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5-4(黒幕)

「用済み……?」

 あまりに粗野なラハウの物言いに、イアナザールは顔色を変えて絶句した。今ここがクラーヴァ国王城で、イアナザールの手に剣が握られていたならば、怒りにかられた彼は、迷わずそれを振っていただろう。

 だが残念ながらここはソラムレア国の見知らぬ屋敷地下であり、イアナザールの手には剣がなく、しかも兵らによって取り押さえられている。両脇を抱え上げられたイアナザールはラハウに噛みつこうとするが、虚しく足踏みするだけであった。

 薄暗い廊下の下で、暖炉の赤い火が老婆の顔を横から照らし、一層不気味に見せた。皺だらけの表情がにしゃりと崩れている。手にしているイアナの剣はもう鞘に収められ、マントの中に隠れていた。イアナの剣は、先ほどの神々しい光が嘘であったかのように静かだった。

 その輝きを引き起こした当人、クリフは、この不思議なやり取りを牢の中から見守るしかなかった。クリフが一番、何がどうなっているのだか分かっていない。2人の様子からすると、とにかく2人が仲の悪いことと、自分に似た男が老婆に対して立腹していることだけは間違いない。そのことに剣が関係していることも分かる。だがその理由はまったく見えないし、2人の間柄とて不明だ。

 老婆がとつとつと話し始めたが、それを聞いても、やはり分からなかった。

「剣が、主を換えたのでございますよ。いいえ、あなた様にまったく反応しなくなったわけではありませんが、この男の方がより強い要素を持っている様子。ですから、あなた様にいて頂く必要がなくなったのです」

 クリフには何のことか分からなかったが、イアナザールの方は充分に理解した。ヘドが出そうなほどに。

“イアナザール”という者がこの老婆にとって、自分などが思いも寄らない価値を持っており、そして逆に、思いも寄らないほど安易な存在だったということだ。王子という肩書きに対する評価は、ひとかけらも入っていないのだ。

 イアナザールは拳を握りしめ、唇を噛んだ。

 ギリと音がして、ゆらぐ暗い炎の中に、どす黒いほどに赤い血が一筋、顎を伝って落ちた。けれどイアナザールのそんな静かな憎しみを真っ向から受けても、フードの下の表情はこれっぽっちも変わっていなかった。

「もう宜しいでしょう」

 ラハウがきびすを返した。

 腰の折れ曲がった小さな老婆が見せる動きにしては、機敏だった。氷のような寒さも彼女には意味をなさないらしい。ラハウはこの時、イアナザールのこともクリフのことも見ていなかった。次があると言わんばかりの早足。

「待てよ、ババァ」

 黒マントの背に、かすれた声が投げかけられた。イアナザールを押さえている兵2人が気色ばみ、勢いよく振り返った。

「貴様!」

 兵が、空いている方の手に持った槍で、鉄格子をガンと殴った。歯に響くようなくぐもった嫌な余韻が、地下いっぱいにこだました。クリフは突っ立ったまま格子を掴んでいなかったので、動じず、彼らを睨んだまま、目も閉じなかった。

「俺への説明はないのかよ」

 聞いていてもちっとも謎が解けないので、苛々していたのだ。

 船から引きずり下ろされて、目隠しをされ、馬車らしき乗り物に放り込まれ、誰からも何も聞かされずにここへ来たのだ。一度だけ訪ねてくれたカーティンが事情を話してはくれたが、それだけでは足らない疑問がてんこ盛りである。

「説明もなし、会話もなし。俺は家畜じゃねぇぞ。利用してみやがれ、その前に舌噛んでやる」

 一旦喋り出すと、怒りが溢れて止まらなかった。船旅の中でマシャの毒舌に慣らされたのか、かなりの早口だった。それでもマシャには、ほど遠いだろうが。

 あまりに早口すぎると言葉を理解されないかも知れない、とクリフは思ったが、それはなかった。黒いマントがひるがえり老婆が近付いてきて、その醜い顔をクリフに寄せた。

「威勢が良いじゃないか」

 ロマラール語だった。

 いや、クリフはロマラールとクラーヴァの言葉の違いを知っているわけではないのだが、先ほど男が言ったよりもっと、はっきりとクリフの耳に理解できる言葉を老婆は発したのだ。

「……教えろ」

「何をだい?」

「全部だ」

「愚かな坊やだね」

 クリフはフードの下の皺がくしゃりと動くのを見た。それが笑みかと思う笑みだったが、老婆の声音は嬉しそうだ、笑みなのだろう。

 クリフはその時ふと、目前に立つこの者が誰かに似ている気がして、まじまじと見てしまった。

「ラハウ、彼をどうする気だ! お前は何を始めるつもりだ?」

 イアナザールが叫び、ラハウはそれを不愉快そうにちらりとだけ見た。兵らに向かって顎をくいと振る。兵2人は頭を下げ、イアナザールの小脇を抱えたまま、牢の前から離れていった。たいまつが遠ざかり、周りが暖炉の炎だけの暗く静かな状態に戻った。

「ラハウ!!」

 イアナザールの虚しく響く叫び声も、小さくなっていった。

 見えるわけがないのだが、クリフは牢の中から、それを目で追った。

 ラハウと呼ばれた老婆に向きなおる。

「彼をどうする気だ?」

「同類相憐れむ、かい? 他人の心配をしている場合ではなかろうに」

「あんなに似てたら、他人と思えん」

「そうさね」

 ラハウがくっと息をもらした。笑ったらしい。

「正直、私も驚いたよ。雰囲気は違うが、作りはほとんど変わらない。お前さんの方が、少し赤い色が強いぐらいかね」

 ラハウはそう言って、さらに顔を近づけた。光量が足りなくなったので、見えにくいらしい。

 老婆は、手を伸ばせばその小枝のような首をへし折ってやれるのではないかと思われるほどまで近かったが、残念ながらクリフの手には枷がはめられており、鉄格子の外へ手が出せない。船にいた時にカーティンから手渡された鍵は監視の目を逃れて、下着の中に挟み込んであるのだが、今はそれを出せない。

 クリフは精一杯の気力で、ラハウを睨んだ。

「おお怖い」

 面白そうにラハウが言い、その後ろで火の番をしている守衛がくすりと笑った。嫌な笑みだった。

「神に近い者は、神の色に近い。本当ならば燃えるような赤い髪と瞳ならば言うことはなかったが、そこまで映されることは滅多にないからね。お前さんで良しとしてやるよ」

「何のことか分かんねーよ! いい加減にしやがれ、この野郎!」

 的を得ない話に爆発し、とうとうクリフは鉄格子に体当たりした。

「ごたくはいらねぇんだよ、ここから出せ! まったくいつもいつも手前らは、」

 はっとした。

 勢いで言ってから、気付いたのだ。

 クリフは暴れるのを止め、老婆の黒マントをしげしげと眺めた。

「思い出した。あんた、あの魔道士に雰囲気が似てるんだ」

 翠の髪の魔道士。顔は正反対なまでに違うし、同じなのは黒いマントだけなのだが、どことなく、まとっている空気のようなものが似ていると感じられたのだ。人間離れしたところも一緒である。

 ラハウは驚愕し、ない目を見開いた。

「お前、魔道士を知っているというのか!」

 突然彼女は、それまでになかった怒号を発した。自分の醜態に気付き、平静を装い直す。

「坊や、魔道士に会ったのかい?」

「坊やじゃない」

「どうして私が魔道士だと?」

 どうしても何もない。ただそう感じたから、そう言ったまでなのだ。答えを持たないクリフは、答えたくないフリをした。この老婆がこれだけ狼狽えるということは、相当の切り札かも知れないと思ったためもある。

 しかし、この切り札は使えなかった。

「まぁ、どうでもいいさ」

 ラハウが低い声で言い、クリフに向かって手を差し伸べたのだ。白い、ラハウの皺だらけの手の平が、クリフの目前に突き出される。

「すぐに忘れる」

 クリフはもうだんまりを決めこむ気ではなかったのだが、ラハウの手の平に感じる奇妙な力に目が釘付けになってしまい、喋るのを忘れていた。いや『力』が見えるわけではない。何も変わらない。だが、彼女の手に“何か”が起こっていると感じられるのだ。

 やばい!

 クリフは瞬時に現実に立ち帰ると、身を伏せて転がった。

 ドォン! という爆発に似た轟音が上がり、隅の方で守衛の男が情けない悲鳴を上げた。床に転がったクリフは細目を開いたが、目を開けても、視界は真っ暗だった。完全なる闇である。爆風で、暖炉の火が消えたのだ。

 老婆の放った“風”。

 それが破壊力を持って、クリフを襲ったのだ。

「ひいぃっ!」

 守衛の声がして、じたばたとしている足音が聞こえた。しばらく声はうろうろしていたが、やがて一方向へと消えていった。逃げたらしい。

 ラハウは?

「運の良さは、逆に命取りだね。苦しみが長引く」

 いるらしい。だが声からすると、距離は変わっていないようだ。近付いては、来ていない。ということは、鉄格子が壊れたのではないということか、それともこの闇で、クリフの居場所が分かっていないということか──。

 いや、それはないだろうな。

 クリフは声を出さず気配を押し殺しながらも、ラハウが自分に気付いていないわけがないだろうという気がした。彼女の力のほどなぞクリフに分かるわけがないのだが、少なくとも目が見えないことで動じるような、そんな普通の人間とは思えなかった。

「残念だったね、イアナザールより使えるのに」

 クリフは眉をひそめた。

 ここで初めて、その名前が、以前に艦長とかいう男がボソリと呟いた「ヤンナズィーレ」のことだと気付いたのもあった。あれはこのことだったのだ。しかし、それよりも今問題なのは、自分がイアナザールより使える男なのに、魔道士を知っているという、ただそれだけで殺されようとしている事実だった。

 そんなに凄いことだってのか? とクリフは思った。

 確かに魔道士なる存在がいるのかどうかは今まで伝説だったが、それがために殺されたという話は聞かない。いや、聞かないからこそ言い伝え止まりだったのかも知れないが、しかし現に──。

 クリフは「今『間違いでした』っつっても遅いだろうな」と内心ごちた。自分が村で見た翠の魔道士が、果たして本当に魔道士なのかどうかという保証がないことに、今さら気付いたのだ。

「?!」

 暗闇の中から、“力”だけが感じられた。

 音も光もない。

 クリフは慌てて立ち上がろうとした。

 来る!

 だが手が使えないので、素早く立ち上がれない。

 地下に再び爆音が響いた。

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