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7-10(今)

 春が訪れ、夏が巡り、秋が来て、また冬になり。その次の春には沢山花がついて、秋は、実が豊作になった。その分、冬が例年より厳しいものとなったが、寒くなった分だけ色鮮やかに咲く花が、春に皆の目を楽しませる。

 数年が巡った。

 サプサの仮港として設置された町ピトスはそのまま定着してしまい、町も道も広がっている。ラフタ山への道も舗装され、宿場町として体裁が整った。だが港は小さいままである。やはりサプサを復活させなければという意見と、別の案として北を開墾してはどうかという意見が対立している。

 廃墟となったサプサの北と、新ピトスとの間になる森の中に、戦いの功労者たちが眠っている。

 功労者たちへのねぎらいには、互いに反対がないようで、その森には穏やかな時間が流れている。

 海岸の崖を利用して隠れ港を造った“ピニッツ”の頭領は、崖の真上に安置されている。わずかな遺品と肉片しか出てこなかったナザリの遺体は、粉々になり埠頭に沈み、サプサの守り神となった。せめて魂が昇るようにという意味合いも込めて、崖の上には灯台が建てられている。

 サプサに昇る日を一番に浴びる、特等席だ。

 海と港が一望できる、ルイサが愛してやまない港の側に、ナザリはいる。森を抜けて塔に登った時の景色は最高だ。

 毎年、何度登っても涙が出そうに、美しい。

 塔の上からの朝日を見に来た人影が、徐々に明るく浮かび上がってくる。朝焼けの光よりもきらびやかに金髪を輝かせている姿は、一向に衰えない魅力に満ちている。まだ落葉には遠いが、朝は冷える季節だ。彼女は上着を正して首を竦めた。

 日が昇りきるまで見守ると、ルイサは背後の気配へ意識を向けた。いたことは分かっていたし、誰が立っているのかも知っていたが、あえて気にせず朝日を堪能していたのだ。毎年のことだからである。

 今日は特別な日である。

 とはいえナザリの命日ではない。

 命日に朝日を拝むのは、ルイサでなく背後の者と決まっている。

「マシャ」

「いい天気になったね。ヤフリナ国まで見えそう」

「さすがに無理よ」

 おどける女性に、ルイサが吹き出す。もう少女ではなく、娘としての年齢も過ぎつつある。少年のように思い切った短い髪をしていても男性には見えないし、おどけていても子供ではなくなっている。しなやかに手足を伸ばしてルイサの斜め後ろに立ち、マシャはロマラールの敬礼をする。

 ルイサも朝日に少し背を向けて、マシャに敬礼を返した。

「報告します。ネロウェン国王ディナティ陛下ご婚礼の儀、つつがなく執り行われました。王都が用意した献上品とは別にエヴェン様のお手配なさった、ラタの茶葉が特に、王妃様のお気に召されたご様子でした」

「それは祝着。ご苦労様でした」

「クラーヴァ国からは国王様が直々にお出ましでした。会見の時間が頂戴できましたので伺いましたら、今度、ぜひロマラール国と国境に橋を建設する件について協議なさりたい、と」

「クーナ祭に贈り物をしなければね。お会いしたかったわ」

「自分で行けば良かったのに」

 砕けた愚問には苦笑だけ返し、ルイサはまた海を見た。マシャもネロウェン親善大使としての報告を終えると、さっさと“ピニッツ”の顔に戻ってルイサの横に並び、手すりに肘をつく。木を組んで造られている塔には、早々に年季が入っている。漆喰で固められている壁が潮風に風化し、剥がれそうになっている。

 マシャは愛おしそうに手すりを撫でて、愁いの笑みを浮かべた。

「ディナティが、ユノライニと。あり得ない話じゃなかったし5年もかかったんだから、心から祝福したいけど、正直なところ意外だったな」

「あら。気に入らないの?」

「2人のことがじゃないよ。周りが、さ」

 すっと顔を上げて明るく切り替えながらも、視線が遠くに向いている。遠く、ネロウェンの地へ。

「ルイサが行けなかった理由と一緒でさ」

「周りね。そうね」

 大国を背負う2人の婚礼が、波乱を呼ばないわけがない。人質として赴いたはずの女王がネロウェンの王妃になるということは、実質上ソラムレア国がネロウェンの属国になったと受け取られる。そうではなく、ユノライニがソラムレアを完全に民主国と定めた上でネロウェンに嫁いだのだが、そのように国民の全員が納得したわけがない。

 ネロウェン側としてもソラムレアの血が王家に混じるのを良しとする輩ばかりではない。ネロウェンの金庫として暗躍するフセクシェル家も然りである。

「先々も色々と大変だろうに、よく添い遂げたよねぇ」

 呟きには、はるか昔に振り切った小姓時代の自分が染み出しているようである。すっかり過去のものとなってはいるが、時折思い出してしまう分には、仕方がない。ニヤリと、ルイサがからかった。

「支え甲斐があるじゃない」

「勘弁して」

 大笑いして脱力して思い出を吹き飛ばし、手すりに体を預ける。ルイサも手すりに肘をついた。両手で頬を支え、

「カヴァクだっけ?」

 突然話を振って、茶毛の娘を狼狽させた。

「え、何?」

「何でもないわ」

「ルイサぁ」

 睨めつける視線をかわしてルイサがとぼけ、話を納める。この手の会話は長く続けない。じゃあ自分はどうなのだと突っ込まれるのが目に見えているからだ。

 サプサが復活するまではと見え透いた言い訳でのらくらと避けているが、結婚に踏み切りたい相手のいないのが現状だ。

 求婚の手紙が減ってきた昨今、最後まで残る手紙があるなら、その主が運命の人となるのだろうか、などと思ったりもする。

 ふいと口をつぐんで2人で波の光る様子を眺めると、さて、とマシャが体を起こした。

「今年も北回り? なら、ゴーナですぐ行かないと」

 すでに行くこと自体は前提となっている。ロマラール国一年に一度の祭典、謝肉祭だ。各地で数日に渡って開催される。

 騎士団長たる勤めがあるので王都には必ず出向くのだが、ここ数年は王都に行く道のりを変えているのである。ラフタ山の関所を通ってでなく、北の山脈を経由して行くのだ。

 サプサの復興が叶わないのなら北を、と言われている地域である。戦時中、ネロウェン国が王都への奇襲をせんと上陸してきた、国境近くの道だ。王都には山越えとなり、サプサからラフタ山を越えるのと大差がないだけに、こちらを切り開けば王都への距離が縮んで良いのではないかと言われている。クラーヴァからの橋も渡れば、主要都市になることは間違いない。

 ただし道の整備が尋常ではないし、大差がないと見えるのは地図上だけであって、いざ歩くと勾配は厳しいし万年雪はあるし、グールとの遭遇率は高いしと難関が満載である。実現には、ほど遠い。

 今は、のどかな草原の向こうに切り立った山脈が見えている、辺境でしかない。

 ではルイサは、なぜ敢えて北の辺境から王都へと入るのか。

 その地を納めている領主と親睦を深めておくためなのである。北には利用価値がある。クラーヴァ国との橋を建設する案が実現すれば、現場になる。毎年の謝肉祭は恒例として、それ以外にもちょくちょく顔を出している。領主には、サプサを支援してもらっている借りもある。

 あまり領主らしくなく、どちらかと言えば野山を駆け回っていることが多く、治世はもっぱら家臣に任せているとの評判だが。有事には誰よりも早く駆けつけてくれる、頼りになる存在である。

 ルイサは赤毛の男を思い浮かべて「そうねえ」と微笑んだ。

「途中一泊して、明日に着けばいいわ。王都には明後日、入ります。お人形でも買って行ってあげましょう」

「了解。でもクリフの子だからなぁ。いくら女の子でも、お人形って柄かどうだか」

 そんな会話を楽しみながら、軽やかに踵を返して塔の内部に戻り、階段を下りて行く。降りたった時ルイサは少しだけ灯台を振り返ったが、すぐに前を向いて足を踏み出した。

 灯台の入口につないでいたゴーナの手綱を取り、森を降りて“ピニッツ”の部下と合流し、北へと向かう。

 森が切れて林になり草原が広がり、山脈が全貌を現す。

 消え入りそうに遠い山頂には常に雲がかかっていて、人を寄せ付けない。人々もその山のことは畏怖の念を込めて“魔の山”と呼び、近付かない。

 そんな山々が一望できる麓に、小さな村がある。

 今でも小さいままだが、少しずつだが人が増え、家が増えて町になりつつある村だ。

 村の外れには小高い丘があり、すぐ裏には山が広がっており、まるで山を守るかのように丘の上に、家がポツンと建っている。ポツンとだが人の声と笑いが絶えない、玄関をくぐると賑やかなことこの上ない、北の領主の家である。

「あ、おい、こら!」

 慌てている声色は、昔から変わっていない。いや姿も昔のままである。変わったのは、ほんの少し年を経たことだけだろう。子供を追う様も昔にはなかった光景だが、まったく違和感がない。少女たちは寒くないのかシャツ一枚で、家の中をきゃあきゃあと走り回っている。

 走り回ると言ってもさほど広くない、木造りの家である。暖炉一つですべての部屋が温まりそうな、ささやかな家だ。おかしな走り方をすると家具や調度品に被害を及ぼしてしまうが、そこはさすが狩人の娘と言うべきなのか、運動神経がいい。追う手を逃れる遊びには、ほぼ毎回勝利している娘たちであった。

「こぉら、シュレア、ジリア! 大人しく服を着なさい、もうすぐ伯父様が来るわよ」

 台所から飛んできた雷が、まるで本当の雷に打たれたかのように2人の足をびりっと止める。娘らは口の中ではーいとか、ごめんなさいとか呟きながら、ようやく父親が手にしている他所行き用のドレスを着込んだのだった。

 謝肉祭に着るドレスは自分で縫うものと昔から決められている。だが子供のうちは、代わりに母親や母代わりの大人が縫ってやっていい。針と糸が操れる年齢になったと親が判断したら、持たせてもいい。ノーマ家の双子は幸か不幸か母親に似て、裁縫に興味を示さず料理も苦手で、毎日外で泥だらけになって来る子供である。祭とはいえドレスの類が嫌いで、なるべくなら着たくなく、まったく貴族の子供という雰囲気がない。

 親からしてそのような風情を持ち合わせていないので、当たり前なのだが。

 娘らにかいがいしく服を着させてやる父親の様子は、知らない者が見れば村人の一人でしかない。家は質素だし、居間にある高級なものは結婚の際に贈られた恐れ多い調度品と、グール皮のカーペットぐらいしかないし、父親も味気ない地味な服で、下手をすれば普段の顔には無精ひげが生えっぱなしの粗野さである。

 さすがに今日は顎に刃を当てて綺麗にしているが、娘らを追いかけていたせいで髪や服はくたびれている。

 だが娘らを見る目には慈愛が満ちている。娘ら2人は同じ顔を膨れさせて半ばふて腐れ、半ば照れながら着込んだドレスをいじっている。手作り感たっぷりの、多少歪んでいるドレスを。

 父親となったクリフは、着込んだ娘らの頭をこれでもかと撫でる。

「よし、可愛い、可愛い。これなら、おじさんも惚れるぞ」

「ほんと?」

「お嫁さんにしてくれるかな」

「あ、ジリアずるいっ。お嫁さんにはシュレアがなるんだもん」

「一緒にお嫁さんになればいいんだよう」

「そっか」

 などと盛り上がる子供たちの間違いを突っ込む気にはなれない。女の子は成長が早いなと思う程度である。

 人心地ついたクリフは椅子に座り、ドレスに照れつつ喜んでいる風な娘らの様子を愛でる。そこへ台所から出て来た奥方が、クリフの前へカップを置いた。

「お疲れ様」

「お前こそ」

「あら私は、」

 腕を取り、話しかけた彼女の唇を塞ぐ。目を閉じ、腕を回して抱きしめ……とまで行かないうちに、方々から邪魔が入った。

 台所からは「奥さーん、ソースの仕上げが」と声がかかり、玄関側からは扉のノヴに手をかける娘たちが「来た! 来た!」と騒いでいる。

「そうか、来たか」

 クリフは立ち上がり、ラウリーの肩を抱いたまま玄関へ歩く。ラウリーは台所に「ちょっと待ってて」と声をかけて、重くなってきた腹をいたわりつつ、クリフに歩調を揃える。

 扉を開けた途端、せき止められていた川の水が溢れ出すかのように、子供たちが飛び出した。どこまでも広がる空と草原の間に見え隠れしている人影へ向かって、一直線である。

 家の前には大きなテーブルが用意されていて、何人もの老若男女がわいわいと働いている。双子は、彼らの間を縫うようにして「こんにちは」と声をかけつつ走り抜ける。林立している木々にまで装飾が施されており、祭気分は最高潮だ。

 ノーマ夫妻の登場に気付いた者らが口ぐちに挨拶するが、誰も「領主様」だとか「伯爵」などと呼ばない。かつての仲間は大将と言い、昔からの住人は名前であったり、ノーマさんと言ったりしている。テーブルの中央にはクリフらが総出で狩ってきた、謝肉祭の主人公、グールの丸焼きが鎮座している。これを皆で切り分けて食し、一年の生活に感謝を捧げるのだ。

 コマーラ夫婦の姿もある。

 シィレアがラウリーに近寄り挨拶して、そっと腹に手を当てる。

「大丈夫? 無理はしちゃ駄目よ」

「うん、平気」

 娘の顔に戻って母親に微笑んだ後、ラウリーは母親の顔になって娘らを眺める。娘らが駆ける先にいる人影は2人と、それに一匹だ。

 一人は村人の格好だが、もう一人はまったく顔の見えない、黒いマントに覆われている。加えて、その者の肩には森の死神と呼ばれている鳥がとまっている。死の神ダナの来光かと恐れられる姿である。

 が、ノーマ家の庭を飾りつける村人は微塵も気にせず、むしろ気付いた様子さえなく遠くから歩いて来る人影を、ちらりと見るだけだ。宴会の輪に入って来ても、やはり気にせず共に乾杯するのみである。マントの下がどうなっているのかに興味を持つ者は一人もいない。

 もう一人の、村人のような男を歓迎する賑わいの方が大きいためもあろう。

「オルセイだ」

「今年も来たか」

 皆が声を上げる中、到着した紫髪の男はまず、出迎えてくれた小さな姫君たちを抱き上げて挨拶するのだった。

「おじさま!」

「オルセイおじさま!」

 一年に一度だけ訪れる、母親の兄オルセイは、双子にとって憧れの的である。神秘的な瞳と、長い紫髪。王都へ出向く日には着替えて、少しだけいい格好になる、その姿もたまらなく魅力らしい。前にクリフが、お父さんもちょっと格好いい服を着るんだがとボヤいたら、お父さんのお嫁さんにはなれないから関係ないと一蹴された。

 だって、お父さんはお母さん大好きだもんと拗ねる様が、愛おしくて堪らない。確かにそれは否定しないが、お父さんはお前たちのことも大好きだよと頬ずりしたものだった。が、無精ひげがゾリゾリして痛かったらしく、お父さん近寄らないでと嫌われて以降、オルセイの株が上がり続けている。

「おう。また髪が伸びたか?」

「切ってないからな」

 前の毛は伸びるのが遅いのか、ざんばらだ。だが背中で括っている毛が長い。髪を束ねている青い組紐は健在で、オルセイが元気であり正常である証ともなっている。ラウリーがオルセイと挨拶している間にクリフは彼を頭から足先まで見つめ、満足し、彼の手を引き、樽へと連れて行くのが恒例だ。

 テーブルの側に立ててある樽には酒が詰まっているが、その他に重要な役目がある。

 オルセイの側をうろちょろする双子が「今年もするの?」と、はしゃぐ。

「おじさま、今年は勝ってね!」

「もちろんです、姫君」

 などとおどけて、オルセイも皆が騒ぐテーブルの側へと進む。互いに樽に肘をつき、堅い握手と共に戦いが始まる。声援が飛び交う。ラウリーは黒マントの横に立ち、そんな2人を微笑ましく眺める。

 彼女の肩へと鳥が移り「元気そうだな」と人間の言葉を発する。ラウリーは醜悪な鳥に手を伸ばして、彼が差し出して来る顎を撫でた。

「あなたもね、ケディ。まだ今年もちゃんと、ナティの魔道士やってるのね」

「俺自身がビックリだ」

 毎年となっている会話だが、一度は言わずにいられないほど驚いたのだから仕方がない。5年前、兄がダナの魔道士になると言って去った後、ナティの魔道士も空席だったはずだと疑問だった。その空席を埋めたのがケディだったとは、予想だにしていなかったのだ。

 魔道士には人間がなるものと思い込んでいた傲慢を、諌められた気がしたものだった。

 大樹になる魔法使いがいるぐらいなのだ。鳥が魔道士でも不思議はない。

「エノアも、お変わりなく」

 声をかけても応えがない辺りが、変わりない。ただ、フードの下に感じる気配が若干ラウリーに向く程度だ。オルセイと共に山を下りて国を渡ったり会いに来てくれたりする分だけ、とんでもない進歩である。いくらオルセイの『魔力』を補佐するためだとしても、昔のエノアなら姿を見せないことだろう。

 フードを絶対に脱がないので、ある意味では姿を見せていないのだが、このフードが娘らを見下ろす時にだけは少し浅くなるのを、ラウリーは知っている。ノーマ家の双子は、ラウリーの魔法操作能力とクリフの潜在能力を併せ持っている。エノアなりに思うところがあるのかも知れない。

 双子は愛しの伯父様が腕相撲勝負に熱中しているので、その間に改めてエノアに近付いた。子供なりに何かを感じるのか、まずは母親のスカートにしがみついて、そっと黒マントを眺めてから「こんにちは」と声をかけるのだ。

 バサッとケーディが地面へ降り立ち双子を見上げると、ようやく彼女らも緊張を解く。鳥は、双子の遊び相手である。

「手前ぇら、でかくなったな。何食ってやがんだ」

 と、子供が相手でも容赦のない毒舌だが、双子には堪えない。きゃあきゃあと喜んでいる。言葉の意味が理解できていなかったためもあるが、そろそろ分かるようになって来た。ラウリーが「ケディ」と軽く睨む。ケディは、ケッと喉を鳴らす。

「さっさとガキ作って落ち着いたと思ったら、毎週学校を開いてるだとか抜かしやがって、お高く止まってんじゃねぇっつの」

「じゃあケディが来て、魔法の教授してよ」

「誰がするか!」

 ケンカのような談笑を交わす傍らで、双子がやっと慣れた黒マントを「ねえねえ」と見上げる。

「エノアさまの魔法、今年は見せてよー。すごいんでしょ?」

「シュレア」

 母の咎めも聞かず、娘はマントにまとわりつく。いったん慣れたら、後は容赦がない。相手がエノアでもお構いなしである。今はエノアが『魔の気』を発しておらず子供らを受け入れているからだが、子供らにもその気配は伝わるのだろう。だから安心して、まとわりつくことができる。

 魔法とねだる子供たちを見下ろしたのか、フードが動いた。

 娘らが惚ける。

 誰からも見えないが、娘ら2人にだけは翠の髪と瞳が見えていることだろう。それに伴う、極上の笑みも付属しているのに違いない。今は見なくなって久しい顔だが、ラウリーの記憶には翠の姿が焼き付いている。約束通りエノアは、ラウリーの記憶を2度と消していないのだ。

 フードの奥から、声が響く。

 どこから聞こえて来たのだか分からないような、草原から染み出して来たかの声が、2人を包み込む。

「お前たちの存在が、魔法なのだよ」と。

「……?」

 まだ小さい子供たちには、何のことだか理解できない。神妙な面持ちで「ふぅん」と首を傾げているが、それ以上は追及しても無駄だと悟ったのか、エノアが『気』を消したためか、ふいと樽の方へ戻ってしまった。

「エノアさま、また後でね」

 と、手を振り、勝負がついたらしい父親らの騒ぎへと参加する。息をついて、ラウリーも「ソースの仕上げがまだだったわ」とその場を離れつつエノアに椅子を勧めて、家へと戻る。

「楽しんで下さいね。今年のバター焼きは、ひときわ大きいんです」

 奥方が戻るテーブルのかたわらでは、まだ男たちが赤い顔をして堅い握手を交わし続けている。

 もうすぐルイサたちも到着することだろう。

 祭はこれからだ。

 朝の光が、皆に降り注いでいる。

 遠いネロウェンの地でも、祝福を受けた2人が穏やかに「今」を味わっていることだろう。

 隣国クラーヴァ国の国王も帰国して、大きくなった息子を抱きしめ、たおやかな王妃と「今」を喜びあっていることだろう。

 主を南国に取られたソラムレア国だが、評議会の中で働く平民などは存外「今」の状況を楽しんでいたりもする。

 海の中央で敗戦の屈辱を晴らすべく商売にあけくれるヤフリナ国も、「今」は元気なものだという噂だ。辺境の島には時折オルセイが顔を出しているとも聞く。

 どこの国にも、どんな人の上にも降り注いでいる天の光に、人々は微かな空耳を聴くのだ。

「お前たちの存在が、魔法なのだよ」と。


          ◇


 ~エピローグ~


 青年は剣の道を目ざした。

 娘は魔法と向きあった。


 そして青年は男になり、剣を置いた。

 娘もまた女に育ち、魔法から身を引いた。


 彼らの住む村は小さくつつましく、

 そして平和な村だった。


 彼らはその平和をつむぐため、

 今日も 懸命に生きている──



                 完

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