表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/192

5章・赤光の剣-1(勾留)

 ベシベシと、誰かが何かを叩いている。

 いや違う、何かではない。

 クリフは頬を打たれる衝撃に顔をしかめて、体をよじった。眠っていたらしい。というよりも、眠らされていたようだ。後頭部から背中から、徐々に痛みがよみがえった。

 2、3度瞬きをしてから、クリフは状況を思い出しながらゆっくりまぶたを上げた。

「起きたか」

 たどたどしいが、クリフの理解できる言葉が耳に入る。

 クリフの頬を叩いていた男が、目前にしゃがんでいた。

「食事だ」

 と言った彼の足元には、動物の餌のような皿が一つだけ、ポンと置かれていた。ぐちゃぐちゃに煮た茶色い何かと、スカの実が一つ。赤い小さな実は、風邪の時伏せっていた自分にそれをくれたオルセイを思い出させた。

 オルセイは無事、船に帰ったのだろうか。

 もし屋敷に戻ってたりなどしたら、せっかくの命を確実に落とす。少なくともクリフは、あの男の一言がなければ殺されていただろう。オルセイも同じように、生きてこうなるとは思えなかった。

 今となってはもう、それを知る術はないのだが。

 クリフは遠くヤフリナ国を離れてしまったから。

 思い出したように、クリフのいる小さな部屋が、ゴスンと揺れた。部屋の隅にはトイレ代わりの小さな壺がはめこまれていて、多少の揺れでは倒れないようになっている。その中身を捨てるのは、窓からだ。人2人が寝そべられるかどうかという狭い部屋は板張りだったが、扉の一部や小さな窓の留め具にはところどころ、鉄らしき硬い素材が用いられていた。ぺらっとした毛布以外には、ベッドすらない部屋だった。

 テネッサ・ホフムがオルセイに手渡した小さな破片が、ちょうどこのように硬く白光りする冷たい金属だった。

 気絶した状態でこの部屋に放り込まれたのでよくは分からないが、おそらくこの船にはふんだんに、このような金属が使われているのだろう。窓は顔も出せないほど小さな四角いもので、板一枚パタンと閉じれば、たちまち部屋は真っ暗になる。そんな部屋の中に閉じこめられたままなので、現状把握の材料は乏しいのだが、窓から見える光景が果てしなく海しかなく、部屋が船の揺れ方をしていて、こうして食事だけを差し入れられれば、おのずと“自分はどこかに連れて行かれるらしい”と知れる。

 クリフはここでふと、そういえば部屋の中まで来て「食事だ」とロマラール語で話しかけられたのは初めてだなと思い、顔を上げた。入室してきた男は、扉を厳重に閉めた上で、クリフの目前に片膝を立ててしゃがんでいた。

 クリフよりは年上のようだが、さほど年は離れていなさそうだ。身綺麗にしていて髪も短く刈り込んであり、精悍な顔をしている。クリフのことを捕まえた、この連中を見るたびにクリフは「これが“人種”というやつか」と思う。色白で目の色も薄く明るい。どことなく骨格も違う気がする。具体的にどう、とは言えないのだが。

「ようやく会えた」

 と、男は呟いて右手を出してきた。

「カーティン・ボーラルだ」

「あ……。俺は、クリフ。クリフォード・ノーマ」

 クリフはまだ目覚めきらない頭で、どうなってるんだ? と思った。

 彼らは入室すれば意味不明の罵倒を叫び、殴り蹴り、たまにロマラール語だと思えば矢継ぎ早の質問を浴びせてくるだけだった。素っ裸にされ、手紙も取られた。しかし手紙は真っ白で、何の仕掛けもしていなかった。テネッサは最初から、クリフらと正統な取引をする気などなかったのだ。

 お前の主、騎士団長エヴェン侯爵とは何者だと聞かれても、何のことやら分からない以上、答えようがない。知らないと言うと、一層殴られた。テネッサも「エヴェン」なる人物の顔を知らないということになるのだろうが、今やそんなことはどうでも良い。

 唯一の温情は毛皮の上着を支給されたことだったが、それ以外に、このように友好的に接してきた者などいなかった。

 俺が口を割らないから、方法を変えてきたのかな?

 と、クリフは警戒の目で男を見た。そんなクリフの露骨な態度に、カーティンという男は苦笑した。柔らかそうな小麦色の髪に、くしゃりと手を入れる。その目は緑色に見える。いや、水色か?

 目を見られていることに気付いて、カーティンがそれを口火にした。

「顔が、何か?」

「いや」

「目かい?」

「目の色が……」

 とクリフは言いよどみつつ、座り直した。部屋の奥に、あぐらを掻いて座る。一番奥の隅には便器が設置してあるので気になったが、大丈夫、今朝捨てたばかりなので、まだ空だ。毛布も端に寄せて、カーティンの座る場所を作ってやる。狭い部屋なので、一人が寝そべっていると、一人は満足に座れもしないのだ。

 毛布一枚では夜が寒かったが、その狭さのせいか、どこかに暖房でも入っているのか、幸いクリフはまだ風邪を引いていない。引いても放置されて死ぬだけかもという緊張感があるせいかも知れない。

「俺の目の色? 水色さ。俺には幸運の女神がついてるんだ」

 と言ってカーティンは笑った。ふぅんと思ってからクリフはふと、当たり前に思っていたあることに気付いた。

「君たちの国にも、七神伝説があるんだな」

「七神は世界共通さ。宗教とは違う」

「そうなのか」

 神の伝説と宗教の違いなどクリフには分からなかったが、取りあえず納得しておいた。この男たちがどこの国の者かは知らないが、少なくとも、自分が連れて行かれる先はロマラールではなさそうだ。

「この船は、どこに行くんだ?」

「ソラムレア国さ」

 カーティンは、素直に答えてくれた。

「あまり長くは喋っていられないので、手短に言う。クリフォード。俺たちに協力してくれ」

「はあ?」

 わけが分からない。

「待てよ、俺はどうして掴まったんだ? あんたら、テネッサ・ホフム・ディオネラとどういう関係なんだ? テネッサはどうして俺たちを殺そうとしたんだ? そもそも、テネッサとの取引内容すら、俺たちは知らないのに!」

「ま、待て待て。少し、待ってくれ」

 まくしたてるクリフの剣幕に、カーティンが諸手を揚げた。

「少しずつ、ゆっくり。理解できない」

 そう言われてクリフは言葉を止め、呼吸した。この男も向こうの国の人間なのだ。ロマラール語を話しているが、たどたどしいし遅い。クリフは少し表情を和らげた。

「俺は味方だ」

 カーティンが言った。そういうことを聞いたわけではなかったのだが、と思いつつもクリフは頷いた。

「俺たちはソラムレア人だ。お前は、ソラムレア皇帝に利用されるために連れて行かれる」

「利用?」

「できるかも知れない、と艦長が言った」

「利用ねえ」

 クリフはカーティンから目をそらし、宙を眺めて苦笑した。旅に出てからこっち、利用されっぱなしだなぁと思ったのだ。

「どうして俺が、利用できるんだ?」

 クリフはあぐらを掻いた自分の足首を掴み、身を乗り出してゆっくり喋った。

「それは知らない」

 困ったような眉をするカーティン。クリフは、表情の豊かな男だなと思った。言葉の不足を、表情や手振りで補おうとしているのかも知れない。

 カーティンはおもむろにズボンのポケットから、小指より小さな鍵を取り出し、クリフに握らせた。

「これは?」

「ソラムレア国についたら、お前は手枷をつけられるはずだ。これはその鍵だ。これを使って逃げろ。俺たちが皇居襲撃を決行する時なら、逃げやすいはずだ。できればお前も騒ぎを起こして欲しい。外からと中から暴動を起こし、揺さぶるのだ」

 よく分からない。

 分からないが、とにかく暴れて欲しいらしい。意味なく暴れるのは得意だから良いが|(得意というのか? それは)、皇居だとか暴動だとかが理解できなかった。

 取りあえず、ただ普通にこっそり逃げてはいけないらしい、という程度には飲み込めた。

「つまり、これも利用ってことか?」

 クリフは呟き、くっと笑った。

「何だ?」

「いや」

 聞こえなかったらしい。

「しかし鍵だけ使って、じゃあってんで俺が逃げるだけ逃げちまって、あんたらに協力しなかったり、その手枷とやらと鍵が合わなかったり、捕らえられた場所が皇居じゃなかったりしたら、どうするんだ?」

 そう、カーティンの申し出は、クリフが鍵に合う手枷を着けられて皇居内に監禁されるのでなければ、実行できないことなのだ。それに誰かが助けにきてくれるというのではなく、自力で脱出しろという。

 途中でまた捕まったり殺されたりすることだってあるかも知れない、非常にあやふやな申し出だ。

「それに、どうしてあんたが俺を助けてくれるのかが、分からない」

 クリフは鍵を握りしめたまま、ゆっくり言った。

 それに対してカーティンは、

「なるようになる」

 と言ってから、

「いや、その時はその時、かな」

 と言い直した。

「君はテネッサのせいで死にそうになり、艦長のせいで捕まった。俺たちはこれに反対している。全部助けることはできないが逃げて欲しいんだ」

「艦長に反対してる?」

「国を変えたい。ソラムレア皇帝を、倒す」

 それを聞いたクリフの脳裏に、反乱、という言葉が浮かんだ。国家事情も状況もよく分からないが、少なくともこの男はクリフの立場を不当に思ってくれているということだ。

 クリフがカーティンに礼と、別の質問をしようとしたその時、扉がドンと叩かれ、ささやくような、しかし鋭い声がドアの隙間から飛んできた。カーティンが小声で叫び、それに応じた。クリフの知らない方の言葉で。

「お別れだ。もう来られないかも知れない」

 カーティンがそう言って立ち上がり、薄く扉を開けて体を滑り込ませた。ほんの少し明かりが入ってきた。

「あ、そうだ」

 とクリフが呼び止める。カーティンが顔だけ出した。

「あんたのロマラール語、上手いぜ」

 今まで聞いたソラムレア人の中で、一番上手かったのだ。

「ロマラールは良い国だ」

 カーティンがニヤリと笑って、扉を閉めた。遠ざかっていく気配を感じる。代わりにすぐ、別の者が扉の前に立つのが感じられた。見張りの交代か何かだったのだろうか。

 クリフは鍵を隠しながらそれを持った手で、食事と鍵とを一緒に口に放り込み、それを奥歯と頬の間に押し込んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ