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第二部「マラナ唄」プロローグ~1章・ジェナルム鎮魂歌 1(不穏)-1

 ~プロローグ~


 青年は剣の哀しみを知った。

 娘は魔法の苦しみを知った。


 青年は剣にためらいを覚え、

 娘は魔法に疑問を抱く。


 彼らが知る神々の歌には続きがあって、

 そして完結せずに途切れている。


 それは、

 今も継続していることに他ならない。


  ◇


 チリン、チリンと音がする。

 どこか乾いた空虚な音は、死者を弔う鈴である。

 その音は誰もいない、何もない荒野に響きわたる。荒野は血塗られて草もなく、その周囲を死んだ森が覆う。そのすべてを見おろすかのように、小高い丘の上には木が一本ポツンと立てられている。

 墓の代わりの、一本の木。

 その木だけが青く大きく、そこで起きた惨劇をすべて見おろすかのように立っている。国王の一部は、その木の下で眠っている。まるで、その荒野を見守り続けることが王の贖罪であるかのように、埋められた。

 おそらくは何も知らず、何も分からないままに死んだであろう王にも、罪がある。

 すべての人に、罪がある。

 だが生きのびた人間がその罪を負うには、それはあまりにも重すぎる。だから死んだ人間を身代わりにして負わせて、負わせたことにまた罪を感じながら、それでも生きていくしかなくて。生きてしまっているのだから。生きてしまった以上、生きていくことが贖罪だから。

 木に吊された鈴が鳴る。

 それを吊した女は時々やってきては、王と共にこの荒野を見おろしている。

 風に揺られて鈴が鳴る。

 ここに人が眠っているよと知らしめる。ここに罪があるよと訴え続ける。

 黒いドレスを着た黒髪の女は、丘の木に向かって膝を突き、頭を垂れて祈った。もし木がなくても、鈴などなくても、女は一生忘れない。自分の夫のことを。民のことを。

 遠くには青い山脈が連なっている景色が見えるが、この荒野にだけは緑がなく、枯れていた。今もまだ死の神が残した『気』が漂っているのか、染みついているのか。けれど正気をなくした荒野の中の丘の上に植えられた一本の木だけは、それでも、もうすぐ訪れる春に備えるかのようにポツポツと蕾を付けていた。

 花が咲き、葉が茂り、種が落ち、次の芽が出て新しい木が生えたなら。他の木々らが育って邪魔をして風がさえぎられて、鈴の音がすっかり鳴らなくなったならば。丘が緑に包まれたならば。

 そうなった時には少し、人は許されるだろうか。

 ダナ神。

 あなたが失望し、恋いこがれ、蔑んだ“人間"が生きていることを、お許し願いたい。生きるということの罪を、どうか受けいれて頂きたい。


  ◇


「凱旋?」

 青年の声は怪訝で、不機嫌だった。彼にとってそれは思いがけない報告だったらしく、単語は棒読みで意味をなしていなかった。元はかなり低い声のようだが、思わずオウム返しにしてしまったその声はうわずっていた。

 その報告を行った、彼の足元にひざまずく男は、非難されて身を縮こまらせた。男は青年よりも相当年上だろうに、バツが悪そうな、しょぼくれた顔のままである。

 彼ら2人の周囲には、誰もいない。

 美しい回廊だった。庭に面しているその通路には屋根があり、その屋根を支える柱は、細かく美しい彫刻に金粉が擦りこまれている、豪勢なものだ。曲線を描いて通路を歩く人に覆いかぶさるように、何本も林立している。砂色のそれらは、パッと見には脆そうだった。だが、建てられて以来100年もの間、この国ネロウェンの発展や乱世を見守ってきた建物である。

 大抵の者はため息をついて異世を感じるこの廊下を、その青年はすっかり歩き飽きている。

 庭だって、他に類を見ない美しさなのである。

 水と植物で、人工的に作られたみずみずしい庭。毎日、丁寧に手入れされていて、冬にも関わらず、肉厚の大きな葉を茂らせた背の低い木がひしめきあっている。その下を飾る赤い花、石で四角く区切られた溝に流れる透明な水。

 砂漠の国における、最高の庭だろう。

 だが絢爛な廊下を歩く青年は、さんさんと日の当たるこの風景を一瞥もしていない。それは、青年もまた絢爛なためであろうか。

 廊下の華美に劣らないきらびやかな格好と、端正な容姿を持っているのだ。

 自分こそがこの国の王にふさわしいと自信を持っているだろう、堂々とした姿で。

 ウェーブを描く黒髪を後ろで束ねて険しい目をしている青年を、彼の後ろに控えている質素な格好をした男が、

「マラナエバ様」

 と呼んだ。

 彼の、黒色に近いほど深く青い瞳が、自分にかしずく男の姿を捕らえた。捕らえた途端、切れ長の瞳がさらに険しくつり上がった。

「刺客はどうなった? フセクシェル男爵が放っていたのではないのか?」

 マラナエバと呼ばれた男はその若さゆえか、人目をはばからずに吐きすてた。とはいえマラナエバは兄であるところのネロウェン国王ディナティより年上だ。実際、腹違いなので兄弟ではない。だがディナティ生誕後に王の子として認められることになったマラナエバの立場は、やはり“弟”と呼ばれた。

 そんな彼が野心を持つのも、当たり前といえば当たり前だろう。正妻の子でないというだけで、第一王位継承権から一歩外れてしまったのだから。

 国王ディナティに反発する勢力は少なくない。その最たる家が、姉の夫に収まっている男爵、フセクシェル家だ。裏では何やら色々と画策していると聞くが、マラナエバは詳しく知らない。そこが他人のようで油断のならない相手だが、男爵ヤハウェイサーム・フセクシェルは目つきが鋭く頭の良い、使える男だ。マラナエバは、せいぜい利用させて頂こう、と思っている。

「それが……機会を窺っている間に戦争になり、その中で、刺客を命じられていた兵士は死んでしまったらしいのです」

 ふん、とマラナエバは鼻で笑った。

「愚かな」

 彼は、北のジェナルム国に旅立ったディナティ王がどんな戦争をしたのか知らない。凱旋と言っても、内容はソラムレア国とのこぜりあいだろうと思っている。

 大股に闊歩するマラナエバの後ろを、小走りになりながら彼の小姓が追いかける。マラナエバはその使えない男をちらりとだけ見て、さらに歩く速度を速めた。

「詳しい戦況を」

 求められて、中年の男は子供のように怯えた。

「はい、それが……」

「さっさとしろ」

「は、はい。ジェナルム国を、その……」

「うっとおしい!」

 マラナエバが一喝する。少し波うっている豊かな黒髪が、ばさりと揺れた。ただでさえ、本当はそんな報告など聞きたくないのだ。どうせ駐留した自国軍と合流してソラムレア国の辺境軍を少しばかりやっつけて、自分の手柄みたいな顔をして帰ってくるだけだ、あのガキ王は。

 あんなガキ、すぐに引きずりおろしてやる。

 そんな暗い野望に冷笑しかけたマラナエバの顔が、小姓の放った言葉によって凍りついた。

「ディナティ王様は、反旗をひるがえしたジェナルム国と衝突になるも勝利を収め、崩御なされたジェナルム国ダナザ王に代わり、かの国を暫定的に管理する条約を収めまして……」

 小姓はそこまで言いきると顔を上げ、固まってしまって聞いていないかのような主にビクついた。

「つまり、その……戦った相手はソラムレア国でなくジェナルムで、そしてジェナルムを我が国の属国となさったと、」

「もういいっ!」

 我に返ったマラナエバは、哀れな顔をした小姓の顔を殴った。

「そんなに繰りかえさずとも分かるわ! 下がれ!」

 王弟の激昂を浴びた小姓は、情けない表情の中にも憎しみの色を浮かべつつ、その顔を伏せて影に下がっていった。後には怒りの止まない青年が一人、残された。

「くそう!」

 マラナエバは髪を乱して、柱に八つ当たりした。しかし堅固かつたおやかなフォルムを持つ石の柱はビクともせず、逆に蹴りつけた彼の足に痛みを与えただけだった。

「何だっていうんだ! 属国? ソラムレア国はどうなったのだ?!」

 情報に乏しい王弟は苛立つ心を少しでも抑えるために、誰もいない庭に向かって叫んだのだが、腹の底から声を出しても、ちっともすっきりしなかった。

「畜生!」

 庭に飛びだし、川の水を蹴り上げる。澄んだ水が跳ねて光り、川底に溜まった砂と混ざって濁った。

 その時、跳ねた水の向こう、木々の影から、

「マラナエバ様」

 聞いたことのない男性の声がした。散々に醜態をさらしたマラナエバは硬直し、誰何(すいか)すら忘れてしまった。だがその声は、マラナエバの返答を待たずに勝手に喋った。

「ソラムレア国は皇帝が反乱軍に倒されて、すでに停戦しております。ですが残党も多く、ヤフリナ国には主力海軍もまだいるという噂。ネロウェン国民がディナティ王を全面支持する前にソラムレア残党を取りこみ、革命終了直後で混乱しているソラムレア国を、一気に攻めるべきでしょう」

「……ソラムレア国の、我々に攻め入ろうとしたのは皇帝ではないか。その残党と手を組むのか?」

 マラナエバの素直な疑問に、影の男はくっと笑いをかみ殺したようだった。

「トップが変わっても、国は国ですよ。欲しい領土に違いはないでしょう?」

 マラナエバは馬鹿にされた気がして、怒気を強くした。目を凝らしたが草と木の向こうには高い壁があるだけで、人影が見当たらなかった。彼は川に踏みこんで近づいてやろうかと思ったが、誰もいないように見えるその場所から殺気が立ちのぼっていたため、一歩も動けなかった。マラナエバも相当の実力を持つ武人だ。姿のない相手がかなりの腕前であることは、肌で感じていた。

「お前は何者だ?」

 ようやく尋ねることができた。

 男は、

「フセクシェル家の手の者とだけ」

 と答えた。マラナエバは一瞬「味方か」と思い、気を抜きかけた。だが男の持つ殺気は、明らかに自分に向いている。再度きりっと口を引き結ぶと今度は、男は声に出してクククと笑った。

「そうなされませ。誰が敵か味方か分かりませぬ」

 マラナエバは男の言葉を苦々しく思ったが、いちいち反応するのは愚かだと感じ、気にしないことにした。

「帰国なさる少年王様に、お心を砕かれませ。あなた様の味方は多い、自然と運気が向くはずです」

その言葉を最後に、男の気配が消えた。草木が不自然に揺れることもなく、男が去ったらしき庭は何ごともなかったかのようにサワサワと音を立てた。マラナエバは再び注意深く庭を見回したが、そこに人がいた痕跡は見つけられなかった。

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