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1-6(大饗)

 大広間は回廊と同じく、曲線を描く金の柱に囲まれている。中央を包むような丸い形と柱に造りつけてあるたいまつの明かりが、優しく広間の者らを見守っているかのような、柔らかい造りだ。壁がなく全部吹き抜けになっており、晴れた夜空には美しい月が出ていて、この上なく素晴らしい宴の様相を呈していた。

「お気に召しましたでしょうか?」

 広間の中央より少し奥で、一人の男が玉座に向かってうやうやしく平伏していた。

 王たる少年は戦いの服を脱ぎ、絹の上着と(サークル)、それにマントでもって王たる威厳を示している。久しぶりにはめたサークルだったが、出陣前よりは馴染んでいるような気がした。人の体2つ分は上空に位置する壇上から男を見おろすディナティ王の顔は、堂々としていた。

 男のお辞儀は這いつくばるような深いものだったが、彼はディナティが指示していないのに、すっと顔を上げた。彼だけは、それができる人間だからだ。いやマシャなども礼儀を無視してやりそうなことだが。いやクリフなんかでも、やってしまうかも知れないが。

 青年はゆるくウェーブしている黒い長髪を、金の髪留めで一つにまとめている。額にかかる一房の前髪を払い、王に笑みを向けた。ディナティより少し年上のその青年は、自分ではその笑みを、親しみあふれる暖かい表情だと思っているのだろう。ディナティが自分に儀礼的な挨拶しかしないことに、不満の色を浮かべかけて、慌てて押し殺した。だが、どちらかといえば愛想笑い好感度は、ディナティの方が高い。何しろ余裕がある。

「マラナエバ殿下。手厚い出迎えと凱旋の宴、まずは礼を申そう。旅の疲れも癒えるというもの」

 その青年マラナエバは再び手を突いて、深く頭を下げた。

 吹き抜けになっているので夜風がめいっぱい舞い込んでくるのだが、何十人、いや何百人といるだろう巨大な広間は熱気に包まれていた。石床に点在する絨毯に皆がめいめいに輪を作って座り、心ゆくまで酒と食事を楽しんでいる。椅子に座るのはディナティだけだ。王の目前、広間の中央部分には絨毯がなく、マラナエバは石床に直接膝を突いて、頭をこすりつけている。この上なく屈辱的なその体勢を、いつかガキ王、お前にも味あわせてやる、と思いながら。

 いや、味わうことはないかも知れないが。

 王が玉座から退く時は、死ぬ時だ。

 マラナエバは暗い笑みを浮かべたが、顔を上げた時には目尻を下げて、明るい笑みに切りかえた。

「趣向もたんと用意してございます。存分にお楽しみ下さいませ」

 マラナエバは大袈裟に両手を広げ、立ちあがって、後ずさりした。その時、彼の青い瞳がディナティ王の横に座る紫髪の娘、戦いの女神を捕らえていたのだが、幸か不幸か当人ラウリーは、これに気付かなかった。横座りをして王に寄りそう娘は、どこも見ていなかった。

 マラナエバの退場と入れ違いに広間の入り口から、華やかな格好をした楽士がぞろぞろと中央に並んだ。縦2列に並んで、真正面の王に向くのでなく、わずかに体の向きを外にして顔だけを王に向けて、あぐらを掻いていく。座った順から楽士たちは弦をつま弾き、2重奏が4重奏、6重奏と重なっていく。マラナエバの口上のために静かになっていた広間にわぁんと鳴り響き、人々の喧噪を呼び起こした。テンポの良い曲は自己主張せず耳触りの良い音でもって、人々の口を饒舌にした。

 王ディナティは肩で息をついた。

 ようやく緊張を解きほぐしたディナティが、自分の両隣に座らせている異国の客人を見おろした。娘の方は、おそらく人生至上最高であろうと思われるほどに、着飾らされていた。紫色の髪は綺麗に洗われて香油を塗られ、輝いている。そこに金鎖を編んだ帽子のような装飾をかぶり、さらにそこへ光る石や羽根などをふんだんに飾っている。何本もの三つ編みにした髪の先にも装飾が施され、首周りや耳、手にも沢山の装飾をつけた彼女は、広間でもっとも白い肌をしていることもあって、神々しくすらあった。

「大事はないか?」

 うつむき加減の娘を案じて、王が声をかけた。紫髪の娘はゆっくりと顔を上げて、王のためにだけ微笑んだ。王の向こうに座る者を見ないようにして。

「平気です」

 娘はこの国の言葉で返した。

「窮屈な格好であろう」

「いいえ」

「そうか」

 ディナティがラウリーを見る目は、恋慕の情ではない。だがクリフに対する以上に、そこにはねぎらいと親愛が込められている。それを感じてラウリーも逆に、ディナティに対して母性愛に近いものを持っていた。それほどにディナティは兄オルセイを、特別に思ってくれていたのだ。

 ふいに現れたロマラールの平民だけが、自分を特別視しなかった。

 それが強くディナティに刻まれているらしい。高い位に対して敬意を払うことと畏怖することは違う。即位以来、畏怖され続け、そしてある意味では蔑視されていた孤高の少年が初めて得た「友」だったのだ。

 ラウリーが神のようにあがめ奉られる格好を承諾したのは、ローブを引き裂かれて自棄になったためもあるが、ディナティ王の顔を立ててのことでもあった。

 その向かいに座るクリフはそこまで、そのようにきらびやかな格好はしていない。飾りの類を嫌がり、最小限にしてくれとジェスチャーで頼みこんだからだ。それでもクリフとて、人生至上最高に豪奢な格好には違いないが。

「お前も」

 と、ディナティはクリフにも声をかけた。綺麗なロマラール語だった。オルセイに学びマシャに学び、ラウリーと話をして、日々上達しているのだ。

 それに比べて自分は──と、クリフはディナティに話しかけられると躊躇を覚える。オルセイが好きだったと全身で示してくれるこの少年に、罪悪感を感じるのだ。

「大丈夫です。ただ……」

「ただ?」

 クリフは躊躇を隠し、果実酒をくいと仰いだ。

「できれば、あの辺に座りたいですね」

 杯を持ったままの手で、クリフは広間の入り口近くを指した。柱が並んでいるので少し見えにくいが、むしろ隠れるようにして4,5人で輪を作って座っている連中がいるのだ。

 仮にも今回の戦争での最高功労者なのだし、国王親衛隊の隊長が勢揃いしているのだから、もっと上座に座れと言いたいところである。だが、そうもいかないお家事情のせいと、彼らは彼らでその場所が落ちつくらしく、そこに収まったまま話に花を咲かせているのだった。

「俺もだ」

 ディナティはロマラール語で言って、笑った。

 凄惨な戦いだったにもかかわらず、広間の皆には笑顔が見える。

 故郷へ帰ってきた安堵と時間が、彼らを癒したのだろう。皆、顔を上げ、美味そうに酒を飲んでいる。

 酒が美味い日は、良い気分の証拠だ。

 そんなことを言ったのは死んだオヤジだったっけかなぁと思いつつ、クリフは苦い杯を飲みほした。すぐに女中が次を注いでくれる。クリフは、あまり強い方じゃないんだが……と思いつつも、注がれたその杯も干した。

「何か、すごいピッチで飲んでるみたい」

 入り口付近に座する隊長連中の輪もこの時、奇しくも“イアナの英雄”を見ていた。

 発言したのは、この中で唯一隊長という冠を持たない少女だ。いや、見た目は少年で通しているが。

 小姓は、側近とも女中とも違う。宴会の場でまで王の側に付いている必要がない。それに王の護衛として上座には左大将アナカディアも座しているし、周囲には大臣や諸侯連中がひしめいて王に媚びを売ろうとしている。ねぎらわれるべきは兵士らのはずなのだが、それがそうも行かないところが政治の難しさである。

 ディナティがラウリーにことさら華美な格好をしてもらって側に座らせたのも、この媚び虫を寄せ付けないためと『戦の功労者をもてなす』という意思表示のためである。普通に親衛隊長らを上座に据えたのでは、大臣らの心象を悪くする。その点、異国の“女神”と“英雄”なら良いシンボルになるというわけだ。

 むろんクリフなどは、そんなことまで分かっているはずがなく、ただ酔いたくて飲んでいるだけなのだが。

「分かってんのかなぁ、あいつ。酔いつぶれたりなんかしたら、それこそディナティ王の面目がつぶれるってのにさ」

 そうは言いながらも立ちあがる気がないらしい小姓マシャは、あぐらを掻いたままの姿勢で絨毯に並べられている食事に手を伸ばした。酒の席の食事は、手づかみだ。若干手が届かず、あわあわと泳ぐ。それを親切に、向かいに座る一番隊隊長が皿を持ちあげてマシャの手に届かせてやった。

 豆が一粒転がったのを拾いながら、その男、サキエドが苦笑した。

「お前もつぶれるなよ、マシャ」

「今日だけは良いだろ。軍神様もさ」

 フォローしたのは5番隊隊長のキャナレイだ。そういう彼女も酒を手にしたまま、のほほんとした口調になっている。かなりの酒豪だそうなのだが、さすがに今日は飲み過ぎているらしい。

「久々に女神様とご対面なんだし」

「この後は逢い引きか?」

 キャナレイの言葉を受けて、その横でもっと酔いが回っているらしいハゲた男、同じく分隊長のビスチェムが、ガハハと下品な笑いを洩らした。

「2人ともやめなよ、ラウリーたちはそんなんじゃないよ」

 マシャの制する言葉に、サキエドが反応した。

「そんなんじゃないとは、神と呼ぶことがか? 色恋沙汰を噂することがか?」

「両方さ」

 豆をかみ砕き、ジョッキの麦酒を勢いよく空にする。口の周りをぬぐいもせずに、マシャはぶはっと息をついた。

「オルセイのあんな死に方を目の前にして、それで恋だ愛だなんて言えたらよっぽどの超人か、ただの阿呆だね」

「出たな毒舌」

 ビスチェムが揶揄した。ただしその毒舌女王マシャの羅列も、だいぶ怪しくなっていた。

「神なんかじゃないよ。ラウリーが可哀相だ」

 聞きとりにくいほどの小声でマシャは呟き、その後、威勢の良い声で「酒!」とジョッキを持ちあげた。それに気付いた召使いが、新しい麦酒を手に飛んでくる。

「まぁ、それは私も同感だな」

 キャナレイが相づちを打った。

「あんな格好で王の隣りに座れと言われたら、憤死しそうだね」

 キャナレイもジョッキを仰いで「こっちも頼む」と声を上げる。あぐらを掻いて座るキャナレイも、マシャに負けず劣らず男そのものだ。短く刈りこんだ髪に、引き締まった体。

 ビスチェムがそうかねぇと呟いて、遠慮のない目でその肢体を舐め回した。その眉間に、キャナレイが容赦なくビシィッと指をはじいた。

「痛ぇっ」

「こういう目にさらされるハメになるからね」

「まったくだ」

 キャナレイとビスチェムの漫才に、サキエドがくつくつと笑った。それから顔を上げ、“女神様”を眺める。女神ことラウリーは伏し目がちに、皆を見ないまま王と談笑していた。杯を手にしているものの、飲食そのものは申し訳ていどにしかしていないようだ。サキエドは悲痛を感じて目を細めた。

「どうよ?」

「ん?」

 ビスチェムの言わんとするところが分からず、サキエドは眉を寄せた。

「お前、あの“軍神様”の御者だったろう、話してみた印象はどうだったんだ?」

 ビスチェムは回らない羅列で一気にまくしたててから、つけ加えた。

「オルセイの親友だそうじゃないか」

 サキエドはそれを聞いて、ああ、と気が付いた。ビスチェムもまた葛藤を持っているのだ。自分が殴りつけた相手が敵になり戦争になり、勝ったと思ったらその親友が出てきて──悲しみにくれている。今ひとつ自分が正義になりきれない、後味の悪いものを感じているのだ。

「単純まっすぐ馬鹿男」

 半分寝ているような三白眼で、立て膝を突いてマシャが口を挟んだ。キャナレイとビスチェムが目を丸くしているのを睨むようにして、マシャは言った。この話はこれで終わりだとでも言うように。

「表しかない奴だよ」

 上手いことを言う。

「そうだな」

 サキエドは、赤毛の英雄を見ながら呟いた。

「普通だ」

「普通?」

 茹で蛸になっているビスチェムが、オウム返しに言った。まぁな、とサキエドは新しく差し入れられた麦酒のピッチャーを、ビスチェムのジョッキの傾けてやった。あたしも、と杯を出すマシャを、お前はもうよせと制する。いくら外見を少年にしていても、やはり泥酔する娘というのは具合が悪かろう。

「俺たちと同じ……いや、俺たちよりも“死”に対して弱く、狼狽している、ただの若者だ」

 サキエドは感慨深げな顔をした。

 口には出さずとも、その顔が死んだ部下のトニマンを思いだしていることは明らかである。マシャは目をそらした。自分が死ぬこと、斬られたことはなかったことにして笑えても、自分が死なせたこと、斬ったことに対しては記憶が薄れてくれない。許されたくとも、請うことすら叶わないのだ。

「あ?」

 マシャが顔をそむけたその時、広間の雰囲気が変わった。

 皆が一斉にザワリとどよめき、それまで高い口調でさえずっていた喧噪が、低く大人しいものになったのだ。

 広間の入り口から、誰か新しい者が入ってきたらしい。柱の影になって見えなかった。マシャは身を乗り出して、広間中央を見ようと頑張った。いつの間にか音楽も止んでいた。

 ざわめきが治まっていく。

 静かになった広間の中に、最後に弦の音だけがピィンと残った。それに重なるようにして、シャララン、と複数の鈴の音が響いた。鈴を持っている楽士はいなかった。今、入室してきた者が持っているらしい。

 まだ見えないので、マシャはいまいましげに立ちあがった。裸足のまま絨毯から一歩踏みだして──そして絶句した。

 また鈴が鳴った。

 その者が手と足に着けているものが、動きに合わせて鳴っているのだ。

「どうした?」

 サキエドが声をかけたが、マシャは反応できなかった。

 ビスチェムが首を伸ばし、それを見て「おぉ美人だな」と感嘆した。入ってきたのは踊り子とおぼしき女性だったのだ。

 呆然と立ったままのマシャの顔はすっかり酒気が抜けていて、むしろ青かった。

 何とはなれば、そこに立つ者の後ろ姿がマシャの知っている者に似ているからだ。

 背を覆うほどの豊かな金髪が、風になびいて輝いている。戦の時と違って今は下ろしていて、埃にもまみれておらず、美しかった。

 その格好も、戦の時とはまるで違う。

 肌を露わにした服装。いや、服と呼べるほどの布もない。必要最低限を覆っているというていどでしかない。下半身は膝丈のズボンだが、それは薄い絹で作られていて、太股が透けて見えている。普通に露出するよりも一層なまめかしかった。だがネロウェン人のような褐色の肌だけが、マシャの知っている者とは違う。

 通常、彼女が踊る様を見たことがなければ、それが彼女だとは気が付かなかったかも知れない。けれどそれは間違いなくマシャの知る女性だった。

 装飾を何も着けていないのは髪だけで、その他は首から腕から足の先まで、ラウリーに負けるとも劣らないきらびやかさである。加えてその女性には、その格好に負けないだけの“華”があった。口元を絹で隠しているにも関わらず、すべての者が彼女を凝視していた。

 マシャは酔った頭の隅で、自分が絶句していて良かったと考えた。

 もし声が出せていたら、大声でルイサと叫んで駆けよってしまったかも知れない。この場の状況や自分の立場、ルイサの思惑なども、すべて忘れて。

 踊り子の格好で登場したルイサは、鈴の音を響かせてひざまづき、ネロウェン国王に微笑んだ。

「お情けを賜りに参りました、ディナティ王様」

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