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7-5(大赦)

 オルセイは憶えている。ダナと化した自分が何をしたのか、何を思っていたのか。自分の意思だった。不遇を嘆き、運命を呪い、妬み嫉み恨み、憎んだ。

 目が覚めたように頭が冴えた時には、魔道士に殺される寸前で、オルセイは抵抗した。理不尽な死になど従えない。ダナをなど望んでいなかったというのに……と憤る傍らでオルセイの心には、ふとよぎる思いがあった。本当に望んでいなかったと言い切れるのか、と。

 魔道士を滅するために放った一撃が最愛の者に理不尽な死を与えた瞬間、オルセイの中で、何かが壊れると同時に、生まれた。

 オルセイは運命を、己で決めたのだ。

 呪われた自分を解放して欲しかった。

 だのに。

「殺さない」

 クリフは低くうめいた。

 殺せないのではなく、殺さないのだ、と。

 膝を下ろすと、クリフは彼の胸倉を掴んで立ち上がり、オルセイを引っ張り上げた。オルセイの方は足に力が入らず、中腰で、クリフの手にぶら下がる形になった。元々の体力が落ちていたのに、極限まで無理をしたせいで、身体が壊れる寸前である。

「お前は悔やんでいるし、苦しんでいる。罪を感じている。だから殺してなどやらない」

 クリフの目は元通りだが、口調は冷ややかだった。掴んだ胸倉を引き寄せて、また頭突きでもしそうな近さで、クリフはオルセイの目を見据える。これは罰だ、と。

「お前を殺しても、ラウリーは戻らない」

 オルセイも、ぐっと言葉を飲み込んだ。だからこそ罰して欲しかった。クリフの手で。

 だが親友は、そんなオルセイに「生きろ」と現実を突きつける。

「生きて償え。逃げるなんざ、許さねぇ」

 死は償いにならないのだと、友は言う。

「だが俺にはダナの『魔力』が……」

「勝ちゃいいだろうが」

 言いよどむオルセイの語尾を取り上げて、赤毛の男は乱暴を言ってのける。実際に今、オルセイはダナを内包しながらも『魔の気』を安定させている。今朝の時点で、すでに感情は――憎しみは払拭していた。

「ダナと共に生きろ。死ぬことが“浄化”なら、今でも先でもいいだろうが。よぼよぼになるまで生きて、苦しみ抜いてから死にやがれ」

 無茶苦茶だ。だが、とてもクリフらしい。真っすぐな赤い瞳に射抜かれて、オルセイは胸が詰まるのを感じた。

「そうは言っても、いつまたダナが暴走しないとも限らん。そうなったら、クリフ、俺は、」

「その時は責任を持って、俺が殺してやる」

 きっぱりと言い切られた。

 クリフの理屈は単純明快だった。

 オルセイが狂っていたなら斬る。今は本来のオルセイであり、悔やんでいるから、生かしたのだ。あまりにも裏がなさすぎて、こんなになっても、どこまで行ってもクリフがクリフのままなことに笑みさえ洩れて、涙が出てきてしまう。

 そんなクリフにラウリーが惹かれるのは当然だった。

 同様に自分とて、クリフに焦がれていたのだから。

 思いつつオルセイは、すぐ側に横たわっているはずの妹を探して目を彷徨わせ、見開いた。ラと発音しかけたオルセイの形相を見たクリフも、視線の先を追って、彼女を凝視した。

「……ラウリー!!」

 信じられない光景だった。幻のような姿だった。

 ラウリーは横たわったままである。白い顔をして真っ赤な服を身にまとい、ぴくりとも動かない。2人へ向けられている顔に生気はない。

 なのに、彼女の上に、立っている少女が見えるのである。生きている者ではない。透き通っている、明らかに生身のない者だ。まるでラウリーから抜け出た、彼女の中身のように見えた。なぜなら少女は、ラウリーよりずっと年下だが紫の長い髪をしていて、彼女の幼少時代にそっくりだからである。

 10歳かそこいらの、彼女が髪を短くする前だ。一つに束ねていた髪を下ろせば、このような者であっただろう――という姿を、半透明の少女がしている。いつの時代か分からない簡素な服一枚で、彼女はふわりと浮かび上がった。

「待て、行くな!」

 クリフがオルセイの胸元から手を放し、オルセイも身を起こして、2人でもつれるようにして走り寄る。手を伸ばしても触れられないほど浮かび上がった彼女は、しかし、よく見るとラウリーの顔ではなかった。

 クリフの奥底から、オルセイの奥底から、少女の記憶がよみがえる。

「……ダナ?」

 神話の時代に人類史上、最初に“死”を与えられた者。イアナとマラナの娘。ダナが手をかけた、ダナ。少女は2人を見て、嬉しそうに笑った。とても愛らしい笑顔だった。極上の笑みに、男らはくずおれた。

「ダナ! ダナ、俺は……っ」

「済まない……まさか、あんな……」

 口々に2人の中の2人が懺悔するのを、少女が制する。その間にも少女は、ゆるゆると天へ昇って行く。2人の目には、“浄化”に見えた。ラウリーの中に『ダナ』が残っていたのか、それとも誰しもが持つ守護神としての『ダナ』ですら昇天の際に見えるものだというのか。

 死の神ダナが示す者には、7番目の白かった男だけでなく、8番目の少女も潜んでいたのだ。神話の表舞台には決して立つことがなかった、最初に死んだ者として、人々の死を見守る少女ダナが内包されていたのだ。

 少女に声はなかったが、唇がつむぐ形は、ある一言だけを指している。いつかの時に聞こえた、可愛らしい声だった気がする、優しい言葉だ。

「もう、いいよ」

 少女はそう言って、オルセイを指さした。見上げていたオルセイは指を指されて、突然ぐっと口を押さえた。激しく咳き込みだしたオルセイに、クリフがぎょっとする。

「オルセイ!?」

 俯く彼の背を見てから、慌てて少女を見上げる。少女は悪びれもせず、幸せそうに笑いながら空へ消えて行くではないか。

「あ、おい、ちょっ、待っ……オルセイっ」

 呼んでも容赦なく消えてしまった少女を見送るも束の間、クリフはオルセイを見やった。彼は体を二つ折りにして、胃の中をひっくり返していた。思わず背中をさすっていた。

「何だってんだ、おい」

 頷きも出来なかったオルセイは、ほどなくして何かをごぼっと吐き出して、治まった。肩で息する体の下に、吐しゃ物が溜まっている。ガレキの隙間に胃液が消えて、残った汚物の中にコロリと、丸く紫色の石が光っている。

「これは」

 ぜいぜいと口元を拭って動けないオルセイの代わりにクリフが手を伸ばしたが、石には触れられなかった。横から伸びてきた手が、先に石を拾ったからだ。

「あ」

 汚いのにと明後日なセリフが頭をよぎったが、言えはしなかった。翠の男は何事かを呟きながら、涼しい顔で石を近くの水溜りに突っこんで洗っている。その時になって初めて、2人は周囲の魔道士らが何がしかを唱えていることに気付いたのだった。

 オルセイが「“治癒”だ」と呟く。

 今この状況において誰を治すというのか。魔道士が一丸となって唱え続けているなど、尋常ではない。膨大な“治癒”を施すべき相手が、2人には、一人しか思い浮かばなかった。

「!」

 赤いドレスの娘に、ひざまづく。

 だが先ほど彼女の上から、少女ダナが消えた。あれが“浄化”であり、“浄化”が死を示すならば、やはりラウリーには死が訪れていることになる。

 クリフは石を洗って戻ってきたエノアを見上げた。エノアは石を手にしたまま、落ちていたロマラールの盾を拾っていた。

「エノア。ラウリーは……まだ?」

 生きているのかと訊けずに言いよどんだクリフへ、翠の双眸が向けられる。感情は読めない。

 口調も瞳と同じく、読めない。

 が、言葉は確固たるものだった。

「生かす」

 感情を吐露しない表情の強さが、急に頼もしく見えた。

「お前も唱えろ」

 エノアはイアナの剣を指さした。先ほどの場所に突き立てたままの剣へ、イアナの魔道士たるノーヴァは手を出していない。クリフのものだと言いたいらしい。クリフは剣の元へ戻り、柄を掴んだ。ほわりと熱は感じたが、激しい光は放たれなかった。エノアはと言えば、拾った盾と紫の石を、オルセイに差し出している。

「お前がはめるのだ」

「……え?」

 自分の中から出た石と、無雑作に拾われた盾。戸惑うオルセイに、しかしエノアは知っているはずだと言わんばかりである。

「“ダナの盾”が存在しなかったのは、当然だった。これから生まれるのだ」

「あ」

 クリフにも、エノアの手にあるものと言葉とで、結論に至ることができた。なるほど合点が行く。2年間ずっと追い求め、わずかな『魔の気』すら感知し得なかった媒体だ。なくて当たり前だったのだ。だからこそダナは不安定で、地上に降臨したのだ。

 安定した彼が手がけることで、初めてダナの盾が完成する。盾自体は何でも良かったのだ。

 オルセイが頷いて、盾と石を受け取る。輝きはしなかった。心も落ち着いている。石の『気』がざわりとうごめいているかに感じられたが、オルセイの心を揺さぶりはしなかった。エノアら魔道士が織りなすオーラの『力』によるところもあるのだろう。

 ロマラールの盾は胴で出来ていて、装飾も少ない。石をはめこむような窪みも見当たらない。だがオルセイが石を盾にカツンと当てると、石は吸い込まれるように付着した。盾の中心に、まるで最初からそうであったかのように納まった。

 戻ってきたクリフが剣を手にして、オルセイに並ぶ。片手持ちに生まれ変わったことで、イアナの剣はダナの盾と一対になった。剣は、なるべくして片手持ちになったのだ。ダナと揃うために。

 それらを持って男たちは娘にかしづいた。

 だが冷ややかにエノアは言う。

「『気』が弱い。もっと要るが、これ以上は誰かが死にかねん」

「何だと?」

 裏切られた思いで、顔を撥ね上げる。だが魔道士は睨まれて動じないどころか逆に、じっと見つめて来るではないか。ひるんだクリフの横から、すかさずオルセイが申し出た。

「だったら俺を」

 だが躊躇ない申し出は、無残に却下された。

「女性が望ましい」

「そんな」

 オルセイとラウリーの間を行き来していたダナの“移動”とは違うというのだろうか。女性などと限定されては、クリフらの出番がない。誰かの命を奪ってラウリーに与えるなど。2人は詰まる。祈って祈って、自分の命を差し出してラウリーを救えるならば、喜んでそうするものを。

 他人の死で愛する者を生かす。

 突きつけられた苦悩を選べず考えあぐねるクリフの側に、ちょこんと人影が現われた。

「?」

 オーラの中である。誰も入れなかったはずだ。だが赤紫の髪をした少女が、ラウリーを挟んでクリフの向かいに、腰を下ろしている。『魔の気』は満ちている。彼女は、壁を越えたのだ。

 驚くクリフをちらりと見上げてからラウリーに目を落とし、リニエスは淡々と言った。

「私の役割が、やっと分かりました」

 そして静かに手を重ねて、唇を動かす。紡ぎ出される詠唱が、空気に溶けて混ざる。オーラが一回り大きくなったように感じられた。引き止められない堅さと優しさが、リニエスから溢れている。クリフは言葉を失った。

 昔、イアナザールからリニエスについて聞いたことがある。彼女がラハウの弟子であり、ダナの器として育てられていた、と。ラハウが起こしたダナの“降臨”は、本来リニエスに憑依されるべき術だった。ところがダナはオルセイに降りて、その移動先としてもリニエスでなく、ラウリーが選ばれた。

 魔力の有無ではない、たまたまだ、偶然だ……という理由では、頭では分かっていても納得しきれなかったことだろう。ダナ降臨のために費やした魔法修行が、無に帰したのだ。その上、師匠と仰いでいたラハウに見捨てられ、死なれ。彼女の失意がいかほどであったかを思えば、かける言葉も見つからない。

 かと言って彼女を身代わりしていい道理などない。

「リニ、」

 言いかけ、彼女の肩を掴もうとしたところで、クリフの方が肩を掴まれた。驚いて振り向くと、なんとルイサまで『気』の内側へ足を踏み入れているではないか。確かに入れない代物ではないが、先ほどまで誰にも邪魔されなかったことを思うと、この現象は驚異である。

「2人でやれば2分化されて、死なずに済むかも知れないわ」

 ルイサはケイヤの背中から回り込んでクリフの向かい、リニエスの隣りに座った。

 事情は外まで筒抜けだったらしい。確かに、すっかり静まり返っている中、話していたのはクリフらだけだ。両軍が皆、彼らを見守っているのである。心配げな顔や、複雑な表情もある。

 だが不穏な空気を吹き飛ばす声が、ルイサに続いた。

「じゃあ、3分割」

 カラッとした笑顔で、マシャもルイサの隣りに座ったのだ。

「あたしも少しは『魔力』あるらしいよ」

 などと、ナティの目を輝かせる。もっともクリフと一緒で、魔法の才能はないらしいけどさ、などと軽口を叩き、クリフを和ませる。その隣りへ並んだのは、ユノライニだった。ビスチェムに降ろしてもらった彼女は、どうやら足をやられているらしい。ディナティも初めて気付いたのだろう。「ユノ」と愛称を呼ぶのが聞こえた。

 聞きつけたマシャが若干「ふぅん」という細い目を、王女に向ける。

 ユノライニはマシャに向かって、ふふんと笑った。

「きちんと魔法を使える私が出るべきでしょうよ、ここは」

 どちらも考えが顕著に言動へ反映されるタチだ。一触即発のケンカになるかと思われた。が、ぐっと堪えたのはマシャだった。相手が怪我人ということもあるのだろう。それどころかユノライニに「どうやってするの?」と魔法を教わっている。

 その後ろにネロウェンの女兵士キャナレイも、どっかりと腰を下ろす。

「ラウリーには、ディナティ様を救ってもらった恩があるからな」

 ぶっきらぼうに言って見よう見真似で、そっと手を合わせている。

 並んだ女性陣を呆然と見つめる男らの隣り、オルセイの左に、ディナティも座り込んだ。

「王族の『魔力』も強いと学んだことがある。女でなくとも少しは役に立とう」

 何しろ王族は、守護神の名を冠して名乗る。神々の子孫であると主張するための証なのだ。遡れば人類すべて神の子だろうがな、などと苦笑しつつ、ディナティはラウリーを見やった。

 ディナティの言葉を受けて、ビスチェムや“ピニッツ”までもが次々に集まり、座って行く。離れた場所にいた者らも伝言を受け、顔を見合わせ、集まって来る。怪我人、動けない者がいたわられ、並んで行く。生きているのかが危うい者も、生きていると等しく扱われて輪の中へと、側へと、運ばれて来る。“治癒”の言霊が皆の感情に働きかけている。

 やがてサプサに集う者ら全員が、魔道士を中心に座り込んで祈り、クリフとオルセイを圧倒した。

「なんで……こんなに」

 オルセイが呆然と呟く。

「ラウリーだから座ってるんじゃない」

 応えたのは“ピニッツ”の一員だった。褐色の肌をした者を、オルセイは知らない。だがカヴァクはよく知っている。彼にとってオルセイは、実質ナザリを殺した、サプサを潰した張本人だ。

「祈れば助けられると聞けば、誰だって祈る」

 例え相手が敵でもオルセイでも。カヴァクの含みが読み取れて、オルセイは声なくそうだなと同意した。

『魔法』の何と脆く、安易で不安定で、そして強いことか。

 皆のかざす白や黒の手が、花畑のようにラウリーを彩っている。そっと触れられている手や、強く握られている手がラウリーの体を埋めている。紫髪を、黒茶の鳥が翼で撫でている。鳥は足に何かを光らせていた。指輪である。水色に光る石がはめこまれている。クスマスが、ディナティを助けに輪を抜けた際に、ケディに預けたのだ。

 リニエスはラウリーの額に手をかざし、ルイサはラウリーの肩を持ち、マシャはラウリーの胸元に手を当て、ラウリーの足元には、傷ついている足をさする父ジザリーの姿がある。

「ラウリー。……ラウリー」

 ぼろぼろと涙をこぼすジザリーに胸をえぐられながら、クリフはラウリーの手を握りしめて口付けた。

 冷たい。

 理不尽な願いだ。多くの者が亡くなったのに、今さら彼女には生きて欲しいと願うなど、虫が良すぎる。だが願わずにはいられない。特別な望みではない。誰もが誰かを愛している。叶わないことが多いだけだ。

 ナザリは生き返らない。シハムもギムも、サキエドも。サキエドを斬った感触は、つい昨日のように思い出せる。

 クリフはラウリーの手にすがった。

サブタイトルを間違えておりました……大敵と大赦じゃ、どえらい違いだ;

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