1-2(事件)
世界は7人の神に支配されている。
という神話がある。
それぞれの神がそれぞれ力を持っており、知、優、美などを司っている、というものだ。
それら神々の持つ力が人に宿ることを『魔力』という。
この『魔力』も、体力や知力のように鍛錬で伸ばすことができる。だが、その訓練は並大抵でなく、しかも体力などの他の能力よりも元々の素質が必要になる。限られた者にしか許されない力なのだ。
近年では『魔力』を使って生業とする魔術師や魔法使いなどといった職業もめっきり少なくなり、人々の生活から、かけ離れたものとなって来ている。代わりに鉄が普及し科学が発達しはじめ、技術という名の文明が勢力を広げつつあるからだ。
ここロマラール国もそんな国の一つなのだが、この地は他の国よりも少し『魔力』の影響が強いせいがあるのか自然が多く、朴訥とした土地である。というのも、世界に根付いている七神伝説発祥の地が、このロマラール国内にあるからだ。
『魔の山』──クリフら親子が登っていた、「魔道士が棲む」とされる山脈である。
人の持つ神の力『魔力』を極限まで引き出そうとしている集団である、と語り継がれている。とはいえ彼らが「彼ら」と言われる通り複数存在するのか、それともたった一人しかいないのか、もしくはそんな者など存在しないのか、それは誰も知らない。
しかし定説としては「複数」だろうと言われている。
しかも「7人」だ。神々と同じ数の、7人。
魔力を鍛え上げ神の力を身につけ、神に近づくということは、それだけ、神の影響も受けやすい。また一説には「魔道士こそが神なのだ」という噂もある。魔道士の役割とは、神そのものであり、この世界を守護し管理していくことなのだ、と。
一年を7つに分けた神の守護の月に、その月の生まれの者がもっとも魔力が大きくなることも考えると、やはり一神につき一人は、魔道士がいるものと思えるのだ。
人を殺す、『魔の山』。
人ならざる、魔の力。
魔法は恐れられていた。
──まだ神話が風化しておらず、ただのおとぎ話になっていない時代に、彼らは生きていた。
◇
暗闇の中から、耳をつんざく女性の大声が降ってきた。
「クリフっ。クリフったら! クリフォードっ!」
どこかで自分の名を呼ぶその声を、クリフは内心で瞬時にうるせぇなぁと毒づいていた。毒づくのが日課になっている、それを言ってもへこたれない相手がその声の主であると分かったからだ。
その相手は少しくせのある紫色の髪を肩の下までなびかせて、まっすぐな瞳でクリフのことを睨んでいた。その瞳もまた、紫色。彼女の守護神、ダナ神の色だ。
「あぁ? 何だよ、もう」
起き抜けで朦朧とするクリフは状況が掴めず、顔をしかめて周囲を見た。立っている紫髪の娘が腰をかがめて膝に手を突き、自分を見おろしている。そんな自分はどうやら居眠りをしていたらしい、とクリフは気が付いた。手に触るのは枯れかけの草で、顔を撫でるのは肌寒い秋の風だ。
ああ、そうだった──とクリフは記憶を辿った。
自分は狩りのために山へ入って一日歩きまわり、草原へ出てから休憩のつもりで眠りこけてしまったのだ。ずいぶん長く寝ていたのか、枕にしていた木の根が固かったせいで頭が痛かった。一度大きなくしゃみをしてから、クリフは鼻をすすりつつ娘を見あげた。
「何だじゃないでしょう! 兄さんもクリフも帰って来ないから、グールに殺されでもしたかと思ったわ」
「あっさり怖いこと言うなぁ、お前」
「あっさり起こることだから言ってんのよ。自覚がなさすぎるわ」
娘はふんぞり返り、腰に手を当ててクリフを説教する。クリフは身を起こし、そんな彼女の小言にへいへいと苦笑しながら肩を竦めるだけである。2歳年下の義妹は、気が強い。
「聞いてんの?」
「聞いてない」
「もう!」
彼女の鉄拳をひょいとかわし、
「そういえばラウリー、オルセイも帰ってないって……」
とクリフは話題をそらした。オルセイが、彼女ラウリー言うところの「兄」である。クリフにとっては同い年の義兄だ。仕事仲間でもあり親友にあたる。
グール狩人という特別な職業を担っている彼ら2人は一緒に山に入ったのだが、オルセイが先に帰ると言うので別れたのである。獲物が捕れなかったことを悔しがるクリフだけが、しつこく山に残った。
でもって結局は手ぶらなクリフを、西の落ち日が赤く照らしつけている。
赤茶色の髪が夕焼けのせいで、一層赤く光った。クリフは自分を守護している軍神、戦いの男神イアナを示す赤い瞳でもって、その落ち日を睨んだ。
「別の道を通って帰宅したのか?」
「でも、いつもの山に登ったんでしょう? 帰るんだったら、ここしかないもの、これだけ見通しが良ければ分かると思うんだけど」
クリフの険しい顔につられて、ラウリーも不安そうな声音に変わった。気が強くても、まだ18歳になったばかりだ。山の怖さも知っている。2人の脳裏に遭難という文字が走った。
あるいはもっと嫌な言葉が浮かびそうになるのを無理矢理、押さえつける。
その時、ラウリーが急に「きゃあっ?!」と叫んだ。
「どうしたんだ?!」
条件反射で、思わずクリフが腰の剣に手を伸ばす。グールという猛獣を仕留める時の武器は、長剣なのだ。
彼女は誰かに痛めつけられたように自分の肩を抱きかかえて体を曲げた。何か強い衝撃が彼女を襲ったらしい。瞳孔が開いたままの彼女の顔が、かっと山に向いた。
「大丈夫か?」
「……感じた」
呟き、ラウリーは瞬時に走りだしていた。
「お、おい?!」
慌ててクリフが追いかける。
グール狩人という特別な地位ではないものの、ラウリーもまた弓で生計を手助けしている立派な狩人だ。引き締まった体から発せられる爆発的なスピードは、一日の疲れをため込んでいる起き抜けのクリフを置いてけぼりにしてしまった。いつもならあっさりとクリフが勝てる力関係なのだが、この時のラウリーは様子を違えていた。
そんな彼女について山に舞い戻ったところ、気絶している黒髪の男を発見したのだった。
すなわち、オルセイを。
オルセイは山あいの裾に倒れていた。草むらに見え隠れする黒い影を見つけた時、クリフは一瞬妙な感覚に捕らわれた。具体的に見える人影──オルセイだけでなく、それを覆いつつむような、背後に立つような大きなものを見た気がしたのだ。
クリフは、まったく魔法など信じていないのに。
と思うのも、後日ラウリーが「これは魔法だわ」と言いだしたためだった。
気絶したオルセイを発見した2人は瞬時に起こしにかかったが、オルセイは起きなかった。急いでクリフがオルセイを担ぎ、自宅に連れかえったが……数週間がたっても、オルセイはただの一度も起きずにいる。
村の近辺だけでなく、王都にまでも出向いて医者を探した。が、どんな医者に見せても原因が分からない。そんなオルセイの容態を、ラウリーが魔法のせいと決めつけたのだ。眠り方や、発見当時の記憶からしても、これは魔法に違いないと彼女は主張するのだが、どうにも信じがたい。
「決めつけてなんてないわよ! 魔法は実在してるんだって何度言えば分かるのよ、この石頭っ!」
ラウリーはしかめ面をするクリフに、噛みつく。
斜に構えてしか魔法の話を聞こうとしないクリフに、ラウリーの苛立ちは兄の昏睡の不安とを交えて最高潮に達していた。とはいえクリフだって、不安と苛立ちに違いはない。自分さえ別行動になっていなければ……という負い目だって持っている。
魔法なる存在を認めることは、あの時に味わった何とも言えない感覚を肯定することにもなる。どちらかといえば、それが怖かった。
黒い何かが忍び寄ってきた感覚を振り払いたくて、魔法を否定している節もある。
数週間という長さが、疲労になって溜まっていた。
「実在は認めてるだろうが。人一人を昏睡状態にするような大きな力が信じられないって言ってんだろっ。ラウリーが知ってる魔法なんて、まぐれか風が吹いたかぐらいじゃないか」
「ひどい……文献には、ちゃんと大きな魔力のことだって載ってるのに」
「文献とか言うなよ、どうせ読めねぇよ、俺は。悪かったな」
「もういい加減にしなさい、お前たち」
彼らの父を務める初老の男が、厚い手で二人の肩をわっしと掴んだ。眠っているオルセイとそれを看病する母親の側で言いあらそう内容ではなかったからだ。言われて、2人は口を閉ざした。
「でも……でも、お医者様も誰もかもが無理な今、方法は魔道士様しかないかも知れないのよ?」
ラウリーがうつむいまま、小さくポツリと呟いた。魔道士という、その言葉は知っている。ラウリーがクリフに、口酸っぱく説明していたからだ。父親も知っている。
だが魔法をあまり信じていない男2人は、2人揃って顔をしかめたのだった。
うさん臭すぎるからだ。
「だって、」
ラウリーは居心地の悪さを感じてか、身をよじった。黒髪の青年、オルセイが眠るベッドの側に座りこむ母親も、そんな娘を見あげている。母親の方はラウリーに理解があったので、その目には同情の色が現れていた。
「ここはロマラール国よ。しかも魔道士が棲むと言われてる『魔の山』が近いのよ。年中雪が降りつづけてるし、戻った人も聞かない。でも、高い山じゃないわ。これだけ狩りで山登りに慣れたお父さんたちなら……ううん、ごめん、私なら、行ける。私は、少しは魔法もかじってるもん。可能性がまったくないことは、ないと思う」
「ないよ。死にに行くのと一緒だ」
クリフが正面からラウリーを見おろしてガンと言った。だがラウリーは顔をそらさない。一生懸命に睨みあげて、唇を噛みながらも穏やかな声を出すようにつとめた。
「他に方法がないのよ。クリフにはあるの? 私が感じたものを、どうやって説明するの? 形じゃない、言葉でもない音でもない不思議なものが落ちてきた感覚を……」
「それが、オルセイを気絶させた?」
「方角的には」
ラウリーはきっぱりと言いきった。
オルセイが倒れていた山中は、ラウリーが言うところの『魔の山』に近い場所だった。元々、このロマラール国北方全体が山脈に覆われているようなものである。その中にひっそりと形成するこの村も、ちまたでは“麓村”と呼ばれているような田舎の集落だ。
その田舎の狩猟が、この国を支えているのだが。
グール狩人にしてもそうだ。ロマラール国内で“グール狩人”と呼ばれる人間は少ない。普段は4つ足でのっそりと歩くグールだが、体が大きくどう猛で、いざという時にはとても機敏に動く。牙も鋭い。力だけでは、仕留められない動物である。技と速さが一番の鍵になるのだ。それを備えている屈強な男には、王宮仕えの騎士などには当然負けるものの、相当の敬意が払われる。
いや。
実際の力としては、平和な日々に腕を鈍らせている騎士たちより強いかも知れない。
そんな男を目指して一人前になりつつある青年を2人も抱えているコマーラ家は、“麓村”の中では尊敬されている。そして、そんな青年が気絶して起きないほどの事態なのだから、これはよっぽどだ──というわけだった。
だからといって、それを得体の知れない魔力のせいにするのはどうかと思うが……とクリフなどは思うのだったが、これに賛同したのは、意外にも父親の方だった。
「行くだけ行ってみよう」
渋々という声音ではなく、はっきりと決意の見える言い方だった。有無のない力強い返事に、ラウリーは安堵の表情を見せた。
「父さん」
じゃあ私も、と自室に戻ろうとするラウリーを、クリフが引き止める。
「お前じゃ足手まといだよ、ラウリー」
「なっ……!」
かっと赤くなったラウリーに、クリフは観念したように手を挙げた。
「こういう仕事は男のもんだろ」
「……クリフ?」
「俺が行く」
ラウリーは呆気に取られた。そりゃあそうだろう、ついさっきまで反対していたのだから。だがクリフは喉元を過ぎた小骨を忘れたように、あっけらかんと言ったのだった。
「お前だと本当に行きそうで、待ってるのなんて性に合わないからな。それぐらいなら俺が行くって。もう、これしかないんだってんなら、やるしかないだろ」
と言ってからクリフはやれやれと腰に手を当てつつ父親を見て、
「俺が一番体力あるし」
とつけ加えた。父親は、息子がもうほとんど背の変わらなくなっていることに気付いたように目を細め、その髪をくしゃっとかき混ぜた。いきなり子供扱いされてクリフは戸惑ったが、母親はそんな2人の様子に微笑んだ。
だが父親も譲らない。だったら2人で行こうと言うのである。母親が、それを肯定するように言った。
「お願いできますか?」
母親はその言葉を、オルセイを起こさないようにと気遣うかのように小さな声で、そっと言った。
──かくして山に乗りこむことになった2人に、ラウリーが「魔法を吹き込めておいたの。お守りよ」というペンダントを持たせたにも関わらず、遭難に至ったのであった。
魔道士に会えなかったこと自体、魔の山に入ったこと自体に後悔はなかった。ここで死ぬかも知れないという自覚が甘かっただけのことだ。クリフはいつでも、どんな時でも「自分が死ぬ」ということを具体的には想像しない。しようと思ったこともない。
ただやり残したことの数々が脳裏を駆けめぐるのが、悔しいだけだった。
その映像も段々と途切れていく。
最後に残ったのがラウリーの紫色のイメージだけというのが、何やら滑稽だった。自分にもう一度会いたい者がいるとすればそれは彼女なんだろうかと、自分は無意識にそれを願っているのかと思わせられる。
紫と言っても、色合いは微妙だ。
ダナ神を守護に持つ者は──例えばオルセイだってダナ神の月の生まれで瞳は紫色をしているが、髪は黒い。ラウリーほどの髪を持った者など、普通はいないものなのだ。
彼女にとって、それは長年のトラウマになっていたようだったが。
だがラウリーは強かった。世間の『神の色』を嫌う風潮にもめげなかった。多少孤独な様子ではあったが、狩りを覚えてクリフらに追いつこうとするさまには逆に励まされたものだった。彼女は髪を染めもせず、したたかに伸ばしてその色を誇示するかのように成長した。
鮮やかな、青みがかった紫色。
そう、確かこんな色だ……。
ぼんやりと視界に広がる色を追って、クリフはそう思った。
思ったと同時に、耳に馴染みのある声が飛びこんできた。
「クリフ!」
目をゆっくりと開くクリフは、自分が生きていることに気付くのにしばらくかかった。