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7-4(慚愧)

 轟音と共に埠頭が崩れる。大地が揺れる。波が押し寄せる。

 2人の戦いは神話と同じように、一つの町を飲み込もうとしている。やもすれば国一つに及びかねない激しさに、今や兵らは逃げまどっていた。いつ果てるともなく続くのかと思われた斬りあいが、白光により起こった天変地異によって、別の姿を見せ始めている。

 戦争は先ほどまでは、様々な叫び声で沸き返っていた。正気に戻ったネロウェン軍の、別の狂気が港を包んでいた。ネロウェン人は皆、気付いたら戦場に立っていたのだ。そして目前にロマラール兵が、いた。わけも分からず、がむしゃらに戦うしかない状況だったのだ。

 やらなければやられる切羽詰った悲鳴が、兵らの判断を狂わせた。足場も悪くて逃げるにも困難を極める中、出来る事は勝とうとすることだけだった。それも叶わず戦況は泥沼を呈し。

 治めたのが、両陣営から同時に起こった、同じ言葉だった。

「両軍、鎮まれ!」

 港からネロウェン語が。

 町からロマラール語が。

 まるで計った様に重なった声を、相手の言語を解する当事者たちが見つめあった。

 ネロウェン語は、船の上から。

 ロマラール語は、ゴーナの上から。

 間には多くの兵がひしめいており、海に落ちる者、崩れるガレキの下敷きになる者もいて、到底声の届く距離ではない。だが戦場にあるまじき甲高い声が耳に珍しく、すぐに気付くことが出来たのだった。だが船は揺れに揺れて縄を失くし、桟橋も外れて海に漂っている。波が船を飲み込まんとしている。

 ネロウェン人は船上から、ロマラール軍の新たに到着した集団を見下ろしていた。ゴーナ上から叫んだ女性、金髪の騎士団長がはっきりと見えていた。だが援軍は港の荒廃に阻まれ、思うように進めないでいる。

 ロマラール人は町から港に入ったところで、沈みかけている敵戦艦を見上げていた。甲板で叫んだのは王の傍らに立つ、髪の短い女兵士だった。片腕を布で吊るしているのが見える。

 彼らの間に立つ両軍が、驚いて剣を止めている。

 すかさずゴーナが駆けて兵らの中へ押し入り、上のルイサがさっと右手を揚げた。

「戦いは後だ、山へ逃げろ!」

 絶妙の素早さだった。頭上で叫ばれて、兵らは反射的に走っていた。ロマラール兵は山へ。だがネロウェン兵の一部は戦艦へ向かっていた。気付いた者も反転して海へ走っている。ディナティ2世を救うために。

 甲板が傾いており、船が沈んで行く、その上でディナティは女兵士と共に雄々しく立っているのだ。埠頭には、大柄な男に抱えられて船から避難するユノライニの姿がある。ネロウェン兵らに囲まれ、守られて船から離れる少女は、ただ一人の名を叫んでいる。

 ゴーナ上からルイサも、その名を違う呼び方で叫んだ。

「王!」

 思わず手を伸ばしたが、届くような距離ではない。行く手をガレキや波、人の群れに阻まれて、なかなか進めない。気付けばルイサのために道を開けてくれるが、それどころではないのだ。まして彼らの行いを、ルイサも遮りたくなかった。両国の人間が入り乱れ、助け合っているのだ。

 足下が割れて海に落ちるネロウェン人を、ロマラール人が引っ張り上げる。傷ついて倒れるロマラール人を、ネロウェン人が背負って走る。混ざっているのは2国だけではない。助勢軍のクラーヴァ人、ネロウェン軍にはソラムレア人やヤフリナ人もいる。

 黒のグール王が、戦艦の最期と共に、戦争の責務を果たそうとするかのように甲板に立っている。船は埠頭からも離れてしまい、小舟でも出さない限り近づけない。近付けても、侵入経路だった船底の穴は海の下となっているし、側面を登ることも不可能だろう。ディナティが自ら海に飛び込んだとしても、波に飲まれて死ぬ可能性も高い。

 もっとも、助かるとしても彼は飛び込まない気がする。

 荒れる海と揺れる大地に阻まれて、ルイサもゴーナから転げ落ちた。

 何がどうなっているのか、助けられないのかと髪を振り乱したルイサの目に、光の塊が刺して来る。雨を弾くかの白い屋根が膨れて吹き飛びそうに見える。先ほど戦場を染め抜いた光が、周囲の黒い者たちによって押さえ込まれている。その必死さは、遠目でも感じるほどだ。悲鳴とは違う、胸の奥に響くかの古い言葉を、わずかながらルイサも知っている。

 輪の中で、2人がもつれていた。

「クリフ!」

 立てないまま光を見据える。周囲でもんどりうつ兵らも、すべてが光を目にしていた。

 戦艦の手すりを掴むディナティらからも、彼らが見えていた。白く丸い光の球が彼らを包んでいる。

 まるで停止画像がゆっくりと動いて行くように、鮮明に。

 赤い男が、相手の剣を弾き飛ばしていた。弾かれた勢いで半身の揺らいだ紫髪の男が、体当たりを受けていた。それで2人がもつれたのだ。

 紫は仰向けに、赤はうつ伏せに。

 倒れて行く。

 紫の胸へと。

 剣が落ちる。

 倒れる赤の手にある剣が、高々と振り上げられていた。

 切っ先が突き落とされて行く。

 渾身の力を込めて。

 重く、速く。一気に。

 瞬間。

 白の天井が、張り裂けた。

「!!」

 ルイサは地面にしがみつき、叫んだ。言葉が出ない。腹の底から声だけが沸きあがる。張り裂けた光が空に昇り、再び皆を愕然とさせる。

 海水が、ガレキが降って来る。町が沈む。悲鳴は大合唱となり、地に響く。海が轟き、空が割れた――ように、思われた。

 長い時間ではなかったのだ。

 むしろ一瞬だった。

 世界の滅亡。

 そんな映像が人々の頭を埋めた。イアナの剣がダナを刺す一瞬だけが、まるで永遠の絶望に感じられて、見ているルイサの心を打ちのめしたのだ。他の者らも同じだったのだろう。そっと目を開けると、周囲に呆けた面々が並んでいた。

 海水で目を傷めていた。ぎゅっと瞑って、目をこする。体が半分、水に浸かっていた。だが無事だったのだ。

「生きてる……」

 思わず呟きたくなるほど劇的に、揺れが治まっていた。地響きが徐々に遠くなっている。まるで地震を引き起こしていた何かが、深く土の底へ戻って行くかの音に聞こえた。

 目覚めたように顔を上げて、ルイサは人々を見渡した。皆ぐっしょり濡れてガレキに埋まっている。一群の中にユノライニの姿も見えた。港はすっかり沈んでいて、もはや戦える場ではない。すでに誰も戦っていなかったが、動くのも億劫といった風情で皆が海水に体を沈めている。

 クリフらの姿が見当たらない。

 確かに見えていたのに。

 だが心が粟立つのを感じながら見渡すルイサの目には、それより先にネロウェン国戦艦の最期が飛び込んで来た。

「!」

 海に躍らされていた戦艦は、甲板をも波の下へ沈まんとしていた。だが船上には、人の影がない。海に落ちたのか、まさか溺れたのかとルイサは声を上げかけた。が。

「ディナ……ティ、様」

 呼びかけた相手が目前に降りてきて、ルイサを詰まらせた。

 ネロウェン国王が中空から舞い降りてきたのだ。黒マントに担がれて。

「ディ!」

 少し離れたところから上がった愛称は、ユノライニが発したものである。彼女は第3隊隊長のビスチェムに背負われ、無傷のようだった。早くとビスチェムを急かしているようだ。

 マントの男は、両脇にディナティと女兵士を抱えていた。ルイサの背後から駆けてきたマシャが「キャナレイ」と声を上げ、反応して女兵士がぴくりと動いた。黒マントは女兵士を地面に降ろし、それから両手でディナティを扱った。

 ゆっくりとひざまずき、地面に寝かせる。

 海水が、急激に退いていた。大地は完全に黙している。波はまだ揺れているが、それは押し寄せるためでなく、退去するためだ。ところどころに水溜りを残した港が、露わになって行く。よくもしぶとく残っているものだと呆れるほどの荒廃っぷりだが、このしぶとさこそがサプサを顕著に表現していて、領主ルイサの口元を緩めさせてしまう。

 目前に寝かされたディナティの様子が無事だったせいもある。

 ルイサはマントを外して丸め、ディナティの頭へあてがった。水気たっぷりで気持ち良い枕ではないだろうが、ないよりはマシだろう。さすがに膝枕というわけには行かない。降ろされたディナティを心配するネロウェン人らが、周囲を囲んでいる。

 視界の隅で黒マントが揺れたので、ルイサは顔を上げた。フードは外れている。

 見上げた先には、水色の髪があった。

「あなたは」

 確か先日の戦いでは敵だったと記憶を辿るが、今の彼には敵意がない。敵意どころか生気もない。ルイサは彼が隠しているマントの下に、注意を向けた。足元に、血だまりがある。彼からポタリと雫が落ちたように見えた。

 が、男がさっと動き出したので、じっくりとは観察できなかった。

「ナティの魔道士、クスマス。いや、もう魔道士ではないかな」

 名乗って、クスマスは軽い足取りで歩きだす。歩く先には人々の影の向こうに、別の黒マントが見える。目を潰さんほどの光は止んでおり、ルイサの目には少し緑色かがった薄い空気の膜が見えていた。中にいた者は動いていない。

「あれは」

「御前試合、だろ?」

 ルイサに答えたクスマスと彼らとを見比べて、ルイサは息を呑んだ。ちゃんと、いた。あまりに鮮明だった2人の戦いをルイサは一瞬、幻想かと思っていたのだ。地面に伏せていたのに見えていたことが不思議な角度だった。人垣をも越えて見えていなければおかしい映像だった。なのに、そこにいた全員が目にしていたのだ。

 立ち上がっている間に、クスマスは背中を見せて言った。

「さて、戻るか」

 気軽な口調で、ナティ神を彷彿とさせる空気で、彼は魔道士らに混ざる。ディナティを救うためだけに輪を抜け出したらしいと、やっと気が付いた。うめく声が聞こえたので、ルイサは再びしゃがんだ。あちらの様子も気になるが、ディナティを放ってはおけない。

「ここは……俺は?」

 額に手を当てて顔をしかめる少年に、皆が王よと叫んで、ひざまずく。ルイサも片膝をついて、ロマラールの敬礼をした。

「あの者が戦艦から、王をお救い致しました」

 水色の後頭部を指し示すと、ディナティは若干、不思議そうな顔になった。彼が、と口中で呟いている。意外なことだったらしい。無理もないなとルイサは心中で同意した。黒いマントを着る者たちが何を考えているかは、今ひとつ分からない。

 おそらくは、とてつもなく単純なのかも知れないが。

 と思ったのも、ディナティがクスマスを指して言ったからだ。

「あやつは以前、何のために仕えてくれていると問うたら、俺を気に入っているからだとぬかした」

 おそらくは信じていなかったのだろう。何か裏があるに違いないと思っていたと思われる。ルイサとて、ディナティと同じ立場なら、そう思ったことだろう。魔道士が「気に入っている」の一言だけで、命懸けで救ってくれるなど、信じがたい。

 歩く道に、血だまりを作っているくせに。

「彼は何をしに行った?」

 問いながらディナティも先ほど目にした光景に――黒の集団と中にいる人間に気付いて、顔色を変えた。身を起こし、立ち上がり、

「オルセイ……!」

 叫んで、駆け出す。

「あ、ディナティ王っ」

 慌ててルイサも後を追う。続いてマシャがゴーナを駆り、その後ろを、ユノライニを背負うビスチェムが走る。人の輪が徐々に、魔道士らを中心に固まっていた。港は落ち着き、ガレキの崩壊も止んでいる。彼らを囲むオーラは健在で、目には入っているが不可侵の域である。

 そんな黒マントに囲まれて、2人は動きを止めている。

 勝負がついていた。

「クリフ」

 辿り着いたルイサらの目に映った光景は、クリフがオルセイを組み伏せている図だった。先ほどのまま微動だにしていなかったのだ。先ほどの。ほんの、一瞬前のことだ。

 オルセイに向けて剣を突き立てて、クリフはオルセイを睨んでいる。

 オルセイの目もクリフを捉えて動かない。動けないでいる。

 紫の瞳が驚きに見開いている。唇が震えているものの、言葉はない。

 魔道士の詠唱という静寂だけが、港に満ちている。彼らが紡ぐ古代の言葉は、人々の耳に入っても騒がしさを感じさせない。

 彼らの口に乗る言語を解するユノライニが、ビスチェムの背中で呟いた。

「……“治癒”?」

 昨日まで船底で唱えていた呪文ではない。“移動”でも“安定”でもないことをユノライニは知っていたが、まさか今の状況で“治癒”が唱えられているとは意外だった。ユノライニは、ビスチェムにさらに近付いてもらい、ディナティの後ろに立って、オルセイを見おろした。ルイサも、マシャも、ジザリーも。リニエスも駆け寄ってゴーナから降り、魔道士の輪を覗き込んだ。

 全員が確かに見た。

 クリフの剣は地面に突き刺さり、オルセイには当たっていなかったのだ。

 首筋ギリギリに突き立てられ、組み伏せられ、オルセイは仰向けのまま呆然とクリフを見ている。

 やがて、ささやくように小さく苦しい呟きが、オルセイの口から洩れた。

「クリフ……どうして」

 オルセイを睨んだままクリフは、彼の肩を膝で踏んだまま言う。

「お前が、お前だからだ」

 わけが分からない。

 分からないという顔をするオルセイに、クリフは舌打ちしそうな顔を向けている。自分でも説明がつかないらしい。

 イアナの石は今や、少しも光っていない。赤く輝いてはいるものの、血を思わせる雰囲気は消えている。同時にクリフも、クリフの顔に戻っていた。ばらけた髪が彼を別人にしているが、オルセイを見る目は昔のままだ。

「どうしてだ。ここにダナもいる。石もある。俺はラウリーを殺した。沢山の人を殺した!」

 徐々に声が大きくなる。

 オルセイは悲痛な声を上げた。

「殺せよ!」

 暗に、殺してくれと願いつつ。

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