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1-3(生還)

 クリフはうっすら目を開け、ラウリーを見ていた。正確には、目に入る強い色を見ているだけだったが。まだ視点は定まっていない。

 それからクリフは、徐々に目を開いていった。輝きが増す。その様子を、ラウリーと母親の2人は安堵の面もちで見つめた。

 そんな2人の表情や見慣れた室内の様子が、じわじわとクリフの目から脳へと浸透した。丸太を組んで作られた、朴訥ぼくとつとした室内。最小限の家具しか置いていない、狭い部屋は長年見慣れたコマーラ家のものだ。開け放された木の窓は爽やかな風を通し、その向こうには春と見まごうほどの穏やかな日の光があった。

 あの吹雪が夢だったように思える。

「俺」

「まだ起きては駄目よ、クリフ。ひどい凍傷だったんだから」

 体を起こそうとしたクリフの肩を、母親がそっと押さえた。凍傷。ということは、やっぱり夢ではなかったらしい。

「良かった」

 ラウリーがしんみりと呟いた。いつもの彼女らしくない。そう思って見あげると、ラウリーの瞳にはくっきりと深いクマが張りついていた。母親も同様だ。2人とも、自分が目覚めるまで一睡もしていなかったのではないかと想像できる疲労ぶりだった。

 隣のベッドには父親が眠っていた。2人とも助かったのだ。しかし父親の方は、まだ目を覚ます気配がなかった。自分より容態がひどいのだろう。

「あなたを助けて下さった方がいるのよ」

 母親がクリフらの助かった経緯を、かいつまんで説明した。

 母親とラウリーが家でクリフと父親の帰りを待っていた時、不思議な男がクリフらを担いできてくれたのだと言うのだ。

 二週間がたって絶望感が頭をもたげてきた頃、玄関の扉は開いた。

「父さん! クリフ!」

 喜びいさんで玄関に駆けた2人が見たのは、黒いマントの者だった。

 その者は、闇と同化するような漆黒のマントで全身を包み隠しており、フードも深くかぶって、まったく顔が見えなかった。玄関に立つその者を見た時には2人ともぎょっとしてしまい、その肩にかつがれた父親に気付かなかったほどだった、と母親は言う。

 その者が父親を下ろした音によって、2人とも金縛りが解けたかのように顎を上げたのだった。父親はうめき声すら上げることなく気絶していた。

 マントの者は右肩に父親を担ぎ、左の小脇にクリフを抱えていたらしい。マントに隠れていたクリフが姿を現し、木の床にドスンと落ちた。それでもクリフも目覚めていなかった。大の男2人を担いできた恐ろしい力の持ち主が、マントの隙間から見せた肢体は、華奢だった。

 その時ラウリーは瞬時に「これは魔法使いだ」と思った……と言った。

「ううん。魔道士様かも知れないと思った」

 クリフはその説明に若干顔をしかめたが、黙って続きを即した。

 黒いマントの──男。

 その体つきは、おそらく男だろうと思えたという。

 顔を隠していても体をマントで覆っていても、彼からにじみ出る雰囲気は完全に違ったらしい。特別な空気がその者の周りにはあったとラウリーは言う。魔法を扱う者に特有の空気だが、普通は同じ道の者でなければ読みとれないほど微かな差だ、と。

 それを考えると彼の持つ『気』は魔道士かと思えるものだったが、何せ伝説の魔道士がどれほどの気を持つものなのかは、想像しかない。ラウリーの知識で目の前の彼を分析するには、情報が足りなかった。言えるのは、「普通の者とは違う」ということだけだ。

 しかし彼が放つ『気』は、常軌をいつしていた。

「なにせ、まったく魔法を知らない私でも、彼は普通ではないと感じたの」

 と母親はラウリーを擁護するように言った。

 待ち望んだ魔道士であって欲しいというラウリーたちの願いが、男を特別な者に見せたのかとも思ったらしい。だが、そう思って気を付けて彼を見ても、やはりにじみ出る雰囲気は変わらない。

 突然入ってきた黒マントの男が我が家の男性2人を抱えていれば嫌でも怪しい、という話はあるが。

 呆然と立つ女性2人を尻目に、男はさっさと扉を閉め、肩に乗った雪を払った。冷気が遮断され、室内の空気がほっと和らいだ。ゆらめくランプの下、男が一つのペンダントを取り出して見せ、ようやく口を開いた。

「娘。これはお前のものだな?」

 質問でなく、確認である。ラウリーは嬉しさを交えて、力強く頷いた。

「私のものです。ありがとうございました」

 声は男性のものだった。男で間違いなかったらしい。

 やや高いが、なめらかで落ち着きのあるその声にも、やはり普通の者とは違う響きがあり、なぜか魔力を使うにふさわしいと納得できる、神秘的な声だった。普通でないというより、人間でないと言った方が良いかも知れないほどに。

 彼がフードを外したらどのような顔が現れるものか、想像がつかなかった。

 しかし彼はフードを取ることなく、ペンダントをラウリーの手に返した。

 7角形の、木彫りの平らなペンダント。ラウリーの手作りだ。この国ロマラール特有の装飾を施したものである。

 黒マントの男はクリフの持っていたこれを発見して、そこに込められていたラウリーの『気』を読みとり、この家の場所を知ったらしい。

 つまりラウリーの込めた『魔力』は嘘っぱちのものでなく、ちゃんと役に立ったらしい──ということだ。それがラウリーには嬉しかった。2人を山に行かせた責任で自戒に潰れかけていたラウリーは、このことに少し救われた。

「2人をベッドへ。処置する」

 男が、手袋を脱ぎながら言った。やはりマントは取らない。

 起きないクリフらは氷像になったかのように冷たく、白くなっていた。伸びた無精髭にもびっしりと雪が氷になってこびりついている。クリフの側にしゃがみこんだラウリーは、黒い男を見上げた。

「あの……。あの」

 彼のことを何と呼ぶべきかと迷い、ラウリーは言葉に詰まった。

「分かっている」

 男は何もかも見透かしているのだろうか。ラウリーが何も言わないうちから、そう答えた。それは、ラウリーの欲しかった答えだった。

 ラウリーは驚いて口を開けたまま固まってしまった。息を飲む。なぜなら、もっと驚く光景がそこにあったから。

 男はすぐマントをずらして、顔を隠した。

「しかし、その者たちを先に(おこな)った方が良い」

 そう言って、クリフら2人をまた持ち上げ、母親の指示するベッドへと運び込んでくれたのだった。

 それから半日、男は2人のベッドの側に座り込んだきり、動こうともせず触れもせず、ひたすら何かを呟いていた。母親はそれが何なのか分からなかったが、ラウリーには男が2人を“治療”してくれていることが理解できた。男のつむぐ言葉は、魔法に使われる言葉を学んだラウリーにも、さっぱり意味が分からない言語だった。しかし『力』を感じる言葉だった。ラウリーは手伝うこともできずに、ただ見守るしかなかった。

 そんなもどかしい夜半が過ぎ、「終わった」と言う男が別の部屋に去った後へとラウリーが座り込み、今に至るのであった。

 男の“治療”が終わってもまだ半日は2人に変化がなく、不安から男への不信が心をもたげてきた頃、ようやくクリフの目が覚めた。ラウリーが思わず小声で「良かった」と呟いたのは、クリフが起きて良かったのもあるが、自分が男を信用するのを止める前で良かった、という響きも込められていたのである。

「助けて……くれた?」

 クリフは呟いた。

 山の中での猛吹雪で死にかけていた自分たちを、確かに誰かが助けてくれたのだとは、理解しなければならないだろう。しかし山に登って数日、誰にも出会わなかったし、あんなに深い山奥から2人を連れて降りてくれた者がいるとは、にわかに信じがたい。もしかしてマントの男が、クリフらが望んだ『魔道士』だったとしても、それならばなおさら不思議だ。魔道士はかたくななまでにクリフらを拒否して、あの猛吹雪の中に押し込めていたはずなのだから。

 それともあのひどい吹雪はただの吹雪であって、魔道士とも違って何も関連はないのだろうか。

 クリフは、頭をぐるぐるさせながら考えた。

「そいつは、」

「その方、とか言いなさいよ。命の恩人に向かって」

 ラウリーがクリフの台詞を取り上げて注意した。クリフは密かに口を尖らせる。いつもの調子の2人のやり取りを見て、母親が肩をすくめた。この分なら大丈夫だとでも思ったらしい。

 母親が言った。

「あの方は今、オルセイの部屋よ」

「あ、じゃあ……」

 クリフが目を丸くし、母親が微笑んでゆっくり頷いた。

「名乗られてないから、分からないのだけれど。きっと大丈夫だと思うわ。あなたのおかげよ。……ありがとう」

 目的の人物ではないかも知れないし、自分が連れてきたというわけでもない。そう思うといまいち心が晴れなかったが、クリフは、とにかく結果としては一応の目的を果たしたらしいと理解した。

「私、兄さんの様子を見てくる」

 クリフは顔を動かして、紫髪の娘がドアの向こうに消えるのを見送ると、母親に向き直った。

「母さん。オルセイの容態は……?」

「まだ全然。あの方は魔道士様じゃないのか、それとも魔道士様でも治せないのか……とは、思いたくないけれど」

 母親はクリフの問いに、疲れた表情を隠しきれずに落胆した。先ほどまでの明るい顔が一気に曇り、10は老けて見えた。その時初めてクリフは、自分が何の謝罪も感謝もしていなかったことに気付いて、気まずさを覚えた。

「きっと治るさ。それより母さん、寝てないんじゃないかい? 俺はもう大丈夫だから」

「良いのよ。どうせ眠れなかったから」

「ごめん」

 やけに素直なクリフの返事に、今度は母親の方が気まずさを覚える番だった。そんなつもりで言ったのではなかったのだ。

 ちょうどその時父親のうめき声がして、母親はこれ幸いと席をそちらに移した。クリフは母親のそんな仕草に、少しだけ胸を痛めた。自分だけは、ラウリーやオルセイと違って、ここの子供ではない。

「お父さん」

「父さん」

 クリフも上体を起こし、父親の様子を眺める。その顔に一週間で伸びた無精髭があった。気付いてクリフも、自分の顎に手をやった。もさもさとした毛に触る感触がある。ラウリーに髭面を見せていたことに気付き、クリフは後で剃らなきゃなあと呑気に考えた。

「クリフったら。もう体を起こすなんて」

「大丈夫だよ。それより父さんは?」

「気付いたみたい」

 母親が晴れやかに笑った。やはり夫婦である、一番気にしていたのだろう。その顔が安堵にゆるんだ。顔と一緒に体もゆるんだのか、母親は不意に体を崩して、父親のベッドに突っ伏すようにして倒れた。

「母さん!」

「母さん?」

 父親がうっすらと目を開けた。

 自分の居場所を確認するために少しずつ目を動かし、顔を動かし、クリフの顔を見た。

「クリフ」

 名を呼ばれ、彼は父親に動作が分かるように、なるだけ大きく頷いて見せた。

「助かったんだ」

 そのクリフの言葉に、合点の行かない顔をする父親。さきほど母親から受けた説明をしようとしてクリフが身を乗り出した時、その悲鳴は起こった。

 一瞬、誰の声か何の声なのか分からず、硬直する2人。ベッドに伏した母親も、飛び起きた。一拍置いてから、その悲鳴の主の顔が脳裏に浮かび、3人の叫びが重なった。

「ラウリー!!!」

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