3-4(逗留)
「え?」
急に、バンと扉の開く音が聞こえた気がして、ラウリーは目を開けた。
まだ覚めきらない頭で、扉の方向を見る。少し頭を起こし、目をこする。それは、気のせいではなかった。
「魔法使いの、連れの女だな?」
2人の、街の者たちとは違う格好をした、屈強そうな男が立っている。その後ろでは、宿屋の主人がオロオロとしていた。
2人の男の身なりはまったく同じで、まるで制服のようだ。ラウリーは、ロマラール王都にいた近衛兵が、同じような服を着ていたのを思い出した。厚手の上着の下に、皮の胸当てが見える。多分、クラーヴァの兵隊なのだろう。
しかしその兵隊が、どうして自分の元に来ているのか、ラウリーの頭の回線はまったくつながらない。上体を起こし、眠気を振り払うために軽くのびをする。ぐっすり眠ったらしく、いくぶんかは頭が冴えている。まだ完全にとは行かないが、頭痛はほとんど取れたようだ。夢見は良くなかった、と思うが。
まだ日は赤くなっていなかったが、窓から射しこむ光はすでに、午後のそれになっていた。数時間ほど眠ったらしい。ラウリーは、エノアはまだ戻ってないのだな、と考えた。
「答えろ、女」
苛立った様子で、男が声を上げた。
早口になられると何を言っているのか分からなかったが、短い罵倒なら理解できる。ラウリーは女と呼び捨てにされ、ムッとした。
「何の用?」
「我らはクラーヴァ国騎士団の兵である。すみやかに出頭しろ」
もう一人の男が、朗々と響く声で言った。ゆっくりとかみしめるような口調だったため、意味は分かった。
「騎士様。お客様も、穏便にお願い致します」
主人が情けない声でそう言った。兵らは強引に乗り込んできたものらしい。それは客室のドアをノックもせずに入ってきた辺りで、想像できる。ラウリーは段々と目が覚めてきて、扉に鍵をかけていなかったことに気付き後悔したが、今さら遅い。
兵らは寝間着姿のラウリーを引きずり上げでもするつもりなのか、ずかずかと近付いてきたので、ラウリーの方から立ち上がった。そのまま反転し、逃げてやるつもりで。
「?!」
しかし、突然金縛りに遭ったかのように、立ったままの状態から、足が一歩も動かせない。
「どうした、逃げるつもりだったのか?」
せせら笑うかの兵隊の顔を思い切り睨みつけるが、動けない。
「触らないで」
声は出せた。
強い『力』が自分に働いている。ラウリーはそれを魔力だと感知した。その魔力を発しているのは、この兵らではない。正面から──。
「?」
近付いてくる男らと、戸口で立ちつくす主人の、その向こうにいる人間。彼女が魔法を発している本人であるとは、すぐに分かったが……体ではそう感じても、頭では理解できなかった。
娘と言える年齢にも満ちておらず、本当に小さい女の子だ。2ケタの年にも達しているのかどうか。しかし目だけが大人びて、中空を睨んでいた。ラウリーと同じ長い紫の髪と、紫の瞳。青というよりは、赤紫だった。光の加減では、燃えているように見えた。ラウリーは兵たちに見向きもせず、少女を見つめた。なぜか目が離せなかった。
「来い!」
はっとした。
我を忘れたラウリーは、兵の鋭い声によって引き戻された。
兵らの鍛えられた肉体の前には、今のラウリーでは太刀打ちできない。ラウリーは諦めて、肩で息をついた。
「怒鳴らなくても、ついて行くわ。着替える時間をちょうだい、逃げないから」
兵らが年上であることは見るからに分かったが、敬語を使う気分にはなれない。それにどうせ兵らもラウリーの言葉は、田舎なまりのひどい言葉としか聞こえていないはずだ。しかしその不愉快さ加減は伝わったらしい。兵は険しい顔になり、後ろにいる少女を呼んだ。
「リン。この女を見張っていろ」
少女は小さく頷いて、音もなく室内に入ってきた。その少女の不気味さに、宿の主人が一歩退いたほどだった。
ラウリーを尻目に、兵が主人を押して退室した。室内に、リンと呼ばれた少女とラウリーだけが残った。巨漢二人がラウリーの前に立ちはだかるよりは威圧感などないはずなのに、ラウリーの胸丈までしかない小さな彼女からは、男らの比ではない計り知れない重圧が感じられた。
彼女の目に、射すくめられる。怯えを感じずにはいられなかった。何も悪いことはしていないのに、罪悪感が心にわき出た。彼女のそれはエノアの持つ『魔の気』ととても似ていたが、エノアのそれよりも暗く、重く、寂しい『気』だった。
少女が力をゆるめたらしく、ラウリーはようやく手足に自由を感じた。しかし彼女をかわして逃げることは不可能だろう。
先ほど兵らは、ラウリーのことを「魔法使いの連れ」と呼んだ。ラウリーだけを単体で狙ったものではなく、また、エノアが魔道士であることも知らないということだ。魔道士なる者が実在するのかどうかは不明となっているのだから、エノアが自ら名乗るのでなければ、知らなくて当然と言えるが。
一体エノアは何をやらかしたのだろう。出かけて数時間。クラーヴァ城には入っていることだろう。そこで何か騒動があったのだろうか?
眉をひそめて考えていたら、手が止まってしまった。少女から、無言の訴えを感じる。ラウリーは慌てて、椅子の上にたたんでおいた外出着に手をかけた。
「あなたたちは誰なの? 何の目的で私を連れに来たの?」
試しに尋ねていたが、少女は答えない。瞳の色は赤紫色なのだが、そこには闇があり、感情が見いだせなかった。エノアの無表情とはわけが違う。もし人形が動き出したらこんな感じだろうかと思えるほど、彼女には元々の感情がないように見えた。
もしや言葉を話せない子供なのだろうかと思った時、少女の声が暗い影を帯びて、発せられた。
「行けば分かります」
ラウリーは驚いた。
あまりに大人びた口調の声にもぎょっとしたし、丁寧な言葉遣いをくれたことも意外だった。それより何より驚いたのは、彼女がラウリーの言葉を喋ったことだった。このクラーヴァ国に来てから、こんなに違和感のない言葉を聞いたことはなかった。
「あなた、ロマラール国の子なの?」
「いいえ」
返答はエノアより簡潔だ。魔法を使える者になるというのは、それと引き替えに感情をなくしていくということなのだろうかとラウリーは思ったが、この娘の感情のなさは、何となく異常だという気がした。
「エノアは……私の連れは、どうなっているの?」
「丁重におもてなししています」
ということは、彼らの手中らしい。
「会えるんでしょうね?」
「あなたと魔法使い様が、ですか?」
「そうよ」
会話を拒んでいるわけではないらしい。長く話していれば、この少女の人当たりも柔らかくなるかと思ったが、口調はずっと変わらなかった。ラウリーは軽くため息をついた。
「お会いできます」
だから早く着替えて下さい。
そんな雰囲気でもって、少女は会話をうち切った。目をそらし、扉の向こうで待っているはずの兵らを気にするそぶりを見せる。ラウリーは腰のひもを縛りながら、そんな少女の様子に構わず話しかけた。
「あなたの名前は?」
「今、必要のないことです」
にべもない。幾つなのだろうとか、なぜロマラール国の言葉を話しているのだろうなどと、質問は沢山あったが、この分ではすべて拒否されそうだ。今、必要のあることだけを話してくれるらしい。
この問いも行けば分かると言われるかなと思ったが、試しにラウリーは訊いてみた。
「どこへ連れて行ってくれるの?」
少女は答えてくれた。
「クラーヴァ国王城です」
◇
小高い山の上に建てられた城の周りには、果樹園が広がっていた。今はまだ実も葉も付いていない林でしかなかったが、等間隔に植えられた木々はしっかりと育っていることが分かる、雄々しい幹ばかりだった。
先日も街を歩いていて思ったことだったが、このクラーヴァ国王都というのは、ロマラールの街より豊かに見える。建物もデザイン性があり、華やかだ。庶民らも良い服を着ていて、人通りも賑やかな気がする。
言ってみれば、何の問題もない街に見える、ということだ。
ロマラールは山の多い国で、ほとんど開拓しておらず、漁業と狩りが盛んである。農耕技術が発達していないので、その日暮らしという感が強く、飢饉に弱い。
その点、この街は“蓄える”ということを上手く実行しているように見えた。これはおそらく、国の政策が上手いということだ。そんな国のそんな城に、どうして自分が連れて行かれることになったのか、エノアがどうなっているのか、考えるだに想像しがたい。
「さっさと来い!」
先ほどの兵から、叱責が飛んできた。
ラウリーが乗るゴーナにつながれているひもが、乱暴に引っ張られる。ゴーナが驚いて歩みを速めた。カクンと馬上が揺れ、ラウリーは顔をしかめた。
捕らえられたとは言っても、ラウリーの体に縄がかけられたわけではなかったし、自分のゴーナに自分で乗って、同じくそれぞれのゴーナに乗っている兵らに引っ張られているだけだ。周囲に目をやりすぎて、つい歩みを遅くしてしまったのだった。
手綱と別に、ラウリーのゴーナにはひもがかけられていて、その一端を兵の一人が握っている。それが癪だった。逃げないと言っているのに、完全には信用してくれないのだ。当然だが武器も荷物も取りあげられている。
もっとも、逃げようとしても、この少女が後ろに乗っている限りは逃げられないのだが。
ラウリーの背中には、少女が張り付いていた。彼女も武器を何も持っていないし、ただ座っているだけである。ゴーナの歩みは遅いので、ラウリーの体にしがみついたりもしていない。ひっそりと座っている。
だが背中をぞくぞくとさせ、緊張させる圧倒的な迫力が、ラウリーを包み込んでいた。自分より十は下かという子供から受ける異常な圧迫感が、「お前は逃げられない」と訴えているのだ。
ラウリーは、エノアが巻き込まれた騒動を、犯罪か何かかと想像した。しかし我ながら物騒な想像だと思い、すぐにうち消す。もしエノアの方が泥棒だと仮定しても、それでヘマをして捕まるというのは考えられない。ラウリーの中では『魔道士は万能』であり、その神話が崩れる日は来ないのだから。
丘を越え、城に近付くと、ラウリーは思わずため息をもらした。
「立派なお城」
見上げて感嘆したラウリーの呟きは、彼女を前後から挟んで歩いていた兵らの耳にも届いたらしい。後ろにいた者が、若干、気分のいい声でラウリーに言った。
「三代前の国王が、一生を費やして建設したのだ。別名“ケッサ・ギュステ”という」
「ケッサ?」
初めて聞く用語に、ラウリーは眉を寄せた。ギュステは「城」だ。つい今しがた、ラウリーもこの言葉を使ったばかりだ。ラウリーの知識で一番近い言葉は「カヤッサ」であり、「剣の」という意味になる。もっとも、剣と一口で言っても細いものや薄いもの、長さや用途で名称が変わるし、ましてここは外国だ。
ラウリーは、この先も一層こんな風に理解できない言葉が増えるのだろうなと思って、内心暗い気持ちになった。
兵は一度発言したきり、もう言い直してくれない。自分の後ろに座る少女が何か言ってくれるかなと少し期待したが、その気配はないので諦めた。
しかし城の外見は、その言葉は多分「剣」で間違いなかろうと思える、鋭い形状をしていた。幾重もの塔が天に向いてそびえ立っている。それを重ねるかのような下の建造物は、豪華な剣の柄を思わせる美しい造りだ。四角く区切ってある形が男性的だが、その上に施された装飾は繊細で、女性的ですらある。
ラウリーは、この城がクラーヴァ国の威厳の象徴なんだなと思った。
この城を見れば、この国がどういったところなのかを知らないラウリーでも、少なくとも「ロマラールより凄いのだ」ということが分かるのだ。
ラウリーは急に萎縮した。心持ち俯き、身を縮める。無理矢理連れて来られたことだったが、この城の中に自分が入っていくのは、とても場違いだという気がした。
しかしゴーナらは歩みを止めず、開放された城の門へと呑み込まれたのだった。