襲」に顔をしかめたのだ。どちらかといえばトゥエインら“キエーラ・カネン”の方が嫌悪感を強く示した。せっかく「正義のために」という気持ちで戦っているのに、秘策が奇襲では格好が悪すぎるらしい。

「戦いに良いも悪いもない」

 ナザリは影で呟いたものだった。

「生きるか死ぬかだ」

 ナザリが思わず本音を盛らしてしまった言葉というのは、後にも先にもこの一言だけだったに違いない。自分の意見も感情も殺して“ピニッツ”に徹する男の言葉は、どこで誰に聞かれたのか一人歩きをして、ソラムレア反乱軍の耳に入ることとなった。ナザリはしらを切ったが、奇襲当日、正規軍が駐留する港町にはソラムレア反乱軍と“ピニッツ”の男たちに“キエーラ・カネン”の有志が少数、ナザリの下に集結したのだった。

 表に立ちたくないナザリは、直前でソラムレア反乱軍の代表者とクリフに号令を押しつけて、逃げたのだが。

「って、ちょっと待てっ。なんで俺なんだよ」

「血気盛んだからだ。突入はグールのように猛進な方が良い。叫びながら走って行け」

 身も蓋もない。不愉快な表情に赤面を交えて黙り込む赤毛の男に、集結した面々は思わず笑みを洩らしたものだった。

 だがクリフ自身も間違いなく、自分はまっさきに走って行くだろう、とは思っている。先発で敵陣に出かけて行ったのがラウリーとなれば。

「予定より数が少ないのは、仕方なしというべきか……」

 街角の至るところに潜む面子を脳裏で数えて、ナザリは軽くため息をついた。“キエーラ・カネン”という団体の力を、もっと大きいものだと推測していたのだ。アテが外れた形になってしまった。

 だが勝てないとは決まっていない。

 奇襲による第2戦の目的は今回、王女の奪還に絞られている。王女が手に入れば撤退すれば良い。軍備は攻撃用の地上兵と海から攻撃するための船、地上路での逃走も可能なように道を確保する者の3つに分けてある。

 死ななければ勝ちなのだ。

 ナザリの隣りに潜むクリフは、ぎりぎりまで身を乗り出して港をうかがう。

「ラウリーは……ルイサたちは大丈夫なんだろうな?」

 クリフは低い声でナザリを脅した。

「どういう意味の“大丈夫”だ? 計画の成功を祈るなら彼女らを信じろ。死なせたくないなら合図と共に走れ」

 クリフは苦い顔を隠して港を歩く女性たちを眺めた。もう遠い。港を巡回するソラムレア正規軍の兵らが彼女らに剣を抜こうものなら、それが体を貫く前には間に合わない。クリフは走りだしそうになるのを我慢して、太股を握りしめるしかなかった。

 港にはソラムレア正規軍の戦艦が停泊している。深い夜のとばりが降りた港の雰囲気にそぐわない、冷たく角ばった大きな帆船が10艘は見える。どれも“ピニッツ”より大きい、数十人か下手をすれば100人は乗っていそうな大型船だ。そうした船と正規軍を養っていられるテネッサ・ホフムの力がそれだけ大きいのだということを、改めて見せつけられる思いだった。

 港には船らをほんわりと照らすランプが、点々と灯されている。容易には近付けない。どの船に王女が乗っているのかも分からない。ルイサとラウリーが囮になってユノライニのいる船に乗り込み、そこから火の手を上げるということになっている。火が上がったら攻め入ってルイサたちを守り、王女を連れ出すのだが……。

「あの格好で大丈夫かよ……」

 信じろと言われても、不安が残る。

 彼女たちは踊り子の、露出度の高い服で敵陣に向かって行ったのだ。

 街中の細い路地を、音もなく歩く2つの人影。

 闇夜だが、星明かりがちらちらと彼女らを照らす。光っているのは、彼女らが身につけている装飾のせいだった。マントで隠すようにして歩いているが、それでも時々はだけてしまう。

 その隙間から見える体のラインも艶めかしい。アクセサリーは音の鳴らないものだが、首にも耳にも手首にもふんだんに飾りが施されているし、服も、足首どころか、胸元まで見えるものなのだ。

 ラウリーの格好は、ルイサほどきわどいものではなかったが、それでも初体験の露出だった。

 クラーヴァ城でドレスを着せられた時も戸惑った。ローブを着ていた時に、スカートがめくれてクリフが足首を凝視していたのですら恥ずかしかったのに、この服はそれらの思い出を凌駕しすぎている。化粧も濃い。

 ラウリーはマントで体のすべてを覆い包むように隠して歩いていたが、マントは膝までしかない。手には人の頭ほどの大きさがある壺も抱えているので、どうしてもはだけてしまう。

 戦艦の姿が大きくなるにつれて、ラウリーは顔を上げた。恥ずかしがっている場合ではないのだ。普通に歩きだしたラウリーの膝が露わになった。

 その様子に、ラウリーの斜め前を歩くルイサが、くすりと微笑んだ。

「照れてて良いわよ。堂々と大股で歩かれるよりは、おどおどしていた方が色気があって可愛いもの」

「……そういうものですか?」

「あなたは同世代の女の子と、あまり遊ばなかったのかしら?」

 ラウリーはルイサの質問には答えず、今日の彼女は物腰が柔らかいなと思いながら言った。

「私、色気なんて持ってませんから。可愛くないし」

 思わずルイサは吹きだした。

「可愛い可愛い。変な意地もあなたの魅力かしら」

「変な意地って」

 ふくれ面になりそうな表情を引き締めるラウリーに、ルイサは「まぁ仕方がないか」と肩を竦めた。

「あんなことになって亡くなったお兄さんだもの。ちゃんと周りに気を遣えって言ったって、そう簡単には行かないわね」

 ラウリーはふと、ルイサの言い方がどこか何かを懐かしむ口調だったことに気付いた。それから思う。この人にも大切な人を失った過去があるのでは、と。

 ナザリや、マシャにしたってそうである。あの年齢でこのような船に乗っていて、事情がないわけがない。マシャの15歳とは思えない老成した気遣いを思い出し、ラウリーは身が縮こまる思いを憶えた。

 そんな年には思えない子。

 10歳とは見えない子も、いた。

「良い顔になってきたじゃない。それが本来のあなたかな?」

 振り向いたルイサが満足げにラウリーを眺めた。ラウリーは壺を抱えなおし、ルイサに首を傾げた。

「ルイサさん、私のことが嫌いだったんじゃないんですか?」

 ルイサはちょっと目を丸くしたが、すぐ、あでやかに微笑んだ。

「嫌いよ。自分のことしか考えない子はね」

 そう言ってラウリーに返答させる暇を持たず、すぐに「行くわよ」と港に足を踏み入れた。

 もう2人を隠す建物はない。荷物などが色々と積み上がっていて、ある程度は身が隠せるものの、すぐにでも見つかりそうな距離である。

 ここからが本番だ。

 ラウリーはルイサの少し後ろについて歩き、マントのフードをかぶった。ルイサもフードをかぶる。だがマントからは微妙に肢体が垣間見える。そういう演出である。

 2人はこっそりと巡回中のソラムレア兵に手を振った。兵らは一人では見回りをしない。2人セットである。

 月のない夜にランプが点々と灯っているだけなので顔がよく見えないこともあったが、それが返ってソラムレア兵2人に淫靡な心を生んだようだった。2人は周囲を見回してちょうど誰もいないことを確認し、見張りのフリをしながらルイサらに近付いてきた。

「ちょうど、こっちも2人。お店まで来てくれなくても、そこの影でも……ね?」

 荷物の影に隠れるようにしながらルイサが、彼らの国の言葉で2人を誘う。いかめしい顔で闊歩していた2人だったが、まだ若そうな相貌をしている。ルイサを前にして目尻が垂れ下がると、その顔はさらに幼く見えた。

 このご時世だ。高級娼婦も出稼ぎに来るほど窮しているのだろう──とでも思ったらしい。

「そっちの女は、」

 と覗きこまれて、ラウリーは躊躇して俯いた。けれど目をそらしては、嫌悪感を現してしまう。ラウリーは恐る恐る上目遣いで兵たちを見上げて、かすかに笑みを作った。

 ツボだったらしい。

 兵ら2人はいそいそと、ルイサたちを連行するかのようにして、建物の影まで移動した。腰に手を当てて、今にも服を脱ぎ捨てそうである。

「仕事中なんだ、あまり時間は、」

「すぐ済むわよ」

 ルイサは微笑みながら、腕をしゃなりと男の首に絡ませた。

 その瞬間。

「?!」

 素早く男の背後に回りこんで、彼の腕を背中に締め上げる。

 同時にもう一人の男も第三者に殴られた。ラウリーも加勢した。影から飛びだした“ピニッツ”団員と共に、ソラムレア兵を気絶させたのだ。

「やるわね」

 ルイサが口笛を吹く真似をした。途端バランスが崩れ、男が慌てて逃げようとした。

「動かないで」

 男はビクリと固まった。目の前に指を突きつけられたためだ。両目に指先をかざされた、その向こうに紫髪の女が立っている。

「できないと思う?」

 何をだ、と問うまでもない。可愛い顔の中に光る双眸には、獲物を追いつめる狩人の鋭い光が漂っていた。逆らえば目を潰される。

 すると硬直する男に向かって、ラウリーは奇妙な言葉を呟きだした。古代の言葉。呪文だ。それが呪文であるとは知らない男ですらも神秘性を感じるような、崇高な響きがあった。

 ラウリーは何某(なにがし)かを唱えながら、男の目にかざしていた指を一本だけにして、彼の額にトンと触れた。男は一瞬、体中が痺れた気がした。

 驚く男に、ラウリーが言った。

「魔法よ」

 次いでルイサが、背後から腕を締め上げたまま囁く。男が耳に吹きかけられる息に、身をよじった。

「これで、逆らえばあなたの体は弾けるわよ。そうなりたくなかったら、言うことを聞きなさい」

 男は別の意味で身をよじった。空気が凍った。魔法という言葉を信じたのだ。“弾ける”という、おもちゃが壊れるかのような簡単な言い方が、逆に男に恐怖を与えた。言い換えれば、体内から爆発するということである。人間の内臓が四散する光景など、いくら彼が軍人であっても見たことがない。

 ルイサが絡めていた腕を外したが、男は自由になっても動けなかった。

 そうして2人は、ソラムレア戦艦に乗りこんだ。

「お気を付けて」

 と言う“ピニッツ”団員に見送られて、魔法の真似をして脅した男を供に、堂々と港へ戻る。“ピニッツ”団員はルイサらが去ったのを見届けてから、気絶させた方のソラムレア兵をきっちり始末して服を奪い、なりすまして適当に歩き始めた。巡回の数が2人一度に減れば怪しまれるからだ。

「ユノライニ王女の元へ案内しなさい」

 ルイサの言葉に応じて、男が女性2人を戦艦の中へと連れて行く。狭い通路で3人は縦に並び、男を先頭に歩いた。すぐ後ろにはルイサが続き、ラウリーは、しっかりと壺を抱えて後を追う。

 そんな3人が別の兵らとすれ違う時、体を強ばらせるのはルイサらでなく、ソラムレア兵の方だった。

「おい、その者たちは誰だ?」

 当たり前の質問に、ソラムレア兵は息を整えてから答える。背後に気配を感じながら。

「ユノライニ様に香油を献上する者だ。お眠りになる前に着けるとかで……」

 ルイサが事前に、こう答えるようにと教えたものである。さらに「なぜ女が2人も必要なのだ」と言及されれば、こう答える。

「香油の扱い方が特別なのだ……という理由だが、この後、艦長室に行くんで……な」

 思わせぶりな目配せをすると、兵らは皆、合点した様子で去ってくれた。見て見ぬフリ。頻繁にこんな女の買い方をしているのか、ルイサの美貌だからこそ納得したのかその辺りは分からないのだが、艦長なる男が色を好む質であることは間違いないようである。

 扉を守る者には「その壺を見せてみろ」とまで言われた。

「お、おい俺はお忍びで命令を頂いたんだ、そこまでする筋合いは……」

 死にたくないソラムレア兵は同僚を止めようとしたが、むしろ「良いですよ」と言ってラウリーが壺を開いて見せた。

 艦内の狭い通路にふわりと広がった花の香りは、確かに壺の中から漂うものだ。納得した兵の顔を見て、ラウリーは壺の蓋を閉じるのだった。

 それにしても、香油にしては大きい壺だとその兵は思ったようだったが、これも「ユノライニ王女のご所望なら、あんなもんか」と理解されたらしい。

「気を付けろよ。王女様、先ほどまで荒れてらっしゃったからな」

 わざわざ忠告してくれてから、男が一歩退く。その目前に、静かに扉が佇んでいた。王女の部屋だ。門番を務める男が扉を開けようとしてくれた瞬間──。

「やっぱり駄目だ!」

 一転にわかに、案内をさせていたソラムレア兵が騒ぎ出した。

「なっ?!」

 ルイサは驚きながらも男の手をすり抜け、開きかけた扉に体当たりして、室内に飛びこんだ。

「殺すなら殺せ! 王女を連れて行かれるぐらいなら、この身が弾けようとっ……!」

 男の名台詞は最後まで発せられなかった。背後のラウリーが手刀を当てて、男を気絶させた。突然騒ぎ出した同僚に戸惑った門番の兵も、同様に打ちのめされてしまった。ラウリーは左手に壺を抱えたまま、右手にソラムレア兵の剣を握りしめた。

 通路を歩いていた者たちが騒動に気付いて、迫ってくる。

「もう少し早く決意してれば格好良かったんだけどね」

 ルイサが呟きながら、長椅子に伏せっていた少女に駆けよった。少女は驚いて、上体をはね上げて椅子から飛び下りた。大きなドレスがふわりと舞った。

「いきなり何なの!? お前は誰?」

 後ずさりながら少女ユノライニは右手をかざして呪文を唱え始めたが、それよりルイサの方が速かった。

「ご無礼、お許し下さい」

 すっと側に立ったルイサは一撃で少女を眠らせた。背負い、すかさず窓に走る。だが、その窓には鉄格子がはめられていて、脱出不可能だった。ルイサは舌打ちしたが、すぐに反転して、廊下に飛びだした。

「ルイサさん!」

「良いわ」

 扉を守るラウリーの背後をルイサが走り、一気に出口へ向かった。ルイサは通路に倒れた邪魔なソラムレア兵を踏んづけてしまったのだが、ルイサと少女の重みなら、まず死ぬことはなかろう。とはいえ、これから起こる出来事に巻きこまれたなら、今、死んでおいた方が良かったかも知れないが。

 戦争が始まる。

 ルイサの合図で、ラウリーが壺の蓋を開けた。花の香りが咲いたが、ラウリーが通路途中にあった階段から下へ投げつけた中身はどす黒く、臭いものだった。香油は壺の表面だけだった。階段の下にいた者やそれを見た追っ手は、ぶちまけられた妙な液体にうろたえた。

 すかさずラウリーが手をかざす。

 紫色の瞳が一瞬、強く光った。

 急激に魔力を凝縮して『力』にしたのだ。

 手が熱い。

 宙を舞う黒い液体に、『熱』がぶつけられる。

 引火する。

 ラウリーは階段から身を退いて疾走した。

「うわあああ?!」

 轟音をともなって、階段が煙突のように、大きく炎を吹き上げた。

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