3-5(謁見)
髪を結い上げられ服装を着替えさせられたラウリーは、慣れない衣擦れの音に苛立ちながらも、なるだけ平静を装って廊下を歩いていた。彼女の少し前を、例の少女が先導してスタスタと進んでいる。
城の廊下は、白いしっくいで壁の全面を塗装してあり、ランプもふんだんに設置してあり、明るかった。ところどころに開いている天窓からの光も、廊下の真ん中に広がっている。その色が、段々赤みを帯びて来ている。
ラウリーたちは歩くにつれて、様々な人間とすれ違った。兵士や、少女と同じ格好の、おそらく召使いであろう女性や、今のラウリーよりも豪勢な服を着込んだ男性など。その男を見た時は、自分だけが派手なわけではないのだと思い安堵したが、それでも、着たことどころか見たことすらなかったドレスには躊躇した。祭りのドレスなど比べものにならないほど華美であり、胸元や肩が開いているのが、どうにも恥ずかしい。
すれ違う者が皆ラウリーを見ているような気がして、そのたびにラウリーは身をすくめた。
「リンちゃん」
「呼び捨てにして下さい」
「リン、私、どこか変?」
「堂々と歩いて下さい」
答えになっていない。
ラウリーがこの城に着て最初に通されたのは、客室だった。
そして、
「これに着替えて下さい」
と、このドレスを差し出されたのだ。
入室した時、リンは言った。
「お客様に滞在して頂くための小部屋です」
そういって通された部屋は、大きかった。
どうも彼らと自分では“小さい”の認識が違うらしい。家一軒とは言わないが、ラウリーが実家で住んでいた自室なら、3つ4つは軽くここに入りそうだ。その素晴らしい室内に気後れして、ラウリーは戸口で立ち止まってしまったものだった。
少女の視線に押されるようにして部屋に入ったラウリーは、思わず自分の靴底を確かめた。足元に広がる生成り色のカーペットが、暖かそうなふわふわの毛をしていたからだ。高級感が漂いまくっている。足音などしない。自分の靴の汚れがこのカーペットを汚すことが気になって、思わず靴底を確かめたというわけである。
当然高級なのは、カーペットだけではない。先ほど少女が「滞在」と言った通り、部屋にはベッドやクローゼットが備わっていた。そのどれもが、触るのも忍びないほどの物だと分かるのだ。天蓋にカーテンまで付いたベッドや、金の装飾の入った白い家具、部屋の隅には等身大の彫刻まで飾ってあり、どう考えても庶民には勿体ない、居心地の悪い部屋だった。
ラウリーは胸を押さえてそっと部屋の奥まで歩き、腰辺りから頭の上まである大きな窓枠のへりに手をかけた。腰かけられるほどの厚い壁。その外側に、窓はしっかりとはめこまれていた。一枚板であり、開けたり外したりすることはできないようだ。板は繊細な彫刻になっていて、花のレリーフの隙間隙間から風と光が通るようになっている。レリーフの向こう側にもう一枚、板が重なっていて、窓の下部にその外側の板だけを動かせるツマミがついている。それをずらすと、レリーフに開いた穴が塞がった。なるほど、これで窓を閉じた状態となるらしい。
「ねえ、あの……」
ラウリーは少女を呼ぼうとして、この時まだ自己紹介を交わしていないことに気が付いた。最初に遮られて、それきりだ。兵らが宿に来た時、彼女のことを「リン」と呼んでいたが、それをそのまま呼んでしまって良いかどうかと、ラウリーは躊躇した。
幸い少女は分かってくれて、扉を閉めながらラウリーを見た。
「はい」
「この窓の、この板は何で作ってあるの?」
ラウリーはレリーフになっている、その硬い板を指さした。冷たく、木とは思えない感触だった。
「鉄です」
「鉄?」
今度は、その用語が分からなくて聞き返したものではない。ラウリーが知っている鉄製品とそのレリーフが、あまりに違う物体であったので、いぶかしんだのだ。
しかし鉄の加工方法は知っているので、確かにこういう使い方もできるなとラウリーは思った。触れると、その冷たく硬い感触が、まるで「お前は逃げられない」と言われているように感じた。美しい牢獄だった。
ラウリーのこの待遇からすると、エノアのことを「丁重にもてなしている」というのも嘘ではないだろうと思える。異常なほど丁寧だ。捕らわれの身であることを忘れそうである。はっきり囚人のような扱いをされるなら、それはそれで納得がいくのだが、こんな部屋ではどうにも落ち着かず、腑に落ちない。
挙句に少女がドレスなんぞを手に近付いてきた日には、一体何がどうなっているのやら。
「これを着て下さい。着付けのお手伝いや身の回りのお世話は、私がさせて頂きます。以後、この部屋はあなたのものになります」
「は?!」
ラウリーは少女を凝視した。しかし彼女の表情は、あいかわらず、ない。
分からないこと、てんこ盛りである。
しかし、
「どういうこと? って聞いても」
「後で分かります」
これだ。
ラウリーは天井を仰いだ。
「ねえ、あなたの名前は?」
「必要は、」
「世話してくれるのなら、互いを呼ぶために必要でしょ?」
少女は沈黙を挟んでから、
「リンと申します」
と答えたのだった。
ようやく名前を取得した。
「ありがとう、私はラウリーよ」
ラウリーにはその沈黙が、彼女の“躊躇”に見えて嬉しくなった。今日初めて見た感情だ。急に親近感が沸いた。
不安であり怖かったが、この少女が常に側にいてくれるのは救いだった。何を考えているのか分からない不気味な少女だと思ったが、少し時がたてば「不気味」は「不思議」程度に変わるだろう。
堂々と歩け、と言われてラウリーは深呼吸し、背筋を伸ばした。
前を向き、廊下をまっすぐに歩く。人の目を気にするのは止めた。見たければ勝手に見れば良い。
元々狩りで鍛えてあるラウリーの体は締まっていて、ドレスの凹凸も映える。リンの化粧も手伝って、今のラウリーを「田舎の小娘」などと見ている者は誰もいない。鮮やかな紫の髪を持った貴婦人。だから皆が振り向いているのだということには、彼女は気付いていなかった。
「ラウリー・コマーラをお連れしました」
大きな扉の前で立ち止まったリンがそう呼びかけると、扉は重苦しい音をたてながら開いた。ラウリーの目は、その部屋の広さよりきらびやかさより、誰を見るよりも早く、その中央に立つ黒マントに吸いよせられた。
「エ……!」
叫ぼうとしたが、声が上手く出てこない。
エノアは何の拘束もされておらず、優雅に立っていた。リンの言った「丁重なもてなし」に嘘はなかった。
ラウリーは安心して気が抜け、朝の頭痛も手伝って、その場に倒れそうになった。離れたところに立っていたはずのエノアが、すっと彼女を支えた。ラウリーは、いつかの日にしがみついたその腕が、再び自分の側にあることに、泣きそうになった。
「エノア」
「ラウリーさん」
リンが小声で、背中から呼びかけた。
「王の御前です」
そう言われ広間を見渡すと、一番奥の壇上に、初老の男が座っていた。大きな赤いマントを羽織り、金の王冠を頂いて、豪華な椅子に腰かけている。どっしりと落ち着いた様子が、王の風格を滲ませている。エノアの『気』とはまた違った趣だ。その周囲には数人の男らが立っていて、王を取り巻いていた。お付きの者か護衛といったところか。他には誰もおらず、大きな広間がシンと静まりかえっている。
ラウリーは王と目があってしまったは良いものの、どう挨拶をして良いのか、礼儀を知らず戸惑った。リンが再び、ラウリーにだけ聞こえる程度の小声で囁く。
「進み出て膝を突き、頭を下げて下さい」
エノアがラウリーから離れた。
ラウリーは少し歩き進み、膝を折って頭を下げた。ドレスの裾が広がり、装飾類がシャランと鳴った。ラウリーの挨拶に、王は満足げに微笑んだ。
「立つが良い。こちらへ来なさい」
王の声は朗らかで、街の豊かさを反映しているかのように暖かかった。とても手荒な真似でラウリーを連れてきたその指図が、この王の口から出たように感じられない穏やかさだ。しかし王は言った。
「公にできぬことゆえ説明できず、乱暴な来城となったこと、謝罪しよう」
「いえ」
ラウリーは若干落胆しながら、再度頭を下げた。
リンが再び「名を」と耳打ちする。
「ラウリー・コマーラです」
「クラーヴァ国王ライニック陛下であらせられる」
王の隣りに控える中年の男が、王の名を告げる。ライニックと紹介されたその王は、隣の男をうっとおしげにチラリと見上げた。思わずラウリーは笑いそうになり、慌てて咳き込んだ。
「さて、エノア殿によれば、」
と王は突然切り出した。前置きはいらないと言いたげだ。
「お主らは、“イアナの剣”を欲しておるそうじゃな」
「はい」
朝に聞いた話だ。ラウリーはエノアを振り返ったが、黒いマントの下にそれらしい物は持っていなさそうである。王が腰に差している剣がそうなのかと思いラウリーが王を見ると、王はその視線を察したかのように首を振った。
「今、剣はここにない。我が息子イアナザールと共に、さらわれてしまったからじゃ」
王の重い口調に、周囲の者たちの様子も沈んだ。愛されている子供なのかな、とラウリーは勝手な想像をした。
「だから、イアナの剣が欲しければ、イアナザールを探さねばならん」
ラウリーは眉をひそめた。文脈がおかしい気がした。クラーヴァ語なので自分の間違いかも知れないが、王は「なくなった」でなく、確かに「さらわれた」と言った。行方不明でなく、誘拐だということだ。なら、犯人がいて、その犯人と取引をするというのが順当なのではないだろうか?
それとも犯人のことを関係なしに王子を探すという意味なのだろうか?
「約束した」
エノアが言った。
「イアナザール王子を連れ帰る代わりに、イアナの剣を貸し受ける、と」
ラウリーは目を見開いた。
やっと喉のつかえが取れた気分だった。肩で息をし、ため息をもらす。そういう意味だったのだ。ラウリーの脳裏で、今までのバラバラした話がパチンと音をたてて枠の中に収まった。
「私は、エノアが戻るまでの人質、というわけですね?」
「すまない」
「いいえ!」
ことの展開が綺麗に理解できたことが嬉しくて言ったのに、それでエノアに謝られるとは思っていなかったので、ラウリーは焦った。どぎまぎしてエノアから目を離し、王に向きなおった。
それで、拉致のように連れて来られたわけも説明がつく。王はそう言っていないが、おそらくラウリーを信用していなかったのだ。だから逃げられてはいけないと思い、魔法使いのリンを用意した。こちらの事情を知らないがゆえに。
「かしこまりました、王様。エノアが戻るまで、私はここにおります」
逃げなどしないのに。ラウリーは微笑んで頭を下げた。
「聡明な娘じゃ」
王は、いとも簡単に話し合いが済んだことに、安堵の笑みを作った。