3-5(立場)
元々クリフは厄介事には関わらないようにして、穏便にロマラール国へ帰りたいはずだった。今までの騒動にしてもそうだ、不本意に巻きこまれて戦わざるを得ないことばかりだった。生きるために剣を振った。
それが、ここに来て自分から「戦いたい」と言っているのは、自分でも信じられない。いや。一度だけ、自分から戦った。逃げても良いと言われた場所で逃げずに戦い、皇帝の首を獲った。
その時の同志が、再び立ち上がるのだ。
彼らに出会ったことで、クリフの心が揺らいでしまった。
「頼む!」
クリフは“ピニッツ”に戻って早々、船長室で頭を下げていた。マシャに、ナザリへの取り次ぎを願ったのである。
クリフの行動はナザリにとって予想外だったようで、見る者が見れば“驚き”と分かる表情が浮かんでいた。クリフの方はテーブルに手を突いてうなだれているので、どんな顔をしているのか見えない。見えないが、必死の体であることは全身から滲み出ていた。
「全面的に戦争に加担してくれとは言ってない。ほんの少し、反乱軍に勝機を作ってやりたいだけなんだ」
その計画を“ピニッツ”で作成してくれ、とクリフはナザリに頼んでいる。
ソラムレア国内での内乱なら力を貸すだけで良かったが、今度はそうは行かない。未知数の巨大な正規軍をどう攻略するのか、知恵が必要なのだ。
だがナザリは驚き当惑しながらも「駄目だ」の一点張りなので、話が平行線になっている。マシャがそれを、じっと見守っている状態だった。
どうして、そのような事態になったのか。
すべては、会見をした反乱軍側から現れた男のせいだった。
「クリフォード!?」
白い異国の顔が並ぶ中でただ一人、見知った顔がいた。カーティンだった。
──村から少し離れた、北の岬。
反乱軍の船4隻はそこに潜み、正規海軍に攻め入る隙を狙っているところだった。クリフら3人はそこへ招き入れられ、船内で会談をおこなった。
「初戦は惨敗さ」
カーティンは悔しさを隠さず、吐き捨てたものだった。
ソラムレア反乱軍はすでに、一度テネッサ領で正規軍と衝突していたのである。だが長い航海を終えたばかりで統率もままならない反乱軍と、充分な物資の元に規律も正しい正規軍では勝負にならず、港町の沖で繰り広げられた海戦で、反乱軍は敗退した。
反乱軍の『正規海軍が力をつけてソラムレア国に戻ってくる前に叩いてしまおう』という思惑は正しいと言える。だが間違っていたのは、すでに海軍が充分な備えをして成長していたことにあった。
そうして敗退したものの再び攻め入るだけの余力がなくて右往左往していた反乱軍を、教会長トゥエインらが拾い、かくまうに至ったというわけだ。
ちなみに「トゥエインら」というのは、彼が単体でなく団体を結成している組織の者だからである。ヤフリナ国では平民に、無茶な納税を課しているらしい。それに抗議するために作られた団体で、役人との戦争も辞さない決意を表明し、彼らは“キエーラ・カネン”と名乗っていた。
「光の未来って意味だよ」
トゥエインと話をしていた時に、マシャがそのように教えてくれた。
「光の」は、ロマラール語では“シェラ”と発音される連体修飾語だ。似ているようで微妙に違う。
“キエーラ・カネン”は豪商テネッサ・ホフム・ディオネラを憎んでいた。彼ら力ある商人が王族と結託して重税を敷き、平民らを苦しめているためだそうだ。
彼らは彼らで、反乱軍に正規海軍を倒して欲しいという願いを持っているわけである。できればそのまま海軍を操るテネッサも、葬って欲しいのに違いない。それというのも、それについてトゥエインがこう言ったからだ。
「テネッサ商会は王都に権力を持っています。あの豪商のせいで我々の生活が苦しくなっていくばかりなのです」
つまりヤフリナ国民は、悪いのは王を操るテネッサであって王族ではない、と言いたいらしい。自給自足ですべてをまかなえない国なので貿易が盛んになり、必然的に商売の上手い者が裕福になっていくというわけだ。
あまりに激しい貧富の差を見かねてトゥエインが立ち上がり、そのまま代表として支持されているそうである。
──けれどクリフが動いた理由は、そんな見知らぬ団体や出会ったばかりのトゥエインに同情したためではない。
自分を助けてくれたカーティンが「勝ちたい」と言ったから勝たせてやりたい、それだけなのだ。
それをすることで人や国がどう動くかなんてことは、思慮にない。
ヤフリナ国民の嘆きだって、じゃあ本当にテネッサ商会が潰れれば人々の暮らしは良くなるのかと言えば、そんな保証もない。むしろ、もっと貧しくなるかも知れないのだ。
そもそも王族の権限が低くてテネッサら豪商が強いのは、王族の政策が下手なせいに他ならない。今は苦しくても、この下準備が実を結んだ暁には町も国も、人々のすべてが豊かになる可能性だってあるのだ……とナザリは言う。
「戦争による経済効果だ。それにテネッサはネロウェン国の内乱に対して、自国の者でなく、ソラムレア国海軍を送ろうとしていたんだぞ。狡いが利口だ」
ナザリはそう言って、クリフの嘆願を退ける。
「だが当然それだけでは人手が足らない。ヤフリナ国民も傭兵となって、正規軍に参加したと聞く。先だっての対反乱軍戦でも、すでにヤフリナの者が戦っていたらしい。……トゥエインら平民団体の言うことは立派だが、自国の志願兵らをソラムレア反乱軍に殺させようとしているのだ、こちらが悪役になるぞ」
悪役と言われてクリフは詰まった。
正義を振りかざすつもりはなかったが、自分がそう思っていたふしも、ないではない。ソラムレア国の内乱だったら、どう見ても国民からなる反乱軍が正しく、皇帝が悪者だった。軍事国家にするため民を苦しめて税を搾り取り、したくもない戦争を起こそうとしていた。
テネッサ・ホフムにしても外枠は同じのはずだ。
税金を吸い上げて王族を操り、戦争をしようとしている──。
何が、違って見えるのか。
当惑するクリフに、ナザリが答を出した。
「自分が動いてないからさ」
自分とは、ヤフリナ国民らのことである。
「この国の民には、まだ余裕がある。確かに貧富の差は激しいが、その分、貧しい者への救済措置も執られているから、町の隅に餓死者が転がっているのを見ない。本当に変えねばと思って行動する者は、顔つきが変わるものだ」
まるでトゥエインらの表情を知っているようなナザリの口振りに、クリフは舌を巻いた。
言われてみれば、思いあたるふしがある。トゥエインの職業が特殊そうだったことや人種の違いからかも知れないと思っていたのだが。トゥエインには“余裕”があった。特別カーティンらがキリキリしていたわけではない。だが滲み出る必死さが違った気がした。文字通り生きるか死ぬかという……『明日これをしなければ死ぬ』という気迫が、トゥエインらには、なかった。だから自分の手を汚さず、反乱軍を使おうという発想が出る。
「だとしても、俺は行くよ」
クリフはカーティンらのことを思い出しながら、声を絞りだした。
「俺が勝ちたいんだ」
言ったと同時にクリフは再度、机に手を突きなおしてバッと頭を下げた。
「“ピニッツ”を動員してくれとは言わない。知恵さえ貸してくれれば、俺だけここに残る」
すると、そこでマシャが動き、クリフの頭をペシンと叩いたのだった。
「駄目だよ、クリフ。頭を下げるのはここぞって時だけにしないと、安い男になるよ」
「ここぞだから下げてるんじゃないかっ」
「ここぞ、多すぎ」
クリフの荒い鼻息をなだめすかして、マシャはナザリに向いた。おどけてはいるが、目が真剣である。
「ナザリ、一戦で良い。正規軍を壊滅できなくても、王女が奪還できれば国の流れが変わる」
「王女?」
そこでやっとナザリの食指が動き、その時、第三者が入室してきた。
「面白そうな話してるじゃない」
ルイサである。手が空いたら来てくれとナザリが頼んでおいたのだ。
「正規海軍に、ソラムレア国の王女が乗ってるってのは初耳ね。お手柄な情報だわ、それは」
マシャは、反乱軍がその王女を奪回するためにやってきたのだということも、つけ加えた。王族を立てれば政策も円滑に進むだろうし、戦争に対する言い訳も立つだろう。ソラムレア国としては。
「王族を立てて民主制を樹立する。矛盾して聞こえるけど不可能じゃないし、混乱していて強い指導者がいないソラムレアの民衆が一つになるには、良い材料よね」
ルイサは顎を撫でて呟く。
「ヤフリナ国内が荒れるかも知れないよ?」
「それは、その国民団体さんが受け持つ責任でしょう。私たちは彼らに依頼された仕事をこなすだけだわ」
冷酷に冷淡に、人を突き放す。その距離感がルイサの持つ政治観なのだろう。深入りしてはいけない、自分の立場を守ったギリギリの線で彼女は世界を飛びまわる。彼女の行動はすべて、祖国ロマラールの利益が目的なのだ。
「でも」
とルイサは、クリフに目を向けた。
「テネッサを潰すってことは、ロマラール国とヤフリナ国の交易を悪くするってことよ。私たち“ピニッツ”がテネッサに顔を見せなかったのも、ロマラール国に被害が及ばないようにするためだったんだもの。その彼を不利にして我が国に被害が及ぶ責任を、クリフは負える?」
「え……」
そんなことまで考えもしなかった平民に、負えるかと言われても無理な話である。
再び困惑してしまったクリフを見て、ルイサは「冗談よ」とコロコロと笑いながら席に着いた。ナザリが立ち、ルイサの前に果実水の入ったカップを置いた。
「“ピニッツ”は秘密裡の船だもの。バレなきゃ良いのよ、バレなきゃ」
心なしか嬉しそうだ。
ということは、ルイサはこの海戦に乗るつもりらしい。クリフの目の端でナザリが小さくため息をついたように思えたが、クリフは見なかったことにした。
「悪役になる覚悟がないなら、人殺しなんかしちゃ駄目よ」
ルイサの言葉に、クリフは自分の見解を改めた。オルセイを殺して悪役と化した自分だというのに、ルイサの言いたいことに気付かないほどは、馬鹿じゃないつもりだ。
戦争に綺麗も汚いもない。外枠が何であれ本心がどうあれ、やる以上は利己主義を貫けということだ。
「でも、こっそり加担するんじゃ国交に結びつかないし、今のソラムレア国に報酬を要求するのは酷だよ。タダ働きじゃん」
「あら、マシャ」
気付いてないの? と言いたげにルイサがマシャに、肩を竦めて見せた。
「恩を売る相手は他にもいるじゃないの。テネッサ・ホフムがソラムレア海軍をネロウェン国にぶつけようとしていたのを、お忘れ?」
「あ、なるほど」
ネロウェン国に恩を売るか~とマシャは手を叩いた。ネロウェン国なら“ピニッツ”の名を出さなくても少しほのめかせば感づいて、感謝の意を国交に反映してくれるはずだ。
「愛しいディナティ王を影で支えるなんて、粋な女になったじゃないの」
マシャは目をつり上がらせたが、赤面の方は堪えきれなかったらしい。彼女はコップを一気に干して、荒々しく置いた。
「いくらルイサでも、そのうち怒るよ」
「私が間違ったことを間違った時に言ってたら、いつでも怒ってちょうだい」
微笑むルイサに、マシャはぐうっと黙ってしまった。口げんかなら“ピニッツ”内でマシャが最強なのかと思っていたのだが、そうでもないらしい。
「あなたが小姓を辞めたのは、ネロウェン国王と自分が釣り合わないことを知ってるから。側室でも、あり得ない。そんな下らない足枷を食らうより“ピニッツ”としてディナティを助ける方が、大きな力になれるものね」
「ルイサ。あたしは、」
表情の崩れたマシャの肩に、ルイサは「分かってるわ」と言って手を置いた。
「ごめんなさい。辛い選択をさせてしまったわ。──お帰り」
「……ただいま」
まさか皆の前でこんな風に自分のことを挙げられるとは思わなかった。そう思っているのが歴然と分かるぶすくれた顔で、マシャは小さく呟いた。
やり取りを聞いていたクリフの方が、胸にこみ上げるものを感じて目をそらしてしまった。
いるべき場所にいられるということが、実はどんなに幸せなことかと近頃、感じてしまう。マシャは“ピニッツ”に戻れた代わりに、ようやく『居場所』になってきていたディナティ王の下を去ったのだ。それは身を切る思いだったのではないかと思われる。マシャはおくびにも、そんな様子を出さないが。
「では少しでも高く売るために、徹底的に潰すとするかね」
そんなセリフで、ナザリが皆を引き戻した。彼のため息は一息だけで終了し、次の空気を吸った瞬間にはもう、やる気充分というところらしい。
計画をたずさえて再びソラムレア反乱軍に接触する旨を決定させて、会議は終了した。こちらの計画を先方がお気に召して下さればお買い上げ、計画実行だ。
船長室を出たクリフは、マシャに礼を言った。
だがマシャは「勘違いするんじゃないよ」と相変わらずの口調で、クリフをはねのけた。
先ほど見せた照れが嘘のような変わり様だ。
もしくは照れの反動か。
「クリフ、つい今しがたルイサに『責任を負えるか』って言われたばっかりじゃん。実際には何も背負っていないのに礼を言うのは、それは傲慢だよ。自分がソラムレア反乱軍の一員になったつもり?」
「そんなんじゃない。背負ってるとも思ってないよ、確かに俺は無力なんだから、だからこうして、」
「『頼めば動く』って期待があるのは、無力だと思ってないよ。人を動かす力も『力』さ」
やっぱり通常の口論ではマシャに勝てないらしい。クリフは憮然とした。が、マシャの言い分も理解できる。
クリフが小さく「すまん」と言うと、今度はマシャは、
「謝られる筋合いもないよ」
と、これも、つっぱねた。
どうしろと。
困るクリフを後目にマシャは、桟橋へと甲板を歩いていく。彼女はふと振り返って、さらにクリフへ畳みかけた。
「覚悟しなよ、クリフ。ナザリはやるって言ったら、どんな手でも使う。クリフが今まで“ピニッツ”にしてくれたことは決して安くないけど、ナザリを動かす代償はもっと高いからね」
クリフは今回の航海ですっかりこの船に慣れたつもりでいたので、改めて“ピニッツ”の厳しさを思い知ることになってしまった。
振り向きもせずに船を降りて港へ去るマシャの背中は、クリフを拒絶しているかのようだった。
「何だ? あいつ」
クリフは髪をかき上げながらマシャの後ろ姿を見送った後、自室に戻ろうとして人にぶつかりかけた。ギムだった。
「おっと」
「おう。話し合いは終わったのか? 一暴れできるんだろうな?」
ギムもソラムレア反乱軍との会見に居合わせたので、事情を知っている。クリフたちが船長室から出てくるのを、密かに待っていたのだろう。クリフは緊張を解いた。
「すまん。そうなったよ」
「望むところだ、謝るな」
ギムは嬉しそうに、指をボキボキと鳴らした。甲板上で仕事をする面子も、こちらの話が気になるらしい。クリフは公言してしまって良いものかと悩み、話題をそらした。
「けどマシャを怒らせちまったみたいで。何で機嫌が悪いんだか分からなくてなぁ」
そうボヤくと、ギムも低い声で「ふうん」と思案しながらマシャを見つめた。桟橋から港に降り立ったマシャは、船や荷物に視界を遮られて、すぐ見えなくなった。
「確かにトゥエインに会った時も機嫌が悪かったからな」
ギムはそう呟いたものの、ふと眉を上げた次の瞬間には、カラッと「気にするな」と言いだした。
「アレの日だったんだろ」
「そういう冗談は好かん」
「お堅いな、お前」
「ほっとけ」
「だからお嬢ちゃんとも上手く行かねぇんじゃねぇか?」
「何でそうなるんだよ!」
爆発したクリフの鉄拳を避けて、ギムは豪快に笑った。
「ギムに聞いたのが間違いだった」
クリフは考えるのを放棄して、ギムに手を振った。何にしろ、これから忙しくなる。明日、明後日のことを思うと、無駄なことをしている暇はないだろう。
クリフがそう言って反転しかけると、ギムは「明日のことを考えられるか。良いことだ」と微笑んだ。
「?」
「お前を見てると、今日の今しか生きる気がないんじゃねぇかって気がしたもんでな」
「……!」
クリフは喉がつかえて、返答できなかった。筋肉馬鹿の豪快男に見えて、ギムは時々鋭い。だからこそマシャの右腕であり“ピニッツ”実質上のボスなのだろうが……。
罪人となった悪役には未来がなく、裁かれるのを待つばかりである。
“許し”などという甘い刑罰を貰っても、持て余してしまうのだ。
ギムは顎を撫でた。
「マシャだがよ。あいつはロマラール国に着いてお前らが去るのを考えて、寂しがってただけだと思うんだよな、俺は」
でもクリフはそんなこと考えてなかっただろう──という言葉は、声にされずとも理解できた。考えていなかった。ずっと、この状態が続くとも思ってはいない。でも先の展望なんて持っていなかった。
同時に、なぜマシャがラウリーには親身になって懐いてくれているのかも分かった気がした。同じ妹同士ということもあろう。それに、故郷に帰る日を意識しているラウリーは、マシャたち“ピニッツ”といられる今の時間を大事にしている。
自分は以前にこの船に乗っていたこともあって、自分が“ピニッツ”の人間じゃないという自覚が足らなかったのだ。それがマシャを不機嫌にさせたと見て、間違いないだろう。
クリフは頭を掻いた。
「居場所なぁ……」
それは、クリフが初めて『ロマラール国に帰ること』でなく『帰った後』に思いを馳せた瞬間だった。