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6-7(終焉)

 オルセイの荒れる様子を、やけに冷静に見つめている自分がいる。魔力の暴走を見るのが初めてではないからだろう。昨日のことのように、ラウリーの狂乱ぶりが思い出される。2人の違いまでもが、よく見える。

 ラウリーは、自分の内側に『力』を押しとどめて、外に出すまいと努めていた。

 だがオルセイは、内なる『力』を外に吐き出している。彼の呼吸に、叫びに、動きに合わせて空が荒れ、地が揺れ、風が吹き荒れるのだ。

 今までにみてきた魔力を使う者たちは、総じて疲れていた。

 使った魔法を自分の中に閉じ込めているかららしいと分かってきたのは、あのラウリーがいたためだ。魔法戦は時々、自然の驚異をともなっていた。自然のものに働きかけ、摂理をねじ曲げて技とする場合もあれば、魔法の発動に影響を受けて、天候を崩している時もある。

 たちこめる暗雲。

 魔法で放つ、風の刃。

 立ち上がる炎。

 発狂したラウリー。

 動物が恐れて逃げまどい、木々が怯えてさわめくように。

「本質は同じなのか……?」

「クリフ?」

「いや」

 答えをまさぐって口に出してみたが、出したからこそ答えが消えた。ジザリーの声に引き戻される。目前には、打破しなければならない惨劇が繰り広げられている。

 オルセイがよろめき後じさって、道の真ん中に立っている。体をくの字にして腕を抱えて、言葉にならない叫声と魔力を身の内から放出している。魔力が影を持ち、人の顔をしているようにも見える。無数の悪霊がオルセイから抜け出て行く。取り巻き、彼の周囲だけを色濃く染める。今まで殺してきた者たちだとすれば、自分にも憑いているのだろうかとクリフは思った。大勢のネロウェン兵が。サキエドが。

 拒絶し憎むダナの顔が、悲しんでいるようでもあり、怒りの形相でもある。感情はどれも、突き詰めると泣き顔になる。オルセイは嘆きながら悪霊を追い出す。だが彼の背後には、彼に魔力を注ぐ者がいる。翠の男は無表情に、機械的に手をかざして詠唱している。やめろという命令が出ていないからか。詠唱の声は聞こえない。雷雲が立ちこめて雨を呼び、雷が鳴り、騒音となって人々の声をも掻き消している。合間から聞こえるのは、ロマラール語で「退け! 退け!」と叫ばれている声ばかりである。

 街道にひしめくネロウェン兵も今や、戦うことすら忘れた廃人となっている。ダナの周辺にひしめく者らは、呆然と立っているばかりである。何らかの意志を持って歩いてくる兵も、近くまで来ると歩くことすら忘れるのだ。ぶつかり、邪魔だとなった時に初めて右手に持つ物を振り、無雑作に斬りつける。敵味方の別もない。存在するのは、ただ生きているだけの肉塊である。命のない肉塊も足に当たれば、蹴りつけ、踏みつけ、乗り越える。それを見るロマラール兵も、恐怖で発狂する者が少なくない。

「オルセイ……っ」

 ジザリーが泣き声を上げて、人垣を越えて、オルセイへと突進する。クリフも後を追い、父を掴んで引っ張った。勢いで、イアナの剣が掲げられる。赤い柄尻にクリフが手を添えるのと、魔力が飛んでくるのが、ほぼ同時だった。

 イアナの剣が白く輝く。

 風圧が2人を避けて、吹き去る。

 細めた目を開いてオルセイを見ると、血走った瞳がクリフを凝視していた。

 一瞬。

 言葉のない彼の形相が、クリフに何かを懇願しているかに見えた。

「……?」

 だが、すぐにクリフは剣の『気』に飲まれた。無意識のうちにクリフは、ジザリーから剣を奪いとっていた。

「俺が行くから」

 一見、父をいたわる息子の言葉だ。ジザリーをかばって立ったクリフは、傀儡の兵らを突き飛ばしてオルセイに向かう。剣を握っているのが恐ろしいような、かつ、今までの中でもっとも手に馴染んでいるかの、奇妙な感覚がクリフの芯から湧き上がる。剣が腕のように軽い。

 イアナの心を感じる。

 理性が心を叩いている。

 それよりも強い思いが、体を熱くする。

 オルセイの醜態に怒りが沸いてくる。

 ダナ。

 何もかもを引っかき回してくれた、最愛の娘を殺した男。終わりなど来ないのだ。人が生きている限り。お前がそこにいる限り。いなくなっても、なお。

 斬られてちぎれたクリフのマントが風に飛び、オルセイを覆う。払いのける黒い男に、クリフは剣を突き出す。いや、出しかけた。

「クリフ、いかんっ」

「父さん」

 阻まれた。左腕にしがみついた父が、クリフの肩を抱きしめる。視界を遮られ、足が止まり、クリフは苛立った。呼応して剣が輝く。風が巻き起こる。マントの破片が、空に舞う。

 暴風の正体はオルセイだけでなく、クリフからも放出されているものだった。かつて、エノアが言ったものだ。クリフには魔法を操る力こそないが、力そのものは、潜在的に強い、と。

「今のお前たちは、いかん」

「何を」

 ふりほどこうとしたが、放れない。グール狩人の腕力は健在だ。立ち止まってはいけない。今ここで奴を仕留めなければとクリフが焦る。父さん、あれはグールなんだよ。唇にまで言葉が出かかった。出されることはなかったが。

 立ち止まってしまったのだ。

 犯してはならない過ちだった。

 クリフがすべきは、逃げることだった。

 避けなければならなかったのだ。遮られた視界を取り戻すのが先決だったのだ。

 衝撃はなかった。さらりと、風が呆気なく飛んできて、ジザリーをかすめて消えたのだ。

 クリフを抱きしめる、ジザリーの背に。父の向こうに立つ悪魔に。手をかざすダナに。

 ジザリーが小さくうめく。目を見開く。眉間に皺が寄る。歯を食いしばっている。クリフの肩から、父の手がそっと離れていく。クリフには左腕に力を入れた。父の重みが、腕にかかってきたからだ。

「と、う……」

 崩れて行くジザリーの背から噴出する血が、クリフの視界を埋める。血の向こうに立つダナは自らを抱きしめ、苦悶しながら手をかざしている。オルセイに言葉はない。何をしたのか分かっていないとは言わせたくない。クリフの視界が揺れる。腹の底から、何かがせり上がって来る。

 すっかり出し尽くしていると思っていた感情が身体中を蝕み、心を真っ赤に染め上げる。視界をも赤く染める。何も見えなくなる。

 父が、クリフ、オルセイ、と2人の名前を口にする。続けて妻を呼ぶ。体がゆるりと倒れて行く。クリフの腕から滑り落ちる。声が小さく、弱くなって行く。ぐったりと落ちる体の下で、父は最後にささやいた。

 最愛の、娘の名を。

「わああああああああぁぁっ!!」

 理性が飛んだ。

 世界が爆発したかの音が、耳をつんざいた。

 クリフは、ありったけの力で跳躍していた。石畳を破壊し、周囲を吹き飛ばし、激しい光で景色を掻き消した。真っ赤なのか、黒か白か。何も見えなくなった空間に、ダナとイアナだけがいた。

 赤く染まったクリフの髪が揺れ、紐がほどけて広がった。剣を受けたダナが宙に浮き、長衣と紫髪が空気に舞う。ダナは剣ごと、イアナを胸に掻き抱く。かっと開かれた、紫の瞳。

 オルセイが胸に抱くマラナのブローチと、イアナの剣が呼応する。ダナを包み込み、紫に染め上げる。クリフの髪が、体がオルセイの血で染まる。

 イアナの剣は今度こそ、ダナの心臓を貫いていた。

 かつての神話と同じように。

 海が荒れ、風が吹いた。景色が戻って来る。暴風雨に崩れて行く建物と、逃げつつも戦う者たちが眼下に広がっている。いつしか2人は、中空に浮いていた。港までもが目に入る。そこには、地面を滑る海が見えた。

「!?」

 街道が、波に侵食されている。ネロウェンの戦艦が大きく揺れていた。ネロウェンの兵は次々に船へと登り、ロマラールの兵は、わらわらと町の中へ走っていた。放心するネロウェン人は、ロマラール人に手を引かれて走っている。町を抜けて、山へと。ラフタ山へ。轟音が大地を揺るがしている。沖から迫る津波が見えた。港を叩き、レンガを壊している。海水が巨大な化け物のように、町を襲っているのだ。

 それらを見おろして驚愕した時間は、ほんのわずかだ。クリフはすぐに、オルセイの背後に立つ影に目を奪われた。翠の男が、クリフらと同じく宙に浮いているのだ。そして手をかざしたままである。

 だが、その詠唱は先ほどまでとは何かが違っていた。変わらない無表情。秀麗な顔。ニユの瞳。黒いマントが空気にふくらみ、宙を舞う。翠の髪も艶やかに、雨に濡れるエノアを彩っている。

 形の良い唇が、初めて理解できる言語を発した。

 すべての騒音を超えて、穏やかな音色がクリフの耳に滑り込んできたのだ。

「よくやった。“仮死”だ」

「――!?」

 途端。

 クリフは、落ちた。

 体がオルセイの腕から抜けて、初めて気付いた。クリフまで一緒に浮かんでいたのは、クリフの魔力ではなかったのだ。オルセイが抱きしめていたからだ。クリフを。

 どういう理由で。何の感情で。絞め殺すために? 首でなく?

 目を瞬かせつつ、クリフは地面に激突しかけた。衝撃に目をつむる。だが予想した痛みではなかった。石畳ではない何かが、クリフを受け止めていた。柔らかい。人の厚みだ。死人の上に落ちたのか。瞬時に思ったが、開いた目には生身の者が映った。

「……父さんっ!?」

 死体の方がましだと思う驚愕だった。まさか父の上に落ちたなどと。

 だがジザリーは生きていて、しかも自らの意思でクリフを受け止めていた。合わせた顔には、笑みさえ浮かんでいる。一緒に転んではいたが、父は間違いなく健在であった。クリフは慌ててジザリーの上からどいて、その体を抱きしめた。父さんと連呼すると同時に父の手が、クリフの背を包む。

 一体どうしてと口に出すよりも早く、答えが立っているのを目にした。

 かたわらに、よく知った人物が立っていたのだ。先ほどまで港にいたはずの仲間である。紫のお下げが雨に濡れている。少女は手をかざし、敵からクリフらを守っていた。周りにも、魔法使いらが取り巻いていた。魔道士の姿もあった。少女の前には、黒い魔道士がいる。リニエスは、シュテルナフと対立していたのだ。舞台を街道へと移しつつ、クリフらを見つけ、ジザリーを救ったというところか。

 少女の魔力は、魔道士に引けを取っていなかったのだ。少女がかざしている手には、剣など握られていない。キラリと光って見える、小さな何かだ。だが何かというのを、クリフは知っている。奇跡を見ているようでもあった。まさか、ここにクーナの鏡が来ているなどとは、夢にも考えられない。だが確かにあるのだ。

 大木となった魔法使い、ウーザの微笑が見えて来る気がした。

 鏡が光ったので、気が付いた。

 雲間から、光の筋が落ちてきたのだ。

 クリフは父を抱いたまま、天を仰いだ。

 見上げると、オルセイの側に別の黒い影が飛んでいるのが見えた。エノアと同じく手をかざしている。ダナを封じようとしている。が、ダナの手から起こる魔法が、黒い影をパンと弾いた。

「あ!」

 飛び上がった影は、水色の髪をしている。すかさず4人目の影がこれを助けていたが、助かったのかは定かではない。彼らは徐々に、建物よりも高く浮き上がっているのだ。続けて5人、6人と黒い影がダナを取り囲んで行く。地鳴りが、鎮まって行く。

 7人目の魔道士が、オルセイの胸に手を当てた。剣が引き抜かれる。頭上だったが、血の雨は降って来なかった。それから先に浮き上がっていた5人目のレウザが、オルセイに近寄った。再び離れた彼の手に、青い石が光っているように見えた。『気』の流れを感じる。

「私も」

 と、クリフの目前で8人目が言った。駆ける人々を背後に、黒い魔道士は静かにたたずみ、リニエスに向かって手を差し出していた。

「貸してはもらえまいか」

 クーナの魔道士が鏡を欲している。理性でなく、感情が先に納得していた。終わるのだ、と。それをリニエスも感じたのだろう。近づいてくるシュテルナフにリニエスも近づき、白い鏡を手渡す。シュテルも浮き上がり、黒マントの輪に加わった。一層の光が、白いような、虹色のような輝きで町を覆う。

 光と波が、町を埋めつくす。だが波は、町の中央にまでも至らなかった。魔道士らの詠唱と共に、徐々に引いて行ったのだ。波の先は、クリフらの下にまでは、延びてきた。足下を舐めて、するすると退散して行く波が生き物のようでもあった。

 かつて浄化を試みた時。これが最後と臨んだ戦いで、魔道士はエノア一人しかいなかった。不安定なダナ神をラウリーに移して浄化させるのだと言ったエノアの説明が、脳裏によみがえる。今、魔道士は全員が集結し、しかも全員が媒体を手にしている。7色の詠唱が渦巻いている。波と共に落ち着いてきたクリフの頭に、理性が戻ってきた。

「ちょっと待て、この野郎!」

 頭上の魔道士に向けられた言葉だ。とりわけ、翠の魔道士に。

 操られる振りをしていた狡猾な魔道士は、無慈悲にロマラール兵を蹴散らしつつも、退けていただけで殺していなかったのである。これはエノアに言わせるところの“不必要な戦いだから”ということになるのだろう。もしくは、力を温存していただけかも知れない。そう考える方が、しっくり来る。

 クリフを見おろす翠の瞳は、相変わらず冷酷である。

「浄化だろう? ラウリーは? ラウリーは、どうなったんだ!?」

 尋常でなかった姿が、元に戻ったとは思えない。かと言って死んでしまったとも信じられない。納得できる答えが欲しい。でなくば彼女を探したい。エノアが知らないわけがない。

 エノアは、クリフの心を見透かしている。

「ラウリーも、共に浄化する」

 短い返答にすべてを詰め込んで、エノアはいきなりオルセイを消した。“転移”だ。目を見開く中、一人また一人と消えて行く。クリフは手を伸ばした。届くわけもないのに。

「待てよ、ここに! ここに連れて来い!」

 わめくクリフに、流麗な声が降り注ぐ。

「彼女は魔法陣にいる」

 言葉だけを残して、翠の男も姿を消した。黒い残像はすぐに消えて、後には雲間の光だけが残った。幾筋もクリフの目を刺して、顔を歪めさせる。大きく見開く自分の目から涙がこぼれ落ちたことに、クリフは気付いていなかった。ジザリーに呼ばれ、瞬きをして初めて気付いたのだ。

 逃げられた。

 クリフの中には、まだ多くの疑問とわだかまりが残っている。獲物を横取りされた狩人の苛立ちが、腹にくすぶっている。敵対していたはずの魔道士が共闘を始め、ダナを鎮め、終わったかに見えてしまった。

「仮死だって?」

 小さく口にしたら、自嘲の笑みが洩れた。思わず大声で笑いそうになったのを、堪える。自分の道化ぶりが馬鹿馬鹿しくて、やるせなくなる。怒りのままに突進したクリフの手に、今やイアナの剣はない。

 町からも、大きな『魔の気』が消えている。

 呆然と座り込むネロウェン兵を捕縛して回る、ロマラールの兵。逃げるネロウェン人は追わない。行き先は一つしかない。港に残る戦艦にまで突進してネロウェン軍を殲滅させる力は、もはやロマラールにも残っていない。街はガレキの山と化し、破壊され尽くしていて、そこにたたずんでいることが危うい状態だ。ロマラール兵は捕虜を連れて列をなし、ラフタ山を目指している。波に呑まれて消えた者も少なくないし、ネロウェン側にとて捕まったロマラール人がいることだろう。

 ロマラールの残党を統率しているのは、言わずもがな、だ。たちこめた暗雲が晴れて行くと、なんと長い悪夢だったのだろうと、気が安らいでしまう。本当はまだ何も終わっていないのに。いや。

 このままクリフのあずかり知らないところで事態が進み、終結してしまうのかも知れない。かつて降臨したダナが、人知れず世界を狂わせ、戦いを呼び起こしたように。クリフの知らない間にラウリーが魔女となり、クリフと敵対した時のように。

 ある日、ひょっこりとオルセイが戻り、クリフに「ただいま」と言うのだろうか。覚えていないのかも知れない。ただの長い夢だったのかも知れない。

 街道にあふれていた肉塊は、波に現われて消えた。残る惨劇もあるが、ずいぶんと綺麗になったものだ。すべてが濡れて太陽に輝き、元からこうした風景だったろうかとまで思わせる。血に染まった風景も、疲れきった両国も。背を赤く染めて横たわる父、髪から足先をもオルセイの血に濡れた自分。殺したいほど憎み、ラウリーを奪い、父をも傷つけ、最後にクリフを抱きしめたオルセイが、すべて、すべて夢であったなら――。

「ああああぁ……」

 低く嗚咽するクリフの目から、涙があふれて止まらない。ジザリーが身を起こし、そんな息子に胸を貸す。辺りの者も気を使い話しかけず、黙々と歩く。雨は止んでいた。海は静かになった。耳を壊す音はない。英雄と呼ばれた青年の嗚咽だけが、街道に木霊する。座り込むクリフは父の肩に頭を預けて、泣いた。


          ◇


 ――暗い板の間に座る紫髪の娘が、円陣の淡い光と共に目を開く。

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