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2-8(並列)

 目覚めた少年王は、どんどんと回復した。

 まだ(とこ)から体を上げるには至らなかったが、夕方には口が利けるほどになっていた。毒を飲んで倒れたのは昨夜だ。そう考えると驚くべき回復力と言える。魔法のおかげかディナティの潜在力か、どちらにしろ「彼には幸運の女神ナティがついている」と囁かれ喜ばれたことには違いがない。

 ディナティは、自分にとっても体の辛い長い戦いだったが、左大将やマシャたちにも長い一日だったろうなとベッドの中から落ちる夕日を眺めながら思ったものだった。

 彼はそのようになりながらも、今日の出陣を忘れていなかったのだ。

 それだけではない様々な業務も一つ残らず頭に入っていて気にかかる。のうのうと眠っている場合ではない。

 夜には、彼は人を遠ざけて体を起こす訓練をした。

 今日起こった事件を、左大将アナカダはかいつまんでしかディナティに報告しなかった。まずは回復しろという配慮だったが、ディナティにとっては余計な世話だった。自分が知りたい現状を把握できない方が、よほど不安である。

「私が指示を出すまで、誰にも罰を与えるな」

 夕方、ご機嫌伺いに訪れたアナカダをねぎらった後、ディナティはそう言ってアナカダの単独行動をせき止めた。

 確かに政治の全般はアナカダの手腕で動いているところが大きいし、任せておけば問題なく流れるだろう。だが、いつまでもそれでは駄目なのだ。「王が伏したら国が乱れる」ことも必要だ──とディナティは思う。

 病に伏した今だからこそ、ディナティは自分の無力を痛感していた。まだ凱旋直後だからという話もあるが、国はディナティなしでも、容赦なく動いていく。自分が国の手綱を取っているのでなく、自分はまだ用意された鞍の上に座っているだけなのだ。

 その鞍を奪われる前に、自分の尻を落ち着けなくてはならない。

 焦りは体の重さも手伝って、起きようとあがくディナティに歯を食いしばらせた。下ろした黒髪が乱れ、枕に汗を落とした。

「ディナティ様。ご無理をなさいませんよう」

「!?」

 側に立つ者に気付かなかったディナティは、目を見開いた。いつの間にか、堅く目を閉じていたのだ。額にも汗が噴き出ていた。外から流れ込んでくる風が一層冷たく感じられた。

 王の寝室に無断で入れる者は決まっている。左大将アナカダか大臣、主治医。側でささやかれた言葉は、女性のものだった。ディナティは肩の力を抜いて、またベッドに背を着けた。

「チャネンか」

 主治医の女性だった。

 彼女も一日中働きづめだったので、結い上げた髪はほつれてしまっている。年齢以上に老けて見えたので、ディナティは彼女に抗う類の言動を避けた。まだ40に満たない女性だが、運悪く担ってしまった王宮医師という重責は、彼女に年を重ねさせていた。

 彼女は柔らかな布で少年王の額をぬぐって、毛布を直した。

「すまぬ」

 ディナティは素直に謝った。自分が幼少の頃から姉のように母のように世話になっているこの女性に迷惑をかける気はない。白髪混じりの女性医師は息子を見るような顔をして、首を少し振った。

「不要に体を虐めても、力は戻って参りません。ゆっくりとお休み下さい。……ですが、」

「?」

 医師チャネンは半端なところで言葉を切って、ディナティの視線を自分の背後にうながした。隅の影に、彼女の助手と背の高い女性が立っていた。見つめてから、ディナティは肩に包帯を巻いた長身の女性がキャナレイであることを認識した。

 それを見てから、チャネンが続きを伝えた。

「ですが、少しだけ彼女の話を聞いてやっては下さいませんか」

「キャナレイの?」

 ディナティはいぶかしげな声を出した。左大将を通さずに隊長が勝手に上告するなど普通はしない。まして、いくら主治医といえども王の許可なしに別の者を部屋に入れるというのもあり得ない。

 すると、そんなディナティに対して足を踏みだしたのはキャナレイではなく、助手の娘だった。

 淡い月光の中に、少女の顔が照らし出される。

 ディナティは呆然と呟いた。

「……マシャ」

 マシャは医師の助手になりすますために顔を黒く塗り、髪をごまかすためにヴェールをかぶっていた。だが黒くはあっても化粧を施した顔は、成人した娘のように美しかった。その顔をディナティが一目でマシャだと分かったのは、大きな水色の瞳がゆえである。

 だが、いつもは強気な光を帯びたその瞳が、今は若干暗く揺れていた。

 その目を見つめてからディナティはチャネンたちに、しばらく席を外すよう命じた。チャネンらも最初からそのつもりだったのだろう、黙って一礼すると「戸口におりますゆえ」と言い残して部屋を出た。

「ここへ」

 ディナティが自分のベッドをポンと叩き、すぐ側にマシャを座らせた。マシャは彼の腰辺りに座して、ディナティが寝たままでも話せるように膝で立って見下ろした。

「上手く侵入したものだな」

 ディナティが小さく笑い、マシャも微笑んだ。

 マシャが“銀の男”に連れ去られたという報告は受けている。そのマシャが夜になってからこうして忍び込んできたということは、小姓として王宮に戻ったのではないということだ。それをディナティは、彼女の表情から読み取っていた。ディナティの知るマシャからすると、今の彼女はすでに遠く離れて見えた。

 少年として小姓を務めてきたマシャが美しい様相をしていることは、まるで「潮時だ」と告げているようだった。

「医師様と隊長様を責めないで下さい、ディナティ王様」

「責めようがない」

 マシャの慎重な物言いに、ディナティは軽い口調を使って応えた。

「お前がこのまま誰の目にもつかずに去れば、ここには誰も来なかったことになる。ならば私の容態を見に来てくれた主治医が、何の咎を受けることがあるのだ」

「ディナティ、まだ甘いよ」

 マシャがくすりと笑った。

「あたしが暗殺者だったら、どうすんのさ」

「どうもせんな」

 ディナティは本気とも冗談とも取れない目で、マシャを見つめた。──思わずマシャが目をそらしてしまうほどに。

「それも仕方がなかろう。命に保証などない」

「同感」

 気を取り直して、マシャは再びディナティを見た。マシャの手が浮いてディナティに触れかけたが、彼女はその手をヴェールにやって、少し姿勢を正した。

「でも保証がないんだからこそ、気を付けなくちゃ駄目だよ。焦っても良い結果にはならない」

「知った口を利くじゃないか、小姓ふぜいが」

「小姓じゃないよ。小姑だって言われてる」

 2人はひそやかに笑った。だがディナティの笑みには力がない。マシャは真顔になった。

「ディナティ王様。王様にだけ言うよ、あたしは、」

「いらぬ」

 ディナティはすっと静かに手を上げて、マシャを遮った。

「お前が……いや、お前たちが私の益になる者ならば、私はその姿など見なくとも良い。私もお前たちの益を乱さないだろう。私の小姓は銀の男に連れ去られ、行方不明になってしまった。死んだものと見なすしかない。それだけだ」

 マシャは若干、眉をひそめた。

「ディナティ。あたしが銀の男を知っていたってことに……気付いてた?」

 まさかとは思ったが、今さらだ。マシャは単刀直入に聞き、それに対してディナティも素直に認めた。

「いつ?」

「ルイサから依頼された今回の全容を、お前に説明した時だ。実状に詳しかったし、この件を任せろと言った時の意気込みが印象に残った」

 とっくにお見通しだったのだ。なのにディナティはそれをマシャに確認もせず一任し、放任した。それだけ信用したからでもあるし、それだけ責任をかぶる気だったということでもある。マシャは息をついた。

「銀の男が殺したヤハウェイは、あなたに毒を盛った犯人を知っていたらしいけど。糾弾できそうかい?」

 小姓の顔になり、いぶかしげに小首を傾げる。

 ディナティはそれを見て、つい苦笑してしまった。最後の最後まで仕事熱心なことだ。

 一人で起きなければと思っていた先ほどまでの強ばった気持ちが、彼女の瞳に溶かされていくような気がした。確かにそうだな、とディナティは一人ごちた。不要に体を虐めても、ない力は生まれない。周囲からの力を借りて吸収して、自分のものにしていくしかないのだ。

「その必要はない」

 ディナティは肩を竦めた。肩の下で、衣ずれの音が響いた。静かな夜だった。

 月の明かりも少ない。これで名月が窓に浮かんでいれば絵になる逢瀬だったろうが、月が出ていればマシャは来ていなかっただろう。ディナティはマシャの気配のなさに気付いていた。明るく快活に振る舞う少女のくせに、闇の生業を選んだのだ。そう思うと悲しくなったが、哀れは、感じなかった。マシャがその道を後悔していないことが分かるからである。

 彼女を見ていると、自分もこの道を嘆いている暇はないな、としみじみ思う。

 2人の道はもう、重なることも添うこともなくなったが。

 だが常に平行して進む道になるのだろう。

 ディナティは不敵な笑みを作った。

「泳がせておくさ。身の内に棲む害虫ぐらい飼えなくては、王など務まらぬ」

「偉そう」

 マシャもふふんと笑った。化粧された顔にはほんのりと色気が浮かんでいる。自分の体が思い通りにならないのは幸いだったのか、不幸なのか。おそらくは誰に相対するよりも、自分はこの娘に振りまわされている。

「処罰するにも厄介だしね。適当に暴れてもらった方が、内政には良いかも」

「犯人が誰だか分かるのか?」

「手が綺麗だったから」

 そう言ってマシャは、自分の手をかざして見せた。

「自分の手を汚さないヤツは、ない物ねだりしてるもんだよ。浮ついてて地に足が着いてない者は、いつか足元をすくわれる」

「至言だな。憶えておこう」

 ディナティも自分の手を上げて、見てみた。近頃は書類仕事が多かったので、インクが指先に染みついている。どうせなら土で汚したいものだとディナティは、かつて野営で食べた砂の味を思い出しながら指を眺めた。

「グール“オルセイ”はどうする?」

 ふと思い出したディナティの言葉に、マシャは目を伏せた。

「……あたし、今朝あの子を置き去りにしちゃったから」

 それが理由とは思えなかったが、マシャはそれ以上の言葉を紡がない。ディナティは言葉の意味よりもマシャの表情を見て「分かった」と頷いた。

「共に戦場を駆けた仲だ。大切に育てると約束する」

 そう言って口をつぐんでから、ディナティは言い添えた。

「“クリフ”の分もな」

「ありがとう」

 マシャの微笑みがゆるんだ。『また置いて行かれた』と言って泣いたことのある、そんな彼女が決めた離別なのだ、その決意のほどは強いだろう。

 沈黙が流れた。

 いつもは怒濤のごとく喋る少女が言葉少なだと、調子が狂う。ディナティがそう思った時、マシャ自身もそう思ったのか、彼女は急に立ち上がってからっとした声を上げた。

「安心したよ」

 そしてポンと跳ねるように後ろ足を動かして反転するではないか。用件は終わった、ということらしい。

 そうしてディナティから少し離れたところで彼女は立ち止まり、

「あ、そうだ」

 と、また顔をディナティに向けた。

「クリフとラウリー、こっちで引き受けるよ。追放にするか送迎にするのかは、ディナティに任せるけど。もう王宮でもてなすことは、できないでしょ」

「引き受ける、とは……」

「2週間以内に南の港町シアマンヌに2人をよこしてくれれば、こっちから合流する。ロマラールに戻るから」

 再度ヴェールを揺らして膝を折り、マシャは深く礼をした。

 マシャは、もう手を伸ばしても届かない位置に退いていた。ディナティは上げかけた手を下ろして「待て」と呼び止めてから、さほど躊躇せず想いを言葉にしていた。

「こういう場合、口づけの一つもして行くものじゃないのか?」

 マシャは顔を上げて目を丸くしたが、すぐに弾かれたような満面の笑みになった。

「ディナティがナザリぐらい良い男になったら、あたしもルイサぐらい良い女になって会いに来てあげるよ」

 ナザリという名には憶えがないが、ルイサと聞いて、ディナティも破顔した。きっとナザリとやらも、さぞかし良い男なのだろう。ひょっとしたら、髪が銀色なのかも知れない。

「永の別れか」

「ひどいなぁ。また明日な、とか言ってみなよ」

「そこまで自惚れてはないのでな」

 ディナティが息をついて微笑んだのを最後に、マシャは身をひるがえして部屋を去った。マシャはまったくふり返らず、あっさりと消えてしまった。

 ディナティはふと後年に青春というものを思い出す時、このことがそれに当たるのだろうかとぼんやり考えてから、目を閉じてベッドに沈みこんだ。

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