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1-4(勃然)

 ラウリーは昔、死に神と言われたことがある。

 何かをやらかしたというわけではない。相手がまだ分別を知らない子供で、彼女の守護神が死をつかさどる神なので、それを理由に苛められたことがあるのだ。ラウリーの胸には、その言葉が今も深く突き刺さっている。

 村中の、いや町だって王都だって、国中の人間が7人のうち一人を守護神に生まれて、その色の瞳を持っている。髪にまで、その色が現れるのが希なだけの話だ。

 けれど強く神の色を持つ者は魔力も強いに違いない、つまりは忌むべき者だ──という風潮が、ロマラールには残っている。昔々、古代人のほとんどが魔力を持っていた、それが滅びにつながったというお伽話の変形だ。

 本当にこの髪が魔力のある証なら、私は魔道士にだってなれる。

 そんな馬鹿なことを思いつつラウリーが魔法に興味を持ち勉強するようになったのは、自分の神ダナのことをもっとよく知りたい、魔力という不可思議な力を御して手にしたいという欲求があったためだ。髪の色を誇れる人間になりたいという思いもあったのかも知れない。

 調べた結果、おかげで世界には神の色持つ髪の者が案外と多いことが分かって、あまり尻込みすることがなくなった。

 彼女が文字を読めるのも魔道士という言葉を知っているのも、そうした背景があるためである。

「あの……」

 ラウリーは、思い切って黒マントの男を魔道士と呼ぼうかどうしようかと迷った。

 暖かいスープを持って、オルセイのいる部屋に入る。

 広い家ではない。

 片田舎の小さな村で一家族が住む程度の家だ。丸太を切り出して組み合わせて作ったに過ぎないし、ガラスなどコップがせいぜいなので、当然窓も吹き抜けである。部屋はダイニング兼リビングになっている中央の大きな部屋の他に少し奥まった厨房と、寝室が3つ。夫婦と男2人と、ラウリーが別々に使っている。そのうちの一つに、オルセイはずっと寝たきりである。クリフは今は、父親と共に寝かされている。

 ラウリーはクリフらの方にもスープが必要かなと思ったのだが、一日以上飲まず食わずで座りっぱなしの男の方が気にかかったので、この部屋へと足を運んだ。マントの影からちらりと見えた美貌の虜になってしまったと言っても良いかも知れない。本人にその自覚はなかったが。

 印象的な、透き通るような顎のラインといい、少し薄目の色の良い唇といい、先に声を聞いていなければ、女性と信じて疑わなかっただろう。きっと瞳までも見てしまったら、自分を見失ってしまうのではないか──そう思えるほどに、この世のものとは思えない姿が、そこにはあった。

「ま……」

 ラウリーは、あやうくスープを乗せてあるトレイを、落としそうになった。

 男が、マントを脱いでいたのである。

 さらりと肩に落ちる、ざっくばらんに鋏を入れたらしい髪は、明るい緑の色をしていた。その横顔にはめ込まれた2重の涼しげな瞳は、エメラルドのように不思議な(みどり)色をして輝いている。その奥に潜む深い瞳孔は、何を思慮しているものかまったく見当がつかない。

 マントをはずした下の服もやはり黒い上着とズボンで、肌の白さが浮かび上がって……いや。そう思ってから目を凝らしてみて、ラウリーは彼の肌が自分と同じ色であることに気付いた。同じ人種なのだ。だがそう思えなかった。

 ここまで鮮やかな髪を持つ人間に出会ったのは、初めてだ。ラウリーは自分と同じ、神の色をした髪を持つこの男に感銘して、知らずため息を洩らした。

 それから目をつむり、頭を振った。

 兄の様子はどうかと尋ねようとして一歩前に踏み出したその時、男の唇が動いたのだった。

「近づくな」

 ラウリーは出そうとした足を止めて一本足で固まり、息を飲んだ。バランスを崩しかけて足を戻す。それから部屋の様子に気が付いた。

 あまり広いと言えない部屋に、ベッドが2つ。窓側の方にオルセイが眠っており、その側にうずくまるようにして、男は床に座り込んでいる。その光景のおかしいところは、2人を包む空気がどんよりと重いのが見えることだった。ラウリーは思わず目をこすった。

 男はあぐらを掻き、クリフたちに使っていた時と同じような不可解な言語を小さく呟いている。しかしその彼が発散する光のような霧のようなものは、クリフたちの時には見なかったものだ。昨日のものとは呪文が違うのだろうか? その霧は、オルセイを包み込んでいた。

 しかしオルセイはピクリとも動かない。目を開く兆候すらないようだった。死んだように眠ったままだ。

 オルセイはかれこれ数十日は眠っているが、まったく髭を生やしていない。髪も爪も伸びず、顔色も白い。なのに彼が「生きている」と断言できるのは、かすかながらも呼吸があるからだ。

 長い、本当に長く浅い呼吸なのだが、鼻から空気の流れがある。吸い続けて、吐き続けている。数えたわけではないのだが、オルセイには一日に20回か30回かというていどの呼吸しかない。冬眠中の動物と同じかそれ以下というほどに呼吸をおさえ、必要最低限の酸素を取り入れて眠っているのだ。その状態を「冬眠である」と判断したのは、ひとえにラウリーの知識と、クリフと父親の狩人たる実体験に基づくものだった。

 しかし人間が冬眠するなどとは、聞いたことがない。医者や魔術師など心当たりをすべて訪ねつくした末に、最後に望みをかけた“魔道士”なのだ。まさかそれらしい人物が来るとは思わなかったし、クリフや父親、そしてオルセイの治療までもを行ってくれている、これは、望んだこととはいえ奇跡だった。そしてそこまで奇跡が積み重なった以上、兄の目とて開くのではという気になる。

 その時、

「娘」

 と、くだんの男が突然、ラウリーの方に振り向いた。まさかその瞳が自分を見るとは夢にも思っていなかったので、今度こそラウリーは仰天してトレイをひっくり返してしまったのだった。

「は、はい!」

 声が裏返る。

「お前には、このオーラが見えるのか?」

 オーラ、という名称に心当たりがなく、ラウリーは眉間にしわを寄せた。せっかく男が自分に声をかけてくれたというのに、返答できないことが悔しく情けなく、申し訳なかった。焦って顔が赤くなり、余計に言葉が出てこない。

「このモヤだ」

「ああ!」

 理解できた喜びについ声が大きくなり、慌てて口を押さえた。男が発散している霧のようなものを、オーラと呼ぶのだ。オーラは真っ白でなく、男の髪のような薄い緑色をしていたので、ラウリーは、

「かすかに緑がかって、兄を包んでいるものですね」

 と答えた。

「そうだ。こちらに来るがいい」

 呼ばれただけでなく、来いと言う。

 ラウリーは飛び出しそうな心臓をぎゅっと押さえつけたまま、そろそろと前に進み出た。

「そこへ」

 と言われて、兄の枕元に立つ。見下ろすと、冷たい兄の安らかな寝顔があった。ラウリーは泣きそうになるのを堪えながら、その額にそっと手を触れ、艶やかな黒髪を撫でた。兄さん、と心の中で呟く。

「呪文を教える。一緒に唱えてくれ」

 男の言葉に、ラウリーはバッと顔を上げた。深い翠の瞳をのぞき込む。

 唱えてくれ、と彼は言った。唱えろ、ではない。大きな魔力を持ち、魔道士かも知れないと思われる崇高な『気』を持つ男が、ラウリーに頼んでいるのだ。頼む言い方をしているのだ。

 もう彼女の心は舞い上がり、頭は熱に浮かされたように思考が止まった。足元がふわふわする。魔法を学び魔道士を夢見た彼女を必要としてくれる人間など、今まで誰もいなかった。初めて自分の知識が、自分の存在が、役に立つ時が来たのだ。しかも兄のために!

「娘。名は何と言う」

「ラウリーです。ラウリー・コマーラ」

「この男、お前の兄は?」

「オルセイ・コマーラです」

「ではラウリー。心の中で、オルセイと名を呼びかけながら、手を組み、祈るのだ」

「はい!」

 ラウリーは瞳をキラキラとさせ、兄の側に膝立ちになり、目を閉じて手を組んだ。翠の男の言葉を聞き取って、なるだけ同じ発音になるように呟く。男も、ラウリーが聞き取りやすいようにゆっくりはっきりと発音していた。

 ラウリーは嬉しかった。自分にしかできないことがあったのだ。自分を必要としてくれる者がいたのだ。父やクリフの努力を無駄にせず、兄を救うことができ、皆から尊敬されるだろう(おこな)い。ラウリーは必死に祈った。

 大した時間ではなかったに違いない。

 半日以上も彼の力で開かなかったオルセイの目が、ものの数分で開いたのは、それはそれまでの力の蓄積もあっただろうが、ラウリーの力によるところも大きかっただろう。

 目が開き、手が動いたのである。

「兄さん!?」

 ラウリーは思わず祈りを止め、兄の顔を覗きこんだ。

 クリフが目覚めた時と違って、オルセイの目は怖いほどに見開かれていた。

「兄さん……?」

 開いただけで、ラウリーの髪の色と同じ紫の瞳は、天井を凝視したまま、ピクリとも動かない。呼吸は元に戻ったが、口も聞かず手も一度動かしただけで、後はじっとしたままだ。目覚めたには目覚めたが、何か様子がおかしい。

「まだだ!」

 男が鋭く叫んだ。

 え、と言おうとしたがその暇もなく、ラウリーの口は悲鳴を上げる方に使われてしまった。

 突然オルセイの体が、宙に浮いたのである。

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