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6-9(懇願)

 あまり遠くにまでは飛べなかった。船の外に出ただけだったのだ。

 一気に遠くまで“転移”できていた『魔力』が、弱くなっている。“安定”の影響なのかなと思いながら、ラウリーは町外れから北の森に入った。夕暮れの港を徘徊するネロウェン兵たちには、『ダナの魔女の見回り』と思われたらしい。誰も彼女に近づいて来なかった。

 もし明日彼らが攻めてくるとすれば、ラフタ山の麓にはいまい。

 ラフタ山の麓からサプサまでは、歩きなら半日かかる。ゴーナで一気に駆け下りれば時間は短縮できようが、明日の進軍をラフタ山から出発するとは考えにくい。町外れか森の中にでも野営する方が妥当だ。となれば、都合がいいのは北の森だ。ラウリーは気配を探りながら、森の中をそろそろと歩く。

 もうすぐ日が落ちる。そうなれば黒い長衣の彼女は一層、目立たない。長衣の裾から滑り出る爪先は、素足だ。おかげで音なく歩いて行ける。落ち葉が敷き詰められていて、ある程度は柔らかいものの、小枝や石が足を刺す。だが、ささいな痛みだ。もっと大きな痛みを誰もが受けている。ラウリーの“遠見”には、父親が兄に斬られた様子も映っていた。父親の無事を確かめたい気持ちもあった。

 もちろん、何よりも見たい顔がある。

 去年、自分が斬りつけてしまった頬の傷。消さずに残している顔が、切なかった。伸ばしている髪がもっと赤くなっていた。初めて彼を見た者には、イアナの英雄と言われても仕方がないほど、凛々しくなった。

 髪をしばる青い紐が首元で揺れていたことを、嬉しく思った。思ってから、自戒した。嬉しいなどと感じても、想われていると喜んでみても、もう自分は届かないところにいるのだ。自ら、離れてしまったのだ。

 ラウリーは目を細め、考えながら歩いていた足を止めた。

「ラウリー?」

 肩にとまる鳥が、いぶかしげにラウリーを覗き込む。ラウリーは腰をかがめ始めた。2人の姿が低くなる。そのまま突っ伏してしまうのかというほど低くなった姿勢で、ラウリーはまた進みだす。

「気配がする」

 小さく呟いて、ラウリーは日が落ちて行く森を進む。遮る枝葉のない木々の間に、赤い光が差し込んでいる。すぐに暗くなるだろう。一日の終焉を感じながらラウリーは、送ってくれたエノアの声を思い起こした。

『ダナを騙す』

 と、エノアに持ちかけられた時、本当にそんなことができるのかと不安を抱いたものだった。操られた振りをして、オルセイを連れ帰る。魔法陣から出てはならない。船と兵と『魔力』を守れと命ぜられた。すぐに揺れて狂ってしまう、己の中に眠っているダナの力を。

 エノアがそれを実行したのは、ネロウェンを立つ前のことだった。自らロマラールを攻めると宣言したオルセイに、エノアが歯向かったのだ。

『動くなら、許さぬ』

 オルセイが戦場に出るのは、エノアが来てからは初めてとなる。ずっと闇に潜んで力を蓄えていた男が動いたのだ。満を持してのことでもあったし、それだけ強い執着心もある。

 ダナの魔力に絡め取られて、エノアは自分を見失った。自分で意識を手放したのだ。

 本当にダナの傀儡となってしまったのかと驚愕してから観念を示したため、ラウリーには、オルセイは危害を及ぼさずに済ませた。ラウリーを連れて行き、魔法陣で船を守らせようと提案したのは、誰あろうシュテルナフだった。おかげでラウリーは怪しまれることなく船底で、魔力を蓄える日々を送ることができた。

 シュテルがエノアに言われたと同じことをオルセイに提案したのは、偶然の一致ではない。エノアと結託しているのだ。つまり、ダナを“浄化”する方向で足踏みが揃ったのだ。

 攻められるロマラールを目の当たりにするのは身を引き裂かれんばかりだったが、“浄化”を思って堪えた。

 方法は昔と変わっていないのだぞと言われても、それこそ願ったりだ。生きていた甲斐があるというものである。自分の命一つでことが治まるなんて、幸せな死に方ではないか。

 自己犠牲の思いは、彼の戦いを“遠見”して、なお一層の確信となった。あんな怒りを持たせるために、あんな絶望を与えるために魔女となったのではない。兄に殺させたくなかった。兄を殺させたくなかった。私を殺して欲しかった。

 誰かを守って戦うことは、その誰か以外を排除することだ。奪い合う少量のパンは、分け合えぬほどに少量なのか、それとも満たしたい欲か。

 飢えるネロウェン人のためにヤフリナ国を得たことを、ラウリーは正しかったのだと自分に言い聞かせている。なるだけ少ない犠牲で、短時間で。目指したのは、すみやかな終結だ。ヤフリナがネロウェンに物資を分けてくれる結果さえ得られれば、そこが終着点だった。

 だが現実は、そこで治まらなかった。

 身を呈して、イアナの剣を持ち出してまで戦ったヤフリナ戦を、ラウリーは剣を折った罪人と咎められ罰を負い、鎖へとつながれた。一年の贖罪は、ネロウェン国がロマラール国を攻めるためにラウリーを戦争から除外する手段だったのかも知れない。ヤフリナ国にとどまらないネロウェン王に、ラウリーは悲痛を抱いた。加えて、祖国でもある。戦えない。

 捕らえられ治癒に奔走して疲れきる日々は、ラウリーに罪の意識を植え付けるのに充分な仕打ちだった。嘆願は退けられ、たてついた罪であるとして罰を加算され、牢の奥底へと追いやられた。

 良心の呵責は、死を目前にした今でも持ち続けている。分かっていてやったことだ。心が晴れることはないだろう。

「ラウリー、あそこだ」

 ケディの声に引き戻される。いくら考え事をしていたとはいえ、鳥目のケディが先に陣地を見つけるとは、笑ってしまう。ラウリーは森が途切れる寸前の草陰に身を隠し、切り開かれている原っぱに目を凝らした。近い。小高い丘の向こうに、火の手と人の声と川の流れる音がしている。ラウリーは森の中を移動して、原っぱの反対側へ回り込んだ。

 回りこんでみると、そこは川原だった。川沿いの木に隠れて、夜営の様子が眺められる。川の向かい側に渡れれば、もっと近くまで寄ることができるだろう。だが見つかる可能性が高くなる。

 さほど広くはない。一個中隊か。だが中隊規模で人が固まっているのだ。明日ネロウェン軍へ仕掛ける先陣の者たちに違いない。立ち並ぶテントと、ゴーナの群れが見て取れる。北の崖にまで登れば、港まではゴーナで駆け下りることができる。山に慣れた者なら、できるはずだ。

 テントの数や、原っぱの広さから見て、ゴーナの数は100人分は固い。この5日間で、近辺からゴーナをかき集めてきたと見える。歩兵もいるようだ。となれば、ゴーナ兵100人に歩兵500人というところか。では先日の戦法と同じく、ゴーナで先陣を切っておいて背後を歩兵で固めるつもりかも知れない……。

 つらつらと考えていたラウリーは、はっと気付いて息をついた。敵の分析をしているのではないのだ。戦うわけでもないのに、どうやって攻めようか港をどう守ろうかと思い描いていた自分に呆れる。

 周囲は薄暗くなっていたが、その分、松明が明るく輝きだして駐留地を照らしている。夕食の後片付けをしているらしい。人の流れが、よく見える。数人ずつが固まって話に興じている。時折、賑やかな声が届いてくる。威勢のいい声も聞こえて来る。明るい声がある。意味をなさなかった言葉の羅列だったのに、その瞬間だけ、はっきりと耳に入って来た。

 愛おしい単語が。

 目を凝らすと、一群の中に赤い髪が見えた。

「……っ」

 胸が詰まる。

 草むらに隠れるラウリーからは、人の群れが、伸ばした手の平に納まるほど遠い。だが逆に言えば、人の顔が判別できるほどに近いのだ。ラウリーは一流のグール狩人に気配を悟られぬよう、必死で息を押し殺す。両手に顔をうずめ、指の隙間から、そっと赤毛を盗み見る。人の間に見え隠れする顔が彼だと分かると、思わず自分を抱きしめて臥せって、丸くなった。のた打ち回って、むせび泣きたくなる衝動。目を閉じるのも勿体ないが、ぎゅっと目を閉じて姿を反芻したくもなる。人影に見え隠れする彼の姿は、すぐに見えなくなりそうだ。だが今のラウリーには、それくらいで充分すぎた。

 あまりにも眩しくて。立ち直っているように見える笑顔が眩しすぎて、直視していられない。体調も良さそうだ。髪が伸びていること以外、昔からの彼と何ら変わりない。近くに寄れば顔に傷があるのも見えるのだろうが、今は見えない距離がありがたかった。

 側に、父親の姿も見える。元気なようだ。きっと、リニエスの力だろう。彼女もサプサへ来ていることを、“遠見”で見たものだった。クーナの魔道士シュテルナフに鏡を渡した娘でもある。クラーヴァ国の辺境で命を大木に変えたという、クーナの魔法使い。クラーヴァ国から来た彼女が辺境に立ち寄って鏡を手にしてきたのだろうとは、容易に想像できた。

 そのような魔法使いがいたという報告を受けた時は、魔法の多用さ偉大さに驚いたものだった。今のラウリーはかの魔法使いを思い出すだに、会いたかったと感じている。敬意を抱いている。もっと時間があれば、もっと魔力があればクラーヴァ国の辺境へまで飛んで行くものを。私もあなたと共に大木になりたいと祈るものを。

 出航の折、シュテルナフがラウリーに言ったことがある。

『私はつい最近まで、正確には魔道士ではなかったのですよ』

 なぜ私にそんな告白をするのかと問うと、シュテルは『さあ』と無表情に言ったものだった。

『あなたがラハウを知る者だからかも知れません』

 言われて気付いた。

 ラハウも、魔道士ラハウと呼ばれていた。漆黒の瞳をした、クーナの魔道士。ラハウの亡くなった時のことが、昨日のように思い出される。自分が兄について行くことを選んだ日でもある、あの時。

 シュテルは、その後に現われた男だ。エノアはダナを排除する者として真っ先に出現したが、シュテルはダナを支持する者として真っ先に出現した。真実をつかさどるクーナの魔道士が2人もダナへと身を寄せたことは、どの魔道士が加担するよりも衝撃のはずだった。だが、何やら納得できる節もあった。

 真実とは往々にして、そうしたものではないか、と。

 正しければ良いとは限らない。

 シュテルナフは言う。

『ラハウが亡くなり正式に魔道士になって初めて――魔の道に背きました』

 つまり、山を降りたのはクーナの教えでなく、自分の意思なのだと。クーナの魔道士としてしかるべき行動をするならば、自分は山を出ず人の戦いを見守るべきだったのだ、と。戦争が表面化していなかった、ダナだけが狂い始めていた最初の頃だ。

 エノア以外は誰も山を降りてくれていなかった、あの頃に。

 あの頃に皆が集結してダナを“浄化”してくれていたならば、こんなに誰も傷つかなかったのではなかろうかと逆恨みさえ持ちたくなる。早い段階でラウリーと共にダナを“浄化”させていれば、過ぎた感情のどす黒さも濃厚さも味わわずに済んだだろうに。

 そして飢饉が来て、ネロウェンが飢え、世界と戦うはめになろうとも。

 ヤフリナ国の市民団体が圧政に苦しみ、反旗をひるがえすことなく死に絶えるとしても。

 ソラムレア国が軍事国家として勢力を伸ばし、少女を生贄に世界を制圧しにかかるとしても。

 過ぎたことを「もしも」で語るのは、馬鹿げている。

 だが願わずにはいられない。

 誰も傷つけず傷つかず暮らす術などないというのに。

 そしてシュテルは言った。

『彼が我を忘れたら終わりだと決めていました』

 冷静に述べたクーナの魔道士は、穏やかな顔をしていた。ダナ神の力ですらも駒のように使い、人の世を治すために尽力したのだと彼の顔は語っている。かつてのラハウが、そうであった時と同じく。感情たる『力』を理性で律する魔道士なればこその自負だ。

 反論したかったが、言葉が出なかった。

「ラウリー、どうしたんだよ」

 手に顔を埋めて臥せってしまったラウリーの肩が震えるので、ケディは地面へ飛び降りた。下から見上げられ、ラウリーは乾いた目でケディに微笑んだ。

「帰るわ」

「え」

「見たいものは、見たから」

 引き下がって行くラウリーを追って、ケディが地面をぴょんぴょんと跳ねる。陣営が遠くなる。徐々に体を起こして背筋を伸ばすと、ラウリーは港を目指した。もらった時間は有効に使った。思い残すことはない。

「馬鹿か、お前! 未練たらったらじゃないのかよ」

 聞こえないほど離れたのをいいことに、ケディがダミ声でわめく。飛び上がって耳元で騒いでくるケディを心持ち避けながら、ラウリーは顔をしかめて首を竦める。

「なんで会わないんだよ! せめて私も正気よとか何とか言ってやれよっ」

「正気かどうか自信がないもの」

「馬鹿か、お前!」

 また言われた。

「そりゃ去年の話だろうが。今のお前はあいつを恨んでないだろうが。本当に、ちゃんと好きなんだろうが!」

 ダミ声で率直な言葉を浴びせられると、段々自分が裸にされている気分になるのは、なぜだろう。体裁を剥ぎ取られて行く。理論武装が着込めない。ケディの本音が明け透けすぎて。せめて歯に衣ぐらいは着せてくれと言いたくなる。感情の根本は単純だ。環境や関係などに思い悩むうちに、複雑多様になって行く。

 ラウリーは腕を上げてケディを止まらせ、「そうよ」と答えた。

「ちゃんと、かどうかは分からないけど、好きよ。……愛してるわ」

「だったら、」

「だからこそ」

 腕から肩にケディを移して、反論を遮って歩きだす。足取りに迷いは見られない。落ち葉を踏みしめて、ざくざくと歩いていく。風が一吹き、ラウリーの鎖骨を冷やす。ラウリーは目を細める。

「会えない。会っちゃいけない」

 死に行く者が会って心を残して、どうするのか。何と言って会うつもりなのか。許してくれと? 今でも愛していると? 2人ともを愛してしまったくせに。自嘲しか出てこない。

 ラウリー・コマーラは魔女となって狂い、ダナと共に浄化されました。その終わり方が、一番いい。去年の変わり果てた自分をだけ、心に刻んでくれればいい。

「――ケディ?」

 思いつめながら歩いていたので、ラウリーは肩に鳥の重みがないことに気付いていなかった。慌てて立ち止まり、周りを見渡す。いなくなられては困る。本当に狂気に走り、エノアの下へ戻れなくなったらどうするのだ。ユノライニにも申し訳が立たないではないか。

「ケディ? ケディ」

 離れたとはいえ、あまり大声を出すと森に木霊してしまう。見つかってしまう。星のない空に、薄く月が出始めている。今夜は明るくなりそうだ。となると、余計に見つかる可能性が高い。早く帰らなければ。

 月の前をよぎった影に気付いて頭上を見ると、夜空の中にケディがいた。

「ケディ、降りてきてよ。私を港に帰して」

「嫌だ」

 鳥頭の返答は、単純かつ乱暴だ。

「いいか、動くんじゃないぞ。離れたら魔力の補佐がなくなるからな」

 恐ろしい脅し文句だ。段々姿を小さくしていく鳥に、ラウリーも弱気になっていく。思わず手を組んで、戻ってきてと懇願したが、ケディは構わず夜空を飛んで行く。動くなということは、魔力が届く範囲内ではあるらしい。

「待って……」

 ケディが何をしに行ったかは分かる。できれば逃げだしたい。だがケディと離れている時間や距離が長いと、自分の魔力が乱れる。もっとも困る状況に立たされてしまったラウリーは、どちらにも動けず途方に暮れてしまった。ケディなしで港まで自分がもつかどうか。もたなかった場合は悲惨だ。

 それに、心の奥にひそむ期待感も不快である。何を考えているのよと、もう一人の自分が叱咤する。だが逃げられない。ケディに念話を試みるも、無視されているようである。あまり魔法を使うのも、まずい。先陣の集団にリニエスはいないだろうが、魔法使いが一人もいないとは限らない。

 お願いします神様と、何に対してかも不明瞭なまま祈った。

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