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7-9(婚約)

 これまでにも2人になる時は、なかったわけではない。ジザリーやオルセイが退席してくれた時間があったが、いつ戻ってくるか知れないしという一種の緊張もあって、あまり2人ですべき会話をして来なかったのだ。さあどうぞと時間を差し出されても、いきなりでは心の準備が追いつかない。

 ラウリーは目を拭ってから頬を押さえ、「この野郎っ」と扉に怒りをぶつけている男の背中を見上げた。見たら、少し安心した。怒りとはいっても本気のものではない。

「好き勝手、言いやがって」

 扉に向かって毒づくクリフに、ラウリーは忍び笑いを聞かせた。肩越しに振り向いたクリフは憮然としており、耳まで赤い。彼なりに手順もあったのだろうにと思ったら、気の毒で苦笑してしまう。

 そういう意味では、だしぬけに意地悪を言った兄の方が、ずいぶん豹変してしまったように感じる。昔なら人の心に土足で上がりこんで来るような発言は控えただろう。

 ラウリーの気落ちに対しても、もっと言葉を濁すか避けて見守るかしたはずだ。もうすぐ去るから、という理由ばかりではなく、2人を信用しているからこその暴言でもある。ダナによって解放された鬱屈が、こなれて融合して消化されたように見えた。

 兄は、兄の道を行く。

 兄がダナの魔道士になるということが、不思議とラウリーの中で、合点が行った。

「ナティの魔道士には、誰がなるのかな?」

「さぁな」

 背中だけの返答は、明らかに興味がない風だ。ラウリーの方は、ナティだけにディナティか誰か、まさかマシャが、などと考えていたのだが。どの案も、しっくり来ないが。

 ラウリーはナティの指輪が、どこに行ったか知らない。

 肩を竦めて、深く胸に空気を入れた。

「ねぇ、クリフ」

 まだ照れて顔を見せない幼馴染を、目を細めて呼びかける。

「あなたと別れてからの私は、誰とも触れ合ってなかったわ。ああ、ケディだけは別だけど」

「あのクソ鳥」

 悪態だが微笑ましい。ケディにはあれ以来、会っていない。役目が終わったから帰るわ、という、あっさりとしたものだった。抱きしめる暇もなく飛び去られてしまったが、ラウリーが目覚めるまではいてくれたのだ。それだけでも涙が出そうなほどに嬉しい。

 最後の最後まで見捨てないでいてくれた、空飛ぶ優しい魔法使い。思いだして目を細めつつ、言葉を続ける。

「再会したクリフが、初めてだった。兄さんには、さっき初めて触れることができたの」

 クラーヴァ城でクリフと別れ、ネロウェンに行き、魔女となり。あんなに長く一緒にいたが、ラウリーは一度として誰とも、握手一つ交わしたことがなかったのだ。互いには礼を尽くしていたが、ある一定以上は近寄らなかった。辱しめの憂き目に遭ったことも一度や2度ではなかったが、触れられる前に撃退して来た。

 ただ一人だけ。人間で、たった一人。

 ネロウェンの孤児を除いて。

 骨と皮だけになりながらも必死に生きて泣いていた、あの壊れそうなぬくもりが、ずっと胸の中にあった。赤ん坊の感触が、ラウリーを魔女に変えたのだ。

 徐々に見えて来る横顔に勇気をもらいながら、ラウリーは告白する。

「兄さんが好きだった」と。

 それも否定できない。まぎれもなくネロウェンに赴いた理由の一つだ。

「私、兄さんが好きだった。私を守って、支えてくれてたから。クリフを好きなことと同じぐらい、でも全く別の感覚で、兄さんを愛してた」

「ラウリー」

「やっと何のわだかまりもなく、兄さんに触れることができたの」

「言わなくていい」

 やっと向き直ったクリフが、ラウリーの手を取る。重なり合った手を見つめて、ラウリーは目を伏せる。伝わってくる熱がラウリーの心を暖める。この手は2度と離されない。素直に確信できる。

 好かれているのかどうか、自分がクリフを好きなのかどうかも分からないほど揺れていた感情は、もうない。

 愛しているのか愛されているのかと怯えていた、それを考えないようにして来た日々も、今は遠い。

 見上げると、イアナの瞳が自分を射抜いている。

 あまりに真っ直ぐすぎて、後ろめたくて見つめ返せなかった、力を込めて懸命に睨んでしか見れなかった自分が、徐々に払拭されて行く。

 クリフが指を目尻に当てて来たので、ラウリーはようやく自分の涙に気付いた。止めても溢れて来るのは、兄が去る悲しみばかりではないようだ。寂しさ、嬉しさもあるのか、自分でも分からない。

「泣くなよ」

「分からないの」

 クリフの腕が優しい。兄とは違った心持ちで、違った力の入れ方でラウリーを抱きしめ、頭を撫でてくれる。安心できるのに、どこか男性を意識させられて、ラウリーは鳴る胸を押さえる。

「幸せだから、泣けるんだと思う」

 腕にしがみついて、彼の胸に頬を寄せる。鼓動が聞こえる。もっと強く抱きしめようと背中に手を伸ばしたが、ベッドが邪魔をして少し遠い。クリフがベッドの脇に腰かけ、ギッと鳴った。ラウリーも体をずらして、脇に近寄る。

 互いの瞳には何の迷いもない。

 合図に目を伏せる。近付く唇を見ながら、目を閉じる。全身から力が抜けて行くのを感じながら、クリフの感触を確かめる。相手との境がなくなるような、自分が自分でなくなるような感覚が恥ずかしくて身悶えしたくなるが、そんなラウリーのもがきもクリフが包み込んでしまう。初めての夜は、これが最後と思っていたから出来たことだ。文字通り生き返った後では、これこそが初めてのように思えて、嬉しいやら照れくさいやら、せわしない。

 自分などが幸せでいいのかという負い目も、しばらくは消えそうにない。

 消えない感情なら、向き合って認めるしかない。

 ラウリーが幸せを拒んでも、代わりに誰かが幸せになるという道理はない。拒めば、確実に悲しむ者が4人出るだけだ。ひょっとしたら、もっと発生してくれるかも知れない。

 力が抜けて倒れたくなるのをクリフに支えられ、胸へと戻される。熱に浮かれた心地で見上げると、クリフも軽く吐息を洩らしていた。

「続きは治ってから――いや、結婚してから、だな」

 はにかみ、くしゃりと髪を掻きあげるクリフは、昔のままである。ざんばらの赤毛と、やんちゃな瞳。変わったのは頬の傷と、どこか大人びた笑みだ。

「以前、一緒に生きようと言ったが、ちょっと付け足すよ」

 唇は離れたが、手は握り合ったままである。もう片方の手は、ラウリーの髪を撫でてくれている。紫髪が許されるような、認められて救われて行くような、暖かい手だ。

 ラウリーも彼の頬に触れた。薄れて来たが、きっと一生消えない。

「一緒に暮らそう」

 言葉の違いが、胸に響いた。

「っていうか一緒に暮らしてくれ。どこで何してるんだか、危なかしくて気が気じゃない」

「失礼ね」

 クリフらしい締め方に、思わず吹き出す。ラウリーからしてみれば、狩りやら神の媒体探しにやらと出ずっぱりだったクリフに、何度やきもきさせられたか気が知れない。どうやら本人には、そういう気はないらしい。

 ラウリーとて自覚していなかったが、この数年は特にだが、言われてみればコマーラ家にいた時とて、どれほど心配させていたか計り知れないのだ。

 とはいえ2度と勝手を致しません、などと約束も出来ない性分だが。

 負けじとラウリーも言い返す。

「じゃあ私のこと、しっかり捕まえててね」

「縄つけて俺に縛りつけてやる」

「それは困るな」

「話は済んだか?」

 くだらない言い合いで笑っていた2人に、ジザリーが割って入った。扉が開けられる音にクリフが飛び上がり転び、ラウリーはベッドのシーツを引っ張っていた。顔を覆ったが半分しか隠れておらず、赤面を隠しきった自信はない。

「クリフ、大丈夫?」

「痛~っ」

 絵に描いたような慌てっぷりに、不用意に扉を開けたジザリーが呆れ、脱力したほどだった。その後ろでシィレアが苦笑している。だがオルセイの姿がない。

「父さん……オルセイは?」

 床に座り込んで父親を見上げるクリフに、ジザリーはかぶりを振った。重い表情のまま、クリフとラウリーへ交互に目を向ける。

「行ったよ。これ以上は、また揺らぐかも知れないから、と」

 その一言で、心情は読み取れる。

 嫉妬、悩み、苦しみ。安定したかに見えても、人はすぐに移ろい、また狂う。まして制御しきれぬほど強大な『力』を身の内に巣食わせていながら日々を平然と生きられるほど、人は強くないのかも知れない。

 だから『欲』を絶ち『魔法』を磨いて制御して、鍛練に明け暮れるのだ。

「俺は……」

「クリフ?」

「あ、いや」

 口が動いたのを見て声をかけたが、クリフは口を引き結んだ。だがラウリーには、クリフが何を言いかけたのか分かる気がした。ひょっとしたら、と。

 俺はひょっとしたら、死より重い生の苦しみを与えたのは間違いだったろうか、と。いつか再びオルセイが揺らぎ、クリフにとどめを刺される日が来るとしたら……その時は互いに、今よりも辛くなる気がする。

 そんな日が来ないことを、オルセイが最期までダナに打ち勝つことを信じてはいるのだが。

「きっと、また会えるわ。それにもし兄さんが揺らいだとしても、その気になれば他の6人が何とかしてくれるわよ」

 クリフの心境を推し量りつつ、ラウリーはあっけらかんと言いきった。起こっていないことを心配していても始まらない。それに、もしエノアの気まぐれがなければ、ダナの『力』はすべてラウリーに移動していたはずであり、だとすれば魔道士になったのはラウリーだったかも知れないのだ。

 偶然の産物、神の采配。ラウリーには余計に、兄の分まで『生きる』理由がある。

 兄が託してくれた温もりを抱きしめて、ラウリーは背筋を伸ばした。

「父さん、母さん」

 改めて入室した両親を呼びながら、かたわらに立ったクリフの手を握った。気付いてクリフが握り返し、

「俺が」

 と、ラウリーに頷いてくれた。

 クリフの深呼吸が、背中越しでも響くほど大きく聞こえた。

 出された声は、それより大きく凛と響いた。

「義父さん。義母さん。ラウリーと、結婚させて欲しい」

 とうさん、かあさんと呼ぶ名の微妙な韻に、2人とも気付いているようだった。オルセイの前振りがあったからだろう、驚きはしなかったし、反発心もない様子である。

 母親の表情は穏やかで、歓迎してくれている。だがジザリーの方は、ぶるぶると震えている。ラウリーの目の高さだから分かるジザリーの拳が、太ももの横でこっそりと、ぐっと握りしめられているのだ。

 意外な反応に、クリフがうろたえる。

「分かっていただけに覚悟はしていたが……」

 と、言葉が切れたのは、怒りから続きが思い浮かばなかったからのようだ。

「……実際に聞かされると、ものすごく腹が立つぞ、クリフ」

「え。いや、あの」

 やはり怒りだったらしい。言いよどむクリフの手を、ラウリーが思わず両手で握りしめる。そんな娘に優しい目を向けてから、ジザリーはクリフを睨む。

「ラウリーにまで、ノーマ伯爵の家柄と土地を背負わせるつもりか」

「……!」

 クリフの手がこわばった。言われるまで気付いていなかったらしい。称号を得て貴族となったことは、いくら片田舎であっても何かについて回るだろう。

 将来はグール狩人になって山の片隅で暮らすのだとしか想像していなかっただろうクリフにとっては、伯爵の称号が心底邪魔でしかないのだ。

「大丈夫よ」

 ラウリーは手に力を込めた。それなりに色々とは考えて来たのだ。兄に言われて復活できた以上、貴族の肩書きなぞに負けるつもりはない。魔力は弱くなり、狩人にもなれず、中途半端な自分だが。

 もしクリフの伴侶となって彼の力になれるのなら、やってみたい。

「ラウリー・ノーマになることを考えて来たのは、昨日今日の話じゃないわ。クリフがクリフのままだから、私は何があっても平気よ」

 クリフに支えられて来た分、今度は自分がクリフを支える番だ。ラウリーは内心で噛みしめて、両親に微笑んだ。

 娘が見せる華やかな笑みに、ジザリーは肩を落としている。泣きそうに情けない顔を、ぎっと再びクリフに向けると、ジザリーは目を吊り上げた。

 つないでいた手を引き剥がされるようにして、

「ちょっと来い」

 と、部屋の外へ連れ出すではないか。うろたえたが、やはりこれも母親に頬笑みでもって止められた。

 ほどなくして部屋の外からは、扉を吹き飛ばさん勢いの怒号が大爆発した。

「馬鹿もーんっ!!」

 閉めてあっても筒抜けである。

 予想はされていたが、生で聞くと強烈だ。低く落ち着いた声で、普段は声を上げない父だけに迫力も倍増である。ラウリーは狼狽しながらも同時に父親の愛情をひしと感じ、顔をほころばせた。止めたはずの涙がまた溢れそうになる中で聞こえて来る2人のやり取りは、仲の良い親子の語らいにしか聞こえない。

「まだ独り立ちしとらん青二才に、大事な娘をやれるか!」

「これから立つって! それに青二才っつっても世間じゃもう、いい歳だよ。ラウリーだって、あ、いや、」

「余計にやれるかーっ! 表に出ろ、この場で一発殴らせろ」

「一発は家に帰ってからじゃ……」

「その分とこの分は別だーっ!」

「無茶な……」

 とかいう言い争いが段々と遠くなる。本当に表へ出たのだろう。他の者がざわざわと話している声も聞こえる。さぞかし、いい見世物になっていたことだろう。保養所では、廊下にも人が溢れている。

 遠ざかる声に半ば呆れつつ扉を眺めていると、母親がベッドの傍らに「ふう」と座った。

「もう暗いから、じきに飽きて帰って来るでしょうよ。好きにさせておきましょう」

「そういう問題?」

「お父さんの身にもなってみなさい」

 苦笑されて、そうかと気付く。子供たちに会えたと喜んでいたのに、その矢先に兄が消え、それだけでなく2人が結婚するなどと報告をして。3人が一度に3人とも、いなくなるのだ。その寂しさたるや、ラウリーでは想像しきれないことである。

 少ししょげて「ごめん」と頭を下げ、母親に気を取り直してもらう。

 母は、扉を見て肩を竦めた。

「あんな子供みたいなお父さん、久しぶりに見たわ」

「私は初めてかも」

「あなたが生まれた時のはしゃぎっぷり以来かしらね」

 母親が顔を向けて、ラウリーに微笑む。ラウリーは自分が生まれた時を想像して照れて、はにかむ。

 そんな娘の髪を一房、母親が手にした。たおやかな指先を見つめ、その先にある母の顔へと目を向ける。母の眼は、深い緑色をしている。安らぐ色である。瞳を細めて、シィレアは「おめでとう」とラウリーを励ました。

「幸せになるのよ」

 改めて言われると、また涙腺が緩んでしまう。ラウリーは唇に力を込めたが、どうしても震えてしまい嗚咽が漏れそうになる。振り切って勢いよく頷き「うん」と告げるのが、精一杯である。

 そんな娘の髪から肩へと、シィレアは手を当てる。今日一日の皆から貰った温もりは、きっと一生ラウリーを暖めることだろう。ラウリーは父親が戻ったら、父親を抱きしめようと思った。

 夜の帳が下りる。厳しい冬が来ている。だが。

 春も、かならず来る。

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