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3-6(再会)

「行ったか」

 と、誰かが言った。

 あまりに暗いその闇の中に見えるものは、何もない。ただ唯一の光は、周囲を映し出せないほどの、か細いろうそくだけだった。そこが部屋なのか外なのかも分からないが、炎が揺れていないので、おそらく部屋なのだろう、といったところだった。

 光が微かに見せるものは、6つの人影だった。

 ろうそくを中心に、円になって座り、互いの顔を深いフードの奥に隠している。老人なのか女性なのか、男性なのか子供なのか。彼らは生身の気配を持たず、そのたった一本のろうそくによって、そこにいると見えるだけだった。普通の人間がこれを見たなら、彼らが“実在”するのかどうかと目を疑うだろうほどに、彼らには実体感がなかった。

 その代わり部屋には、強烈な『魔の気』が漂っていた。

「イアナの剣の場所は」

 と誰かが言い、室内の『気』がぶわりと膨れあがった。

「ソラムレアじゃ」

「ソラムレアじゃ」

 皆のささやくような声が重なった。闇に消え入りそうに暗く低い声が空気に溶ける。

「ラハウが一緒か」

「一緒か」

「一緒か」

 それは疑問の声というより、落胆だった。彼らはラハウという人物が、そのイアナの剣側にいることを感じ取ることができるらしい。垣間見えた感情は、すぐに何もなかったかのように消え去った。

「ラハウは、何を考えているのでしょう?」

 誰かが言った。女性の声だった。穏やかな水面のような、なめらかな声だった。

「ダナの石を取りに行くでもなし」

「分からぬ」

 少し声が響いた。

 ろうそくの炎が、わずかながら揺れた。

「ラハウの思慮も、エノアの思慮も問題ではない。あるのは、神の意志のみ」

 突然、炎が消えた。

 真の闇が、互いの顔を包み込んだ。その闇の中で、先ほどまで部屋を満たしていた『魔の気』が、一つまた一つと薄れていった。彼女には分かる。遠見を終えた彼ら魔道士が、この部屋を離れているのだ。

「すべては神の御心のままに」

 先ほどと同じ者の声だった。

 彼女はまだ部屋にとどまった。

 先の声の者も、まだいる。

 部屋に漂う『気』が弱くなり、分かれ、2つになった。

 闇の中に2つの気だけが、ポツンと残った。互いの顔は見えず、気配も感じない。いるのかどうか分からない。しかし確かにそこにある『気』。

「正しきことなど何もない。後の世が決めること」

「“後の世”がなくなるとしても」

「それもまた神の意志なれば」

 男の声で会話が途絶え、しばらく沈黙が訪れた。

 どんなに目を凝らそうとしても、絶対に何も見えない密閉された空間だったが、空気はよどんでおらず澄んでいる。『魔の気』とは重く暗い力ではない。むしろ神々を思わせる、力ある透明な気なのだ。それは誰しもが容易に手に入れられる力でなく、生まれついて持つもの。自然に身に付いているがゆえに、それと気にせずに発せられるのだ。

 男の『気』は、まだそこにあった。

 女は口を開いた。

「エノアが、エノアの意志を貫いたとしても」

「それもまた意志」

 そうして、男の声がすうっと闇に消えた。『気』がなくなった。部屋から消えたのだ。

 彼女も消えることにした。

 聞くべきことは聞いたし、言うべきことは言った。聞いても仕方のないことだし、言っても仕方のないことだったが、ひとまずは何かが晴れたような気がして、彼女は久しぶりに感情を味わったな、と思った。

 そしてもっと心の深いところで、少しだけエノアの無事を祈ると、彼女もその部屋から消え去った。

 後には漆黒の虚無が残った。


          ◇


 取引は、エノアから持ちかけたものだった。

 国中の魔法使いや魔法師を集めても行方が知れないイアナザールとイアナの剣を取り戻すと、王に約束したのだ。自分が魔道士であると言わなかったが、その常軌をいつした魔力にはそれが可能であるだろうことを、王は見抜いた。

 魔力を理解できる王だけにエノアを信じ、また、恐れたのだ。だから事情を知らせることができなかったラウリーが早まったことをしないかどうかが気になり、強行手段を取った。だからラウリーを、人質にした。

 エノアがその気になったなら、そのようなことは微塵も意味がないのだが。

 しかしラウリーを城に置いてきたのは、王との確約のためというより、あの不気味な老婆ラハウと対峙するかも知れない時に、足手まといにならないためという意味合いが強い。少しでも誰かをかばいながらの戦闘になれば、あの醜悪な老婆には勝てないだろうことが分かるのだ。

「もうすぐか」

 エノアはくだらない考えを振り切るように、口に出して呟いた。

 勝てない、などと。

 勝つことを望む必要があるかどうかも、まだ分からないのに。

 そう思ったその瞬間、エノアに対して見えない圧力がかかった。

「?!」

 気を逸らしてしまった一瞬のできごとだった。

 乗っていたゴーナの体勢が崩れ、前足を上げて馬上の主を振り落とし、ゴーナは苦しげにいなないた。エノアは中空で一回転し、ヒラリと地面に降り立った。腰をかがめ、周囲に気を配る。

 誰何(すいか)はしない。

 魔道士たるエノアに力を浴びせることができる者の正体は、また、魔道士たるエノアなら容易に知りうるからだ。普通ならゴーナを駆っていたエノアに力を浴びせるどころか、見ることすらできないはずだったのだから。

 術をかけたゴーナは、通常人が一月かかるだろう道のりを、4日で駆けている最中だった。まさに飛ぶように速いゴーナの姿を、人は、風が通りすぎただけかと思っていたはずなのである。

 しかしそのような自滅的な術がいつまでも保つわけがなく、ゴーナが疲れてきているだろうことも、襲われた要因の一つだった。もう一つは、そのような術をかけ続けているエノア自身もまた疲れが出ているということだったが。

 しかしエノアは何ごともなかったかのように立ち上がると、倒れて口から泡を吹いているゴーナの側にしゃがんだのだった。視線は周囲に向けたまま。

 そこは、人里離れた深い森の中だった。刺すように鋭い風が木々の間を抜けていく。雪こそ降っていなかったが、水滴は、全て氷になって土や草に張り付いていた。青い草などどこにもない。針のような枝が張り巡らされた、硬質の世界だった。その色のない狭い空間の中に、今はゴーナの荒い息づかいしか聞こえない。

 先ほどゴーナを突き飛ばした『力』の主は、消え去ったかのようだった。

 エノアには、ここがどこなのか分かっていた。

 クラーヴァ国の西北にある死の森、人の誰も住んでいない国境の山だった。彼が目指すジャフリナ国はソラムレア国の南にあり、ソラムレア国に入るためには、もっと南西に降りなければならない。方向が違うのだ。しかしエノアは、この森にこそ用向きがあったのだった。

 必要とするその事柄は、まだ現れない。

 エノアはそれを待たず、ゴーナに手をかざした。

 4日の間走り続け体中を痛めて、瀕死の状態におちいっているゴーナは、エノアの手の平に何かを感じたのだろうか、少しだけそちらを見た。長い毛に覆われている彼の視線は、今ひとつ分かりにくいものだったが。

 フードの奥の、整ったその口から言葉がもれる。吐息よりも小さく低いその声が紡ぎ出す『力』が、少しゴーナの呼吸を整え始めた。しかしその代わりに、表情こそ平然としたままだが、エノアの顔からはどんどんと生気が失せている。

「それを置いて、去れ」

 人間の言葉ではなかった。

 エノアは動かない。言葉も止めない。

 苛立ったかのように、もう一度声がした。

「去れ!」

 それは、普通の人間が耳にしたなら、ただの犬の吼える声にしか聞こえないはずの言葉だった。犬、ではなかったが、それとよく似た動物が、徐々に、エノアらを取り囲むようにして近付きつつあった。

 ロマラールでは見ない形の動物である。4足の筋肉が隆々と乗った速そうな生き物だった。牙が長く、顔が長細く、口が大きい。肉食動物だ。それらの生き物は“食べ物”である瀕死のゴーナとエノアを目前にして飢えを隠しきれず、口から涎を流していた。息も荒い。一触即発で襲ってくるだろう。エノアは視線も動かさずに、彼らの状態を見極めた。

 詠唱をようやく止めたのは、その灰色に光る毛を持った生き物が自ら名乗った時だった。

「我らは、人の言葉でガープと呼ばれている」

 しかしまだ手は下げず、ガープと名乗ったその動物を見もしない。

 ガープは声を上げて、続けて言った。

「我が欲しいのは肉だ」

「食いたい」

「それを渡せ」

「でなくばお前を食う」

 段々と気が高ぶり、声が大きくなっていく。じりじりと近付いてきたそれらは、気付けば何頭も、もうエノアらを囲んでいた。間合いが詰まっていく。

 ようやっと、エノアは顔を上げた。そしてまっすぐに、輪から少し離れたところに立っている少し体の大きな一匹のガープに焦点をあてた。見る。その仕草だけで、周囲のガープらは一歩退いた。しかし、そのリーダーらしきガープだけは怯えず、同じく真っ向からエノアの瞳を見つめ返した。

「鏡を、貸してくれ」

 エノアが言った。

 果たして彼は、エノアのその問いを理解したのかしないのか──微動だにしない。瞬き一つしない。エノアが言い直すことなく、待った。むしろしびれを切らせたのは、周りを取り囲む他のガープたちだった。

「肉を!」

「エサを!」

「殺せ!」

「食え!」

 連鎖して次々に叫びだす彼らの声は、けたたましい咆吼である。血走った目がエノアを捕らえ、食欲も露わに吼え立てる。ゴーナはエノアの足元に倒れたまま、体を小刻みに震わせていた。逃げたくとも、まだ立つ気力すらないのだ。このままエノアが立ち去ろうものなら、ゴーナの体は、ものの数分で肉塊に変わっているだろう。本能が絶体絶命を告げており、もう、鳴くことすらできないでいる。そんなゴーナの腹を、エノアが少し撫でてやった。

「私の腕をくれてやる。足りなければ、私の足を食え」

 そう言うとエノアはまた目を閉じ、先ほどの呪文を唱え始めた。

 エノアにしてみれば、ガープの咆吼など小鳥のさえずりに等しい。先の老婆を思い出せば、彼らの牙すら可愛く見えるというものだ。エノアは、ガープらをとうとう一度も見なかった。

 吼えていたガープらは、ひるんだ。

 今までに見たこともないタイプの人間が、初めて自分たちと言葉を交わし、聞いたこともないことを言う。自分を食え、と。

 獣たちは、エノアの持つ静かで圧倒的な迫力に負け、尻尾をたれ下げた。

 その様子をずっと観察していた先ほどのガープが、群れの中に分け入り、一声吼えた。遠くまで聞こえるほどに澄み切った高い声が森中に響き渡り、すべてのガープが黙り込み、散り始めた。

 また、森に静けさが戻った。

 どこまで消えてしまったのか、エノアの周囲にはもうガープの気配がなかった。いや姿は一頭だけまだ残っているのだが、彼には気配がなかった。

「やれやれ」

 ガープは突然身震いしたかと思ったら、見る間にその姿を変えていった。後ろ足で立ち、むくむくと大きくなり、服を着て、立派な男になったのだ。変身していたわけではない。まやかしだった。

「現役にはかなわんな」

 本気とも冗談ともつかない声音だったが、男は、毛のない頭をつるりと撫でて笑った。頭に毛がない代わりに口まわりにはびっしりと髭が生えている。白髪まじりの黒い髭の中に口が隠れていて分かりにくい笑みだったが、目が朗らかだった。

 それまで気配のなかった、ガープだった男に、ぶわっと『気』が溢れた。強大である。そこらの魔法使いにはない『魔の気』だった。一瞬、森全体を覆うほどの魔力が満ちた。

 男は棒立ちのままその気を集めてまとめ、呪文に乗せて、エノアが手をかざしていたゴーナと、エノアに向けても流し込んだ。象牙のように白くなっていたエノアの顔に、色が差してきた。

 エノアは術の詠唱を止め、素直に男の力に身をゆだねた。人の好意を無視してやせ我慢して死ぬつもりは、ない。ただ誰もそれを行う者がおらず、自分がしたいことならばそれを実行して、それが結果死ぬかも知れないのならば死んでおくしかないことなのだ、とエノアは思っている。そのようなことを、彼が誰かに言うことはないだろうが。

『魔力』が消え、森に静寂が訪れた。さらさらとした、乾いた風が空を撫でていく。エノアはゆっくりと深い呼吸をした。

「感謝します」

 そこで初めて、エノアは男を見た。男は動じず、笑みを浮かべたままエノアに近付いた。

「お主の力のほど、心のほどを見せてもらった。与えよう」

「魔道士を止めた、ウーザ・リルザ。その力は魔道士一であったと」

「わしの名を知っておるか」

 男、ウーザは楽しそうに腕を組んだ。エノアはウーザに柔らかい顔をした。

「私の名は、あなたがつけたとか」

 ウーザはそう言われ、瞬時に過去を思い出した。忘れたくとも忘れられない名前だ。彼が名付けた子供など、後にも先にも一人しかいない。ウーザは思わず口を開け、自分の頬をパチンと叩いた。

「そうか、あの時の子供か!」

 ウーザの記憶に深く刻まれた赤ん坊の顔が、目前に立つ緑の男と重なった。

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