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2-7(波乱)

「待て!」

 ネロウェン語を叫んだ女性の声は、階下で睨みあう両軍に聞こえた。

 左大将と男爵の2人が、国王に毒を盛った謎の人物について押し問答をしていた時だった。

 ヤハウェイはなかなか、その人物の名を言わない。

 それが切り札だからだ。

「私は異国のさる珍しい物を、さる方にお売りしただけですから。まさか、それを国王様にお使いになられるとは思いませんでしたがね」

 と、こう来るのである。

 昨夜の件を知っている口振りである。

 だが知らなかったとしても、もしくは実際に謀殺が決行されていなかったとしても、ヤハウェイは「売った」という事実を盾にして、策略の情報を切り札に“さる方”を陥れ、身を守るつもりだったのだろう。狡猾な男だ。

「2階の用心棒とやらを、すぐに止めろ!」

 アナカダがヤハウェイに怒号をつきつけ、その指示に国王軍が動く。しかしヤハウェイの衛兵がこれを遮って、また剣を鳴らそうとする。ヤハウェイが命令を下さないからだ。

 仕方がなしにアナカダが兵らに、ヤハウェイを解放させた。

 自由になったヤハウェイが気持ちよく演説を始めたその時、キャナレイの叫び声が響いたのだ。

「おや、手遅れでしたでしょうかね?」

 手を放されたヤハウェイは大袈裟に手を振って国王軍を遠ざけ、自分の優位に酔いながら一歩退いた。

「国王様が私を保護して下さり、ロマラールの平民をこちらに頂けますならば、公の場にて、さる方の名を公表してさしあげましょう。小姓様もお返し致しますよ」

「分かった。約束するから、早く2階を、」

「ただし」

 焦るアナカダの言葉に大声をかぶせて、ヤハウェイがなおも続ける。

「上階の戦いはもう終わっているかも知れませんのでね、その罪も問わぬと保証していただきたい。得体の知れない平民一人にこだわるとは将軍様らしくありませんよ。国王様に毒を盛った輩の方が大事で、ござ、い……え?」

 そこでヤハウェイの言葉が途切れた。

 最後まで話せなかった。

 声が出なくなってしまったのだ。息がひゅうと洩れた。

 何が起こったのか分かっていない顔が、アナカダの凝視する前で、ぐらりと傾いた。右に倒れた首の左側から、勢いよく赤い噴水が吹き上がった。周囲にいた兵らの全員が驚いて、飛びのいた。

「うわあぁあ!?」

「ヤ、ヤハウェイ様!」

 皆があわてふためく中、悠然と。

 血のシャワーの向こうに、銀髪の男が立っていた。

 見知らぬ男である。彼の持つ赤い剣が、アナカダの目に映った。さらにその後ろから、キャナレイが走ってくるのが見える。彼女が「待て」と叫んだ相手が、この男だったのだ。

 男が冷ややかな目で、男爵に「昨日の礼だ」と言い放った。

 立ったままの男爵の髭から、ひゅうと息の音が流れる。

 いつの間に近付いて斬ったのか。これだけの兵らがひしめく中にあって、それは信じられないほど素早い動きだった。

「と、捕らえろ!」

 思いがけない事態に、アナカダの声がうわずった。

 周囲の兵らが戸惑いつつも、倒れるヤハウェイと彼を斬った男を囲もうとした。だが銀の男は、それよりも速かった。

「動くな!」

 男はすかさず血の剣を、抱えた人質に向けて、皆を牽制したのだ。人質に取られたのは自軍の小姓、マシャである。救うはずだったロマラールの男が、救うはずだった小姓を人質にしたあげく、大事な証人でもある男爵を殺してしまったのだ。アナカダは混乱した。

 混乱する彼の目前で、頸動脈をザックリと斬られたヤハウェイの鋭い目が段々と色を失い、横に倒れた。半分つながったままの首からは、体中の血かと思うほどの量が噴き出ている。勢いは萎えてきたが、それでも治まる様子がない。男爵の足元を中心に、辺り一面が真っ赤に染まった。

 銀の男が片腕でマシャの首を締め上げたまま、アナカダに向かって一礼した。

「助けて下さったことには感謝しますよ、将軍様。ですが今度はそちら様方、国王軍に保護という形で捕らえられることになりますのでね、それには寒気がしますので遠慮させていただきます」

 返り血を浴びた顔のまま爽やかに言うと、男はマシャを小脇に抱えて走りだした。

 アナカダは、まだそこまで思慮もしていなかったことを言い当てられてギクリとなり、足を止めてしまった。

 確かにそうだ。救出したロマラールの平民をルイサに返す行為には、もう一つ交渉が挟める。アナカダの采配ならルイサに対して優位に立てただろう。

「放せ!」

 マシャが手足をジタバタとさせる。しかし男は難なくこれを受け流し、中庭にたむろして待っている国王軍のゴーナに手をかけた。

「一頭、拝借しますよ」

 銀の男は、長期に渡って監禁されていたとは思えない軽やかな動きでマシャをゴーナに放り投げ、彼女の背中を押さえつけて、自分もそれに飛び乗った。

「追えば小僧の命はないぞ」

 追ってきた国王軍の足を一声で止めて、男はゴーナ上から左大将を見おろした。

「南東に浮かぶ孤島ジューマは、フセクシェル家の領土だ。そこで今、ヤフリナ国の豪商テネッサ・ホフム・ディオネラから、武器が大量入荷されようとしている。男爵殿が何をする気だったのか、あなたならお分かりだろう?」

「何……?」

 銀の男が吐きだした意外な情報に、アナカダがうろたえた。

 その隙に男は、門を飛びだしてしまった。ハイッという威勢の良いかけ声だけが余韻を残した。兵らが後を追おうとしたものの、左大将からの指示はないし、小姓が人質のままなので身動きが取れない。男が去るのを、黙って見送るしかなかった。

 ヤフリナ国からの、武器輸入。

 ソラムレア海軍が駐留しているヤフリナ国。

 テネッサ商会とつながりのある、フセクシェル家。

 銀の男はそれを知っていたから、殺されなかったのだ。ヤハウェイは彼を囮にして、情報を漏らしてしまった失態を処理しなければならなかったから。

 アナカダが慌てて走りだしたのは、門の外ではなかった。

 中庭で血にまみれて横たわる男が死にかけだったことを思い出したのだ。

 男爵ヤハウェイサーム・フセクシェルは自分が死んだことにも気が付いていないような顔をして死んでいた。見開いたままの目と半開きの口は、まだ何かを言いたそうに見える。生きているように見える。

「死ぬな、毒を盛ったのは誰だ! ソラムレア軍が攻めてくるのはいつだ! 言え!」

 片膝を突いてアナカダがヤハウェイを掴みあげたが、言葉はなく、ちぎれかけた首がぶんぶんと振りまわされるばかりだった。一連の様子を見ていたヤハウェイの手下は、どさくさに紛れて逃げようとしたところを国王軍に捕らえられていた。執事代行の使用人や下女もすべて、一カ所に集められた。キャナレイの指示だった。彼女は銀の男を追うよりも、事後処理に奔走したのだ。

 作業を終えたキャナレイはクリフを連れて、アナカダの側に立った。

「アナカダ様」

 死体から手を放してがっくりと肩を落としたアナカダは、ゆっくりとした動きで2人を見あげてから立ち上がった。それから、ようやくキャナレイにかけるべき、ねぎらいの言葉を思い出した。

「ご苦労だった、キャンアレイズ。……ヤハウェイサーム殿も連れて帰る。手はずをしてくれ。仮にも第2皇女様の夫だ。丁重な葬儀をせねばならん。ああ、屋敷内に奥方様がみえるはずだ、彼女も王宮にお連れしてくれ」

 働かない頭ながらも事務的にそこまで言うと、アナカダは赤い戦士に向きなおった。戦い終えたイアナの英雄は、まったく英雄らしからぬ表情で、死んだ男爵を見つめていた。戦意を失って無表情なほどに光の消えたその目からは、何も読み取れなかった。

「クリフォード……お前は、」

 アナカダは言いかけて、口を閉じた。

 何かを知っているようにも見えるクリフの顔に、ついアナカダはあらぬ疑いをかけようとしたのだ。

 その気配を察したのか、アナカダよりも真の事情に近いはずのキャナレイが、クリフをかばった。

「アナカダ様。このたび賓客殿の働きには目を見張りました。私も上階で、命を救われました」

 キャナレイは、クリフとマシャ、銀の男の3人をずっと見ていた。

 銀の男が起こした動きに、クリフは戸惑って戦闘意欲をなくした。マシャは抵抗しながらも、実際には銀の男に捕まることを拒んでいなかった。3人が顔見知りであることに間違いはないと確信したのだ。

 だが、それは国王軍を陥れるためではないとも分かった。

 3人の間には明らかに打ち合わせも、意志の疎通もなかった。

 いや、マシャと銀の男には疎通があったかも知れない。マシャが最後に言った「ごめんね」という言葉には、自分が思うよりもずっと深い意味があったように思う。もっと深い事情があったように思う。

 人を斬ったことに、このように落ちこんでいる男を責めても、おそらく何も出てこない。あのように猛々しく戦っておきながら、そんな自分におののいているような赤毛の男に、キャナレイは好感を持った。

 だからキャナレイは、アナカダに言った。

「彼を牢から出す時に約束なさったこと。今ここで、もう一度約束して頂きたく存じ上げます」

 約束ではマシャが救えなかったこととクリフの活躍は、別の話だった。

 それに、マシャは救えなかったのかというのも疑問である。

 前述の通り、マシャは進んで銀の男について行ったのかも知れないのだから。

 ――そんな2人が走り去った大通りには、濃い砂塵が舞うばかりである。彼らの姿は、あっという間になくなっていた。屋敷の玄関前には、置いてけぼりを食った黒いグールがその後を見つめて、ポツンとたたずむばかりである。

「“オルセイ”……」

 呟いたのは、ゴーナ上の少女だ。

 押さえつけられた彼女には後方が見えていたので、グール“オルセイ”の小さくなっていく姿も知っていたのである。だが、もうグールはゴーナに乗れる大きさではなくなっていたし、あの状況で連れてくることも無理だった。置いてくるしかなかったのだ。

 まだ朝もやも晴れないような黄土色の街を駆けるゴーナは、ネロウェン国王都を囲む第2の門を抜けたところで、ようやく足をゆるめた。ゆるめてから、手綱を握る銀の男、ナザリが口を開いた。

「本気で『放せ』と叫んだな、マシャ」

「ナザリ」

 ナザリは、いささか寂しそうにも聞こえる静かな声で、そう言った。マシャを押さえていた背中の手を離し、彼女をきちんとゴーナに座らせてやる。やっと邪魔がなくなった感動の再開のはずなのに、ナザリの気配を背中に感じつつ、マシャの心中は複雑だった。振り向けない。ナザリの顔が見れない。

「だって、」

 マシャは上手い言い訳を探して、言い淀んだ。

「本気で叫ばないと、あいつらを騙せなかったからさ」

「あいつらなんて言い方をしなくて良い。マシャ」

 ナザリは前を向いて座るマシャの後頭部を、ポンと撫でた。以前に触ったことのある髪よりも、長くなっていた。

 ナザリはそのままゴーナを進め、大通りを外れて郊外に出た。まだ朝で町中に人通りは少なかったが、危険を避けておくに越したことはない。まばらに木が生えている荒野を当てなく歩きながら、ナザリが言った。

「今なら『銀の男から逃げてきた』と言って王宮に戻れる。あの女兵士だけ言いくるめれば、また元の役職に就けるだろう」

「無理だよ」

 マシャは自嘲気味に笑った。

「キャナレイはあたしが男のふりをしていた時にも、あたしが女だと見抜いてた人なんだ。アナカダ様も手強いし、あたし、あの人たちに嘘をつき通す自信ないもん」

「マシャにしては弱気だな。打ち明けるという手もあるだろうに」

 一瞬ナザリの声が冷ややかに感じられて、マシャは肩を震わせた。マシャは肩越しにナザリを見ようとしたが、その目を上げることはできなかった。

 そっと、聞いてみる。

「あたしは、ナザリの役に立たないかい……?」

 マシャにとっては泣きたくなるほどの沈黙が続いた。彼の手元は変わらず、滑らかに手綱を操っている。感情の動きは見られない。

 やっぱり自分は“ピニッツ”を離れた人間なのだ──とマシャが自分に言い聞かせようとした時、ナザリがマシャの両肩に手を乗せた。

「“ピニッツ”の副船長が、どうしても決まらなくてな。私をヒゲ男から助けてくれた勇敢な少女が欲しいのだが、マシャはどう思うね?」

 前を向いたままのマシャの顎が跳ね上がり、その動きに合わせて涙が滑り落ちた。落ちた涙に気付いて止めようとしたが、顔をしかめると、もっと涙が溢れ出た。マシャはナザリの手を振りほどいて膝立ちになり、体を反転させた。

「回りくどいよ、ナザリ!」

 マシャはナザリの首にしがみついた。

 ゴーナが驚いて、少し揺れた。

 ナザリもマシャの薄い背中を抱きしめて、手綱を握った。

「こっちの勝手な都合で、お前を振りまわしてしまったな」

 マシャはしがみついたまま、ナザリの首に自分の頬を押しつけるようにして首を振った。

 孤児で、娼館で働かされていた自分をひょんなことから拾ってくれて以降、ナザリがいつでもマシャのためを思って最善の道を取ろうとしてくれていることは、よく分かっている。それに反発して危険を冒しているのは自分の方なのだ。

 今だって本当ならマシャは“ピニッツ”に戻らない方が良い。海賊“ピニッツ”が外交官ルイサの密偵だと知られる可能性もあるし、“ピニッツ”は今後も戦争の危機に首を突っこんで行かなければならないのだ。危険きわまりない。

 それにディナティ王毒殺の真相も知りたいし、この国の行く末自体も気にかかる。

 マシャはしばらくナザリにしがみついたまま、自分の感情がせめぎ合う結果をじっと待った。目を閉じて、気持ちを落ち着ける。様々な立場と皆の思いが、自分の中で交錯する。自分の思いがそれに引っぱられて、ころころと変わる。

「──ナザリ」

 目を開けた時、マシャの心は落ち着いて、揺るぎないところに治まった。

 ナザリの首から手を放したマシャの目は、副船長のそれに戻っていた。

「一つだけ、我が儘を聞いて欲しいんだ。手を貸して」

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