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1-3(模索)

 その空間へは、つい今しがた着いたところである。

 何も見えなかった。

 瞳を閉じるよりも暗い闇が、視界を埋めている。目は開けているはずなのに、閉じているのではないかと思えるほどだ。加えて、寒い。人の気配も光もまったくないそこは、まるで死の淵を思わせ、空気すらも凍っているように感じさせた。

「エノア様」

 少女の声が響く。

 そこが狭い室内だと分かる反響だった。彼女の側にはその名の者が立っているはずなのだが、自分の手すらも見えない暗闇は、いくら目を凝らしてみても慣れてこない。そして互いに、人の気配を出していない。

 そこに満ちているのは『魔の気』だけだ。

「ここはどこでしょうか?」

 幼い少女の声が、かつてと変わらない淡々とした口調で言った。暗闇に対してまったく恐れがない。それに対して応えた声も飄々としていて、闇を恐れていなかった。むしろ闇が自分の住処であるかのように穏やかだった。

「ソラムレア皇居の地下だ」

 エノアの声もまた反響した。が、それを聞く者がこの少女でなかったら、大抵の者はこの声を聞いても、そこに人がいるとは思えなかっただろう。人間でないかのような澄んだ声が響きわたった直後、急に光が生まれた。

 少女が目を細める。

 彼女の赤紫をした髪が、ちらりと光った。

 光は、エノアの手にあった。取りだしたロウソクの先に熱量を集めて、発火させたのだ。黒いフードの中の、翠の瞳をはめこんだ秀麗な顔が、照らされている。台に乗った小さなロウソクは、緩やかな光で周囲を照らしだした。充分な光量ではないが、室内の様子はそれなりに見えた。

 石の扉で閉鎖されている、石の部屋だった。上下左右のすべてが平らで滑らかな、切りだされた石に覆われており、継ぎ目もほとんど見えない。扉も、かなりの精度で造られている。

 それでも炎が揺れているのは、どこからか風の吹いてくる証拠である。部屋の隅にでも空気穴があるのだろう。完璧なまでの密室だが、死人を入れるための穴ではないということだ。だが住むための部屋でもない。人間に必要な衣食住の一切が、ここには置かれていない。あるのは床に描かれた、丸く大きな円の絵だけだった。

 円の縁に沿って、文字のような記号が並んでいる。

「分かるか?」

 エノアが少女──リンに尋ねた。

 リンは床の円陣に目を落とし、そこに描かれている文字を辿った。文字はどこの国の言葉でもなかったので、少女は、

「少し」

 と正直に答えた。

 エノアがかがみこみ、文字に光を近づける。円は2人が入ってぎりぎり程度の大きさしかなかったが、そこからは強力な『気』が漂っていた。

「魔力を補助するものであるとは理解できますが、それが特定の術を示すものかどうかは、私には分かりません」

「主には“転移”だ。同じ円陣の元へ我を運べと書いてある。ラハウは世界中にいくつも円陣を用意したようだな」

 エノアはそう言うと立ちあがり、側に立つリンを見おろした。

「クラーヴァ城内にも、この円陣が?」

 問われ、リンが顔を上げる。能面のように表情のない彼女の、目だけが少し、泳いだ。

「ありましたが、それがどこなのかは分かりません」

 エノアを見ながら報告し、言葉を切った後にリンはつけ加えた。

「申し訳ございません」

「謝ることはない」

 2人は“転移”を終えた直後だったが、平然としていた。2つもの神具と円陣のおかげで体力が衰えていないのだ。今はエノアの気力も充実していて神具を制御できているし、加えてリンは、リン自身が魔法を使ってエノアを補佐する。まったく使えない人間と一緒に“飛ぶ”のとは、わけが違う。

 近い場所への“転移”だったためもある。

 円陣は、円陣そのものが魔力を発しているのではなく、あくまで“増幅”が目的のため、遠い距離にある円陣を“感知”することは不可能なのだ。その場所は、それを使った者しか分からない。つまり──ラハウだけだ。

 老婆がクラーヴァ城とソラムレア皇居を自在に行き来していたらしい謎は、これで解けた。

 ジェナルム国でダナ神と争った時に現れたラハウは、ダナの亡骸を持ってこの円陣に来たのだろうと推測できる。エノアらの前に、近いうちに誰かがここを使ったらしい“跡”があるからだ。だがそこから先は、どこに行ったものだか見当もつかない。どれだけ神具を駆使しても、方角すら掴めない。

 だが死んだとは思えない。

 最後にエノアが放った『力』が、ラハウに届いたという感覚はなかった。ラハウの『気』はすり抜け、嘲笑しながら消えた。あれは断末魔の笑みではないはずだ。

 円陣の中に立ったままでいると、“転移”によって若干衰えた魔力が、体内に満ちてくるのが感じられる。この中にいればすべての力が増幅される。だが長居をしていたら、エノアらの魔力をラハウが感知するかも知れない。ラハウはこの円陣の場所を知っているし、別の円陣を使って、世界中の起動している魔力を感知し得る。

 そんな魔女に対抗するのに、紫髪の娘は力不足だった。

 彼女では、次にラハウやダナと対峙した時に共倒れどころか無駄死にする可能性が高い。それが今回の件でよく分かった。

 だからエノアは皆の記憶を消してラウリーを手放し、対策を練りなおすことにした。

 ……それだけだ。

「エノア様?」

 珍しく、リンが疑問形の声を上げた。

 てっきり歩きだすのかと思えたエノアが、その場に座してしまったからだ。腰に下げたイアナの剣が、床に当たってガチンと音を立てた。あぐらを掻いたエノアは両手を下げ、指先を合わせて、魔法の準備に入っている。

「“転移”の法を。魔道士の村に戻る」

「ラハウ様が感知なさるかも知れません」

 エノアの正面に立つリンには、フードに隠れたエノアの顔は見えない。その声にも感情は出ていなかったが、この時リンにはエノアが笑っているように感じられた。

「構わぬ」

 エノアからそれ以上の言葉が出ないので、リンもその場に座った。呼吸を、エノアに合わせていく。

 しばらくしてから、エノアが口を開いた。

「魔の山はお前を殺すかも知れぬ。人の足を許さぬ山だ」

 去っても良いのだぞという意味で出された言葉だった。

 リンは、自主的にエノアについて来たのだ。エノアが去るためにラウリーら皆の記憶を消した日、リンだけは忘れなかった。ラハウと長くいて魔道士の『気』に慣れていたし魔力も強かったために、“忘却”の術にかからなかった。

 自分のすべきことを考えた上でリンは、エノアを選択した。

 それについてエノアが言及したことはない。

 今も、何を伝えるでもなかった。

「構いません」

 ロウソクの光が消え、2人は再び闇に沈んだ。


          ◇


 そのエノアらが潜む地下の上には、皇居本体ではないものの、荘厳な屋敷が建っている。ただし、今は廃墟だった。

 3階建てで部屋が数個並んでいるのが分かるほど大きな屋敷だったが、広大な敷地の中では小屋にすら見え、しかも奥の隅であるため誰も目に留めない。周囲には木々が覆いかぶさるように林立しており、屋敷の正面には庭があった。しかし今はそれも手が入れられておらず、墓地のように寂れている。復興が進む皇居内で、その場所だけはまるで別世界だった。

 しかも廃墟は、崩壊している。

 明らかに、人が住めない。

 敷地の内側に面した壁の一部が完全に崩れ去っており、引きずられるようにして、その上に重なっていた部屋も倒壊してしまったのだ。潰れてしまった一階の部屋は見る影もない。

 その潰れてしまった部屋には、人の手が眠っている。

 本体は生きている。切り離されてしまった左腕だけが、埋葬されるように瓦礫の中に放置されているのだ。

「ようやく未練はなくなったけどな」

 左肩から先を持たない男が、瓦礫の山を見てそう言った。

 同じくその瓦礫を見ながら、彼の向かいに立つ青年は複雑な顔をした。笑うには重すぎるが、泣くのは同情だ。

 まだ崩れてくる恐れがあるので、迂闊に屋敷には近づけない。かつて、一階の部屋が壊れたその時に繰り広げられた死闘を思い起こすと、失った腕が拾えないことなど些細だと思える。あの時に部屋が崩れず、保ったことの方が幸運だったのだ。下手をすれば自分の命だけでなく仲間も、“イアナの英雄”も潰されて死んでいた。

 ソラムレア反乱軍一の働きをした片腕の勇士カーティン・ボーラルは、建物の外にたたずんで、しばらく瓦礫を眺めていたが、

「さて」

 気を取りなおすと、自分の向かいに立つ青年に向いた。

「例の件はどうなった?」

 カーティンの問いに、彼の顔がこわばった。その話だろうと予測していたものの、返す言葉を用意していない──そんな面持ちが窺える。カーティンがさらにうながす。

「王女と連絡は?」

 だが青年はうつむいて、ゆるく首を振るばかりである。分かっていたことだったが、カーティンは苦笑した。

「俺の力じゃ無理だ、カーティン。王女と連絡どころか、居場所すら掴めない」

 青年は心底から悔しそうだった。

「何日も寝ずに魔力を溜めたんだ」

「シモヌ」

 カーティンは何とか笑みを浮かべて、シモヌという男をねぎらった。まだ20歳そこそこの顔つきをしているシモヌは、自分の至らなさに意気消沈した。

 カーティンと同じ皮の胸当てをした、普通の兵士にしか見えない者だったが、彼は魔法使いなのである。密談というほどではないが会議にする話でもなかったため、散歩がてらでカーティンがこの離れに呼びだしたものだった。

「よくやったよ、お前は」

 他に言葉が見つからない。仕事が遂行できなかった以上、お前は良い魔法使いだと言えば嫌味だし、仕方がないとも言いたくない。

 同じ魔法使いとして、自分の力が敵より弱いと認めるのは苦汁の思いだろう。ケタが違いすぎる。あの老婆、ラハウの魔力は。だから仕方がない。

「王女ユノライニの方が我らに、“伝達”をしてくれることはないのか?」

 カーティンが一縷(いちる)の望みとして言うと、シモヌは冷笑した。

「王女にとっちゃ、あっちもこっちも敵だ。あるわけがないよ」

「海軍も、今頃は我々反乱軍の勝利を察知しているだろうしな」

 カーティンはうなった。

 ソラムレア皇帝タットワ・バジャルを葬った今、反乱軍にとって厄介なのは、地上兵よりもネロウェン国軍よりも、タットワの正規海軍の存在だった。元々、カーティンが属していた。主力海軍は何隻もの船を出してヤフリナに旅立ち、カーティンは、そこで“イアナの英雄”クリフォード・ノーマと出会った。

 ヤフリナ国で捕らえたクリフを連れかえった船はソラムレア海軍のほんの一隻でしかなく、主力軍はすべてヤフリナ国にとどまっている。そして、その中にはソラムレア国王女が乗っている……と、カーティンらは情報を得ているのだ。

 王女というのは、かつてソラムレアを統治していた王族の生き残り、最後の一人である。タットワ・バジャルは彼女を保護し王族にふさわしい生活を与えるのかと思いきや、彼女を戦争に引きずりだしたというわけだ。

 それは一重に王女ユノライニが持つ魔力がゆえである。

 カーティン自身がヤフリナ国に駐留していた時に、王女に会ったことはない。見たこともなかったが、噂ならあった。海軍大将であり一番艦隊艦長であるアムナ・ハーツの元に王女ユノライニがいるはずだというものだった。

「しかも面白かったのが、艦長は王女様に恋慕しているという噂でな」

「え」

 話を聞いていたシモヌは、思わず口をへの字に曲げてしまった。

 自分が知っている王女ユノライニの姿に「恋慕」というセリフが、あまりにも似合わなかったからだ。

 13歳の少女に。

「アムナ・ハーツ艦長って若かったっけ?」

「いや。確かもうすぐ50歳だったと思う」

 カーティンは腕を組もうとして躊躇してから、右手を腰に当てた。

「だがそれを言いだしたら、皇帝タットワの方がよっぽどだからな。自分の后にする女を戦争に引っぱりだしたんだ」

「本当かよ」

 シモヌはげっそりと頭をうなだれた。

 タットワが王族一派をすべて皆殺しにしたのは有名な話である。ただ一人、末の王女を残したのは、表向きは温情ということになっていたが、ちまたでは彼は自分の血と王族とを混ぜたいのだと言われていた。

「子供どころか自分の孫っていう年齢だよな」

「深くは知らないがな」

 カーティンは言いおいて、それ以上の戯れ事を避けた。

「評議会は王族を立てて政権を取る方針を崩す気がない。だから、そのうち俺たちは『王女奪還』の名目で出撃しなければならんだろう」

「……すまない、役に立てなくて」

「仕方がない」

 カーティンはからっと笑った。シモヌの“通信”が成功してもしなくても、出撃はしなければならない。

 カーティンがシモヌに望んだ“通信”は、王女ユノライニの場所や状態もさることながら、何より王女自身の心を知りたかったためだった。平民がユノライニを立てて政権を取るということを彼女が拒絶しては厄介だ。生まれたばかりの民主国はまだまとまりがなく柱を持たないので、すぐに他国に攻め入られる。

 いっそ死んでいれば大義名分も簡単だし、アムナ海軍への攻め方も変わるのだが……という、これは口に出さないが。

「俺には出陣の通達が来ないんだろうなぁ」

 シモヌがぼやいた。無理だろうな、とカーティンが肩を竦める。

 カーティンとシモヌは仲間であり一緒に戦った仲だったのだが、一段落ついて組織が編成されてからは別れ別れになってしまった。だから、こうしてコソコソと相談しているのだ。

 役割が細分化すると、それまで自由にやってきたことが急にズンと遅くなる。面倒なことである。

 が、国を一つにまとめるためには歯車の一つになりさがることも大切だ。

 カーティンは自分に言い聞かせるように、苦笑して呟いた。

「そのうち何もかも良くなっていくさ。革命には成功したんだから」

「だといいがな」

 シモヌも、カーティンの思うところを察して苦笑した。

「しかし考えるだに、あのラハウという婆さんは化け物だったよ。この皇居に結界を張ったまま、遠く離れた王女様と意志の疎通をしてたんだから」

 シモヌが片足を崩して、ため息をついた。

 ふと周囲に目をやったが、遠くには復旧に働く連中が見えるものの、こちらを気にしている者はいない。皆、仲間だ。自由な発言が自由にできる環境になったのだなぁと思わせられる。そうした点だけでも少しずつ変化しているのは、間違いなく“改善”なのだろう。

「クリフが持っていた剣……」

 カーティンが皇居内を眺めながら、ふと呟いた。

「何?」

「いや。ロマラール国から来た英雄が持っていたあの剣があったら、お前もあの婆さん並みの力を持てたんじゃないかと思ってな」

 カーティンは、かつてシモヌがクリフの持つ剣から強い魔力を感じると言ったことがあったのを忘れていなかった。だから剣が輝いても、そういう剣なのだと認識していた。クリフのことを“イアナの英雄”と呼んだのも、そのためだ。その力からは、軍神イアナの影が感じられるようだった。赤い髪をした猛々しい異国人は、イアナ神の化身のようだった。

 カーティンの言葉を受けて、シモヌは「よしてくれ」と諸手を揚げた。

「俺なんかがあの剣を使おうとしたら、この身がふっとんじまう。あんな力を引きだして制御できるのは、あの婆さんみたいなよっぽどの魔法使いか、よっぽど何も考えていない馬鹿だぜ」

 シモヌの言い草にカーティンは少し呆れたが、あの英雄がよっぽどの魔法使いだったと思うよりは後者の方が、らしく思える。思わず吹きだしてしまった。

「あんな凝縮された魔石をはめこんだ剣なんて、この先、一生お目にかかれないだろうよ」

 ボヤく2人は、ほんのすぐ側に建つ廃墟の真下に、まさにその剣が持ちこまれているなどと知るよしもない。

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