4-3(待機)
長衣という名の簡素な服を、ラウリーはここに来て初めて着た。
ドレスのようにぞろりと長く、足首までも隠しており、ドレスよりも裾が狭い。ラウリーはいつもズボンスタイルに身を固め、大股で歩くのも自由だったので「これがここで着られる一番ラフな服だ」と言われても、ちっとも楽ではなかった。
上から下まで一枚なりの厚手の布でできており、頭からズドンと着ることができて腰ひも一本で装着が完了する辺りは手軽で良いが、足が広げられないだとか手が上げにくいなど、不便さ満載である。
「ズボンが履きたい」
ラウリーは無言で朝食の準備をする少女にこぼした。しかしあっさり無視されて、場が流れていく。いつものことだった。ラウリーはもう、ため息をつくのも嫌になるぐらいため息のつき通しだったので、自分も言わなかったことにして軽く流した。
ラウリーがこのクラーヴァ城に軟禁されてからの日課は、決まっていた。
まずリンが定刻に入室してきて、ラウリーを起こす。それから顔を洗うなどひととおりを済ませ、用意された服に着替えて、そしてその間にリンが整えてくれた朝食を食べる。
毎日顔を洗うための水があるというのも驚きだったが、食事内容もこれまでに見たこともないような食材が並ぶため、最初の頃は居づらくて仕方がなかった。ようやく近頃は慣れたが、それでもまだ時々、どれをどう食べて良いかが分からない。
この日不明だった料理は、黒ずんだ塊だった。
焼いたものらしいというのは、その黒ずみ方で分かる。茶色いものに火を通したようだ。灰になっている部分も若干ある。握りこぶしほどの大きさのそれにはナイフとフォークを使うらしい、とまでは想像できたのだが、その表面は何かの殻のように硬く、どう考えても美味しくなさそうなのである。
ラウリーは水を口に含んだりパンをかじったりしながら、かたわらに立つリンを見上げ、また下らない質問をしなければならないことに情けなさを感じた。情けないが、聞かなければ分からないままである。
「リン、教えて」
質問がある時は、曖昧な言い方でなくちゃんと質問する。でなければ、リンは答えてくれないからだ。
「何でしょうか?」
「この塊は、このまま食べるの?」
いっそむんずと掴みあげかじりついてやるという気分だったが、それで、もし吐いたりむせたりしたら恥の上塗りである。この部屋の上品さと、この城の重苦しさが、ラウリーに礼儀を間違えることを許さない。ついでに言えば、リンから感じる空気も重い。
「ねえ。できれば、そろそろ私と一緒に食事をしない?」
ラウリーはもう何度目かになる誘いを口にしたが、リンが承諾してくれたことなど、当然、ない。
「許されておりません」
「誰が許したら、それが可能になるの?」
「関係のないことです」
いい加減にしろよ。と、クリフなら言うだろうなぁとラウリーは思った。
その間にリンはラウリーのナイフとフォークを使い、塊の上部だけを真横に切り取った。ノコギリのように、ゴリゴリと音がする。
すると黒い塊の中から、白くトロッとしたものが顔を覗かせた。外の殻が器のようであり、柔らかなそれがシチューのように中で揺れた。
リンが、ナイフについた黒い切りカスをナプキンでぬぐいながら言った。
「チーズを焼いたものです。スプーンで召し上がって下さい」
外は器だったらしい。食べなくて良かった。
「チーズなの? 固まってないけれど」
「ミルクが入っています。一旦冷やし固めて焼いたものです。中に入っているのは野菜と、ペーネの肉です」
何とも凝った料理である。そんなものが朝から出てくる、これが貴族の生活かと感心せずにはいられない。これに限らず、こうした食品は今までにも多くあった。食べられる部分なのに敢えて食べない、そんな料理もあった。勿体ないことだ。
そうしたやり方に従うことに、疑問を感じることがある。
服も然り、食べ物も然り。
自分は人質でありこの城から出られないかも知れないが、“この城の者”ではない。こちらに何か非があったわけでもない。なのにクラーヴァ流を押しつけられると、ありのままの自分ではないような気がして、どうにも落ち着かないのである。
「リン、聞いてくれる?」
ラウリーがそのことをリンに喋ると、リンは珍しく相手になってくれた。
ここに来てから、ラウリーの話し相手はリンしかいない。だからラウリーの沈んだ様子を察して、相手になる必要があると判断したのだろう。もしそう思うなら、一緒に食事をする必要があると判断してくれても良さそうなものだが。
リンが言った。
「その場に合わせる、ということが必要なのです、ラウリーさん。相手に合わせるのと同じで、すべてはその場の空気を壊さないための一つの配慮なのです。ここに入城された時、あなたはご自分が場違いであると思われたはずです」
「どうして知ってるの?」
驚いてラウリーは口を挟んだ。
「そう感じたからです」
読心の魔法ではないのだろうかとラウリーは疑ったが、もしそうだとしてもそれは彼女が必要と感じたためにやったことで、責められるべきことではないのだろう。そんなことはしておらず、彼女の言う通り本当にただそう感じただけなのかも知れないので、気にはなっても、尋ねられない。
ラウリーは、確かに自分には配慮が足らないかも知れないなと考えたが、リンの、ラウリーに対する言動にも配慮が欲しいものだよなぁと思ったのだった。
リンの言う“配慮”は、人間に向いていない。全体を見渡してそつのない最良の道を取ることのように思われる。それは確かに間違いではないだろうが、ラウリーは寂しいなと思うのだった。
リンはとても希薄で、寂しい娘だ、と思う。
取りあえず、何にしろ、不可抗力にしろ。
「分かったわ」
ここで『城の作法』を学ぶのだと思えば、良い経験として今後自分のプラスになるのかも知れない。と、ラウリーはその件に関して前向きに考えることにした。
こうしたタイプの少女と話をすることも、滅多にない経験だ。
「ごちそうさま」
クラーヴァ式の食べ方で朝食を終え席を立ち、リンが片付けを済ませる。できればそれも自ら片付けをしたいところなのだが、それも作法の一つらしく、止められている。その間にラウリーは手持ちぶさたなので、暖炉側の机に本を積んだりする。この後の日課、勉強だ。
毎日午前と午後に3時間ずつ勉強を、そして食事は昼食に間食、夕食。と続く。
一日2回しか食べなかったラウリーにはその食事量は多く、これでは食べられないし体もなまると文句を言って、中庭にだけだが運動と散歩をする許可も与えてもらった。
なかなか、充実した毎日である。
勉強が始まる時のラウリーは、いきいきとしている。勉強よりも食事の方が窮屈というのもおかしな話だったが、ラウリーにとってはそうだった。味もしないほど、しゃちほこばった食事の時間よりも、新しい知識を吸収できる時間の方がはるかに有意義で楽しい。元々森羅万象の色々なことに興味があり、それらを知ることに喜びを見出していた娘である、余計だ。
クラーヴァ国の言葉は、ロマラールと似た言語だったので、すぐ憶えた。微妙な違いが楽しくて、あれもこれもとページが進んだ。その先のソラムレア国になると難しかったが、リンが会話でもって教えてくれたので、耳で覚えた。読み書きに関しても、自国の字すら満足に書けない部分があったのを覚え、他国の言葉も、簡単な会話程度の文ならおそらく支障がないだろうほどに上達した。
そうした点については、ラウリーはリンやそれを許してくれた国王に対して、大いに感謝していた。
しかし肝心の学びたいものには、手を触れさせてもらえなかった。
魔法。
順当に行けば、それはエノアに学ぶべきものなのだが、その彼がいないのだし、こんなに多くの魔法使いを抱えている城なのだ、少しは手ほどきしてくれても良いではないかという気がする。
だがリンによれば、王の言葉で「魔法は国の財産」なのだそうだ。無償で与えられる知識ではない、と。知識も金、宝なのだ。
むしろ言語や他の教えを惜しみなく提供していることをこそありがたく思って欲しいとまで言われれば、ラウリーは口をつぐむしかない。
「私もまだ若輩であり、人に魔の道を教えることはできません」
リンが自発的に言った。
魔法だけは絶対に駄目だ、というガンとした姿勢がうかがえる言葉だった。
「ねえ」
午後の勉強の合間、物思いにふけっていたラウリーはふと顔を上げて、リンを見た。リンは木造の四角い机の向こう側で、何も考えていないような顔をして書物に目を落としている。
「ねえリン、教えて?」
ラウリーは質問の形を取った。リンが顔を上げた。
「魔法のことなんだけど。あなたほど魔力が強くて魔法が使えても、まだ修行中だというなら、もっと凄い人がいるってことなの?」
そう、例えばエノアのような。
ロマラール国は魔の山を持つくせに魔法は希少で、使い手などほとんどいない。魔力は悪だとして忌み嫌う地方もあるほどだ。ところが隣国では相当数の人間が魔法を使っており、あまつさえ一つの職業として定着している。怪しくなどなく尊敬すらされている、この差は大きい。
これは、クラーヴァ国には魔法を普及させた人間がいたということだ。おそらくは教師という位置にいて、リンに魔法を手ほどきしたのではないかと思われる。これだけシステム化された城内にいて、彼女が独学で学んだとは考えにくい。
いやこの少女なら、それぐらいのこともしそうだが。
「その問いに答える必要は、」
「あるのよ」
リンのいつもの切り返しが出たのに、ラウリーは用意しておいた言い訳を使った。
「私があなたから魔法を学べないのだと断念するために必要な、理由なの。じゃなきゃ暴れるわよ。困るでしょ?」
なんとも子供のような言い分だったが、暴れられるのは困るとでも思われたのか、それなりに効いたようだ。リンはしぶしぶ口を開いた。この“しぶしぶ”というのも実に人間らしくて、リンの感情を垣間見た気がして楽しかった。
そう思った時、ふとラウリーは彼女に感情がないわけではないことに気付いた。エノアのように抑えているのとは違うが、はなから全く欠落しているのでもない。感情の出し方を知らない、もしくは忘れてしまっているだけという気がしたのだ。
ラウリーは、誰がリンを育てたのだろう、と思った。
どういう育て方をすればこういう少女ができあがるのか、教えてほしい。
あれ?
そう思った自分の胸を刺した暗い痛みに、ラウリーは自分で自分を不思議に思った。何となくボンヤリと考えていただけなのに、リンの親を想像した時、ラウリーは確かに“怒り”を感じたのだ。こんな、笑顔を忘れた子供を作った大人に対して、ふつふつと怒りが沸いたのだ。
それは同時に、ラウリーに明確な目標を作った。『この子を笑わせたい』という。
そんなラウリーの目に気付いたのかどうか、リンが視線をそらして立ち上がった。
「私に魔法を手ほどきして下さった師が、おられます。私にはその方を超えることなどできず、従ってラウリーさんに魔法を教えられる立場にございません」
話しながら、リンは壁に向かって歩いて行き、窓に手をかけた。いつの間にか、雨が振り込んでいた。バラの装飾格子が雫で濡れて、黒光りしている。リンには少し壁が厚すぎて奥まっているその鉄窓の開閉ツマミに、彼女はつま先立ちをして手をかけ、閉めた。
それから壁に設置してあるランプに灯を灯す。ホンワリとした光が、部屋を包んだ。
「もし王様が許して下さり、それ相応の金額を支払うとして、そのお師様に教わるのだとすれば、私も魔法を学べるのかしら?」
「かも知れません。しかし、それは無理です」
「どうして?」
リンが振り返った。
ランプの影になったせいか、今までにないほど哀しい顔に見えてラウリーは、はっとした。小さな彼女の、本当の顔を見た気がした。
近付いてきて着座したリンは、また元の無表情に戻っていたが。
リンが言った。
「今はここに、おみえにならないからです」
「……亡くなったの?」
「いいえ」
リンは一拍置いてから、淡々と言った。
「城から出てお行きになられました」
窓の外から、季節はずれの雷の音が聞こえた。