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5-5(闘争)

 これで、死にかけたのは何度目だっけ……?

 とクリフは、呑気に考えた。

 いや、慣れている場合ではないのだが、あまりに立て続けだと、驚くより先に状況把握すべく脳が働くのだ。気が動転していては、上手く動けない。だからまずは冷静になり、周りを見なければならないと学んだ。

 地下は今しがたまで、暖炉の火が消えてしまったせいで真っ暗だった。先ほどの老婆の攻撃も“風”だったのだから、当然まだ周りは暗闇のはずである。

 しかし、ゆっくりとまぶたを上げると、そこには天から降りそそぐかのような光があるではないか。

 クリフは咳をした。

 土煙が舞っている。

 倒れた自分の体に、何やらパラパラと土やカケラが落ちてくる。見ると、体中埃だらけになっていた。クリフは自分のすぐそばに降り注いでいる光の正体を見上げた。

 天井に穴が開いているのだ。

 今にも崩れ落ちそうなレンガが、光の中で揺れている。分厚い天井だったが、ポッカリと穴が開き、そこから砂が落ちてきているのだ。

 眩しいまでの、太陽の光。

 クリフは顔を動かし、牢の中を見渡した。

 天井が壊れたというのに、呆れたことに鉄格子はそのままだった。いや、少しひしゃげてはいるが。それでも人が通れるほどには歪んでいなくて、黒マントの老婆も相変わらずそこにいた。土煙に口を押さえながら、クリフの後ろを睨みつけている。

「?」

 クリフは身をよじって、自分の背後を見上げた。

 人が立っている。

 しかもただの人間ではない。

 ラハウと同じ黒いマントとフードで顔を隠した者だ。だが寝そべった状態のクリフからは、フードの下の顔が見えた。にわかには信じがたい、その顔が。

「イアナザール王子」

 と、その顔がクリフを見下ろした。

「──ではないな」

 一瞬で視線が逸れた。

「おい、ちょっと待て」

「早いお出ましだったね」

 クリフのツッコミは呆気なく無視され、その顔は老婆へと向けられたのだった。

「エノア。だったね」

 翠髪を覗かせて立つ黒い魔法使い。いや、魔道士だ。魔道士、エノア。

 老婆の、クリフに対する問答無用の攻撃は、魔道士が実在している(・・・・・・・・・・)ことを裏付けるものだ。しかも2人は知り合いらしい。

 しかも、あまり良くない知り合いのようだ。

 クリフは転がっているとはいえ、この2人の間にいることは危険だと察知し、倒れたままの状態で、そのまま牢の隅に転がった。こっそり「よいしょ」と上体を起こす。

 黒い2人の間には、凡人の目にも見えそうなほどの火花が散っていた。まさに一触即発とはこのことだ。クリフはそっとズボンをまさぐり、布の上から少しずつ、鍵を出すべく動かした。

「言ったはずだよ。次はない、と」

 老婆がそう言いながら、右手の平をエノアに向けた。剣は左手に持っているようだ。杖代わりに、剣の柄に手を乗せているらしいのが、マントのふくらみから伺えた。

 エノアはラハウの台詞を無視した。

「イアナザール王子はどこだ」

「さてね」

 また“風”が起こった。

 ラハウはもう、クリフを見ていなかった。見ている暇などないということなのだろう。それほどに目前の敵、エノアが強いということだ。クリフはかつて、この翠の男が自分の親友、オルセイと争った時のことを思い出した。常人離れした闘い。かつてと同じ、嵐。

 そう思った時クリフはふと、もの凄く素朴な疑問にぶちあたった。

 ここには、オルセイはいない。

 オルセイを殺そうとした男。

 なのになぜ、今は「イアナザール王子」なのだ?

 クリフはその疑問を問いたかったが、フードの影から垣間見える横顔には、何も言葉をかけられなかった。エノアなる男の方もまた、この老婆に対峙することで精一杯なのだ。

 見えない力のぶつかり合い。けれど見えるところでは、2人を隔てる鉄格子が時折妙な音を立ててひしゃげていた。もう、喋る余裕などないほどの力比べらしい。美しい横顔に、一筋汗が流れた。

 クリフは巻き上げる風から身を避けるように縮こまったまま、足枷に鍵を当てていた。逃げるなら今しかない。天井である地面が抜けた盛大な音は、やがて先ほどの兵らのような人間をここに呼び集めることだろう。そうなったら、もっと厳重な牢に放り込まれるか、この極悪婆の手にかかって殺されないとも限らない。

「取れた! どあっ?!」

 クリフのいた場所に、レンガと土が落ちてきた。崩れた天井からの影響で、牢全体が弱くなっている。クリフはそれを間一髪で避けたは良かったが、今度は手から鍵をこぼしてしまった。一難去って……である。まだ足枷が外れただけだというのに。

 ガラガラと周りが崩れ、風が舞う。土煙が凄く、すぐ側に立っているはずの黒マントが遠いところにいるかのように見えた。マントが風に踊り、あらぬ方向に舞っていた。

 さらに格子がぐしゃりと潰れた、その時。

 老婆が動いた。

 マントがはためく。

 黒い影がはねる。

 2つの影が接触し、ギィンと耳の奥をつんざく金属音が響いた。それと同時に、牢もうなりを上げて崩れ落ち、一層ひどい埃が舞った。クリフは思わず目をつぶり、咳き込んだ。しかし魔道士2人は動かず、接触した状態で睨みあっていた。

 その、彼らの手に握られたもの──。

 小さな老婆は、手に合わないほどの大きな剣を握っていた。

 翠の男は、ぱっと見には分からないほど小さな鏡を掴んでいた。

 鏡でもって、剣を受けている。

 ラハウがバッと飛び跳ねて剣を退き、構えた。彼女の立ったその位置が鉄格子の歪んだ場所だったので、クリフは逃げたくとも逃げられない。かと言ってエノアなる男に加勢するには、自分はあまりに無力だ。まぁエノアの方がクリフに力を貸せと言うとは、思えなかったが。

 先ほどこの男は、出現と同時にクリフを「イアナザール」と呼んだ。クリフをかばったわけではなかったのだ。それが証拠に、今、レンガは落ちてくるし枷は外せないしで困っているというのに、見事なまでの無視である。心底俺のことはどうでも良いらしい、と思えるというものだ。

「おい、あんた! 何がどうなっているんだ?!」

 呼びかけても、返事はない。

 もっとも、返事をしていたなら、エノアは瞬時にやられていただろうが。

 ラハウが再び動いた。

 今度はクリフの目でも、それが追えた。

 老婆が飛ぶ。

 飛びながら、呪文のような言葉を叫んでいた。

 エノアが構える。

 構えながら、こちらも叫んでいた。

 イアナの剣の力が開放され、先ほどと同じ光を放出した。

 鏡にも異変が起こり、同じような白い光がほとばしった。

 だがその光量は、わずかに剣が上のようだ。炎にも似た紅蓮の光が、全てを包み込もうとせんばかりに輝いている。

 クリフは咄嗟に「俺のせいか?」と思った。

 先ほど、自分の反応して強さを増した、不思議な剣。特に何も感じず何も聞こえなかったが、おそらく自分の心に共鳴して輝いたらしいということは、分かった。

 今のこの輝きも、自分に共鳴して起こっているものかも知れない。

 なら仮に、自分が「男を殺すな」と願ったならば?

 そう思った時にはもう、クリフは動いていた。

「させるか!」

 夢中で老婆の手元に飛び込む。翠の男を刺しつらぬかんとするその手に、横からタックルした。手が使えないので、ぶつかった瞬間に足がもつれた。

 肩が剣身にぶつかり、腕が少し切れたようだった。

 イアナの剣が、一層輝いた。

 天からの光すら押しのけるほどに強く、地下全体を包み込んだ。

 暴走だった。

「ひいっ?!」

 まったく喋らなかったラハウが、剣を持っていられなくなり、取り落とした。

 クリフが倒れ、剣が床に転がった。途端にすっと光が止んだ。エノアがクリフの肩を掴み、何かを呟いた。

 だがラハウが背を向けたので、エノアは口を閉じてそちらに走った。

「おい?!」

 クリフが叫び、顔を上げる。

 だがその時──。

 起き上がろうとした時、急に、2人が消えた。

「……え?」

 クリフは目を瞬かせた。

 鉄格子に向かって走り出した2人が。

 黒いマントが。

 牢から出ないうちに、目の前で、ふいに消えたのだ。

 本当に一瞬だった。

 蒸発したかのようだった。

「え? ……え?」

 思わずクリフは呆然となった。

 下手をしたら、黒いマントなどという存在が自分の錯覚だったのではないかと思うほどの見事さで、いなくなっているのだ。

 しかし自分の目前に残る光景は、幻じゃない。穴の開いた天井、ひしゃげた鉄格子、落ちてくるレンガ、舞う土埃。それらは、自分が作ったものじゃない。あの化け物らの仕業である。

「まったく」

 クリフはぶつぶつと言いながらも素早い動きで剣を拾い、足元のガレキや落ちてくる瓦礫を避けて鉄格子に走った。本当は鍵も拾いたかったのだが、落ちた場所にはもう瓦礫が積もり、上からも落ちてくるので危険で探せなかった。

 使いにくい右手でしっかりと剣の柄を握りしめ、格子の歪みからにじにじと体を抜く。剣の発していた光は、嘘のように消えていた。

 2人が起こしていた風が止んだので、外からの声が聞こえてきた。

「あっちだ!」

「地下か?」

「地下牢だぞ!」

 といった叫び声。早く逃げなければ、誰かが来る。

「っていうか、さぁ」

 クリフは出口に向かいながら、内心呟いた。

 暖炉の突き当たりからは出られるわけがないので、長い廊下を抜けるしかない。兵と鉢合わせするかも知れないが、仕方がない。

 天井からの声は徐々に大きく、複数になってきた。

「牢だ!」

「何だ、何があった?!」

「襲撃か?!」

「誰か逃げたのか!」

「敵だ!」

「敵襲だぞ!」

「皆、配備に付け!」

「付かんでいい!」

 と、言葉が理解できたなら叫んでいたことだろう。とにかく走った。状況はまったく理解できないが、あそこにとどまるよりは懸命だろう。

 しかし、どうしても叫ばずにいられないことがある。

 剣を握る自分の手を一睨みして、クリフは小声でわめいたのだった。

「っていうか、だから誰か説明してくれっ!」

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