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7-6(意思)

 クリフは魔法をなど使えない。ひたすらに“生きろ”と祈っている。オルセイの言葉を真似て繰り返しているだけだ。

 ラウリーの生死はクリフが決めることではない。皆の心をありがたく受け取ればいい。後は神が決める。それこそ、ダナの域だ。

 答えを求めるように盾の輝きを見やると、オルセイも俯き、青い顔をしていた。

「……?」

 オルセイは左手をラウリーの腹に乗せているが、右手は、盾にもたれかかっている。体を曲げて、倒れそうになっている。置かれている手の下には、布が裂けて赤くなっていた部分がある。

 大丈夫かと声をかけかけて、クリフは急に思い起こした。

 オルセイと戦いだす直前の映像が、脳裏によみがえって来たのだ。オルセイがラウリーをクリフに向かって投げた時だった。オルセイは、ラウリーの腹を持って小脇に抱えていた。間違いない。腹部だった。

 オーラの中にいたラウリー。

『魔力』が抑えられていたかに見えた、ダナ。

 オルセイは、ずっと“治癒”していたのだ。

 クリフと戦いだし、手放したことで、オルセイはラウリーを「殺した」と断言した。だが彼女の腹は治っていた。おそらくは服の切れ目と同じだけ裂けていたのだろう肉をつなげ、血を通わせた。彼の言うところの『無駄』を。彼は、諦めずに施したのだ。

「お前」

 クリフの胸に、癒しの力が満ちるような暖かさが広がった。

 クリフは右手に持っていたイアナの剣を、ラウリーの胸から腹へと縦に寝かせて、剣に手を重ねた。剣の上から皆が、手を乗せて行く。ラウリーの手を放した左手で、オルセイの肩に触れた。

 オルセイも盾を彼女の側に置いた。クリフが放した彼女の手を、盾に乗せる。オルセイの空いた手は、クリフの左手を掴んだ。

 ルイサの片手がリニエスを握る。

 マシャも、片手をユノライニに突き出す。

 それをユノライニも握り返す。彼女は詠唱の合間に、そっとソラムレア語を挟んだ。

「王をお願い」

 誰に向かって誰のことを言ったのだかが、分からないように。だからマシャも少女を見なかった。見なかったが、言葉の矛先が自分らしいのは感じられた。

 ユノライニは先の戦いで、ディナティとマシャのやり取りをも“遠見”していたのだ。それに先ほどの視線。女の勘が補完したらしい。マシャがソラムレア語を理解できることを覚えていたのかどうかは分からない。

 聞こえなかったふりはしなかった。ユノライニに顔を向けないまま、マシャは握る手に力を込めた。

「痛っ」

 何するのよと抗議する視線を受けて、マシャは横目だけでユノライニに笑いかけた。返す言葉もソラムレアのものである。向かいに座るディナティには、聞こえていない。

「ごめんだね」

 鼻白む少女を置き去りにして、マシャは再び詠唱に専念する。内心で、まぁ色々と助けはするけどね、などと思いつつ。つなぐ手が、ほら早くとユノライニを急かすように熱を帯びる。少女も肩の力を抜いて、“治癒”に戻る。

 キャナレイ、ディナティ。後方の、ラウリーに手の届かない者たちは、両手を両隣の者と握り合う。戸惑う者もいたが、すぐに握り返されていた。自分の手を合わせるよりも、血の流れが強く感じられる。鼓動が体に響く。

 言葉が輝く。

 ラウリーへと、生ける者へと沁みこんで行く。サプサに満ち、ロマラール国に広がり、大陸へと想いが渡る。晴れ渡る空が、優しい光を皆へ注ぐ。仰向けに眠る娘を照らす。

「……ラウリー……?」

 ほんのりと。

 頬がかすかに色づいたかに見えた。ラウリーと連呼したい気持ちを詠唱に変えて、クリフは懸命に声を上げる。座する人々はオーラの内側にもひしめいており、空気の壁はなくなっている。いや空気は取り巻いている。魔道士らが作る輪が人々の『気』を含んで膨れ、サプサ全体に広がっているのだ。

 もしかしたら国全体、世界全体にまで。

 クリフの頭上に、エノアの声が響いた。

「厄介なことをしてくれたものだ」

 という言葉の割には、口調が柔らかい。

「おかげでラウリーまで生かしておかねばならない」

 ということは、ダナに備えて“浄化”要員として、まだ確保しておくつもりと言いたいのか。クリフが終わらせなかったのだから当然とも考えられるが、彼の表情と声音を知らなければ、ひどい言い草と聞こえたことだろう。

 今は腹も立たない。

 エノアの表情が、ラウリーの無事を物語っている。

 顔を上げたクリフの目に、周りに横たわっていた瀕死の兵たちが息を吹き返す様も見えた。生き生きとした空気が取り巻いている。

 エノアがランプを掲げると、光が薄い緑色に染まった。

「集まれば強い」

 エノアはふわりと浮かび上がった。エノアだけである。他の者らは動けず、倒れる寸前である。何日もの間ずっと魔力を放出していたのだ。普通の人間に換算して、それがどれほどの苦行となるのかは想像もつかないが、恐ろしく体力を使うことなのは間違いないだろう。とすれば、エノアがどれだけ人間離れしているのだ、という話になる。

 戦うエノアはいつも、死にかけるまで全力を尽くしたり、“転移”一つで蒼白になっていた。いくら自分の生まれ月の媒体を手にしているからと言って、エノア一人だけが元気である理由にはならない。『魔力』の不思議が理解できない。

『魔力』は体力を使うからなと言いながらも、ラハウなどは身体が動かなくなっても『魔力』だけで生き延びていた。『魔力』はウーザを大樹に変化させたり、獣に見せたりもする。自然災害を起こしたり、こうして命の危うい者を生き長らえさせんともする。

「一体……」

 呟いたクリフに、エノアが目を向ける。

 視線を受けて顎を上げ、クリフは「何なんだ?」と問うた。

「一体『魔力』って何なんだよ? お前は何者なんだ?」

「人だが」

 と返されて、そうですかと引き下がれない。得体の知れない、不気味な力だ。魔の力。神の力でもあると教えられたことがあるが、神そのものが曖昧なのに、定義などつけられない。イアナやダナも、名はあっても、一個人として在る者ではない。『魔力』の大きさや質も、人によってまちまちだ。

 浮かぶエノアはマントをなびかせて、クリフを見おろしている。

「まだ悟っていなかったのか」

 呆れたように言われて、クリフは口を尖らした。聞いたことがないのだ、知るわけがない。自力で出る答えだとは思えない。

『魔力』とは。

 言いながら翠の目尻を若干下げて、エノアは人々を見渡す。皆の顔を一つずつ丁寧に確かめるように見ている。

 ニユのランプが輝く。

「生命力そのものだ」

 エノアの言葉を包むように、オーラが光を増した。町が、エノアに呼応して活気を取り戻して行く。ガレキはガレキのままだ。元に戻ることはない。だが、なぜか光が差し込んで町の全体が暖かくなって、サプサを生き返らせて行くように思われた。

 光は、天から注がれているものではない。大地そのものが、ほわりと光を含んでいるように見えた。

「私はニユの魔道士だが、同時にもう一つの石も担っていてな」

 マントを揺らして、エノアが言う。空気に踊る髪は今や、すべての者に見られている。整った顎が動いて、言葉を紡ぐ。直視に耐えぬほどの容姿を露わにしていながら、どこか印象が薄く、クリフ以外の誰も彼を見上げていなかった。ラウリーらへの“治癒”に専念している。おそらくは彼の言葉も、誰も聞いていないのだろう。聞こえてはいても認識をしていないのだ。

「ニユとクーナの月の、ちょうど狭間に私は生まれた。どちらの守護月でもあり、どちらでもないと言える」

 エノアはクリフにだけ聞かせている。

 目をすがめてランプを眺めてから、エノアは遥か彼方を見た。先には水平線が広がっている。

「私が担う石は、ファザ神だ」

「ファザ」

 思ってもみなかった名前に、クリフは固まった。7神を統べる、7神の上に立つ神だ。人の姿は持っていない。ファザの石があるなどという話も聞いたことがない。そんな石を持っていたなら、もっと早くに見せてくれていてもいいものを。

「そんな石なんて、」

 どこにもないじゃないかと抗議しかけるクリフの心を、エノアが制する。視線だけで、黙らせられてしまった。これが本当の彼なのだ。クリフの軽口や文句を受け流す彼の姿は普段用なのだ。かつてクラーヴァ城の大臣を、少し『気』を強くしただけで黙らせてしまったではないか。

 その気になればエノアは、もっと存在感を強くして人々すべてを威圧して君臨することも叶うのに違いない。かつてダナがそうであったように、圧倒的な力で人を自由に出来るのだ。しないだけで。

 ふと、エノアが微笑んだかに見えた。

 今までに見たことがない、満足げで優しい、慈愛の笑みを見た気がした。エノアの瞳は、穏やかに大地を見渡す。エノアの視線が向けられる順に大地が輝いて行く、そんな錯覚に見舞われた。エノアは平らかな目をして言う。

「我々はファザの石を踏みしめて、生きている」

 言うと同時に視線とランプとが、ラウリーに注がれた。エノアを凝視していたクリフも気付いて、ラウリーに心を戻し、顔を覗き込んだ。

 まぶたが揺れる。

 白かった肌に色がついて行く。

 剣と盾が熱を帯びた。ラウリーの熱を感じて反応しているのか、ラウリーを暖めているのか。クリフの脳裏に、幻想が浮かんだ。彼女の胸に、火が灯るのが見えたのだ。周囲の皆もそう見たようで、全員の顔がラウリーに近付いた。

 固唾を呑む、緊張した空気が漂う。

 やがて、すぅっと彼女の胸が上下に動いた。

「ラウリー」

 わっと周囲が沸いた。呼吸を封切りに、明るい空気が取り巻いた。安心した声が次々に上がる。だが、まだラウリーが目覚めたわけではない。大丈夫かと問う気持ちで、クリフはラウリーの肩に手を置いた。が、そのわずかな揺れは、意外な現象を起こした。

「――え?」

 ケイヤが倒れたのだ。

 ラウリーの頭を膝枕してくれていた、ダナの魔道士である。たおやかな老婦人は、無粋な黒いマントより白い長衣(ローブ)の方が似合うだろう風情で、紫髪の娘を包んでくれていた。驚くほど薄い印象は、魔道士ゆえだと思っていた。

 老婦人はふいに揺れると、するりと横に倒れてしまった。クリフの反対側に倒れたので、リニエスが支えたのだが、支えきれず、今度はケイヤがリニエスに膝枕をされる形になった。横顔は穏やかだ。ケイヤは微笑みすら浮かべている。

 だが。

「……こと切れておられます」

 リニエスは、ケイヤの首筋に手を当てて言った。ケイヤも真っ白な顔をしていた。クリフはケイヤの手に触れた。ラウリーより冷たく感じられる。今しがた命を落としたものではないようだ。

 まさかと声なく呟くクリフの脳裏に浮かんだのは、先ほど天に昇って行った少女ダナだった。

 ラウリーの中に残っていた少女だと思っていた。だがダナの『力』は、ケイヤも持っていたのだ。ダナの魔道士たる彼女の『魔力』が、ダナを移動させて平民に戻ったラウリーより弱いはずがない。

 少女ダナの優しさは、ケイヤが持っていたものだったのだ。

「そんな」

 愕然とするクリフは、それ以上の言葉を出せずに唇を噛み締めた。オルセイも歯を食いしばっている。驚きと放心で、涙が出て来ない。まさかエノアの言った「女性が望ましい」という犠牲がすでに決行されていたとは、思いも寄らなかったのだ。

「なんでだよ」

 クリフはエノアを睨みつけた。地に足を着けたエノアは、ケイヤに目を落としたきり黙している。責める権利などないし、エノアとて責められるいわれはない。エノアがケイヤを殺したわけではない。だが。

「なんで、この人が」

 クリフは声を殺した。肩が震える。こみ上げる。そんなクリフの頭に、見えない手が感じられた。

「寿命よ」

 聞こえた声は、生ではない。エノアが発するよりも儚く聞こえる、普通ならば聞こえない声だ。

 このような声をクリフは以前にも聞いたことがある。大樹になった魔法使い、ウーザ・リルザが死んだ時だ。天に昇って行く『気』が楽しそうな言葉を紡いだのを、クリフは聞いた気がしたものだった。

 ケイヤの声も明るかった。ただの、クリフの願望かも知れない。だが自分の思い込みだけでは、このような言葉は聞こえて来ないだろう。と、思いたい。

「この子が目覚める前で良かったわ。どうか、あなたたちも自分を責めないで」

 老婦人の『気』がふんわりと皆を包む。座する全員が、昇天するケイヤの声を聞いていた。姿はない。声とて、気のせいだと思えそうなほど、かすかな囁きである。

 ケイヤの言わんとするところは読み取れた。ラウリーが目覚めていたなら、目の前でケイヤが亡くなるところを見たならば、彼女が発狂しかねない。泣き叫び、深い悲しみに身をやつして、命を投げ出しかねないだろう。寿命という言葉が詭弁に聞こえる。

 ラウリーがまだ目覚めないのは、魔道士たちの采配なのだろうかと思われた。もしくはファザにも意思があるのだろうかと思われた。神の神が、優しき魔道士を導いたのならいいのだが。誰よりも死を憂い、死を見つめていたであろう老婦人は、その瞬間を誰にも悟られることなく、こっそりと逝ってしまった。

「……聞こえた?」

 マシャが、ユノライニに耳打ちしている。ユノライニが頷いている。

 ルイサもマシャに「私にも聞こえたわ」と微笑み、リニエスがケイヤの髪をそっと直して、撫でた。ラウリーは、ケイヤの膝に甘えるように首を傾げたまま、安らかな寝息を立てている。ケイヤを送るように灯っていたランプが、静かに光を消して行く。皆が少しずつ動き始め、緑の幕が降りて終演を告げた。

 静穏な午後の日が、傾き始めていた。

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