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7-6(兆候)

 マシャは魔力をこれっぽっちも持っていないし、別に、勘も良くはない。こう見えても勘や思いつきでなく、確かな情報を元に行動する性質(たち)なのだ。と、マシャ本人は思っている。無茶をしているように見えても、その言動には理由(わけ)がある。

 だが、この時のマシャは何の裏付けもなく、勘だけで立ち上がっていた。

 思わず膝から夕食の皿を落としていたが、まったく気が付いていなかった。頭にターバンを巻いた横顔が、北を向いている。眉を寄せた険しい顔に夕陽が当たり、少年のように凛々しかった。

 今日も野営のネロウェン軍は、空の下でたき火を囲んでの夕食である。ディナティ王がテント内でなく外での食事を希望したため、マシャとシハムの3人で簡単な食事を摂っているところだった。

「マシャ?」

 彼女の向かいに座る、長い黒髪を束ねた少年──ディナティ王は、彼女が突然立ち上がったことに少し驚いた。いつものマシャは、男勝りだが謙虚で、ソツのない行動を心がける。時々思いがけず暴走するのでそういう部分はだいぶ慣れたのだが、この立ち上がり方には鬼気迫るものがあった。

 彼女の連れだった男がいなくなってからの彼女は、表面こそ明るくしていたが、その奥の暗さを隠しきれていなかった。彼女の涙を見てしまったために、そう思うのかも知れないが。

 少年王ディナティは、マシャが大泣きしたことで好感を覚えたほうだった。宮廷で涙を安売りする嘘泣き女とは違う、本当の悲しみを知っている娘だと感じたのだ。マシャにしてみれば、悲しくても泣かない彼女の意地が唯一崩れてしまった瞬間だったのだから、そう思われるのは良い迷惑である。

 ディナティはマシャが自分の小姓を承諾してくれたのには、安堵したものだった。自分もオルセイを追うと言ってキャラバンを飛び出したりはしないかと、冷や冷やしたものだ。別に彼女が出ていっても、それはディナティに何の罪も落ち度もない。勝手にしてもらって良いわけだが、それではオルセイに申し訳が立たない。オルセイに言われた『男の頼み』が、友人や小姓を持たずにいたディナティの中で、かなり重要な位置を占めている。

 それには、この先に待っているように思われる不吉な予感を消し去りたい気持ちが、入っている。

 ネロウェン駐屯軍からの連絡が途切れた。

 それだけではない異常な事態が、ジェナルム国に待ち受けている気がしてならなかったのだ。

 ところがディナティがそう思っていた矢先に、マシャが険しい顔をして立ち上がったので、ディナティはギクリとしてしまったのだった。ネロウェン国ではあまり魔法が普及していないが、マシャはロマラール人であり魔法に関連した仕事を請け負っていたと聞いている。それをディナティはまだ信じている。

「どうした?」

「聞こえた気がしたの」

「魔法で?」

「違うけど……でも」

 マシャは北を向いたまま答えた。

 野営テントを張った600人のキャラバンは、様々な武器を抱えて北上を続けている。つい先日、ジェナルム国に入ったところだ。だがその遅々とした団体行動に、マシャはずっと苛々していた。

 どうしても、そんな人数でしかも徒歩の者もいるのだから、ゴーナで早駆けるような速度と同じになるわけがない。加えて豊かな自然と爽やかな気候が砂にまみれたネロウェン兵を癒して、つい足止めしてしまうのだ。

 天候はこちらの方が寒いが、昼夜の気温差が穏やかだし、何より水が豊富だ。遮るものがほとんどなく来れてしまう隣国のこの素晴らしさに、何人かのネロウェン兵は不満の声を上げているようだった。もう半分以上ネロウェンの支配下に入っているこの国に、ディナティ王はなぜ国民を移住させないのか、と。

 植民地にするのは、簡単だ。

 移住も難しくないだろう。

 だがそれは間違いなくソラムレア国との戦争勃発の引き金だし、植民地化が上手く行ったとしてもネロウェン国民は砂漠の領土を放置するのか? とディナティは思う。先代から受け継いだ課題でもあるのだ、ネロウェンの砂漠を止める開発は。

 そのことに気付いていない、ネロウェンの砂漠が莫大な時間をかけながら広がっているということを、知らない国民も多い。

 ディナティがジェナルムと自国を守ってソラムレア国と敵対しているのは、植民地化などというそんな下らない政策のためじゃない。本当ならばソラムレア国とは手を組んで、国を発展させたいところなのだ。

 ソラムレアに高い技術があるのは知っている。

 そんな国とケンカをすれば、国財も人命も多く失われるだろうことも知っている。

 それでも、今現在ネロウェンに貴重な物資を提供してくれる豊かな国ジェナルムをソラムレアに奪われることは、国財に変えても阻止しなければならない重要な問題なのだ。

 というのが、ディナティ王の大義名分である。

「聞こえた? 何がだ?」

 それが、公衆の面前で大義を迷わせるような不吉な顔をされては、バツが悪いというものである。600人の軍隊は少数精鋭と銘打ってあるのだから、迷わずに国王について来てもらわなければならない。半数はディナティが有する親衛隊だが、半数はにわかに集められた、傭兵も混じる寄せ集めだ。

 それでなくても王宮では色々あるというのに。

 立ち上がっていたマシャは正面のディナティ王を見下ろしてから、ようやく自分が食器を落としたことに気が付いた。中身が見事にひっくり返って、すべて土の上である。スープは全部、地面が飲んでしまった後だった。

 マシャは地面に直接敷いてある座布団を直して、あぐらを掻いて座った。それから落ちた野菜一つ一つの土を払って、器に戻しながら呟いた。

「オルセイの声が、聞こえた気がしたの」

 マシャとディナティの横で一緒に食事をしていた右大将シハムが、呆れた表情をした。だがディナティは笑わず、真剣に頷いた。

 そのかたわらでは2頭の丸い動物が、人間の会話になぞ興味なさげに肉をはんでいる。

「いいさ、あたしだって何でだろう変だなって思ったもん」

 マシャはそう言いながら、土を払った野菜を一つ、スプーンですくった。

「止めろ」

 ディナティがマシャの右手を掴み、それを止めた。手が震えて、穀物がまたコロンと地面に転がった。地面はネロウェンより草が多く生えているし、ここのところ雨もないので土が乾いている。さほど汚れていない。それをまた拾いながら、

「なんで?」

 とマシャは聞いた。

「なんで、って……。汚れたろうが」

「汚れのうちに入らないって」

 ディナティが鼻白んだ。シハムは、ほう、という顔をしている。

 マシャは器の野菜を指さした。

「いよいよ汚れたら洗えば良いんだしさ。これを食べなきゃ、次にいつ何が食べられるんだろうと思ってごらんよ。少し土がついたぐらいで、お貴族様じゃあるまいし」

「……王族だが」

 思わずシハムが吹きだした。

 つられてグールがみゃーと鳴く。それを見てマシャが「あ、ほらこいつ」と言葉を続けた。

「こいつらだって地面から土ついた肉を食べてるわけよ。ディナティ、砂漠の王なのにそういう飢餓精神とかってないわけ?」

「こら、マシャ。陛下を呼び捨てにするでない」

 シハムがこれを聞き咎め、マシャは小さく舌を出した。ついディナティに“様”だとか“王様”だとかいう敬称を付けることを忘れてしまうのだ。だがディナティもこれには慣れたので、敬称については、

「いや、それは構わんが……」

 と言葉を濁した。

「確かに、一考の余地がある。王たる俺が飽食をしては国民に示しがつかん」

「陛下。ご自分のことを“俺”とおっしゃられるな」

 気苦労の耐えない右大将であった。

 マシャは、このようなヨタ話であっても素直に人の意見に耳を傾ける少年王に、度量の大きさを感じた。

「で、オルセイは」

 ディナティが言った。

「何か、言ったのか?」

 本題を思い出し、マシャは目を伏せた。

「うん」

 つい先ほどの声が、脳裏によみがえった。悲痛な、魂の叫びというのは、きっとこんな声をいうんだろうなと思えた、血を吐くような必死の悲鳴。

「クリフって……言ったように聞こえたんだ」

「クリフ?」

「オルセイの親友。だった人」

 親友と聞いて、ディナティのまぶたがぴくりと動いた。

「だった?」

 ディナティの言及に、マシャは言いにくそうに目をそらしてから、また前を見た。と言っても、ディナティと目を合わせはしていなかったが。

「多分、もう死んじゃったんだ」

 マシャの暗い声を隠すかのように、野営の兵らが遠くで笑い声を上げた。テントや馬車で風をさえぎり、その中でたき火を囲んで、皆が談笑している。そんなグループがいくつも点在している。彼らは事情をすべて知らされてはいないので、自分たちのことをただの王護衛団と思っているのだろう、戦争に行く顔ではなかった。誰もこの先に待ち受けることを、露ほども想像していない。

「それから、何と?」

 ディナティが続きを即した。

「ないよ。一言だけ。まるで死にかけの人間が最期に残したみたいな、苦しそうな声だった」

「最期なんて言うな」

 厳しい口調でディナティがいさめた。思案顔で顎をさわる。毛の色が濃く太いディナティは、丸一日髭を剃らないだけで無精髭がひしめきあう。そうした髭面で思案する顔は大人に見え、未来の立派な王を予感させる。王族や貴族のとかく嫌いなマシャだったが、近頃は、この少年王なら良い王様になるのかなぁと思ったりする。間違っても本人には、そんなことを言わないが。

 今はもう“ピニッツ”を抜けた身になったが、ルイサが“ピニッツ”の方針としてこの少年王を盛り立てれば良いんだけどなぁ……などということを考えるマシャだった。今ここにディナティがいるということはルイサは今回ディナティに会えなかったということなのだが、いつかまた必ず会って欲しいな、と思う。

「オルセイが去った日から、オルセイの軌跡を追わせている別働隊がいるのだが、まだ帰らぬ。足跡を見失ったのか、まだ追っている最中なのか……。どちらにしろ、王都に向けて後日に使いも出す。王都に立ち寄ったのなら、何らかの足跡もあろう」

 すると、オルセイはまだまだ北──ソラムレア国まで行ったということなのだろうか、とマシャは思った。詳しい場所は聞いても知らないと言われた。オルセイの勘のままに歩いていた。マシャの見た限りでは、オルセイの分かっていなさそうな素振りは演技ではなかった。

 マシャはつい先ほどまで“勘”というものにも根拠ってものが要るんだよと思っていたのだが、少しだけ、何の理由もない勘ってのもアリなのかも知れないな、と考えた。

「クリフ、か」

 マシャが呟いた。

 いかにもオルセイが言いそうな言葉だったので、心に引っかかってしまった。最後の航海で話した時以降、オルセイはまったくクリフの名を口にしなくなった。それがかえって目立ってしまって、マシャの記憶するところになってしまった。

 マシャはすっかり冷めてしまった野菜を口に運び、砂が歯の間に当たる嫌な感覚を味わった。

 ディナティが食べようとしながら何かを言いかけて、

「あ」

 スプーンから塊を一つ、取りこぼした。

 慌てて手で拾い、土を払ってからポンと口に放りこむ。まだ汁気を含んでいた野菜はたっぷり土をつけてしまい、払いきれなかった土が、ディナティの口中で盛大な音を立てた。

「その、クリフという男のことを話してくれ」

「……いいよ」

 マシャは微笑んで、単刀直入馬鹿男の話を夜更けまで続けたのだった。

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