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番外編「始まりの始まり」

「クリフ! クーリーフー」

 広く晴れ渡った青空に、娘の声がこだまする。

 落葉した山に吹き抜ける風は、彼女の透き通ったメゾソプラノの声をすみずみまで運んだが、その呼びかけに応じる者は誰も現れなかった。木々の間を用心深く睨みながら、軽装の娘は髪をかき上げた。少し青っぽい、紫色に光る髪。

「どこまで行っちゃったのよ、あの馬鹿」

 彼女が馬鹿呼ばわりしている人物は、クリフと呼んだ者のことだ。朝からこの山に入っているはずなので探しているのだが、彼の巡回コースを歩いても一向に姿がないので、彼女は苛々してきていた。昼までには捕まえて家に帰るつもりだったので、軽食を何も用意しなかったのだ。相手はクリフだすぐに見つかる、と思ったのが間違いだった。

 その時、彼女の頭上めがけて何かが飛んできた。

 娘ははっとして、咄嗟にしゃがみ、頭をかばった。頭上に掲げた腕に、シュン、と3本の傷がついて血が飛んだ。

「ケーディ!」

 彼女は大慌てで背中に手を回し、弓を構えた。

 森に住む猛禽類のケーディという鳥は、一羽なら怖くない。大きさもそう取り立てて大きくはないし、力も弱い。だがこいつの厄介なのは、群れるところだ。仲間を呼ばないうちに撃ち殺してしまわなければ、一人では相手ができなくなる。

 娘は人を馬鹿にしたように叫び声をあげて自分の上を旋回している鳥に向かって、矢を放った。だがケーディは完全に彼女の動きを読んでいる。矢はかすりもしなかった。それはそうだ、普通は獲物に気付かれないうちに矢を射なければ当たらない。

 せめて再度自分に向かって降りてきてくれれば……と思いつつ彼女は、右手に短剣を掴んだ。しかし鳥はそれも察知しているのだろう、おかしな声を上げ始めた。

 仲間を呼んでいる!

 えーいクリフがもっと早くに見つかってればこんなことにはならなかったのよ、とか、どうしてケーディごとき察知できなかったかな私の馬鹿馬鹿馬鹿とかひとしきり後悔したが、もう遅い。娘はせめて少しでも有利な場所へ逃げるべく反転した。

 その背中で。

 嫌らしい潰れた声が、断末魔に変わった。

 ケーディが死んだのだ。

 娘が振り向くと、頭に布をしばりつけた青年が、落ちた鳥の残骸を拾い上げているところだった。彼は弓を持っていない。どうやらナイフを投げて当てたようだ。青年は娘と違って、肩にロープや腰に皮袋、背中に長剣など色々な装備を持っていた。青年は布を取ると、赤茶色の髪を振った。かすかに汗が飛んだ。

「クリフ!」

 娘は声を上げて彼に近付きながら、謝辞より先に文句を出してしまった。

「どうして今頃出て来るのよ、さっきまで呼んでも全然いなかったのに! 人が大変になったところを見計らって登場したわけじゃないでしょうね!」

 さすがにクリフと呼ばれた青年も、これにはむっとしたようだった。

「お前な、ラウリー、助けてもらっといてありがとうも言えないのかよ。大体そんな軽装でここまで入ってくるなんて、いくら慣れてるって言っても物騒すぎるぞ。山を甘く見るな」

「あんたに言われたくないわよ、山歴は私の方が長いのよ、物心付いたときから歩いてるのよ。そもそもクリフが午後の約束を忘れるもんだから、私が兄さんの代わりにここまで来たんでしょうが!」

「オルセイ?」

 案の定忘れている様子の彼に、ラウリーは大袈裟にため息をついて見せた。してやったり、という気分だ。

「謝肉祭の準備をするはずだったでしょう、今日は」

「げ」

 クリフがまた馬鹿正直に、記憶の欠如を暴露する。そして今度は、ラウリーがケーディ退治について感謝していないことを、すっかり忘れたようだった。

 クリフは名残惜しそうに手の中のケーディを眺めた。

「こいつで午後にはグールをおびき寄せられるなと思ったのに」

「何言ってんのよ、一人でグールを狩るなんて、無茶なこと言わないで。また怪我して寝込むのがオチよ」

 辛辣だ。思わずクリフは空を仰いだ。

 確かに20歳になった今でもまだ、一人でグールという名のどう猛な動物を狩ることはできていない。だがクリフがグールに怪我を負わされて寝込んだのは、17歳の時の話である。そんな昔のことを引っ張り出さないで欲しい、と思った彼はついラウリーに反撃してしまった。

「そういうお前だってでかい狩りなんてできないんだから、偉そうなこと言うなよな。俺らの補佐がせいぜい……あ、いや」

 言わなくても良いことまで言ってしまった。滑り落ちた言葉は戻せない。真っ赤になったラウリーの右拳が、見事にクリフの左頬に入った。内心クリフは「グーかよ……」と思いながら、よろけた。

 ラウリーだって簡単な獲物なら、一人で狩る。むしろ団体行動じゃない方が好きだ。だが先ほどのケーディのようなものもいるので、父であり師のジザリー・コマーラからは2人以上で行動しろと口酸っぱく言われているタチだ。それは娘のことを心配する親心が言わせている台詞だと分かってはいるのだが、ジザリーはクリフや兄のオルセイには、そんなことを言わない。頼られていないという気がして、ラウリーはいつもこの台詞が不満だった。

 それをクリフが突くから。

 ラウリーは頬を押さえながら獲物を腰に引っ掛けるクリフを一瞥して、ぐいと反転した。

「あ、おい、まさか一人で狩りを」

「しないわよ! あんたじゃあるまいし!」

 触らぬ神にたたりなし。今は話しかけない方が良さそうだと判断したクリフは、大人しくラウリーの少し後ろを歩くことにしたのだった。もう午後の日も傾いている。今から帰って祭りの準備に参加できるのかな~と思ったが、それは言わないことにした。とにかく帰ったら、平謝りに謝るだけだ。

 こいつも祭りの時だけはドレスを着て綺麗にして、かなりの美人になるんだがなぁ……とクリフは幼なじみの後ろ姿を眺めたが、それも口に出すわけには行かない。

 一方ラウリーはラウリーで、まっすぐ前を向いて歩きながらもどん底まで後悔しまくっていたのだが、それをクリフに見せるわけには行かず怒りの芝居を続けるしかないのだった。

 もし、神様がいるのなら。

 と、ラウリーは思う。

 もうちょっとだけ、私を素直な女の子にして下さい。


 本当に神様が存在することを知らないでいられた、ある晴れた日の昼下がり──。


   fin

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