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2章・ネロウェン序曲-1(開始)

 その屋敷は、ネロウェン国王都の城下町から離れた場所に建っている。

 王宮ほど壮大ではない。だが、そこいらの民家を寄せ集めたよりもはるかに大きな家だった。ネロウェン文化の特徴がよく出ている、なめらかな曲線で作られている土色の建造物だ。塀の内側はささやかな林に囲まれており、落ちついた風情をかもし出している。

 高い塀に挟まれた丸い門には番をする男が一人立っているだけで、辺りには誰もいなかった。ひたすら立ち続けるだけで話し相手もいない門番は、立ったまま槍にもたれかかるようにして、うつらうつらと居眠りをしていた。静かで暖かい早春の午後。誰でも眠くなるものだ。

 その時、

「フセクシェル男爵様はいらっしゃいますか?」

 唐突な甲高い声が、門番の耳にキィンと響いた。慌てふためいた門番は「誰だ!」と怒声を上げた。

 すると彼の目前には、年端も行かない少年が立っているではないか。少年は、自分より2回り以上大きいだろう門番の男に怒鳴られても、まったく動じずにカラッと笑った。

「男爵様にお買い求め頂きたい品物があるんだ。取り次いでよ」

 そこで初めて門番は、少年がネロウェン人でないことに気が付いた。まず肌の色が違う。

 加えて格好も違う。

 頭にはターバンでなく、四角い帽子が乗っている。その中央に縫いつけてある宝石が本物かどうか門番には分からなかったが、ただの子供でないことだけは理解できた。服装もネロウェンのものと違って、街の子供と比べてどこか豪華だ。丈の短い上着に、幅の狭いズボン。その縫い目や装飾が一つ一つ丁寧な仕上げであることは、見ただけで分かる。

 門番は自分の知識から、この少年がヤフリナ国の商人であると判断した。

 だが子供一人というのが解せない。

 しかも少年は、妙な生き物を従えていた。少年の腰丈辺りに頭が位置しているものの、それでもまだ子供と言える大きさだろう、四足の獣である。異国の動物で、名は確か……グールだ。

 砂漠のネロウェン国にグールは生息していない。だが時々、街の見せ物小屋で剥製を扱ったりもするので見たことがあるのだ。生きた成獣を見たことはない。凶暴で人に懐かない動物だと聞いている。

 なのに初めて目にした子グールは、少年にすり寄るようにして座っている。

「品物とは、それか?」

「そうだよ」

 茶色い髪をした少年は、グールの首に巻いてある紐の先を掲げて見せた。

「男爵様が珍しいもの好きだと聞いたんでね」

 門番の男は、眉をひそめて少年を見た。

 年の頃は12か13か……と思ったが、その年にしては、しっかりとした言葉を使っている。ピンと背を伸ばした立ち姿にも、どことなく気品が漂っていて、彼がそこいらの子供ではないことを物語っている。子供一人というのが不審だが、追い払おうとすれば歯向かいそうな快活さだ。

 逆に言えば、子供一人だから大丈夫か……と、門番は思った。

「ちょっと待ってろ」

 門番は子供を置き去りにして屋敷に入った。人を呼びに行ったのだ。

 ほどなくして初老の男が門番と共に現れた。少年は男のしょぼくれた作りの顔を見るか見ないかのうちに、地に膝をつけてひれ伏した。

 初老の男は、少年の側にちょこんと座るグールを見て「ほう」と声を上げた。

「いくらだ? ここで金を払ってやるぞ」

 だが少年は平伏したまま、かぶりを振った。

「男爵様にお会いできなければ売りません」

 男は顔を歪めた。

「不許可な商いのガキなんぞに、男爵様はお会いにならん。不満なら帰れ」

「不許可ではありませんよ」

 少年はほんの少し顔を上げ、男に微笑んだ。それから一呼吸置いて、慎重に答える。

「父が、ディオネラ商会に」

 その答えに、男が緊張した。ディオネラ。ヤフリナ国の豪商、テネッサ・ホフム・ディオネラが仕切る団体だ。ネロウェン国とも取引のある商人なので、そのこと自体はおかしくない。

 だが、その商会の者だとかいう子供がたった一人、単身でフセクシェル家に乗りこんでくるという、これは不測の事態である。フセクシェル家がディオネラと直接取引があることは秘密裏なのだ。

 初老の男は男爵付きの執事という仕事上、その件に密着している。

「用向きは何だ? 顔を上げてみろ」

 少年は挑戦的な目で執事を凝視した。口だけで、にっと笑う。

「子グールを買って下さい」

「……中へ」

 少年は微笑んだ顔のままで立ち上がり、執事に続いて門をくぐった。門番とすれ違う時、少年はじゃあねと門番に手を振った。門番は至近距離で見せられたその仕草に「ん?」と声を上げかけたが、結局何も言わずに門を閉めた。確認する意味を感じなかったからだ。

 少年が少女かも知れないなどと感じたとしても、どうでも良いだろう。

 自分が勘違いしていただけのことだ。

 この時に門番がそれを確認していたら、ことの展開は少し違ったかも知れない。だが結果的には咎められずに入場できたので、少女は内心、安堵していた。子供らしい弱さは相手を油断させるが、女らしい弱さが相手に劣情を与えることを、彼女は知っている。それを上手く使いこなす女もいるが、自分にまだそんな力がないことを彼女は熟知している。上手く使いこなす女──そう、例えばルイサのように。

 少年を模したマシャは整えられた広い庭を、きょときょとと首を動かして歩きながら、慎重に屋敷の様子を観察した。「女」を使いこなすことはできないが、「子供」にならなれる。

 以前に行ったディナティとの会話を思いだしながら、自分なら“彼”をどこに隠すだろうかとマシャは考えた。


          ◇


 3日前。

「ルイサの“伝書鳥”は、フセクシェルの屋敷にいるそうだ」

 ──ディナティはルイサとの対話の後、詳細を余すところなくマシャに聞かせた。

「単刀直入な方法としては、ルイサが正式なロマラール国大使としてフセクシェル家を訪問し、“海兵団員”を返してくれと交渉することだ。一番手っ取り早い」

 ディナティの説明に、マシャは目を見開いたものだった。

「そんなことしたら、そのルイサって人はフセクシェル家に良いように利用されることになるじゃないか。ディナティだって、ルイサがあっち側についたら困るじゃん」

「マシャ」

 横で聞いていたアナカダが、小姓と思えないマシャの乱暴な口調を責めたが、ディナティはこれを聞き流した。マシャの毒舌をいちいちたしなめていたら、話が先に進まないからだ。

 他に聞いている者が誰もいない、3人だけの談話だから良いものの……とアナカダは自分の執務室にてブツブツとぼやいたのだった。

「そうだ」

 ディナティはマシャに同意した。

「ルイサはすでに一度、我が左大将アナカダと会見している。その顔をフセクシェル家に見せるなど自殺行為だ。海兵団の、面が割れていない者を使って男爵と交渉するのも一つの手段だろう。だが、それでも結局は海兵団の力をフセクシェル家に分け与えなければならないことに変わりがない。以後ルイサは2枚舌で私とフセクシェル家を渡り合わなくてはならなくなる」

 聞くだに、マシャの胸がムカムカとしてくる。マシャはデーブルを叩きそうな勢いで、拳を握った。

「そんな無理が続くわけないよ。いくらルイサの外交手腕が天才的でも、そんな危険な橋は渡らないね」

 マシャの怒声に満足してか、なぜかディナティの顔には笑みが浮かんだ。

「その通りだ。だからルイサは、2つ目の道を選んだ」

「2つ目?」

「我が国の最高権力者からフセクシェル家に諫言させる、という方法だ」

 アナカダが渋面でマシャに言った。

 どうやらアナカダは、マシャの存在が気に入らないらしい。今までも薄々感じていたことだったが、きちんと顔を合わせてみて、はっきりとそれが分かった。左大将は、国王が旅先で拾ってきた素性の知れない子供が大きな顔をしていることに、嫌悪を感じている。

 というか、あたしがアナカダでも、そう思うだろうけど。などとマシャ自身も思うので、このことに関しては特に和解の努力もしていない。

 だから、そんなアナカダの言葉に対しても、ことさら同意してみせるとか感心してみせるなどのオーバーな反応はしない。ただ「ふぅん」と言っただけだった。それに対してまたアナカダが眉間にしわを寄せ、ディナティが仲裁するはめになるのだが、それでも自分のスタイルを崩さないマシャだった。

「ルイサは自分の“鳥”が絶対に口を割っていない自信を持っている。それは男爵家に動きがないことからも本当だろう。だから“ロマラールの民間人が不当に捕らえられている”として国王軍からフセクシェルへ攻め入ってもらいたい、と依頼を受けた」

 マシャは内心で「なるほど」と思った。

 ルイサは完全にディナティに仕えると決めたわけだ。変装してでも王に直接会ったのは、それだけその“鳥”が重要であることとルイサの決意のほどを示している。ルイサはこの先、2度と表舞台に立たずにディナティ王の密偵に徹するつもりなのだろう。“ロマラール使者”でなく“踊り子”として。

 フセクシェル家に“鳥”が捕らえられたままになっているという情報の収集。ルイサがディナティに会うために裏でおこなった手回しの数々。そうしたものが、この数週間に詰まっているのだ。

「その“鳥”ってのはロマラール海兵団にとって、よっぽど重要人物みたいだね。第3の道が取れないぐらいに」

 マシャは素っ気なく言って、果実湯を口に含んだ。ディナティは目を細め、アナカダは「ほう?」と口に出していた。

「ルイサは、3つ目とは言わなかったが」

 マシャは当然だと言いたげに眉を上げた。

「あたしなら見捨てるさ。捕まったのは、そいつのドジだ」

 言葉の一つ一つが自分の胸を刺すのを感じながらも、マシャはそう言ってのけた。

「けれど、そうできないってことは“鳥”に利用価値があるってことだ。ディナティがこれを助けたら、ルイサには相当の恩になるだろうね」

「救えなんだら、交渉も途絶えるだろうがな」

 アナカダが口を挟んだ。確かにと、これにはマシャも素直に頷いた。自らの失敗ですらもディナティを試す道具にしている。抜け目のない女性だ。

「でも捕らえられている者の名前も顔も分からないんじゃ、助けようがないじゃないか。それに、きっとそいつは拷問なんかも受けてるはずだろ。口を割らない民間人って変じゃない?」

 マシャのもっともな意見に、2人が頷く。

 アナカダが手を挙げた。

「捕らえられたのは2週間前らしい。何度か行き来を重ねた挙げ句に捕まったのだそうだ。その男を手引きしたネロウェン人の商人が裏切ったと聞いている。それについて裏の社会に、おかしな情報も飛びかっていてな。男爵家に忍び込んだ泥棒を返して欲しければ、金と引き替えだというものだ。だがフセクシェル家が本当に欲しいのは金などではなかろう」

 マシャは再び「ふむ」と思った。“ピニッツ”に名指しで脅迫が流れないということは、フセクシェル家は自分たちが誰を捕らえたのか分かっていないということだ。けれど、裏界隈にその情報を流せば何かが引っかかってくるだろうほどには価値のある者だ、と知っている……ということになる。

 となると、すべきことは『“伝書鳥”の正体を知られずに奪回する』という事項だけが残る。

 おそらくルイサは、ディナティ王になら自分の正体がバレても良いと思ったのかも知れないが……。

「マシャ?」

 呼ばれて顔を上げたマシャは、決意した。

「ディナティ王様。この件、僕にやらせてくれないかな。3日後には“鳥”を奪回してみせる。考えがあるんだ」

 机に拳を乗せて真剣に話すマシャの様子に、ディナティ王はおろか、アナカダまでもが素直に承諾した。マシャの方が拍子抜けしたほどだった。反対とまで行かずとも、嫌味の一つは覚悟していたのだから。


          ◇


 ──そうして、言葉通りにマシャはフセクシェル家に乗りこんだのだった。

 自分一人だけで、誰も供を付けず。いや。心強い供は一頭、そばにいる。

 風の通る大きな回廊を歩きながら、マシャはそっと子グールに触れた。もう、手を下げると立ったままでも頭の毛に触れることができる。黒い毛にも深みが増し、次第に野性味を帯びてくるグールは、この夏には成獣となるだろう。大人しくしているものの、顔には迫力がある。

 回廊の片側に並ぶ部屋の一室を指して、執事が振り向いた瞬間。

「この部屋で待つが……うわっ?!」

 マシャはグール“オルセイ”に合図をして、手綱から手を放したのだった。

 グアウッと“オルセイ”が雄叫びを上げて、執事に飛びかかった。彼がもし体勢を崩しておらず、かつ武器を手にしていたなら、勝負は逆転していたかも知れない。だが執事は、猛獣なはずのグールを御しているのが子供ということがあり、油断していた。門前で出された言葉“ディオネラ商会”の方が気にかかっていたせいもある。

 仰向けに倒れて後頭部をしたたかに打った執事は、自分にのしかかって吼えてくる獣に悲鳴を上げた。

「ひいっ」

「“オルセイ”」

 マシャがグールを制し、その背中を撫でながら、押さえつけられて動けないままの彼を冷ややかに見おろした。

「2週間前に商人が、ロマラール人を売っただろう? それを返してもらいに来たよ」

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