5-7(救出)
カーティン・ボーラルは、ソラムレア国皇帝に対抗する反乱軍の一員だった。正規のソラムレア軍である自分の立場を利用して反乱軍へと情報を流し、暴動を起こす機会を窺っていたのだ。
皇帝は国民に重税を課し、それによって得た資金を戦争に投入していた。まず南のネロウェン国を潰して、その間にあるジェナルム国と共に自国の領土とする。そしてヤフリナ国との取引を最優先しながらロマラール国を取り込み、果てはクラーヴァ国も。ゆくゆくは東の国、西の国と手を伸ばして行き、やがては全世界を──。
と、このように妄想の大きな皇帝を良く思っていない国民が多いことも事実で、反感も当然と言えた。暴動は、起こるべくして起こったのだ。
「誰かいないか!」
カーティン・ボーラルは自分たちの兵器、投石機が砕いた一室の前に立ち、ガラガラに崩れ去ったそこを見回した。
皇居に乗りこみ暴動を始めたは良いが、肝心の皇帝が見あたらず、手当たり次第にそれらしい場所を砕いて廻っている最中だったのだ。広い敷地内に侵入し、破壊した建物は3つ。しかし皇帝の住むこの場所は、式典祭場やら教会やら倉庫やら、とにかくありとあらゆる施設が整っていて、まるで一つの町である。ありったけの手勢を集めて攻め込んだというのに、青い空の下、まだ手がかりも掴めていない状態だった。
だが、逃亡はしていないはずだ。と、カーティンらは志気を奮い立たせる。逃亡経路は押さえてある。こちらには魔法使いもついている。皇帝タットワ・バジャルのお抱え魔法使いというのは影では有名だったが、それなりにはそれなりに力を持つ仲間がこちらにもいる。その彼が「今だ」と号令をかけたため、カーティンらは攻め込んだのだ。
皇居内で空気の震える、大きな動きを捕らえた。
それが魔法使いの言葉であり、暴動のきっかけだった。彼曰く、皇居を取り囲んでいた見えない“壁”が消え去った、と言うのだ。皇帝の魔法使いが張り巡らせていた、防壁が。
そんなことの出来る者に心当たりのないカーティンらは、よそ者である赤茶の髪の男を思い浮かべたが、あまりにイメージが違うので、その想像は取りあえず却下した。誰でも良い。攻め入る隙が出来たのだ。
最初に打ち壊した城壁から中へと、数人ずつ数台の投石機を運び入れ、壁を崩しながら徐々に間合いを詰めていく。崩れた箇所からは歩兵が飛び込んでいって、迎え撃ちに出てきた正規軍の連中と、片っ端に闘った。
戦況は有利だった。
何せ海軍は、カーティンの乗った船一隻だけが帰国したのであって、未だ殆どがヤフリナ国に滞在している。しかも陸軍も、南の国境でネロウェン国軍と対峙すべくでかけたままだ。海軍は、ヤフリナ国で武器など準備を整え、陸軍の進撃に合わせてネロウェンに攻め込むつもりをしていた。
だからソラムレア国は今、思わぬところからの攻撃に泡を食っている状況なのだ。身の内に巣くう虫が、まさかこんなに大きいとは思ってもいなかった、というところのようである。完全に後れを取っていた。
カーティンが立派なレンガ造りの離れを狙ったのは、魔法使いが「あそこに“力”を感じる」と言ったためだった。その離れの屋敷が皇帝お付きの魔法使いが住む専用の屋敷であり、ロマラールの男はその魔法使いに捕らえられているらしいとも情報を得ていたことから、カーティンらはそこに一発お見舞いしたのだ。
石でない物を、投石機に乗せて。
通常は普通の石しか使わないのだが、カーティンはこの時、実験中だったある弾を乗せた。
「カーティン、まさかここで“それ”を使うのか……?!」
仲間は叫んだ。投石機の周りを援護してくれている彼らが、“それ”を見て一瞬動きを止めた。しかしカーティンは止めなかった。
「今使わないで、どうするんだ!」
敷地に入った反乱軍の投石機はすでに、もう何台も破壊されてしまったが、カーティンの投石機は幸いにも奥まで侵入して来れた。
それを乗せずに、どうしようというのか。
そうして打ち出された弾が、クリフとラハウの戦っていた部屋に届けられた衝撃なのだった。開発中の弾は、特殊な砂を特殊に混ぜることによって、衝突の際に爆発を起こす、という代物だった。軽量の鉄を開発したために可能になった弾だ。しかし軍の中でも研究が難しく、また、戦争の際の機能性が良くないという理由から、お蔵入りになっていたものだった。量産ができないのである。
それを仲間の誰かが拾ってきて開発をし、カーティンらがそれを認め、お披露目にいたったのであった。
なので、爆発した瞬間の驚愕は、敵もさることながらカーティンらも呆気にとられたほどだった。土煙のやんだ部屋の様子には、戦慄すら覚えた。
「この弾は危険だ。世界を滅ぼしかねん」
と誰かが呟いた。
その声に弾かれたようにして、カーティンは走ったのだった。室内に向かって。
そして呼びかけるに至ったのであった。
「誰かいないか!」
しかし、彼の声に反応する者はいなかった。
ポッカリと空いた壁の向こうに広がる室内は、ぐちゃぐちゃだった。吹き飛んだレンガが散らばっているのもさることながら、家具やテーブル、椅子も見る影がない。天井からは屋根が崩れて斜めになっており、いつ落ちてきても不思議がないし、焦げくさい臭いが漂っていた。室内が燃えていたらしいのが爆風で吹き消えたようだというのは、かろうじて分かる程度に痕跡が残っていた。
「誰もいないようだ」
カーティンは小麦色の髪をくしゃりと一掻きしてから、仲間たちに振り向いた。油断なく見守っている仲間の中で、魔法使いだけが首を傾げている。
「いや、確かにいたんだ、誰かが」
「弾を撃つ直前までか?」
「というか……」
魔法使いが言いよどみ、カーティンの背後を見て叫んだ。
「危ないっ!」
カーティンは後ろも見ずに横に飛んだ。瓦礫に足を取られて転んだが、第一刀は避けたらしい。自分が元いた場所に、ガキンという硬い音が炸裂した。
しゃがんで足をジリジリと動かしつつ振り向き、カーティンは自分を襲った者の正体を見た。
鬼女。
そんな言葉が浮かんだ。
ボロ布になっている薄汚れた灰色の、いや、黒いマント。その中から覗く白い刃は、異様にギラギラと輝いて見えた。灰をかぶった白い髪が乱れ、重力に反してゆらゆらと揺れていた。その髪の間からカーティンを睨む、皿のように大きな瞳は闇の色で、吸い込まれそうなほどに暗い、まったく何も映していない目だった。だが強い憎しみをたたえており、目が離せない。
「魔力を持たぬ虫けらが……」
鬼女が呪いの言葉を吐いた。
カーティンはその目にのまれた。
老婆が動いた。
剣が一筋の光になる。
「う?!」
避けきれなかった。
思わず頭を守るために振り上げた左腕が、
「うわあぁぁあぁっ?!」
左腕が、飛んだ。
視界の外へ。
瓦礫の中へ。
肘から上の、筋肉質で鍛えられた、30数年共に生きて共に育った、そして共に死ぬのであろうと信じて疑わなかった自分の一部が、自分の体から離れ、ゴミになっている。他愛もないもののように、ポトリと、重みなく転がった。
カーティンの肘の下には感覚があって、指を開いたり閉じたりしている気になる。実はちゃんと手が付いているのではないかと思う。けれど──。
カーティンは、自分の左腕を見たくなかった。目の前がかすむほどに血が流れている感覚もあるのだが、それでも、見たくなかった。
「カーティン!」
カーティンの足元に、血溜まりが出来ていく。
「危ない!」
仲間がカーティンの背後で叫んでいる。走ってくる音も聞こえる。けれど、カーティンは動けなかった。
狂ったような、鬼の顔をした老婆の刃を見ながら、何も感じず、何も考えられずに立ちすくむだけだ。自分に向かってどんどんと、スローモーションのように大きくなっていく刃は、むしろ面白いと思った。
その刃が、ピタリと止まった。
老婆の剣はカーティンから思いの外遠く、軽く3歩以上は距離があった。それがさらに離されていき、老婆の顔が遠ざかる。老婆を掴んで引っ張っている者がいるからだ。
その者は背後から彼女の両腕を掴み、カーティンから引き離していた。
「早く逃げろ!」
聞きなれない言語が飛んでくる。けれどカーティンには、その叫びは意味をなして聞こえた。ロマラール語だ。カーティンは迷わずその名を口にした。
「クリフォード!」
「?! ……あ!」
気付いたらしい。
しかし名前は思い出せないらしい。
カーティンが2番目に望んだその男は、頭から埃をかぶってズタボロの格好でカーティンを見ながら、口をパクパクさせていた。
老婆がクリフの手をふりほどき、カーティンへと向かって来る。
「カーティン!」
仲間がカーティンの両脇に、援護に入った。3人目の仲間が老婆へと斬りかかる。それを老婆が正面から受け、力任せに横に払った。決して弱くないはずの大の男が、いともたやすくパタリと倒れた。小さく傷ついた老婆だからと油断したのだろうが、それにしてもラハウの力がやたらと強い。
傷ついていなかった先ほどの状態よりも強いかも知れない、とクリフは横目で見ていて思った。中途半端な戦い方では、ここにいる男たちが全員傷ついてしまう。逆転したと思われた形勢は、まったく変わっていなかった。と、思われた。
クリフは机の影からイアナの剣を拾い、走った。
爆発の際にクリフは咄嗟にそのまま机に向かって転がったのだ。だがその時に剣を落とし、拾う前にカーティンに気付いたため、慌てて飛び出した次第だった。あのような爆風をまともに受けてすぐに動けるラハウは、やはり化け物なのだなと妙に冷静に考えたりする。
「ラハウ!」
クリフが瓦礫を乗り越え、ラハウに突進した。
一撃で仕留めなければならない。
相手は手負いの母グールのようなものだ。ためらっている暇はない。やるかやられるかだ。クリフは生きるために、彼女を殺さなければならないのだ。
クリフが吼えた。
壁の崩れたところに立つカーティンが、あまりの失血と痛みに倒れそうになりながらそれを見た。
両側でカーティンを支える男たちも凝視した。
ラハウに吹き飛ばされた男も身を起こし、それを見る。
投石機を守りつつ戦う反乱軍も、それを壊そうとする正規軍までも。すべての者が、その崩壊した部屋を見た。
先ほど、ラハウと剣を交えている時にはまったく光っていなかった剣が、また輝いたのだ。
どうもラハウの力が途切れたり弱まったりした時に、イアナの剣は光るようだ。剣の力はすべて、ラハウが抑え込んでいるものなのだとクリフは気付いた。
それが今、解放されて光を放っていた。
クリフの怒気に合わせて。
太陽のように明るく、炎のように赤く、光よりも白く。
その切っ先が、黒く小さな老婆を捕らえる。
いや。
捕らえようとした、寸前だった。
またもや。
クリフの目と鼻の先に、ラハウの笑顔があった。
鬼気迫る、忘れられない笑顔だった。
頭から血を流しながら、黄色い瞳孔を開き、皺だらけの顔をくしゃくしゃに歪めたその老婆の口から、声はなかった。なかったが、クリフには聞こえた気がした。
「また」と。
また会おう、と。
ラハウは消えていた。
やり場のなくなった剣が空を切り、地に落ちる。勢い、手から剣がすっぽ抜けてしまったのだ。そこに確かに存在していたはずの肉体が消えており、後には汚らしい血溜まりと、老婆の残骸らしき黒いマントの破片がヒラヒラと落ちているだけだった。しかしそれも、部屋に盛大に空いた穴から吹き込んでくる風が持ち去り、どこかへ飛ばしてしまった。
クリフは立ちつくした。
また、会う。
あの悪夢のような、悪魔のような、死に神のような老婆に、また会う。
クリフは身震いした。
戦慄ではなかった。
武者震い、というやつだろうか。
ゆっくりと剣を拾い上げると、クリフは瓦礫の上に立った。
「大丈夫か?」
カーティンの正面に立つ。カーティンは気絶しそうになるのを必死に堪えているようだった。かたわらでは仲間が、彼の左腕を止血している。何重にも巻かれた布と、そこに滲む鮮血が痛々しかった。
「クリフォード、いや、クリフ。今のは……?」
「ま……。ああ、ええと……魔法使いだ。俺を利用しようとしやがった張本人だった」
「あの婆さんが?」
カーティンが呟いた。それを仲間に、早口で訳している。周囲の男らもどよめき、口々に何かを言った。吐き捨てるような、憎しみの声で。それをカーティンが、またクリフに訳して聞かせる。
「今の女が、皇帝お抱えの魔法使いだったんだ。お前が無事だったのは、何よりだった」
クリフは事態を飲み込みつつ、自分の方こそ腕をなくして大変な状態なのに人をねぎらうこの男に、感銘を覚えた。
部屋の外では、多くの男たちが戦っている。止まない。どちらも退かない。反乱軍は退くわけに行かないし、正規軍にはそれを指図する指揮者が少ないせいだ。
どちらかが、もしくは両方が皆殺しになるまで、この戦いは止まないのかも知れない。
「皇帝とやらは、どこだ?」
ロマラール語を理解しない男たちが、怪訝な顔をした。しかし気にせずクリフはカーティンに振り向き、
「行こう」
と言った。
ガチン、と剣を足元に突き立てる。
「その皇帝ってやつを、倒すんだ」
――第6章「鈍色の石」に続く




